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銀のイルカ
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彼女はいつも、窓際で古本を読んでいた。
本が読むものから聞くものに変わりつつある時代で、彼女のことをみんなが時代遅れだと笑う。
それもそのはずだ。世の中の小説も漫画も辞書も全て、新刊や改訂版は電子本として出版された。教科書ですら紙からタブレットに変わったのだ。少子化とはいえ子供がまだまだ多い時代、教科書が紙で無くなったことによる環境保護の効果は大きいと、ネットニュースで見たことがある。
僕は本は好きだ。誰かの頭の中を覗き見るようだったり、現実には起こりえないことが、そこでは当たり前のように起こる。
それに、脳に直接語りかけてくるような耳触りのいい声は、一種の子守唄に近い心地良さを孕んでいる。
僕と同じ年齢の子たちは、間違いなく活字は読むものではなく聞くもの、と答えるだろう。
そんな時代だ。図書室にはもはや、いわゆる古本と僕らが読んでいる紙媒体のものは置いていない。
机に並ぶのは電子媒体とヘッドホン。お金のある私立学校なんかでは、景色が見えるVRも導入しているらしい。
静かな閉鎖された空間で、各々が目を閉じてその物語に浸る。それが僕らの、読書の仕方だった。
だけど、彼女だけは違った。
もう本の出版されない時代で、彼女はいつも、一人窓際で古本を読んでいる。
その度に思う、彼女の周りだけ、古い時間が流れているようだと。それをみんなは、古臭いと笑った。時代遅れで、恥ずかしい奴だと。
でも僕は、古いと思う反面、恥ずかしいとは思わなかった。だって彼女の本を読む姿は、あまりにも凛としていて、堂々としていたから。
「ねぇ、どうして君は、本を聞かないの?」
僕は、普段は挨拶しかしない彼女に聞いてみた。
彼女は一瞬驚いたように顔を上げると、机に置いていた付箋を挟んで、静かに本を閉じる。そして、話しかけた僕に向き合った。
「あなたにとって、本の面白いところって何かしら」
彼女の問いに、僕は首を傾げた。
「そりゃあ、色んな物語があるところさ。現実には起こらないようなことも起こるし、僕には予想出来ないような世界が広がってる。それに、僕は本を聞くと、誰かの頭を覗いているような気持ちになるのがとても楽しい」
小さく頷きながら、素敵ね、と彼女は微笑んだ。
僕は少し口を尖らせた。同じ理由で本を読むなら、聞けばいいのにと思ったのだ。
だけど彼女は、でもね、と言いながら、膝に閉じた本に手を添える。
僕はその手が、とても綺麗に見えた。なぜか、たぶん女優が同じように電子媒体の上に手を添えても、綺麗だとは思わないだろうな、と思った。
「本を聞くとね、決まった声で、決まった速度でしか、物語は進まないでしょ?
私はね、本を読む時は自然と、この人はきっとこんな声、この人はきっとこんな喋り方って想像しちゃうの。
それで、穏やかな場面ではそよ風を感じながら、怖い場面では逸る心臓の鼓動を聞きながら、ときめく場面では、まるで私が恋をしているような想いで、その場面ごとに、私だけの速さで読み進めるの。
悲しい場面で、涙で文字が滲んで読めなくなってしまうのも、本の面白いところだと思うわ」
「でもそれなら、電子媒体で読めばいいじゃないか。何も古本じゃなくったって」
僕が反論するように言うと、彼女は少し、困ったように笑った。
僕は内心してやったりとほくそ笑んでいたが、すぐに、彼女がどう言えば僕に伝わるのかを考えているのだと分かる。
どうしてそこまで、古本にこだわるのだろう。別に、紙じゃなくてもいいじゃないか。
彼女は僕より高めの声で唸って、そうだなぁ、とまた膝元の本に目を落とす。
すっ、と表紙を撫でる指はやっぱり綺麗で、赤ちゃんを撫でるみたいに、優しく見えた。
「本はね、紙だと跡が残るの。それは前の持ち主だったり、私自身だったりして。
少し丸い乾いた跡があると、前の持ち主もこのページで泣いたのかな、とか、前私が読んだ時も、早く読み進めたい思いと、目で追う速度が噛み合わなくて、ページの角を指先で丸めちゃってたな、とか。
どんな想いで、その場面を前に読んでいたか。その時と今は同じ気持ちか、ちょっと違ってたりとか。そういう跡が、紙だと残ってくれるんだよ」
それにね、と彼女が本を開いて、栞を取り出す。栞の代わりに、彼女の指がページに挟まれた。
「お気に入りの栞を探すのも楽しいの。タブレットの栞じゃ、柄すら選べないでしょ?」
そう言って彼女は、銀のイルカの栞を見せて笑う。
僕はその笑顔を見て、お気に入りの栞を見つけたら、また彼女に話しかけてみようと決めた。
