12 / 38
12 『禁忌の魔女』
しおりを挟む魔女が住んでいるというキルケの森はルシラード王国から見て西にある。
ラピスさまの愛馬──名前はアレクサンダーで、マリウス王子さまから賜ったという。すらりとした美しい白馬だ──にふたりで乗っていこうとラピスさまは言った。
魔女が自分を訪ねてきた者にたいしてどのような態度に出るかわからない。部下をぞろぞろ引きつれて無用な警戒心を抱かせることは避けたい、と。私ももっともだと思った。
「フローラはなにもしなくていい。もっとリラックスしていてくれ」
「は、はい」
そうは言っても、アレクサンダーにふたりで乗るとラピスさまが私を横から抱きしめているようなかたちになって、服越しに伝わってくる彼の体温にどきどきした。とてもリラックスなんてできない。
アレクサンダーは羽でも生えているみたいに軽快に草原をかけた。途中、休憩をはさんで十時間。ようやく私たちは鬱蒼とした森の前にたどりついた。
「だいじょうぶか、フローラ」と先に降りたラピスさまが私をかかえるようにして降ろしてくれる。
腰やお尻が痛かったけれどまさかそんなこと言えない。だいじょうぶです、と私はドレスの裾やベールを直しながら答えた。
「ここからはアレクは連れていけないな。待てるか?」
ラピスさまに問われ、アレクサンダーは一声鳴いてみせる。まるで言葉がわかっているみたい。
彼は愛馬の顔をなでてやると手近な木にアレクサンダーを結びつけた。
「さあ、行こう」とラピスさまが革手袋をはずして私に手を差しだす。
きょとんとしていると彼が苦笑した。
「手ぇ取ってくれや。ここからは足場が悪いさかい、繋いどかんと転ぶで」
「あっ、そういうことなのですね」
「まったく……」
森の中は根っこが飛びだしていたりところどころぬかるんでいたりで歩きにくいことこの上ない。
森を歩くとわかっていたから彼がブーツを用意してくれたけど、それでも体のバランスを崩しかけることが何度もあった。そのたびにラピスさまが支えてくれたけれど。
「大変やろ、もう背負っていこか?」
「だ、だいじょうぶですから……」
「お姫さま抱っこも受けつけとるけど」
「だいじょうぶですってば……!」
地図を頼りに道なき道をゆくこと二十分。
急に視界が開けて、木でできた家が現れた。一階建てのこじんまりとした家。
「……あれか?」
「そう、ですね……」
ごくごくふつうの家だ。変な装飾もなければ怪しい染みもない。
私たちは顔を見合わせて──
ワォンッ、という犬の声に息を呑んだ。
彼はすぐに声の出所を突きとめ、「フローラ、私の背後に」と私を自分の背中に隠す。
「あれは……」
犬かと思ったがどうやら狼のようだ。
銀色の毛並みを持つ獣は木立の間から姿を現すと、鋭い牙を剥きだしにしてラピスさまに向けてうなる。いかにも強暴なその姿にどきりと心臓が跳ねた。
「森の先住者か。おまえの栖に無断で上がりこんだことは詫びるが……」彼は腰に差した剣の柄に手をかける。
「こちらにも事情がある。私と彼女に危害を加えようとするのなら──斬るぞ」
ラピスさまの殺気を感じたらしく、狼の表情が一変した。
立ちどまってこちらを見ていたかと思うとぱっと尻尾を巻いて逃げていく。
その先にはひとりの女性がいた。
「……その地図。ヤンの紹介か」
狼は彼女の足元にぺたんと座りこむ。
黒髪を短く切った妙齢の女性。黒いローブをまとった彼女こそが──
「『禁忌の魔女』だな?」
ラピスさまの問いかけにふんと彼女は笑った。
「私は自分の知識欲を満たしただけだ。禁忌など知らん」
『禁忌の魔女』はシドと名乗った。
彼女は家に私たちを招き、適当に座るよう言った。でもイスは彼女が座っている一脚だけだし床には本がうずたかく積みあがっていて座る場所なんてどこにもない。
仕方ないので私たちは立ったまま話をすることにした。
頭を打った衝撃で記憶をなくしてしまったこと。もどる兆しが見られないこと。だから、記憶を取りもどせるような薬を調合してほしいこと……。
私が話を終えると、シドさんは退屈そうにあくびをする。
「記憶を取りもどす薬は作れる」
「ほんとうですか!」
「でも、私は魔女だ。タダ働きなんてしない。ひとつ願いを叶えたらひとつ代償をもらう。意味がわかるな?」
「金ならいくらでも払おう」と私に隣にいるラピスさまが言う。「ほかに欲しいものがあるなら、どんな手を使っても入手すると誓う」
シドさんは首を横に振った。
「ご主人、依頼人はあんたの奥さんだ。奥さんの願いの代償は奥さん自身に払ってもらわなきゃあならない。
だから──フローラ、と言ったな──フローラ、あんたに聞きたい。あんたは私になにを差しだせる?」
「──私は……」
「なにもありゃしないだろう。記憶をなくし、名前以外持っていないあんたには私という魔女に差しだせるものがなにもない。そうだな?」
私は肯定するしかなかった。きれいなドレスはラピスさまに買ってもらったものだし、病院で稼いだお金はいつかヒューベル家に返すためにとっておかなくてはいけない。
なにか代償を。そう言われても、私にはシドさんに渡せるものがなにもなかった。
「ならばこうしよう」とシドさんは人差し指を立てる。
