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アニーとアルフレド
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「ここはどこだろう」
呟いた声が反響した。微かに水の音が聞こえる。
私はペタンと座り込んだまま、右に左に目をやった。
たぶん、洞窟みたいなところなんだと思う。
だけど壁はピンク色だったり黄緑色だったり、紫色だったり、明らかに何かが変だ。色の境目は黒くて、なんだかクレヨンで、こどもが壁に落書きをしたみたいだ。
水色の蝋燭がゆらゆらと壁で揺れる。見上げれば、天井に逆さまについた蝋燭からぽたりぽたりと蝋が滴っている。なのにそれは、私の座る赤茶色の地面に落ちると、ただの冷たい黒い水に変わっていた。
「誰かいないの?」
カラフルな壁をした洞窟の奥は暗く、果てが見えない。
私の声は遠くまで反響したものの、それに返してくれる声はなかった。
明るい色に目が痛い。なんだか頭もおかしくなりそうだ。壁に左手を当てて、恐る恐る前に進む。迷路では左手を壁に当てたまま進むと良いと聞いた。私の直感が、その通りにすべきだと言っていた。
自分の足音がコツコツと響く。滴る蝋が、あちこちに水溜まりを作っている。試しにつま先を入れてみたが、黒い水は私の赤い靴に弾かれて静かに広がるだけだった。
「ああ良かった、キミも来ていたんだね」
はっとして、顔を上げる。聞き覚えのある声だ。
見れば、金髪の少年が、安堵した顔で、こちらを見ていた。彼はアルフレドという、私の友だちだ。
「良かった、アル。一人ぼっちだと思っていたの」
「僕もだ。アニーを見つけられて良かった」
アルは私の手を握って、こっちだよ、と私の行く先を歩き出した。ぐいぐいと先に進むアルに、私は半歩遅れて着いていく。この先は真っ暗だが、彼はこっちから来たのだろうか。
「ねぇアル、どうしてここはこんな色なのかしら」
「それは僕にも分からないや。神様に聞いてみないと」
見えてきたよ、と彼は暗がりの向こうを指さした。
ちかっ、と眩しい光に目が眩んだと思ったあと、辺りはオレンジ色の花が咲き誇る花畑に姿を変えていた。
「あれ、洞窟を抜けたのかしら」
空は水色の晴天だ。白い雲はわたがしのように、大きな丸みを帯びている。
オレンジ色の花に駆け寄ったが、花弁の数はバラバラで、大きさもバラバラの、やっぱりクレヨンで塗りつぶしたような、模様をしていた。
「変な花ね」
「しょうがないさ」
アルはまだ進む。一体どこへ向かっているというのか。
オレンジ色の花畑が終わって、赤い屋根の家が見えた。隣に小さな犬小屋があって、小屋の外で犬が寝ている。あれ、と私は、既視感に声を上げた。
「ねぇアル、私、あれはキャロルの家に見えるわ」
「本当?僕にはちょっと、分からないや」
同じクラスメイトのキャロルの家には一度だけ行ったことがあった。
あんなふうに真っ赤な原色の屋根で、隣に同じ屋根の色の、犬小屋があったのだ。
茶色のドアの隣には、同じように窓があった。ただし、屋根はあんな線を描いたようにぐちゃぐちゃではなかったし、窓は水色ではなく透明だったけれど。
「アル、どこに向かっているの?」
「出口だよ。もう少し先だ」
ざぁっと風が吹いた。
キャロルの家の横を通り抜けて、開けた視界に現れたのは海だった。
青い海から、水色の何かが三日月を描くようにして飛び出す。
アルは海の横を抜けていこうとするが、私はその弧を描く物体に釘付けだった。
「アル、あれきっとイルカよ、私初めて見るわ」
「イルカが見れる海なんて、めずらしいね。でもアニー、立ち止まってはいけないよ」
水色のイルカを横目にアルはどんどん進んでいく。私はアルに手を引かれたまま、肩越しにジャンプし続けるイルカを見ていた。
「さぁアニー、ついたよ」
「え?」
アルフレドの声に、私は前を向いた。
辺りは真っ白だ。さっきまで背後にあった海もイルカも消えている。
どこまでも、見渡す限りの白色。
「アニー、目を閉じて。10秒数えるよ、そしたらお目覚めの時間だ」
「アルフレド?どういうこと?」
言われるがままに、私は目を閉じる。
手にはアルフレドの体温が、耳にはカウントダウンの声が。
やがてそれは少しずつ、小さく遠くなっていった。
私の名前はメアリー。幼稚園で、子供たちの世話をするのが仕事だ。
今子供たちはお昼寝中。普段とは打って変わって静かな教室で、私はカラフルに塗られた画用紙たちを壁に留めていた。
午前のお絵かきの時間に、子供たちが描いたものだ。
レオンはこの間家族で行った、色彩博物館の絵を描いたらしい。ピンクとか黄緑色とか、紫色とか、派手な色ばかりで画用紙の白を目いっぱい塗りつぶしている。時折点々と塗られた水色は、室内の明かりらしい。怪しげな雰囲気を出すためとはいえ、話を聞く限りは前衛的な博物館だった。それを描いたレオンの絵のセンスも、中々に前衛的である。
シャーリーは、この間みんなで表の花壇に植えた、ガーベラを描いている。花が好きな彼女は頬に泥をつけたまま、丁寧な仕草でガーベラを植えていた。今は毎日、お気に入りの緑の如雨露で水やりをするのが、幼稚園での楽しみみたいだった。嬉しさを表すかのように、画用紙はオレンジ色の花弁で埋め尽くされている。
キャロルは、先月犬を飼い始めたらしく、その絵を描いている。お父さんが新しい家族のために、お揃いの屋根の犬小屋を建てたのだと、嬉しそうに話していた。何でもクラスの何人かは、その犬を紹介するために、家にお呼ばれしたとかなんとか。
マルクは去年、家族旅行で行った、イルカの見れる旅客船を描いたみたいだ。初めて海を見て、イルカのジャンプを見て、そこから彼はお絵かきの時間となると毎回イルカの絵を描く。今年の夏も、お父さんに連れて行ってくれとおねだりをしているみたいで、お母さんが困ったように笑っていたのを覚えている。
アニーの絵は、とても質素だった。画用紙の真ん中に、子どもが二人、手を繋いで並んでいる。一人はアニー自身だろう。お気に入りの赤い靴を履いている。もう一人の子どもは、金髪の少年で、横に「Alfred」と書かれていた。
「ん…あれ、先生…?」
「あらアニー、もう起きちゃったの?」
私は画用紙を壁に貼る作業を止めて、起き上がったアニーの頭を撫でに、近寄った。
アニーは眠たい目を擦りながら、辺りを見渡している。
どうしたの?とアニーを寝かせて、小さな胸をトントン、とゆっくり叩きながら、寝かしつけ始めた。
「ねぇ先生、アルは?」
「…アニー、アルフレドは、今日はもう帰っちゃったわ」
「そうなの…?もっと遊びたかったわ…」
そう言いながら、アニーはゆっくり目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が、小さな口から漏れる。この歳の子はお休み三秒なので、とても助かるなと、自然と笑みが溢れた。
「アルフレド…ね」
アルフレドという金髪の少年は、この幼稚園にいない。
彼は、アニーのお絵描きでだけ存在する、イマジナリーフレンドと呼ばれる少年だった。
子どもの世界には、大人に見えない誰かが住んでいる。
呟いた声が反響した。微かに水の音が聞こえる。
私はペタンと座り込んだまま、右に左に目をやった。
たぶん、洞窟みたいなところなんだと思う。
だけど壁はピンク色だったり黄緑色だったり、紫色だったり、明らかに何かが変だ。色の境目は黒くて、なんだかクレヨンで、こどもが壁に落書きをしたみたいだ。
水色の蝋燭がゆらゆらと壁で揺れる。見上げれば、天井に逆さまについた蝋燭からぽたりぽたりと蝋が滴っている。なのにそれは、私の座る赤茶色の地面に落ちると、ただの冷たい黒い水に変わっていた。
「誰かいないの?」
カラフルな壁をした洞窟の奥は暗く、果てが見えない。
私の声は遠くまで反響したものの、それに返してくれる声はなかった。
明るい色に目が痛い。なんだか頭もおかしくなりそうだ。壁に左手を当てて、恐る恐る前に進む。迷路では左手を壁に当てたまま進むと良いと聞いた。私の直感が、その通りにすべきだと言っていた。
自分の足音がコツコツと響く。滴る蝋が、あちこちに水溜まりを作っている。試しにつま先を入れてみたが、黒い水は私の赤い靴に弾かれて静かに広がるだけだった。
「ああ良かった、キミも来ていたんだね」
はっとして、顔を上げる。聞き覚えのある声だ。
見れば、金髪の少年が、安堵した顔で、こちらを見ていた。彼はアルフレドという、私の友だちだ。
「良かった、アル。一人ぼっちだと思っていたの」
「僕もだ。アニーを見つけられて良かった」
アルは私の手を握って、こっちだよ、と私の行く先を歩き出した。ぐいぐいと先に進むアルに、私は半歩遅れて着いていく。この先は真っ暗だが、彼はこっちから来たのだろうか。
「ねぇアル、どうしてここはこんな色なのかしら」
「それは僕にも分からないや。神様に聞いてみないと」
見えてきたよ、と彼は暗がりの向こうを指さした。
ちかっ、と眩しい光に目が眩んだと思ったあと、辺りはオレンジ色の花が咲き誇る花畑に姿を変えていた。
「あれ、洞窟を抜けたのかしら」
空は水色の晴天だ。白い雲はわたがしのように、大きな丸みを帯びている。
オレンジ色の花に駆け寄ったが、花弁の数はバラバラで、大きさもバラバラの、やっぱりクレヨンで塗りつぶしたような、模様をしていた。
