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143 慌ただしくも変わらない日常(その6)
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清掃業と一口に言っても、用途や役割は多岐にわたる。
状況に応じて清掃道具や洗剤類を使い分けるのは序の口、生活の汚れから死体処理、果ては現場の原状回復も、場合によっては含まれてしまう。
「義兄、私は残らなくていいのか?」
「お前今日、休日だろ? 副業ついでに本業まで出張ったら、人事の連中ブチ切れるぞ」
とはいえ、どちらであっても『裏』の仕事である。本来であれば税収計算に関わること自体おかしな話だが、もし周囲に『収入と支出が明らかに見合っていない』と思われてしまえば、待っているのは税務署、さらには国家権力からの疑惑の目だ。
だから勇太の会社内では、表向きとは別に人事、総務、経理の三部門を用意し、『適切な収入』であることを世間に証明する仕組みを用意していた。早い話が、自社専用の『裏帳簿』の管理部門である。
「にしても……この人手不足、何とかならないかな?」
いくら会社の規模が大きくとも、在籍している社員の数があまりにも少なすぎる。特に、『裏』の仕事を任せられる人材も考慮すれば、対応できる業務量には限りがあった。
その為、専門の人材派遣会社やフリーの『裏社会の住人』、果ては反社会的勢力にまで、協力を仰がなければならない。
裏切りを避ける為に、報酬や給与面は最大限考慮していても、同様に業務量を配慮しなければ、それもまた反目へと繋がりかねない。ただでさえ、仕事として掃除をすることに対して抵抗がないだけでも十分な逸材なのに、それが『裏』の死体処理や犯罪現場の原状回復にまで話が及んでしまえば、見つかる方が奇跡である。
(そもそも、先祖が『掃除屋』始めたのだって……報酬に目が眩んで引き受けたまま、なし崩し的に続けただけらしいしな)
先祖伝来の職業が継続されるのは、やはり環境要因が大きいのかもしれない。
そんなことを考えていると、連絡を終えた弥生がスマホを片付けながら、勇太達の前へと来ていた。
「終わったよ~」
単なる連絡係だったので、大した報酬は得られないものの、今回の弥生はある意味『楽な依頼』だった。その為か、収入だけでなく疲労も少なく済んで、気楽そうである。
「……ああ。後、勇太。睦月から伝言」
「何だ?」
その伝言を聞き、勇太は了承の旨を伝えるよう弥生に返した。
(ま、ついでもあるし……別にいいか)
少なくとも、これで勇太の今日の業務は終了となる。理沙達と別れた後、予定通りにジムへと向かうことにした。
「ぅぅ……」
「一日でできるようになれば上等だって。後は日を開けて繰り返せば、その内慣れるだろ」
夏の日暮れが空に差し掛かり始めた頃、睦月達は撤収作業に入っていた。とはいえ、持ち込んだ銃器類を回収するだけで済む。試射や射撃練習で撃ち込んだ銃弾は、そのままで問題ない。
地面を掘り返せば人目に付かなくなる上、睦月達以外にも射撃練習に用いることもある場所なので、放置しても何ら問題はなかった。
それでも一応、睦月一人でスコップ片手に撃ち込んだ銃弾を埋め立てている中、スマホから着信を告げる振動が鳴った為、確認しようと一度手を止めた。
「さて……早いとこ片付けて行くか」
「どうかしたんですか?」
「この後用事ができてな。由希奈達を送ってから向かうことになった」
弥生伝手で勇太の返事を確認した睦月は、由希奈にそう告げてからスマホを戻した。
「あの……私も片付け、手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
残りを片付けようとスコップを構える睦月に由希奈がそう提案してくるものの、大丈夫だと断り、先に車へと戻らせた。
(そもそも、一本しかスコップを持ってきてないしな……)
念の為にと、あえて持ち物を絞って正解だったと思う睦月だが……手近な物をスコップ代わりにする術があることに気付かれなくて良かったと、内心安堵していたのは秘密である。
「それにしても……」
睦月達が車で移動している頃、勇太はジムインストラクターとして働いている秋濱の指示を受けながら、筋肉を付ける目的の無酸素運動を繰り返していた。
