銀のイルカ

れい

文字の大きさ
1 / 1

銀のイルカ

しおりを挟む
彼女はいつも、窓際で古本を読んでいた。

本が読むものから聞くものに変わりつつある時代で、彼女のことをみんなが時代遅れだと笑う。
それもそのはずだ。世の中の小説も漫画も辞書も全て、新刊や改訂版は電子本として出版された。教科書ですら紙からタブレットに変わったのだ。少子化とはいえ子供がまだまだ多い時代、教科書が紙で無くなったことによる環境保護の効果は大きいと、ネットニュースで見たことがある。

僕は本は好きだ。誰かの頭の中を覗き見るようだったり、現実には起こりえないことが、そこでは当たり前のように起こる。
それに、脳に直接語りかけてくるような耳触りのいい声は、一種の子守唄に近い心地良さを孕んでいる。
僕と同じ年齢の子たちは、間違いなく活字は読むものではなく聞くもの、と答えるだろう。

そんな時代だ。図書室にはもはや、いわゆる古本と僕らが読んでいる紙媒体のものは置いていない。
机に並ぶのは電子媒体とヘッドホン。お金のある私立学校なんかでは、景色が見えるVRも導入しているらしい。
静かな閉鎖された空間で、各々が目を閉じてその物語に浸る。それが僕らの、読書の仕方だった。

だけど、彼女だけは違った。
もう本の出版されない時代で、彼女はいつも、一人窓際で古本を読んでいる。
その度に思う、彼女の周りだけ、古い時間が流れているようだと。それをみんなは、古臭いと笑った。時代遅れで、恥ずかしい奴だと。
でも僕は、古いと思う反面、恥ずかしいとは思わなかった。だって彼女の本を読む姿は、あまりにも凛としていて、堂々としていたから。

「ねぇ、どうして君は、本を聞かないの?」

僕は、普段は挨拶しかしない彼女に聞いてみた。
彼女は一瞬驚いたように顔を上げると、机に置いていた付箋を挟んで、静かに本を閉じる。そして、話しかけた僕に向き合った。

「あなたにとって、本の面白いところって何かしら」

彼女の問いに、僕は首を傾げた。

「そりゃあ、色んな物語があるところさ。現実には起こらないようなことも起こるし、僕には予想出来ないような世界が広がってる。それに、僕は本を聞くと、誰かの頭を覗いているような気持ちになるのがとても楽しい」

小さく頷きながら、素敵ね、と彼女は微笑んだ。
僕は少し口を尖らせた。同じ理由で本を読むなら、聞けばいいのにと思ったのだ。
だけど彼女は、でもね、と言いながら、膝に閉じた本に手を添える。
僕はその手が、とても綺麗に見えた。なぜか、たぶん女優が同じように電子媒体の上に手を添えても、綺麗だとは思わないだろうな、と思った。

「本を聞くとね、決まった声で、決まった速度でしか、物語は進まないでしょ?
私はね、本を読む時は自然と、この人はきっとこんな声、この人はきっとこんな喋り方って想像しちゃうの。
それで、穏やかな場面ではそよ風を感じながら、怖い場面では逸る心臓の鼓動を聞きながら、ときめく場面では、まるで私が恋をしているような想いで、その場面ごとに、私だけの速さで読み進めるの。
悲しい場面で、涙で文字が滲んで読めなくなってしまうのも、本の面白いところだと思うわ」

「でもそれなら、電子媒体で読めばいいじゃないか。何も古本じゃなくったって」

僕が反論するように言うと、彼女は少し、困ったように笑った。
僕は内心してやったりとほくそ笑んでいたが、すぐに、彼女がどう言えば僕に伝わるのかを考えているのだと分かる。
どうしてそこまで、古本にこだわるのだろう。別に、紙じゃなくてもいいじゃないか。

彼女は僕より高めの声で唸って、そうだなぁ、とまた膝元の本に目を落とす。
すっ、と表紙を撫でる指はやっぱり綺麗で、赤ちゃんを撫でるみたいに、優しく見えた。

「本はね、紙だと跡が残るの。それは前の持ち主だったり、私自身だったりして。
少し丸い乾いた跡があると、前の持ち主もこのページで泣いたのかな、とか、前私が読んだ時も、早く読み進めたい思いと、目で追う速度が噛み合わなくて、ページの角を指先で丸めちゃってたな、とか。
どんな想いで、その場面を前に読んでいたか。その時と今は同じ気持ちか、ちょっと違ってたりとか。そういう跡が、紙だと残ってくれるんだよ」

それにね、と彼女が本を開いて、栞を取り出す。栞の代わりに、彼女の指がページに挟まれた。

「お気に入りの栞を探すのも楽しいの。タブレットの栞じゃ、柄すら選べないでしょ?」

そう言って彼女は、銀のイルカの栞を見せて笑う。
僕はその笑顔を見て、お気に入りの栞を見つけたら、また彼女に話しかけてみようと決めた。

彼女とイヤホンを片方ずつ分け合って本を聞くより、いつか窓際で、隣に並んで本を読んでみたいと思った。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

義務ですもの。

あんど もあ
ファンタジー
貴族令嬢の義務として親の決めた相手に嫁いだが、夫には愛する人がいた。夫にないがしろにされても、妻として母として嫁としての義務を果たして誠実に生きたヒロインの掴んだ、ちょっと歪んだ幸せとは。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...