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*6* 初めてのお給料と……? 

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『今回の情報提供で得た売上の配当は、早くても三週間後だ。それと、余計な世話かもしれんが、あまり頻繁に夜会には出かけるな。出かけるにしても昼間の茶会程度にしておけ。出し惜しみされた方が男は食いつく』

 前回の最後にそんな耳寄り情報を得てからぴったり三週間後。

 四阿で口笛を吹きながら日課になった小鳥達との噂話に花を咲かせていると、屋敷内での仕事をしていたはずのアデラが、誰かを伴ってこちらに向かってくるのが見える。

 客が来たので小鳥達へ席を外すように口笛で伝え、足許に撒いていたパン屑を名残惜しそうに見つめて飛び立つ小鳥達に心の中で詫びていると、こちらへやってきた人物は「口笛が上手いな」と、私の特技だとでも思ったのかそう褒めてくれた。

 その言葉に「ありがとうございますノイマン様。本日はようこそおいで下さいました」と述べ、スカートの端を摘まんで淑女の礼をとる。

 こういう時に毎回思うのだけれど、人間に転生したのならせめて曖昧に微笑めるような表情筋が欲しいわ……。普通に考えて絶対に奇妙な言語能力よりも備えておくべき標準装備だと思う。

 今日の彼の装いはここへ来るためのお忍びの装いなのか、とても地味な格好だ。そういえば前回もそうだった気がする。そんなことを考えながら姿勢を戻せば、彼は初めて夜会で出逢った時のような表情を浮かべてこちらを見ていた。

 何か失礼があっただろうかと「何か?」と見つめ返せば、ノイマン様はふいと視線を逸らして「報酬の話に移ってもいいか?」と訊ねてきたので、それ以上は言及せずに席につくように促す。そうしてアデラが用意してくれたお茶を口にしながら、最初に婚約者候補者の釣書が入った封書を受け取り、次にいよいよ三週間待った報酬精算に入ったものの――。

「……大方少ないだろうとは想像しておりましたけど、その金額よりさらに少ないですわね。本当にあの持ち帰った情報でこれだけですの?」

 例えお金に汚い令嬢だと相手に思われようとも、それが私の率直な感想だった。あの情報の中には貴族の醜聞に関しての噂もあったはずで、それを含んでもこの程度の金額だとあれば期待はずれだわ。
 
 難色を示した私の隣ではアデラも小首を傾げている。平民出身者の彼女からしても、この報酬金額は意外だったようだ。

「いいや、違う。貴女が言っている情報とやらはお貴族様の醜聞だろう? あれはまだ使えないから寝かせてある。初めて仕事をする相手から得た情報でいきなり大きな勝負をする訳がない。最初のうちは小さな情報で様子見をしてからだ。それで結果が出るようなら、次からは徐々に使用する情報の機密度を上げる」

 呆れた様子もなく真摯な説明を受けて「……また早とちりね。ごめんなさい」と謝罪すると、彼はまたも微妙な表情を浮かべた。だからそれはいったい何の反応なのかしらね?

「ここで精算しているのは次の流行になるだろう菓子についての噂だ。実際に店でもちょっとした土産に好まれて結構売れている。食べたことがないかと思って持ってきたんだが……と、」

 そう言って彼がテーブルの上に置いたのはトゲトゲとした形をした、可愛らしい色の小さな砂糖菓子が入ったフラスコ型の丸瓶だった。コルク栓を抜いた彼はその砂糖菓子をティーソーサーの上に数粒並べてくれる。

 乾いた音を立てて並んだ可愛らしいお菓子に思わず目を細めて見入れば、ノイマン様はジッとそんな私の様子を眺め、子供っぽい反応を見られたことに気付いて少々気まずい気分になった。

 けれど彼は視線をお菓子に戻して「二粒はそのまま食べてみろ。残りは紅茶にでも入れると良い」と食べ方を教えてくれ、私とアデラもそれにならって淡い黄色とピンク色の二粒は口に、残りの水色や若草色のものは紅茶に入れてみる。

 ほんのりとレモンの香る砂糖菓子は、舌の上で転がす間にトゲが取れて丸くなり、すぐに消えてしまった。視線でアデラと《美味しい》と頷き合えば、それを見ていたノイマン様が「だろう?」と唇の端を持ち上げる。

 紅茶もレモンの香りと溶け出した砂糖菓子の甘味で、まるでレモンティーのような体をなした。フラスコ型の瓶の中にはまだ沢山残った砂糖菓子が、キラキラと陽の光に透けて輝いている。

 宝石とはまた違う胸躍る輝きに見惚れていると、ノイマン様は「残りは置いていくから好きに食べると良い」と言って瓶を手渡して下さった。アデラが柔らかい笑みを浮かべてお礼を述べる隣で、無表情なりに私もお礼を述べる。ノイマン様はそんな私達に向かって軽く手を振るだけだった。

「さて、それじゃあそろそろ出かけるか。ここは良い庭だがあまりのんびりしていては、大したことも出来ずに日が暮れてしまう」

 カップに残っていた紅茶を飲み干す頃急にそんなことを言われ、てっきり次回の打ち合わせをするのだろうと思いこんでいた私は「え?」と、間抜けな声を上げてノイマン様を見つめ返す。

「貴女ががっかりした子供のお小遣いで何が買えて、何が出来るのかを俺が教えよう。ご当主にはもう話をつけてある。そういうことだから、ひとまず街歩きが出来そうな服に着替えてきてくれ」

 こちらの分かりにくい動揺に気付かないのか、そんなことを言い出した彼にさらに「ええ?」と困惑の声を上げるも、すでにすっかり主導権を握られているようだ。内心では思ってもいない方向に話が進んでいることにオロオロしているのに、表情筋はピクリとも仕事をしない。

「そんな……お嬢様は夜会やお茶会以外の人が集まるところには、これまで一度も出向いたことがないのです。それをやれ当日に、とはいくらなんでも乱暴ですわぁ」

「そう言うならあんたもついて来るといい。主従揃って下町の子供より買い物が下手そうだからな。子爵令嬢とはいえ商人と契約をしたんだ。金銭感覚を養う良い機会になるだろう」

 意地の悪いその物言いと表情に「分かりましたわ、すぐに用意します。ただし、もしも大口を叩いておきながらつまらない授業でしたら、その時は本日の買い物代金の立替を要求しますわね?」と、精いっぱいの強がりを口にして。夏の香りを含んだ芝の上で、思いがけない課外授業に出かける羽目になってしまった。
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