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144 慌ただしくも変わらない日常(その7)
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少しの間、睦月と勇太の二人、いや店長の抽冬を含めれば三人に静寂が訪れていた。そんな中でも、テレビのニュースだけは淀みなく流れていく。
『今後の暁連邦共和国の動向は不明ですが、少なくとも、某国との政治的衝突は免れないとのことです。続きまして……』
「そりゃ、相手を見下してたってばれたら、そうなるわな」
「……その心は?」
「意思疎通に相手側の公用語を覚えておくのは、当たり前だって話だよ」
本当は別のことを伝えたかったが、あまりにも方向性が違うので一息入れようと、勇太は睦月の話に乗ることにした。
「さっきもニュースで流れてたんだけどさ。言葉が通じないせいで、出兵後に揉めたんだと」
「ああ……そういうことか」
つまり、暁連邦共和国から派遣された遠征軍は、某国との共同歩調に何ら問題がないと思っていたのだろう。自分達は相手の公用語を話せないことを考えず、相手が配慮してくれると、どこか当たり前のように考えながら。
「言葉が通じても分かり合えないことなんてざらにあるのに……さらに通訳や相手の配慮に縋ろうとなんてするから、こんな間抜けな結末を迎える羽目になったんだろ」
「本当言葉って、覚えるだけじゃ駄目だよな……」
勇太もまた、仕事の関係で多言語話者ではあるものの、普段使うのは英語や中国語がほとんどだ。後は話者人口の多いヒンディー語も現在勉強中ではあるものの、今のところ、使う機会はなかった。
けれども、自分だけでなく、睦月も英中露の言語を使いこなせるように、仕事で必要となる可能性があるのなら、話せるようにしておくのはある意味義務でもある。
実際、配属先にもよるだろうが……海外派遣もある自衛隊に至っては、英語以外の言語を覚える義務や機会も多いらしい。
それなのに、暁連邦共和国は自分達の話す韓国語と、拉致した人間の国の言葉しか覚える気はないのだろう。少なくとも、今回の件は明らかに、出兵先を下に見ているとしか思えない所業だった。
「ま、気持ちが通じないなんて当たり前のこと、聞く耳のない他所の国に陰口みたいに言ってても、仕方ないか……」
そう言って立ち上がろうとする睦月を、勇太は伸ばした腕で肩を掴み、押し留めた。
「……何だよ?」
「いや、実は俺からも話があるんだ」
「話?」
至極面倒臭そうに振り返ってくる睦月に、勇太は鞄から一封の封筒を取り出して見せた。
「覚えてるか? 布引って奴のこと」
「布引? ……ああ、あのバスジャックの時の奴か」
警察からの事情聴取を終え、今は発達障害者向けの就労移行支援を受けながら、勇太の会社で働いていることは睦月も承知しているはずだ。その後どうしているかについては、特に危険がないからと気にしていなかったのだろう。けれども、雅人の心情次第では、今後の行動に支障をきたしかねない。
その為か、仕方がないとばかりに、睦月は勇太の話に耳を傾けてきた。
「で、あいつがどうしたよ?」
「今は障害者雇用で同じ境遇の奴と働きながら、新しい目標に向かっていてな。で、その成果の一つがこれだよ」
差し出されたA4サイズよりも一回り大きい封筒を受け取ると、特に何かを思うことなく開封する睦月。
そして取り出されたのは、数枚の書類と……一枚のデザイン画だった。
「……何だこれ?」
「ああ……」
社内郵便に同封されていた手紙によれば、どうやら雅人なりのお礼らしい。入っていた封筒の中身を確認したわけではないので、勇太も睦月の横から覗き込むようにして、そのデザイン画を見た。
「最初の内は面談とかしてて、その時にお前のことも話してたんだよ。『立案者』から聞いた話を確認するついでだったんだが……奴さん、その最中にイメージが浮かんだんだろうな」
「ベラベラとまあ、余計なことを……」
しかしそのデザイン画は、素人目にも見事なものだった。それは睦月から見ても同様らしく、少しの間、魅入っていたようだった。
「ちなみにこれ……いったい何なんだ?」
「どう見ても、お前の象徴だろ」
見た目は完全に、一匹の蝙蝠だった。