「ベールの下の、その傷。私がその傷を治してやる」
私はびくっとした。傷があることはベールに覆われて見えないはずなのに。
「治せるのですか……?」
「一度には治せない。だから、一回につきひとつ消してやる。そして……そのかわりに、あんたは忘れている辛い記憶をひとつ思いだすんだ」
「────」
「私が傷を治す。その代償にあんたは忘れていればよかったような忌まわしい記憶を思いだす。どうだ? いい取り引きだろう?」
「そんなことをしておまえになんの得があるんだ」とラピスさまが詰問する。シドさんは澄ました顔で答えた。
「わからないのか? 私が魔女と呼ばれているわけは、他人の感情をもてあそぶことが好きだからでもあるんだよ」
「おまえ……!」
「もちろん決めるのはそっちさ。人間の脳は不思議なものだ、どんなきっかけで記憶がもどるかわからない。私に頼らず自力で思いだすのもありだろう」
「思いだせるのは辛い記憶、だけなのですか……」
「私が呼びおこすのはな。だが、それに付随してまともな記憶もよみがえることは充分ありうる」
「…………」
「傷も消えて記憶もよみがえる。いい取り引きだと思うが?」
ラピスさまが私の肩に手を載せた。
「……フローラ。こんな話に乗るべきじゃない、帰ろう」
「…………」
「フローラ……?」
すみません、と私は彼に謝る。彼の心配は痛いほど伝わってきたけれど。
「その取り引き──受けさせてください」
魔女はにやりと笑った。
私の答えを聞くなり、薬を調合するからとシドさんは奥の部屋に移動してしまった。
どれくらいかかるかもわからない。見るともなしに本の背表紙を見ていた私に「ほんとうにいいのか」とラピスさまが話しかけてくる。
私はうなずいた。
「いまはどんな手がかりでもほしいのです」
「辛い記憶であっても、か」
「はい……」
彼はなにか言おうとしたけれど、けっきょくはなにも言わずに口を閉じる。
記憶がもどらなくてもヒューベル家にいればいい──そんな意味のことを言おうとしたのではと私は思った。彼は優しいから。
どれくらい待ったのかはわからないけれど、やがて奥のドアが開いてシドさんが私を手招きした。いってきます、と私は心配そうなラピスさまと別れて奥の部屋へ行く。
奥の部屋には試験管やら天秤やら巨大な鍋やら、いかにもな道具が点在していた。シドさんは「ほら」と透明な液体が入った試験管を私に差しだす。
「これでひとつ傷が消える」
「……あの、このタイミングで言うのも変なのですが」
「なんだ?」
「私たちは夫婦ではありません。私は、ラピスさまの家でお世話になっているだけの居候で……」
「はあ? 嘘だろ?」
「ほんとうです」
「だって、あの男はどう見てもこいつにべた惚れ……」とシドさんはぶつぶつ言っていたけれど、「まあいい、とにかく飲め」と手を振った。
私はうなずく。
薬はなんの匂いもしなかった。これで効くのだろうか、と思いながら試験管に口をつける。
甘い……リンゴのような味が口の中に広がった。そして、
「う……っ」
数秒後、顔が焼けるように熱くなる。
手から試験管が落ちて床に転がった。私は両手で自分の顔を覆い、
「あ……ああ……っ!?」
──その熱が引くのを待って。魔女が、手鏡を私に向けた。
私はおそるおそるベールをはずし、自分の顔を鏡に映す。
「……ほんとう、に……」
左頬にあった一筋の傷がきれいに消えていた。
ほんとう、だったんだ。『禁忌の魔女』の力は。
「さあて」
ほかの傷は変わらず顔にある。でもひとつ消えただけでも涙がでるほど嬉しくて、喜びに浸ろうとしたときシドさんがそれを断ちきるように言った。
「代償をもらわないとな。あんたの忌まわしい記憶をひとつ、よみがえらせてやろう」
彼女は私に向けて手を伸ばす。
よみがえった記憶は──。
714
あなたにおすすめの小説
で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
どうぞ添い遂げてください
あんど もあ
ファンタジー
スカーレット・クリムゾン侯爵令嬢は、王立学園の卒業パーティーで婚約もしていない王子から婚約破棄を宣言される。さらには、火山の噴火の生贄になるように命じられ……。
ちょっと残酷な要素があるのでR 15です。
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
悪役令嬢発溺愛幼女着
みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」
わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。
響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。
わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。
冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。
どうして。
誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる