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夕凪に止めた言葉。
しおりを挟む空がオレンジ色に染まり出して、滲んだ形の太陽は徐々に水平線との距離を縮め始めた。
僕の前を歩く彼女の細い足首が、寄せては返す黒い波に呑まれる。
つめたい、と言った彼女の声は楽しそうだったが、僕には逆光でその顔は見えなかった。
「話って、なに?」
ぱしゃぱしゃと裸足で波を蹴りながら、彼女は僕に問いかけた。
僕は点々と堤防の上に座る、人影を振り返る。肩を寄せあったその影たちは妙に近く、見てはいけないものを見ているような気分にさせられた。たぶん、当の人影たちはそんな僕のことなど、眼中にも入っていないんだろうけど。
僕は、片手に旅館のサンダルをぶら下げる彼女に向き直った。
逆光の中、彼女と目が合う。
喉の奥は何かがつっかえたようにずっと力が入っていて、心臓の音がやけに耳元に近い。
僕が、少し歩こうよ、と上擦った声で言うと、分かった、と彼女はまた波を蹴りながら、歩き出した。
「修学旅行さ、沖縄でよかったよね」
「え、ああ、そうだね」
彼女の言葉に、僕は相槌しか打てなかった。
話を広げようにも頭が上手く回らない。話すことって、こんなに難しかったのかと思い直すほど言葉が出てこない僕だったが、彼女はあまり気にしていないように見えた。
「沖縄の海って思ったより綺麗なんだね。私、夕方の海って実は初めて見るんだ」
そう言って彼女は、藍色に侵され始めた夕焼けを見て、もう少しで沈んじゃうね、と少し寂しそうに言った。
「夕焼けって短いよね。海だと何だかいつもよりも早い感じがする」
僕は彼女の言葉に、そうだね、とまた短く答えた。
さっきから彼女が話しかけてくれるのに、僕はずっとうわの空だ。
やっと彼女と二人きりになれたのに、何故だか目の前の彼女より、何を話そうとか、どう言えば、とか、後ろの人影のこととかばかりが気になってしまって、目眩がするようだった。
僕は彼女にバレないようにゆっくりと息を吐いて、ぐっと拳を握り締める。掌に食い込んだ爪が痛くて、少しだけ雑念が晴れる気がした。
奥歯を噛み締め、改めて彼女を見る。彼女は風に煽られた髪を耳にかけながら、足元で白く泡立つ波を見ていた。
その横顔を見て、僕は一学期の始め、そう、初めて彼女と話した時、彼女の髪が肩までしかなかったことを何故か思い出した。
「……髪、伸びたよね」
用意してた言葉が出てこなくて、僕は誤魔化すように言った。
彼女は流し目で僕を見ると、頭の後ろに手を当てて、首へ抜くようにその髪を梳く。
ふわっと毛先が細い指先から離れると、彼女はあはは、と一人でに笑い声を上げた。
「CMみたいにさらっ、てなるかと思ったのに。
潮風と、旅館のシャンプーで髪がキシキシ」
シャンプー持ってくるの忘れたんだよね、と彼女は照れ臭そうに笑う。
それでも彼女の髪は僕とは違って、とても艶やかで柔らかく見えた。
「そろそろ戻ろっか、自由時間、終わっちゃうね」
彼女が水平線を見やる。太陽は空と海の境目で、燃えるような赤さを残しながら、白く海に滲んでいる。
沈まなかったな、と彼女は一人言を零し、海に背を向け、裸足のまま堤防を歩き出した。
来た時と同じだけど、少し暗くなった道。
彼女は波打ち際を蹴っていた時と同じように、足元を見ながら歩いている。
僕はそんな彼女の背を見ながら、黙って後を追っていた。
サンダルの隙間から入ってきた砂が、足の指にまとわりついて気持ち悪い。
それが気になって思わずゆっくり歩いてしまう僕とは違い、彼女は裸足なのに、いつもと変わらず砂利道の歩道を歩いていた。
このままではだめだ。
旅館まであと少し。
僕は、最後の交差点で立ち止まる。
先に横断歩道を渡り切った彼女が、ついてこない僕に気付いて、振り返った。
無言の僕らの間を、風が流れる。
靡いた髪の隙間から彼女の鎖骨が覗いた。
さっきまでオレンジ色だった彼女の後ろの空は、深い藍色に染まっている。
喉にずっと詰まっていた固唾を呑み込んで、僕は拳をぎゅっと握り、腹に力を込めた。
「あのさ、僕は、君のことが、」
その時、ぴたり、と風が止んだ。
どこかで鳴く鈴虫の声が、段々と大きくなっていく。
僕は言葉を失った。言いかけたその先が、言えなかった。
しーっ、と、優しい声が、聞こえた気がしたのだ。
見れば、横断歩道の向こう側で、彼女はピンク色の唇の前で人差し指を立てて、笑っていた。
僕の頭の中は真っ白だった。
たぶんすごく間抜けな顔をしていたんだと思う。
彼女はそんな僕に目を細めて、唇の横に手を添えて、口を開いた。
「ねぇ、」
横断歩道を挟んで彼女が少し大きめの声で言う。
僕は瞬きをして、彼女を見つめることしか出来ない。
「修学旅行マジック、って、知ってる?」
彼女は少し寂しそうに言った。
僕の頭に、さっき波打ち際で振り返った人影たちがちらついてく。
一際強い風が僕らの間を駆け抜けて、彼女は顔を覆った髪を首元で抑えた。
「今度さ、髪切るんだ」
「だから私が髪を切ってから、その続き言ってよ」
そう言って彼女は、交差点の隅に僕を置いて、一人旅館へと帰って行った。
僕は鈴虫の音を聴きながら、小さくなっていく彼女の背中をじっと見つめていた。
旅館に戻り、僕は一人、風呂に入って潮風でベタつく頭を洗い流した。
同室の友達に色々聞かれた気がするけれど、正直あんまり覚えていない。
突然始まった枕投げの流れ弾を喰らい、やり返すこともせずただじっと、部屋の隅でその枕を大事に大事に抱えていたような気がする。
その日の夜、僕は友達のうるさいいびきを聞きながら、古い天井の木目を眺めていた。
彼女の髪も、今日だけは僕と同じリンスインシャンプーの匂いがするんだと思うと、何だか全然、寝付けなかった。
早く、修学旅行が終わればいいのに。
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