しかしただ、蝙蝠を描いているわけではない。横長に広げられた羽と、その中心の口元から下に向けて伸びる牙で『NO BORDER』の綴りが表記、いや、牙と羽になるように表現されている。
少し横長ではあるものの、大きめに切り取れば円形に囲むことができる、そんなデザイン画だった。
「丁度いいじゃねえか。『走り屋』時代のロゴはシンプルに綴り表記だったし。それ使えばいいだろ」
「使え、って簡単に言うけどな……」
そう簡単にできる話ではない、と睦月は考えているのだろう。
自身を象徴するマークを用いることは、相手に『自分か誰か』を一目で認識させる上ではある意味、確実な手段である。名乗りや自身の特徴を強調、場合によっては自前の武器を見せつけるだけでも十分だろうが、それら全てをもってしても、明示されるシンボルよりは植え付けられる印象の強さが違い過ぎた。
実際、その企業や商品のコンセプトを、視覚を通して明確に伝えられる為、デザインにはより一層の検討を重ね、一切の妥協を許さない場合が多い。
そして偶然か皮肉か、睦月は『表』でも『裏』でも、自身を象徴するシンボルマークを持ち合わせていなかった。
「こんなもの見せびらかしたって、堂々と指紋付けて回るようなもんじゃねえか。一応京子さんとも繋がりがあるから、できれば痕跡を残すような真似はしたくないんだけどな……」
「……逆に考えてみろよ。それ見せれば一発で、相手に『運び屋』だって教え込めるんだぞ?」
より分かりやすく言えば、それぞれの国の公務員や警察、軍隊が携帯している母国の国旗だろうか。あえて偽装に用いることもあるだろうが、相手にその存在感を知らしめる為に掲げている場合が多い。
『俺達を、俺達の国を敵に回したいのか?』
相手の戦意を挫き、戦闘が始まる前に終結させられる。ある意味では、象徴そのものが抑止力となることもあった。
「それだけで、お前のことを知ってる雑魚はあっさり逃げ出すぞ。この間の狙撃手だって、そういうのを見せておけば、依頼を請ける前に手を引いてたかもしれないしな」
「そういう意味では、必要かね……」
デザイン画から手を放した睦月は、代わりに掴んだ残りの書類に目を通していく。勇太もざっと黙読してみたが、簡潔に言えば『商標登録の控え』と、『権利譲渡の契約書』に関するものだった。
つまり今後は、たとえ作成した雅人であろうとも、睦月が同意した瞬間、このデザイン画は『運び屋』のものとなる。それは『自分から提示した』ことによる認知度だけでなく、法的にも決定付けられるということだ。
「にしても……これって、復讐奪った嫌がらせか? 価値観の押し付けが一番嫌いだって、ちゃんと教えたんだろうな?」
「だからわざわざ、契約書も用意したんじゃないのか? 嫌なら全部燃やせよ」
押し付けの善意、というものも存在するが、それを嫌がらせと捉えるのもまた、捻くれた考え方である。思わず呆れる勇太だったが……結局睦月は、愛用のタクティカルペンで契約書の書類に署名し、封筒に中身を戻していた。
「控えはこっちにくれ。俺から送っておく」
「……ああ、分かった」
一枚だけ抜いた控えにも署名した睦月は、そちらを勇太に渡してから、改めて立ち上がった。
「もう用はないだろ? 俺はもう帰る」
「おう、お疲れ」
そう言って別れるものだと、背を向けて追加の飲み物を頼もうとした勇太だったが……突然掛けられた睦月からの声に、その言葉は飲み込まれた。
「ところで……義妹の為にまだ、頭を下げないつもりか?」
階段を登らず、足を掛けただけの状態でそう問い掛けてくる睦月に勇太は振り返らず、当然だとばかりに肩を竦めてみせる。
「お前と戦ってみたかった、ってのも本心だしな。義妹がまだ、戦いたいって言うなら……最後まで付き合うさ」
「そうか……」
その続きの言葉を最後に、睦月は階段を上がり、店を後にしていった。
「結構大変だぞ……兄貴をやる、ってのは」
「十分、実感してるよ……」
立ち上がる前に睦月が置いていった代金と共に、使われたグラスやジンジャーエールの瓶を片付けている抽冬の近くで、勇太は追加で出された水素水片手に、そうぼやいた。
(弥生が撃たれた話を聞いた時もそうだが……やっぱり、難しいな)
「今の……どういう意味か聞いても?」
なんとなく気になったのだろう、考え込んでいると不意に、抽冬がそう聞いてくる。勇太はグラスの水素水を飲み干してから、言葉を選びながら答えた。
「俺一人なら、睦月が冷静になった頃合いで頭を下げれば、ここまで拗れることはなかった。ただ……そうすると、義妹に味方が居なくなるから、頭を下げない選択肢を選んだ。それだけだよ」
「なるほど……」
要するに、義妹の面子に忖度した結果、『運び屋』との関係を断ち切らざるを得なかったということだろう。
それを元凶である理沙に告げ、本人に頭を下げさせようと考えたことがない、と言えば嘘になるが……そうすると、今度は義妹の気持ちを蔑ろにしかねない。
だからこそ、勇太は己が気持ちを飲み込み、自身の願望も含めて、この道を選ぶしかなかったのだ。
完全に仕事だけの……信頼に罅を入れたまま、割り切った関係を続けることを。
「板挟みも、大変ですね……」
「……まあな」
睦月が店を出て十分程経過した後、勇太は自らの財布を取り出して会計を始めた。
「……あ、抽冬からだ。『もう解散した』ってさ」
「結局、おたくの取り越し苦労だったな……」
バー『Alter』の常連一同は現在、少し離れた場所にある焼肉屋に集合していた。バス移動にはなるが、他にも食べ放題の店はあるものの……賛成多数で、質寄りのここに決まった為だ。
「というかさ~……あたし、食べ放題の方が良かったんだけど」
「三十代の胃袋がいくつもある時点で諦めろって。それでなくても、元が取れる程食える奴、半分も居ないんだからさ」
伯耆が田村にそう諭すのを眺めながら、秋濱は連絡の届いたスマホを置くと、その隣にある煙草を手に取った。
「まあ、喫煙席だけ食べ放題にしても良かったんだけど……この店、それ自体やってないもんな」
「前はやってたのにね……物価高本気で許さん」
『本当それ(な)』
他の常連組は禁煙席の方で焼肉に舌鼓を打っている中、喫煙組三人は残りの肉を八つ当たり気味に、手当たり次第に網の上へと載せていく。
「禁煙席組にも連絡入れたし、食ったら行くか」
「賛成。さすがに酒飲めないのはきついわ」
アルコールを注文しようにも、こちらも飲み放題ではなく単品の為、下手な肉よりも高くつく。この場で解散するならまだしも、二件目にいつもの店へと向かうのならばと、全員が酒を控えていた。
無論、肉を優先させたい気持ちと、一杯辺りの原価率を店ごとに比較した結果も加味してだが。
「そういえば、おじさんへのお土産どうする? ある意味、一人で戦地に残してきたようなもんだし」
「後で、テイクアウトの要望を聞いとくよ。もしかしたら、もう二人分要るかもしれないし」
秋濱の言う通り、抽冬の他にも、その妻(内縁)の桧山や店のオーナーである『偽造屋』の分も、必要となるかもしれない。とりあえず禁煙席組と連絡を取りつつ、手土産のテイクアウトを全員で割り勘することに決めた後は、残りの肉を手早く片付け始めた。
「と、いうかさ……探偵のお兄さん、まだ若いんじゃないの?」
「……ノーコメントで」
本人は面倒で隠しているが、実は、伯耆と田村は同年代だったりする。
「ああ、疲れた……」
店を後にし、自宅へと帰ってきた睦月は家に入るや、封筒をテーブルの上に置くと、そのまま椅子に腰掛けた。特に長居する理由もなかったので、適当に飲み物だけで済ませてきたからか、炭酸で膨らんでいた腹もぼちぼち空き始めている。
席へと促してきた姫香が夕飯を用意するまで暇だからと、勇太から受け取った封筒の中身を取り出し、改めて雅人のデザイン画を眺めた。
「……ん? ああ、これか」
今日は夏野菜のカレーらしく、鍋が温まるまで少し、手が空いたのだろう。睦月が眺めていたデザイン画を、姫香もまた覗き込んできている。
「用事のついでに、受け取ったんだよ。前のバスジャックの件、覚えてるか?」
こくん、と頷く姫香に、睦月は簡単に経緯を説明した。
「で、これ貰ってきたんだが……どう思う?」
顎に指を当てて考え込んだ後、おもむろに親指を立ててきた。どうやら姫香の方は、このデザインが気に入ったらしい。
「そう、か……」
どうしたものかと悩んでいた睦月だったが、姫香の返事により、このデザインを採用することにした。
「じゃあ、せっかくだし……使うか」
夕飯前に片付けようと、一度席を立った睦月は室内を歩きながら、内心でぼやいた。
(女に振り回されて、面倒事に巻き込まれて、結局は家に帰ってくる……慌ただしかったけど、いつもと代わり映えのしない一日だったな)
『今後の暁連邦共和国の動向は不明ですが、少なくとも、某国との政治的衝突は免れないとのことです。続きまして……』
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「……その心は?」
「意思疎通に相手側の公用語を覚えておくのは、当たり前だって話だよ」
本当は別のことを伝えたかったが、あまりにも方向性が違うので一息入れようと、勇太は睦月の話に乗ることにした。
「さっきもニュースで流れてたんだけどさ。言葉が通じないせいで、出兵後に揉めたんだと」
「ああ……そういうことか」
つまり、暁連邦共和国から派遣された遠征軍は、某国との共同歩調に何ら問題がないと思っていたのだろう。自分達は相手の公用語を話せないことを考えず、相手が配慮してくれると、どこか当たり前のように考えながら。
「言葉が通じても分かり合えないことなんてざらにあるのに……さらに通訳や相手の配慮に縋ろうとなんてするから、こんな間抜けな結末を迎える羽目になったんだろ」
「本当言葉って、覚えるだけじゃ駄目だよな……」
勇太もまた、仕事の関係で多言語話者ではあるものの、普段使うのは英語や中国語がほとんどだ。後は話者人口の多いヒンディー語も現在勉強中ではあるものの、今のところ、使う機会はなかった。
けれども、自分だけでなく、睦月も英中露の言語を使いこなせるように、仕事で必要となる可能性があるのなら、話せるようにしておくのはある意味義務でもある。
実際、配属先にもよるだろうが……海外派遣もある自衛隊に至っては、英語以外の言語を覚える義務や機会も多いらしい。
それなのに、暁連邦共和国は自分達の話す韓国語と、拉致した人間の国の言葉しか覚える気はないのだろう。少なくとも、今回の件は明らかに、出兵先を下に見ているとしか思えない所業だった。
「ま、気持ちが通じないなんて当たり前のこと、聞く耳のない他所の国に陰口みたいに言ってても、仕方ないか……」
そう言って立ち上がろうとする睦月を、勇太は伸ばした腕で肩を掴み、押し留めた。
「……何だよ?」
「いや、実は俺からも話があるんだ」
「話?」
至極面倒臭そうに振り返ってくる睦月に、勇太は鞄から一封の封筒を取り出して見せた。
「覚えてるか? 布引って奴のこと」
「布引? ……ああ、あのバスジャックの時の奴か」
警察からの事情聴取を終え、今は発達障害者向けの就労移行支援を受けながら、勇太の会社で働いていることは睦月も承知しているはずだ。その後どうしているかについては、特に危険がないからと気にしていなかったのだろう。けれども、雅人の心情次第では、今後の行動に支障をきたしかねない。
その為か、仕方がないとばかりに、睦月は勇太の話に耳を傾けてきた。
「で、あいつがどうしたよ?」
「今は障害者雇用で同じ境遇の奴と働きながら、新しい目標に向かっていてな。で、その成果の一つがこれだよ」
差し出されたA4サイズよりも一回り大きい封筒を受け取ると、特に何かを思うことなく開封する睦月。
そして取り出されたのは、数枚の書類と……一枚のデザイン画だった。
「……何だこれ?」
「ああ……」
社内郵便に同封されていた手紙によれば、どうやら雅人なりのお礼らしい。入っていた封筒の中身を確認したわけではないので、勇太も睦月の横から覗き込むようにして、そのデザイン画を見た。
「最初の内は面談とかしてて、その時にお前のことも話してたんだよ。『立案者』から聞いた話を確認するついでだったんだが……奴さん、その最中にイメージが浮かんだんだろうな」
「ベラベラとまあ、余計なことを……」
しかしそのデザイン画は、素人目にも見事なものだった。それは睦月から見ても同様らしく、少しの間、魅入っていたようだった。
「ちなみにこれ……いったい何なんだ?」
「どう見ても、お前の象徴だろ」
見た目は完全に、一匹の蝙蝠だった。
しかしただ、蝙蝠を描いているわけではない。横長に広げられた羽と、その中心の口元から下に向けて伸びる牙で『NO BORDER』の綴りが表記、いや、牙と羽になるように表現されている。