「変な花ね」
「しょうがないさ」
アルはまだ進む。一体どこへ向かっているというのか。
オレンジ色の花畑が終わって、赤い屋根の家が見えた。隣に小さな犬小屋があって、小屋の外で犬が寝ている。あれ、と私は、既視感に声を上げた。
「ねぇアル、私、あれはキャロルの家に見えるわ」
「本当?僕にはちょっと、分からないや」
同じクラスメイトのキャロルの家には一度だけ行ったことがあった。
あんなふうに真っ赤な原色の屋根で、隣に同じ屋根の色の、犬小屋があったのだ。
茶色のドアの隣には、同じように窓があった。ただし、屋根はあんな線を描いたようにぐちゃぐちゃではなかったし、窓は水色ではなく透明だったけれど。
「アル、どこに向かっているの?」
「出口だよ。もう少し先だ」
ざぁっと風が吹いた。
キャロルの家の横を通り抜けて、開けた視界に現れたのは海だった。
青い海から、水色の何かが三日月を描くようにして飛び出す。
アルは海の横を抜けていこうとするが、私はその弧を描く物体に釘付けだった。
「アル、あれきっとイルカよ、私初めて見るわ」
「イルカが見れる海なんて、めずらしいね。でもアニー、立ち止まってはいけないよ」
水色のイルカを横目にアルはどんどん進んでいく。私はアルに手を引かれたまま、肩越しにジャンプし続けるイルカを見ていた。
「さぁアニー、ついたよ」
「え?」
アルフレドの声に、私は前を向いた。
辺りは真っ白だ。さっきまで背後にあった海もイルカも消えている。
どこまでも、見渡す限りの白色。
「アニー、目を閉じて。10秒数えるよ、そしたらお目覚めの時間だ」
「アルフレド?どういうこと?」
言われるがままに、私は目を閉じる。
手にはアルフレドの体温が、耳にはカウントダウンの声が。
やがてそれは少しずつ、小さく遠くなっていった。
私の名前はメアリー。幼稚園で、子供たちの世話をするのが仕事だ。
今子供たちはお昼寝中。普段とは打って変わって静かな教室で、私はカラフルに塗られた画用紙たちを壁に留めていた。
午前のお絵かきの時間に、子供たちが描いたものだ。
レオンはこの間家族で行った、色彩博物館の絵を描いたらしい。ピンクとか黄緑色とか、紫色とか、派手な色ばかりで画用紙の白を目いっぱい塗りつぶしている。時折点々と塗られた水色は、室内の明かりらしい。怪しげな雰囲気を出すためとはいえ、話を聞く限りは前衛的な博物館だった。それを描いたレオンの絵のセンスも、中々に前衛的である。
シャーリーは、この間みんなで表の花壇に植えた、ガーベラを描いている。花が好きな彼女は頬に泥をつけたまま、丁寧な仕草でガーベラを植えていた。今は毎日、お気に入りの緑の如雨露で水やりをするのが、幼稚園での楽しみみたいだった。嬉しさを表すかのように、画用紙はオレンジ色の花弁で埋め尽くされている。
キャロルは、先月犬を飼い始めたらしく、その絵を描いている。お父さんが新しい家族のために、お揃いの屋根の犬小屋を建てたのだと、嬉しそうに話していた。何でもクラスの何人かは、その犬を紹介するために、家にお呼ばれしたとかなんとか。
マルクは去年、家族旅行で行った、イルカの見れる旅客船を描いたみたいだ。初めて海を見て、イルカのジャンプを見て、そこから彼はお絵かきの時間となると毎回イルカの絵を描く。今年の夏も、お父さんに連れて行ってくれとおねだりをしているみたいで、お母さんが困ったように笑っていたのを覚えている。
アニーの絵は、とても質素だった。画用紙の真ん中に、子どもが二人、手を繋いで並んでいる。一人はアニー自身だろう。お気に入りの赤い靴を履いている。もう一人の子どもは、金髪の少年で、横に「Alfred」と書かれていた。
「ん…あれ、先生…?」
「あらアニー、もう起きちゃったの?」
私は画用紙を壁に貼る作業を止めて、起き上がったアニーの頭を撫でに、近寄った。
アニーは眠たい目を擦りながら、辺りを見渡している。
どうしたの?とアニーを寝かせて、小さな胸をトントン、とゆっくり叩きながら、寝かしつけ始めた。
「ねぇ先生、アルは?」
「…アニー、アルフレドは、今日はもう帰っちゃったわ」
「そうなの…?もっと遊びたかったわ…」
そう言いながら、アニーはゆっくり目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が、小さな口から漏れる。この歳の子はお休み三秒なので、とても助かるなと、自然と笑みが溢れた。
「アルフレド…ね」
アルフレドという金髪の少年は、この幼稚園にいない。
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