彼女とイヤホンを片方ずつ分け合って本を聞くより、いつか窓際で、隣に並んで本を読んでみたいと思った。
本が読むものから聞くものに変わりつつある時代で、彼女のことをみんなが時代遅れだと笑う。
それもそのはずだ。世の中の小説も漫画も辞書も全て、新刊や改訂版は電子本として出版された。教科書ですら紙からタブレットに変わったのだ。少子化とはいえ子供がまだまだ多い時代、教科書が紙で無くなったことによる環境保護の効果は大きいと、ネットニュースで見たことがある。
僕は本は好きだ。誰かの頭の中を覗き見るようだったり、現実には起こりえないことが、そこでは当たり前のように起こる。
それに、脳に直接語りかけてくるような耳触りのいい声は、一種の子守唄に近い心地良さを孕んでいる。
僕と同じ年齢の子たちは、間違いなく活字は読むものではなく聞くもの、と答えるだろう。
そんな時代だ。図書室にはもはや、いわゆる古本と僕らが読んでいる紙媒体のものは置いていない。
机に並ぶのは電子媒体とヘッドホン。お金のある私立学校なんかでは、景色が見えるVRも導入しているらしい。
静かな閉鎖された空間で、各々が目を閉じてその物語に浸る。それが僕らの、読書の仕方だった。
だけど、彼女だけは違った。
もう本の出版されない時代で、彼女はいつも、一人窓際で古本を読んでいる。
その度に思う、彼女の周りだけ、古い時間が流れているようだと。それをみんなは、古臭いと笑った。時代遅れで、恥ずかしい奴だと。
でも僕は、古いと思う反面、恥ずかしいとは思わなかった。だって彼女の本を読む姿は、あまりにも凛としていて、堂々としていたから。
「ねぇ、どうして君は、本を聞かないの?」
僕は、普段は挨拶しかしない彼女に聞いてみた。
彼女は一瞬驚いたように顔を上げると、机に置いていた付箋を挟んで、静かに本を閉じる。そして、話しかけた僕に向き合った。
「あなたにとって、本の面白いところって何かしら」
彼女の問いに、僕は首を傾げた。
「そりゃあ、色んな物語があるところさ。現実には起こらないようなことも起こるし、僕には予想出来ないような世界が広がってる。それに、僕は本を聞くと、誰かの頭を覗いているような気持ちになるのがとても楽しい」
小さく頷きながら、素敵ね、と彼女は微笑んだ。
僕は少し口を尖らせた。同じ理由で本を読むなら、聞けばいいのにと思ったのだ。
だけど彼女は、でもね、と言いながら、膝に閉じた本に手を添える。
僕はその手が、とても綺麗に見えた。なぜか、たぶん女優が同じように電子媒体の上に手を添えても、綺麗だとは思わないだろうな、と思った。
「本を聞くとね、決まった声で、決まった速度でしか、物語は進まないでしょ?
私はね、本を読む時は自然と、この人はきっとこんな声、この人はきっとこんな喋り方って想像しちゃうの。
それで、穏やかな場面ではそよ風を感じながら、怖い場面では逸る心臓の鼓動を聞きながら、ときめく場面では、まるで私が恋をしているような想いで、その場面ごとに、私だけの速さで読み進めるの。
悲しい場面で、涙で文字が滲んで読めなくなってしまうのも、本の面白いところだと思うわ」
「でもそれなら、電子媒体で読めばいいじゃないか。何も古本じゃなくったって」
僕が反論するように言うと、彼女は少し、困ったように笑った。
僕は内心してやったりとほくそ笑んでいたが、すぐに、彼女がどう言えば僕に伝わるのかを考えているのだと分かる。
どうしてそこまで、古本にこだわるのだろう。別に、紙じゃなくてもいいじゃないか。
彼女は僕より高めの声で唸って、そうだなぁ、とまた膝元の本に目を落とす。
すっ、と表紙を撫でる指はやっぱり綺麗で、赤ちゃんを撫でるみたいに、優しく見えた。
「本はね、紙だと跡が残るの。それは前の持ち主だったり、私自身だったりして。
少し丸い乾いた跡があると、前の持ち主もこのページで泣いたのかな、とか、前私が読んだ時も、早く読み進めたい思いと、目で追う速度が噛み合わなくて、ページの角を指先で丸めちゃってたな、とか。
どんな想いで、その場面を前に読んでいたか。その時と今は同じ気持ちか、ちょっと違ってたりとか。そういう跡が、紙だと残ってくれるんだよ」
それにね、と彼女が本を開いて、栞を取り出す。栞の代わりに、彼女の指がページに挟まれた。
「お気に入りの栞を探すのも楽しいの。タブレットの栞じゃ、柄すら選べないでしょ?」
そう言って彼女は、銀のイルカの栞を見せて笑う。
僕はその笑顔を見て、お気に入りの栞を見つけたら、また彼女に話しかけてみようと決めた。
彼女とイヤホンを片方ずつ分け合って本を聞くより、いつか窓際で、隣に並んで本を読んでみたいと思った。
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