少し横長ではあるものの、大きめに切り取れば円形に囲むことができる、そんなデザイン画だった。
「丁度いいじゃねえか。『走り屋』時代のロゴはシンプルに綴り表記だったし。それ使えばいいだろ」
「使え、って簡単に言うけどな……」
そう簡単にできる話ではない、と睦月は考えているのだろう。
自身を象徴するマークを用いることは、相手に『自分か誰か』を一目で認識させる上ではある意味、確実な手段である。名乗りや自身の特徴を強調、場合によっては自前の武器を見せつけるだけでも十分だろうが、それら全てをもってしても、明示されるシンボルよりは植え付けられる印象の強さが違い過ぎた。
実際、その企業や商品のコンセプトを、視覚を通して明確に伝えられる為、デザインにはより一層の検討を重ね、一切の妥協を許さない場合が多い。
そして偶然か皮肉か、睦月は『表』でも『裏』でも、自身を象徴するシンボルマークを持ち合わせていなかった。
「こんなもの見せびらかしたって、堂々と指紋付けて回るようなもんじゃねえか。一応京子さんとも繋がりがあるから、できれば痕跡を残すような真似はしたくないんだけどな……」
「……逆に考えてみろよ。それ見せれば一発で、相手に『運び屋』だって教え込めるんだぞ?」
より分かりやすく言えば、それぞれの国の公務員や警察、軍隊が携帯している母国の国旗だろうか。あえて偽装に用いることもあるだろうが、相手にその存在感を知らしめる為に掲げている場合が多い。
『俺達を、俺達の国を敵に回したいのか?』
相手の戦意を挫き、戦闘が始まる前に終結させられる。ある意味では、象徴そのものが抑止力となることもあった。
「それだけで、お前のことを知ってる雑魚はあっさり逃げ出すぞ。この間の狙撃手だって、そういうのを見せておけば、依頼を請ける前に手を引いてたかもしれないしな」
「そういう意味では、必要かね……」
デザイン画から手を放した睦月は、代わりに掴んだ残りの書類に目を通していく。勇太もざっと黙読してみたが、簡潔に言えば『商標登録の控え』と、『権利譲渡の契約書』に関するものだった。
つまり今後は、たとえ作成した雅人であろうとも、睦月が同意した瞬間、このデザイン画は『運び屋』のものとなる。それは『自分から提示した』ことによる認知度だけでなく、法的にも決定付けられるということだ。
「にしても……これって、復讐奪った嫌がらせか? 価値観の押し付けが一番嫌いだって、ちゃんと教えたんだろうな?」
「だからわざわざ、契約書も用意したんじゃないのか? 嫌なら全部燃やせよ」
押し付けの善意、というものも存在するが、それを嫌がらせと捉えるのもまた、捻くれた考え方である。思わず呆れる勇太だったが……結局睦月は、愛用のタクティカルペンで契約書の書類に署名し、封筒に中身を戻していた。
「控えはこっちにくれ。俺から送っておく」
「……ああ、分かった」
一枚だけ抜いた控えにも署名した睦月は、そちらを勇太に渡してから、改めて立ち上がった。
「もう用はないだろ? 俺はもう帰る」
「おう、お疲れ」
そう言って別れるものだと、背を向けて追加の飲み物を頼もうとした勇太だったが……突然掛けられた睦月からの声に、その言葉は飲み込まれた。
「ところで……義妹の為にまだ、頭を下げないつもりか?」
階段を登らず、足を掛けただけの状態でそう問い掛けてくる睦月に勇太は振り返らず、当然だとばかりに肩を竦めてみせる。
「お前と戦ってみたかった、ってのも本心だしな。義妹がまだ、戦いたいって言うなら……最後まで付き合うさ」
「そうか……」
その続きの言葉を最後に、睦月は階段を上がり、店を後にしていった。
「結構大変だぞ……兄貴をやる、ってのは」
「十分、実感してるよ……」
立ち上がる前に睦月が置いていった代金と共に、使われたグラスやジンジャーエールの瓶を片付けている抽冬の近くで、勇太は追加で出された水素水片手に、そうぼやいた。
(弥生が撃たれた話を聞いた時もそうだが……やっぱり、難しいな)
「今の……どういう意味か聞いても?」
なんとなく気になったのだろう、考え込んでいると不意に、抽冬がそう聞いてくる。勇太はグラスの水素水を飲み干してから、言葉を選びながら答えた。