「社長のマンションも、結構設備良いですよね? 俺が行けない時にまでわざわざ職場のジムに来て、コーチが見る必要あります?」
「あそこは基本、健康志向でやってる人間が多いからな。雰囲気的に、一人でガチ筋トレしてるとかえって浮くんだよ」
一通りトレーニングを終え、一度入った休憩時間で軽く雑談する二人。その際、勇太はこの後の予定を秋濱に告げることにした。
「……あ、そうだ。俺、この後創のとこ行くから」
「え……面倒事ですか?」
「いや、『運び屋』と会うだけだ」
その言葉を聞いた秋濱は、何故か手に持っていた用箋挟を床の上に落してしまう。そのことに勇太が声を掛けるよりも早く、返答を叩きつけられてしまった。
「あんた等戦争でも始めんのかっ!?」
周囲の視線に居た堪れなくなるものの、このまま黙っているわけにもいかないと、勇太は腰掛けていた椅子から急いで立ち上がり、秋濱の肩を掴んでしゃがみ込ませた。
「失礼なことを叫ぶなっ! 周囲の目が痛いだろうが!」
「いや、だって……あんた等喧嘩してて休戦状態じゃなかったんですか?」
「仕事で会うだけだ。揉める理由がねえよ」
睦月からの呼び出しとはいえ、秀樹の件は伏せてある上に、峰岸への連絡は和音を通してあるので知られる可能性はない。無論、黒幕が誰かは伝えないように頼んだ上で。
そう考えている勇太は、大方、黒幕の正体を探る為に事情聴取する目的で、睦月から呼び出しを受けたのだと思っている。
だから、特に大きく揉めることはないだろうと……勇太は少し、楽観的に思っていた。
「……あ! もしもし夏堀? 今日抽冬の店に行く予定ある? 今日は止めとくか時間ずらした方がいいぞ。絶対荒れるから……そう、他の連中にも連絡頼む」
「仕事中に個人的な電話するなっ!」
こうしてツッコめばまだ、何とかなる範疇だと思っていたのだ。
「まったく……そもそも揉めた原因だって、その仕事で信用を無くしたせいなんだよ。これ以上しくじって堪るか」
その時の勇太は、まだ……
そして、勇太がジム上がりに向かうバー『Alter』では、開店時間に合わせて、珍しい客が来店していた。
「ジンジャーエールです」
「……どうも」
お互いに、会話が続かないことが分かっているからだろう。雇われ店長である抽冬が煙草を咥えながらテレビを点けると同時に、睦月もまた瓶から注いだジンジャーエールの入ったグラスを持ち、口に付けていた。
『……次のニュースです。暁連邦共和国が某国に派遣した遠征軍に関して、続報が入りました』
「ん?」
抽冬は気にせず、次の注文が入るまで本でも読もうかとカウンター内の椅子を引っ張り出していたが、『運び屋』は興味があったのか、テレビのニュースに注視していた。
『大多数の遠征軍兵士が亡命を図ろうとするのを利用し、少数の工作員が某国へ潜入しようとしていたことが分かりました。ですが、その際に言葉が通じない問題が発生し、結果的に潜入工作が明るみに出ました。以前までは暁連邦共和国の出兵について、関係各所から危惧する声が上がっておりましたが、言語による意思疎通ができないことが判明した途端、その考えを改める声も上がり……』
「某国の人間は、拉致ってないんだな……」
「どうかしましたか?」
そう抽冬が問い掛けると、大した話じゃないとばかりにジンジャーエールを口に流し込みながら、睦月は呆れた口調で返してきた。
「拉致問題が実行された目的の一つは、その人間の国の言語とかを学ぶ為だったろ? なのに言葉が通じてないってことは、某国の公用語を理解していなかった、ってことだ。その国の人間は拉致してないから、憂いなく出兵できると思ってたのかね……」
「どうでしょうね……少なくとも、通訳が必要だと分かったのが出兵後だったのは、さすがにどうかと思いますが」
事前準備の際に懸念点を纏めておき、対応策を検討するのは当然のことだ。仕事ならなおのこと、人の生死が関わるのであれば、必ず検討しなければならない。
なのに……暁連邦共和国は言語の問題を無視し、強行軍を決めたのだ。今回は敵前逃亡や、それを利用した工作員の潜入で明るみになっただけだから、まだいい。
だがもし、戦線で同様の問題が起きていたとすれば……一体何人が、無駄な犠牲となっていたことだろうか?
「とはいえ……いくら言語が通じても、気持ちや意図が通じなければ、意味がないけどな」
扉の開閉音が鳴り、階段を踏み締めながら降りてくる音が聞こえてきた。
睦月から視線を外した抽冬は、カウンター内に出した椅子をそのままにして、新しく入店した勇太に挨拶した。
「……いらっしゃい」
その言葉を引き金に、カウンターからどす黒い何かを感じたが……抽冬は気にせず、勇太からの注文を待った。
「プロテインの豆乳割りで」
そして、抽冬がプロテイン用のシェイカーボトルを引っ張り出そうとする中、勇太の注文を待つことなく、睦月が口火を切り出した。
「……じゃ、峰岸さんとこの馬鹿孫についての話。始めようか」
その言葉に足を止めてしまったのか……勇太はすぐに、カウンター席に腰掛けることはなかった。
「『孫が責任を取って自決したので、それで手打ちにして欲しい』って、ここに来る前に電話があったよ。峰岸さんには了承を伝えといた」
「……そうか」
そう言って、勇太はようやくカウンター席に腰掛けた。『情報屋』には『責任を追及したら自殺を選んだ』としか報告せず、黒幕についても睦月には伏せておくよう頼んでいたが……それも、どうやら無駄だったらしい。
何にせよ、隠蔽も虚しく睦月に知られた勇太は、内心怯えつつも平静を装った。
「いつ、分かったんだ……?」
「お前が下手な嘘を吐いた時には、とっくに婆さんに確認取ったよ」
「プロテインの豆乳割りです」
思わず差し出されたプロテインをがぶ飲みして、喉の渇きを鎮めようと尽力するも、睦月の方には遠慮する理由は一つもなかった。勇太が飲み終わるよりも早く、忖度されない会話が続けられてしまう。
「何が、『お前の知らない奴』だよ。相手が共通の知人の関係者な時点で、そんな嘘すぐばれんだろうが」
「まあ、そうだけどよ……あ、水素水で」
飲み干したプロテインの代わりに水素水を追加注文してから、勇太は観念したとばかりに両手を上げ、睦月に吐露した。
「にしても……昔っから、俺の嘘には敏感だよな。睦月」
「お前が下手過ぎるんだよ。『声音に気を付けろ』って、何度言わせる気だよ……」
元々は金に不自由のない、贅沢な生活を送っていた為だろう。どこか周囲を見下す話し方が当たり前になっていたので、どうしても声音を気にせず話してしまうことが多かった。特に、都合の悪いことに対してはどこか、『自分は助けて貰える』と甘い考えの混じる話し方が、当たり前になっていた。
人間は幼児期に習得した言語で、物事を考えていると言う。しかし、習得した言語が必ずしも、他者とまったく同じというわけではない。
たとえば、同じ日本語を習得したとしても、それが共通語であるとは限らない。月偉のように関西訛りになる場合もあれば、今の勇太のように、幼少期の癖みたいな話し方が残ってしまうこともある。
「ま、今回ばかりは……峰岸さんも黙ってなかったと思うぞ? あの馬鹿孫、最初から最後まで、周囲を振り回してくれてたからな」
「……それもそうだな」
差し出された水素水のグラスをすぐに飲み干した勇太は、睦月の方から何もしてこないと見て、ようやく肩の力を抜いて一息吐いた。
「もうちょっと、上手くやれると思ったんだけどな……」
「お前……もしかして、俺を練習台にしたのか?」
「まさか……そんな命知らずなことはしねえよ」
その言葉の通り、勇太は今、自省の念に駆られていた。
もう少し、話し方に気を付けてさえいればとも思ったが、睦月の言う通り、今回ばかりは誤魔化しきれなかっただろう。たとえ口裏を合わせるように伝えていたとしても、睦月が別途調べないとは限らない上に……峰岸が責任を感じて、相手に伝える可能性があることを完全に失念していたのだから。
「もう少し、相手の気持ちを考えないとな」
「それなんだけどさ……」
ジンジャーエールの入ったグラス片手に、横目で見てくる睦月の眼差しに少し怯えながらも、勇太は次の言葉を待った。
「あの馬鹿孫……何で自殺を選んだんだ?」
おそらく、峰岸の言葉を鵜呑みにしたわけではないのだろう。だから、睦月の中ではいくつもの、合理的な理由が浮かんでいるのかもしれない。
『家族を守る為』と引き金を引いたのなら、まだいい。『脅されるままに自殺した』と言われても、まだ納得がいく。『思考を放棄して、ただ言われた通りに行動した』とかであれば、もはや軽蔑の域に達する。
結局、峰岸秀樹は何をもって、自殺を選んだのか。
「……俺にも、分かんねえよ」
無言で突撃用自動小銃の引き金を引いた、あの男の死に様を見届けた勇太でさえも、そう答えることしかできなかった。
状況に応じて清掃道具や洗剤類を使い分けるのは序の口、生活の汚れから死体処理、果ては現場の原状回復も、場合によっては含まれてしまう。
「義兄、私は残らなくていいのか?」
「お前今日、休日だろ? 副業ついでに本業まで出張ったら、人事の連中ブチ切れるぞ」
とはいえ、どちらであっても『裏』の仕事である。本来であれば税収計算に関わること自体おかしな話だが、もし周囲に『収入と支出が明らかに見合っていない』と思われてしまえば、待っているのは税務署、さらには国家権力からの疑惑の目だ。
だから勇太の会社内では、表向きとは別に人事、総務、経理の三部門を用意し、『適切な収入』であることを世間に証明する仕組みを用意していた。早い話が、自社専用の『裏帳簿』の管理部門である。
「にしても……この人手不足、何とかならないかな?」
いくら会社の規模が大きくとも、在籍している社員の数があまりにも少なすぎる。特に、『裏』の仕事を任せられる人材も考慮すれば、対応できる業務量には限りがあった。
その為、専門の人材派遣会社やフリーの『裏社会の住人』、果ては反社会的勢力にまで、協力を仰がなければならない。
裏切りを避ける為に、報酬や給与面は最大限考慮していても、同様に業務量を配慮しなければ、それもまた反目へと繋がりかねない。ただでさえ、仕事として掃除をすることに対して抵抗がないだけでも十分な逸材なのに、それが『裏』の死体処理や犯罪現場の原状回復にまで話が及んでしまえば、見つかる方が奇跡である。
(そもそも、先祖が『掃除屋』始めたのだって……報酬に目が眩んで引き受けたまま、なし崩し的に続けただけらしいしな)
先祖伝来の職業が継続されるのは、やはり環境要因が大きいのかもしれない。
そんなことを考えていると、連絡を終えた弥生がスマホを片付けながら、勇太達の前へと来ていた。
「終わったよ~」
単なる連絡係だったので、大した報酬は得られないものの、今回の弥生はある意味『楽な依頼』だった。その為か、収入だけでなく疲労も少なく済んで、気楽そうである。
「……ああ。後、勇太。睦月から伝言」
「何だ?」
その伝言を聞き、勇太は了承の旨を伝えるよう弥生に返した。
(ま、ついでもあるし……別にいいか)
少なくとも、これで勇太の今日の業務は終了となる。理沙達と別れた後、予定通りにジムへと向かうことにした。
「ぅぅ……」
「一日でできるようになれば上等だって。後は日を開けて繰り返せば、その内慣れるだろ」
夏の日暮れが空に差し掛かり始めた頃、睦月達は撤収作業に入っていた。とはいえ、持ち込んだ銃器類を回収するだけで済む。試射や射撃練習で撃ち込んだ銃弾は、そのままで問題ない。
地面を掘り返せば人目に付かなくなる上、睦月達以外にも射撃練習に用いることもある場所なので、放置しても何ら問題はなかった。
それでも一応、睦月一人でスコップ片手に撃ち込んだ銃弾を埋め立てている中、スマホから着信を告げる振動が鳴った為、確認しようと一度手を止めた。
「さて……早いとこ片付けて行くか」
「どうかしたんですか?」
「この後用事ができてな。由希奈達を送ってから向かうことになった」
弥生伝手で勇太の返事を確認した睦月は、由希奈にそう告げてからスマホを戻した。
「あの……私も片付け、手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
残りを片付けようとスコップを構える睦月に由希奈がそう提案してくるものの、大丈夫だと断り、先に車へと戻らせた。
(そもそも、一本しかスコップを持ってきてないしな……)
念の為にと、あえて持ち物を絞って正解だったと思う睦月だが……手近な物をスコップ代わりにする術があることに気付かれなくて良かったと、内心安堵していたのは秘密である。
「それにしても……」
睦月達が車で移動している頃、勇太はジムインストラクターとして働いている秋濱の指示を受けながら、筋肉を付ける目的の無酸素運動を繰り返していた。
「社長のマンションも、結構設備良いですよね? 俺が行けない時にまでわざわざ職場のジムに来て、コーチが見る必要あります?」
「あそこは基本、健康志向でやってる人間が多いからな。雰囲気的に、一人でガチ筋トレしてるとかえって浮くんだよ」
一通りトレーニングを終え、一度入った休憩時間で軽く雑談する二人。その際、勇太はこの後の予定を秋濱に告げることにした。
「……あ、そうだ。俺、この後創のとこ行くから」
「え……面倒事ですか?」
「いや、『運び屋』と会うだけだ」
その言葉を聞いた秋濱は、何故か手に持っていた用箋挟を床の上に落してしまう。そのことに勇太が声を掛けるよりも早く、返答を叩きつけられてしまった。
「あんた等戦争でも始めんのかっ!?」
周囲の視線に居た堪れなくなるものの、このまま黙っているわけにもいかないと、勇太は腰掛けていた椅子から急いで立ち上がり、秋濱の肩を掴んでしゃがみ込ませた。
「失礼なことを叫ぶなっ! 周囲の目が痛いだろうが!」
「いや、だって……あんた等喧嘩してて休戦状態じゃなかったんですか?」
「仕事で会うだけだ。揉める理由がねえよ」
睦月からの呼び出しとはいえ、秀樹の件は伏せてある上に、峰岸への連絡は和音を通してあるので知られる可能性はない。無論、黒幕が誰かは伝えないように頼んだ上で。
そう考えている勇太は、大方、黒幕の正体を探る為に事情聴取する目的で、睦月から呼び出しを受けたのだと思っている。
だから、特に大きく揉めることはないだろうと……勇太は少し、楽観的に思っていた。
「……あ! もしもし夏堀? 今日抽冬の店に行く予定ある? 今日は止めとくか時間ずらした方がいいぞ。絶対荒れるから……そう、他の連中にも連絡頼む」
「仕事中に個人的な電話するなっ!」
こうしてツッコめばまだ、何とかなる範疇だと思っていたのだ。
「まったく……そもそも揉めた原因だって、その仕事で信用を無くしたせいなんだよ。これ以上しくじって堪るか」
その時の勇太は、まだ……
そして、勇太がジム上がりに向かうバー『Alter』では、開店時間に合わせて、珍しい客が来店していた。
「ジンジャーエールです」
「……どうも」
お互いに、会話が続かないことが分かっているからだろう。雇われ店長である抽冬が煙草を咥えながらテレビを点けると同時に、睦月もまた瓶から注いだジンジャーエールの入ったグラスを持ち、口に付けていた。
『……次のニュースです。暁連邦共和国が某国に派遣した遠征軍に関して、続報が入りました』
「ん?」
抽冬は気にせず、次の注文が入るまで本でも読もうかとカウンター内の椅子を引っ張り出していたが、『運び屋』は興味があったのか、テレビのニュースに注視していた。
『大多数の遠征軍兵士が亡命を図ろうとするのを利用し、少数の工作員が某国へ潜入しようとしていたことが分かりました。ですが、その際に言葉が通じない問題が発生し、結果的に潜入工作が明るみに出ました。以前までは暁連邦共和国の出兵について、関係各所から危惧する声が上がっておりましたが、言語による意思疎通ができないことが判明した途端、その考えを改める声も上がり……』
「某国の人間は、拉致ってないんだな……」
「どうかしましたか?」
そう抽冬が問い掛けると、大した話じゃないとばかりにジンジャーエールを口に流し込みながら、睦月は呆れた口調で返してきた。
「拉致問題が実行された目的の一つは、その人間の国の言語とかを学ぶ為だったろ? なのに言葉が通じてないってことは、某国の公用語を理解していなかった、ってことだ。その国の人間は拉致してないから、憂いなく出兵できると思ってたのかね……」
「どうでしょうね……少なくとも、通訳が必要だと分かったのが出兵後だったのは、さすがにどうかと思いますが」
事前準備の際に懸念点を纏めておき、対応策を検討するのは当然のことだ。仕事ならなおのこと、人の生死が関わるのであれば、必ず検討しなければならない。
なのに……暁連邦共和国は言語の問題を無視し、強行軍を決めたのだ。今回は敵前逃亡や、それを利用した工作員の潜入で明るみになっただけだから、まだいい。
だがもし、戦線で同様の問題が起きていたとすれば……一体何人が、無駄な犠牲となっていたことだろうか?
