さようなら、初めまして

れい

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潔癖症のクラスメイト

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八月の、ひどく蝉がうるさい日。
私はそっと、自分の机だったものの上に、一輪の赤い花を添えた。




「えっと、私の名前は…あった、今年は四組かぁ」

縦に横に流していた私の視線は、四列目でぴたりと止まった。
例えば百歳で死ぬとしよう。その中で、名前というのは、まだ二割くらいにしか満たない人生の中で、たぶん、一番多く目にしている文字だ。
見つけるのはなんてことない。私は用無しになった学年名簿を、二つ折りにしてリュックの中のクリアファイルに入れた。

今日から、私は高校二年生だ。

最上階まで毎日登っていた階段も、今日からは二階まで。
途中、おはよう、と駆け下りて行く友達二人に明るく笑い返して、私は渡り廊下の手前を曲がった。
一つ前のクラスも、私の所属するクラスも、教室のドアは、どこも開きっぱなしになっている。
誰でも大歓迎、とでも言いたげだが、たぶん誰も閉める気がないだけだろう。
私は縦長の長方形に切り取られた、閉鎖的な世界を覗き込んだ。

「おはよう、今年も一緒のクラスだね」

入ってすぐ、私の左側から、ひらひらと女の子が手を振った。
髪の短いその友達はソフトテニス部の子だ。去年も同じクラスだったが、どうやら春休みの間に、肌が少し焼けたみたいだ。
私は、やったね、今年もよろしく、と安堵に近い嬉しさを、目一杯の笑みにして笑った。
席見てくる、と座席表の書かれた黒板を指さすと、友達はいってらっしゃい、とまたひらひらと手を振る。
すぐ後ろを振り向いた友達は、椅子に横座りして、後ろの席の女の子と話し出した。
同じソフトテニス部の、誰だったかな。
後で声をかけよう、と私はとりあえず、自分の出席番号に与えられた席を探す。
窓際から二列目の一番後ろ。
特等席、幸先のいいスタートだ、と黒板に背を向けた。
そうして一歩踏み出したが、私はそのままぴたりと動きを止め、あれ、と一人で首を傾げることとなった。

誰か座っている。知らない男子だ。

私の席と、その前と、さらにその横、窓際側の男子三人が楽しそうに話している。
一人は知っている。気の強い、よく複数人で廊下を走っている男子だ。去年も同じクラスだった。
あとの二人は誰だろう、何となく見覚えはあるが、名前までは知らない。私は狭い通路を縫うように近づいていって、その一角の奇妙な空気感に、無意識に顔を顰めた。
三人が顔を向けて笑う相手は、窓際の一番後ろに座る女の子。私の左隣になる子だ。
彼女は三人に囲まれる中、じっと身動ぎもせず俯いている。
右端にペンケースだけが置かれた、他に何もない机の木目を、ただただ見つめているのだ。
そんな彼女を前に、あの三人ははどうしてあんなにも楽し気なのか。
私は眉を少し寄せて、ねぇ、と声をかけた。

「そこ、私の席なんだけど」

普段より少し低い私の声に、男子三人が振り返る。
笑っていた口を開けたままこっちを見るもんだから、豆鉄砲を食らった鳩みたいだと思った。

「あ?ここお前の席かよ。はは、幸先の悪いスタートだな」

私の席に座っていた男子が、笑いながら退く。
馬鹿にするような勘に触る笑い方だ。というか、お前呼ばわりしてくるけど、そもそもあんた誰。
向こうは私を知っているようだったが、私は何となくしか見覚えがなかったので、わざと少し乱暴な音を立てて、背負っていたリュックをおろした。
こわ、とわざとらしく身を竦めた男子三人を、私はじろりと睨む。
私の前の席の男の子以外、今度は蜘蛛の子を散らしたようにそそくさと散開していった。
馬鹿馬鹿しい奴らだ。
ふん、と鼻息を鳴らす私の足元に、カシャン、と何かが落ちる音がした。
あ、と声を上げた私の足元に、白いシャーペンと何色かの蛍光ペンが散らばる。
隣の席の彼女の、ペンケースが床に落ちたのだ。
ごめん、と私は反射的にしゃがみ込んで、拾おうとした。
本当は、落としたのは彼女の前の席で笑っていた男子だったのだが、そんなことはどうでもいいことだ。
すっと伸ばした手の先で、上から伸びてきたもう一つの手が、強張ったように動きを止める。
え、とペンを拾うよりも先に顔を上げた私は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
白い手袋をした、女の子。もしかして。

「っ、と…、拾わない、…ほうがいい?」

安心させようとしたのだが、ああもう、本当に私は作り笑いが下手だ。
自分でも分かるほど引き攣った笑いだったが、彼女は恐らくそんなこと気にも留めず、ただゆっくりと、驚いたように瞬きを繰り返した。

彼女には、見覚えがあった。
潔癖症だと、噂になっている子だ。

結局、彼女の反応から拾っていいのか、良くないのか、私が迷っている隙に、彼女は散らばったペンを自ら拾い上げていた。スカートの下に敷いた、少し大きめのハンドタオルの角が、ちらりと目に入った。
彼女は固まったままの私の目を見て、律義にゆっくりと頭を下げると、席を立ってそのまま教室を去っていく。
私は呆気に取られ、狭い通路にしゃがみ込んだまま、縦長い長方形の向こうへと消えて行く彼女を、机の脚の隙間から見ていた。
何をしていたのかは知らない。だけど、彼女が帰ってきたのは本鈴が鳴り終わるのと同時だった。
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