「俺一人なら、睦月が冷静になった頃合いで頭を下げれば、ここまで拗れることはなかった。ただ……そうすると、義妹に味方が居なくなるから、頭を下げない選択肢を選んだ。それだけだよ」
「なるほど……」
要するに、義妹の面子に忖度した結果、『運び屋』との関係を断ち切らざるを得なかったということだろう。
それを元凶である理沙に告げ、本人に頭を下げさせようと考えたことがない、と言えば嘘になるが……そうすると、今度は義妹の気持ちを蔑ろにしかねない。
だからこそ、勇太は己が気持ちを飲み込み、自身の願望も含めて、この道を選ぶしかなかったのだ。
完全に仕事だけの……信頼に罅を入れたまま、割り切った関係を続けることを。
「板挟みも、大変ですね……」
「……まあな」
睦月が店を出て十分程経過した後、勇太は自らの財布を取り出して会計を始めた。
「……あ、抽冬からだ。『もう解散した』ってさ」
「結局、おたくの取り越し苦労だったな……」
バー『Alter』の常連一同は現在、少し離れた場所にある焼肉屋に集合していた。バス移動にはなるが、他にも食べ放題の店はあるものの……賛成多数で、質寄りのここに決まった為だ。
「というかさ~……あたし、食べ放題の方が良かったんだけど」
「三十代の胃袋がいくつもある時点で諦めろって。それでなくても、元が取れる程食える奴、半分も居ないんだからさ」
伯耆が田村にそう諭すのを眺めながら、秋濱は連絡の届いたスマホを置くと、その隣にある煙草を手に取った。
「まあ、喫煙席だけ食べ放題にしても良かったんだけど……この店、それ自体やってないもんな」
「前はやってたのにね……物価高本気で許さん」
『本当それ(な)』
他の常連組は禁煙席の方で焼肉に舌鼓を打っている中、喫煙組三人は残りの肉を八つ当たり気味に、手当たり次第に網の上へと載せていく。
「禁煙席組にも連絡入れたし、食ったら行くか」
「賛成。さすがに酒飲めないのはきついわ」
アルコールを注文しようにも、こちらも飲み放題ではなく単品の為、下手な肉よりも高くつく。この場で解散するならまだしも、二件目にいつもの店へと向かうのならばと、全員が酒を控えていた。
無論、肉を優先させたい気持ちと、一杯辺りの原価率を店ごとに比較した結果も加味してだが。
「そういえば、おじさんへのお土産どうする? ある意味、一人で戦地に残してきたようなもんだし」
「後で、テイクアウトの要望を聞いとくよ。もしかしたら、もう二人分要るかもしれないし」
秋濱の言う通り、抽冬の他にも、その妻(内縁)の桧山や店のオーナーである『偽造屋』の分も、必要となるかもしれない。とりあえず禁煙席組と連絡を取りつつ、手土産のテイクアウトを全員で割り勘することに決めた後は、残りの肉を手早く片付け始めた。
「と、いうかさ……探偵のお兄さん、まだ若いんじゃないの?」
「……ノーコメントで」
本人は面倒で隠しているが、実は、伯耆と田村は同年代だったりする。
「ああ、疲れた……」
店を後にし、自宅へと帰ってきた睦月は家に入るや、封筒をテーブルの上に置くと、そのまま椅子に腰掛けた。特に長居する理由もなかったので、適当に飲み物だけで済ませてきたからか、炭酸で膨らんでいた腹もぼちぼち空き始めている。
席へと促してきた姫香が夕飯を用意するまで暇だからと、勇太から受け取った封筒の中身を取り出し、改めて雅人のデザイン画を眺めた。
「……ん? ああ、これか」
今日は夏野菜のカレーらしく、鍋が温まるまで少し、手が空いたのだろう。睦月が眺めていたデザイン画を、姫香もまた覗き込んできている。
「用事のついでに、受け取ったんだよ。前のバスジャックの件、覚えてるか?」
こくん、と頷く姫香に、睦月は簡単に経緯を説明した。
「で、これ貰ってきたんだが……どう思う?」
顎に指を当てて考え込んだ後、おもむろに親指を立ててきた。どうやら姫香の方は、このデザインが気に入ったらしい。
「そう、か……」
どうしたものかと悩んでいた睦月だったが、姫香の返事により、このデザインを採用することにした。
「じゃあ、せっかくだし……使うか」
夕飯前に片付けようと、一度席を立った睦月は室内を歩きながら、内心でぼやいた。
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