「とはいえ……いくら言語が通じても、気持ちや意図が通じなければ、意味がないけどな」
扉の開閉音が鳴り、階段を踏み締めながら降りてくる音が聞こえてきた。
睦月から視線を外した抽冬は、カウンター内に出した椅子をそのままにして、新しく入店した勇太に挨拶した。
「……いらっしゃい」
その言葉を引き金に、カウンターからどす黒い何かを感じたが……抽冬は気にせず、勇太からの注文を待った。
「プロテインの豆乳割りで」
そして、抽冬がプロテイン用のシェイカーボトルを引っ張り出そうとする中、勇太の注文を待つことなく、睦月が口火を切り出した。
「……じゃ、峰岸さんとこの馬鹿孫についての話。始めようか」
その言葉に足を止めてしまったのか……勇太はすぐに、カウンター席に腰掛けることはなかった。
「『孫が責任を取って自決したので、それで手打ちにして欲しい』って、ここに来る前に電話があったよ。峰岸さんには了承を伝えといた」
「……そうか」
そう言って、勇太はようやくカウンター席に腰掛けた。『情報屋』には『責任を追及したら自殺を選んだ』としか報告せず、黒幕についても睦月には伏せておくよう頼んでいたが……それも、どうやら無駄だったらしい。
何にせよ、隠蔽も虚しく睦月に知られた勇太は、内心怯えつつも平静を装った。
「いつ、分かったんだ……?」
「お前が下手な嘘を吐いた時には、とっくに婆さんに確認取ったよ」
「プロテインの豆乳割りです」
思わず差し出されたプロテインをがぶ飲みして、喉の渇きを鎮めようと尽力するも、睦月の方には遠慮する理由は一つもなかった。勇太が飲み終わるよりも早く、忖度されない会話が続けられてしまう。
「何が、『お前の知らない奴』だよ。相手が共通の知人の関係者な時点で、そんな嘘すぐばれんだろうが」
「まあ、そうだけどよ……あ、水素水で」
飲み干したプロテインの代わりに水素水を追加注文してから、勇太は観念したとばかりに両手を上げ、睦月に吐露した。
「にしても……昔っから、俺の嘘には敏感だよな。睦月」
「お前が下手過ぎるんだよ。『声音に気を付けろ』って、何度言わせる気だよ……」
元々は金に不自由のない、贅沢な生活を送っていた為だろう。どこか周囲を見下す話し方が当たり前になっていたので、どうしても声音を気にせず話してしまうことが多かった。特に、都合の悪いことに対してはどこか、『自分は助けて貰える』と甘い考えの混じる話し方が、当たり前になっていた。
人間は幼児期に習得した言語で、物事を考えていると言う。しかし、習得した言語が必ずしも、他者とまったく同じというわけではない。
たとえば、同じ日本語を習得したとしても、それが共通語であるとは限らない。月偉のように関西訛りになる場合もあれば、今の勇太のように、幼少期の癖みたいな話し方が残ってしまうこともある。
「ま、今回ばかりは……峰岸さんも黙ってなかったと思うぞ? あの馬鹿孫、最初から最後まで、周囲を振り回してくれてたからな」
「……それもそうだな」
差し出された水素水のグラスをすぐに飲み干した勇太は、睦月の方から何もしてこないと見て、ようやく肩の力を抜いて一息吐いた。
「もうちょっと、上手くやれると思ったんだけどな……」
「お前……もしかして、俺を練習台にしたのか?」
「まさか……そんな命知らずなことはしねえよ」
その言葉の通り、勇太は今、自省の念に駆られていた。
もう少し、話し方に気を付けてさえいればとも思ったが、睦月の言う通り、今回ばかりは誤魔化しきれなかっただろう。たとえ口裏を合わせるように伝えていたとしても、睦月が別途調べないとは限らない上に……峰岸が責任を感じて、相手に伝える可能性があることを完全に失念していたのだから。
「もう少し、相手の気持ちを考えないとな」
「それなんだけどさ……」
ジンジャーエールの入ったグラス片手に、横目で見てくる睦月の眼差しに少し怯えながらも、勇太は次の言葉を待った。
「あの馬鹿孫……何で自殺を選んだんだ?」
おそらく、峰岸の言葉を鵜呑みにしたわけではないのだろう。だから、睦月の中ではいくつもの、合理的な理由が浮かんでいるのかもしれない。
『家族を守る為』と引き金を引いたのなら、まだいい。『脅されるままに自殺した』と言われても、まだ納得がいく。『思考を放棄して、ただ言われた通りに行動した』とかであれば、もはや軽蔑の域に達する。
結局、峰岸秀樹は何をもって、自殺を選んだのか。
「……俺にも、分かんねえよ」
無言で突撃用自動小銃の引き金を引いた、あの男の死に様を見届けた勇太でさえも、そう答えることしかできなかった。
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