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◆第一章◆
*1* 初めて故郷を外から見たら。
しおりを挟む目の前一面に広がる継ぎ目のない青。
ただただ、青、青、青が続いていく様は確かに美しくはあるものの、心惹かれるほどではない。むしろ空に浮かんだ白い雲が流れる様や、日差しの温もりがそのまま移った砂浜の方が余程珍しいだろう。
「うむ……信じられんほどつまらない見た目だな我が故郷は。これでは最近の若い連中が出て行きたくなるのも無理はない……か」
それが妹がかつて同じように泳ぎ着いた砂浜で、一番に故郷を振り返った私の偽らざる本音だった。ぎこちない動きの二股に分かれたヒレでは揚力を上手く伝えきれずに、なかなか前に進まないのにも参ったが、呼吸を口と鼻だけに頼るということにも慣れない。
「男共を抑えて【海の戦士】と呼ばれた私ともあろう者が、グングニルと鎧であわや海面に顔を出すまでに死ぬところだったではないか。髪を切っておいたお陰で余分な重さが減っていなければ危なかったぞ……」
ブツブツと不満を口にしながら砂浜に魔槍・グングニルを突き立て、苦々しい思いで脱ぎ捨てた軽鎧をひっくり返して水を抜き、腰に巻いていた“トラウザーズ”とやらを絞る。
あとは地上に上がるにあたり、ポケットの中に弟妹達が詰め込んでくれた難破船から失敬した指輪や耳飾りに、数枚のコインもついでに波打ち際で洗った。すると腰に帯びていた短剣が砂浜に落ちて、私は一瞬鞘の外れたその刀身に魅入る。グングニルは戴冠式に突撃する際の護身用だが、本命はルビーやエメラルドで飾られたこの煌びやかな短剣だ。
今は私の命と言っても過言でない大切なその短剣を再び腰に帯び、二本ある筒上の部分に恐る恐るヒレの代わりに生えた“足”を通して、海藻のような濃い緑色のシャツに袖を通せば、それなりに人間っぽい出で立ちになった。どちらも魔女からせしめたものだが、まあまあの質だ。
脱いだ軽鎧はひとまず近くにあった岩影に埋めておく。そうしたところで陸で作ったものとは違い、海底製だから錆びる心配もない。そしてシャツを着る際に気付いたが、美しい弟妹達とは違って無骨な私のエラは肋骨の下、腰骨よりやや上にあったのだが……本来エラがあった場所には、両脇腹に三本ずつ大きな傷跡として残っている。
しかし他にもいくつか傷のある私の身体ではあまり気にならないが、問題は私の腹にこの傷があるということは、人魚姫……ラフィアナの腹にもこの傷が残っていた可能性があるということだ。上質な真珠のようなあの子の肌に、こんなに大きな傷跡が残っていたのだとすれば、これを見て相手の王子が怯んだとか……腰抜け男であれば充分にあり得るな。
傷は戦に出れば当然出来るものだが、カモメに聞いたところによれば、この国は随分と情勢が穏やからしいから、案外傷の一つも負ったことのないような男なのかもしれん。人間の身体になったところで筋力が落ちていないのは幸いだったが、どうにもバランスが取りにくい。一度グングニルを手にして突きの構えを取ってみるが、ここの立地が悪いにしても鋭さが格段に落ちている。
これではいざ王子の戴冠式に潜り込めたところで、人間の近衛兵に遅れを取ることだろう。試しに片足で立ってみたが、何とか出来ないことはなさそうだ。この感じだと数時間ほどでコツは掴める。
そして平地で歩くことに慣れれば、再びここに戻って鍛錬をしてみよう。海中では鍛錬の為に台風で大荒れだった中を泳ぎ回ったこの元・ヒレだ。多少無茶な鍛錬をしたところで大丈夫だろう。
取りあえず、ことが済めば妹を間接的に傷物にした魔女をどうにかしようと心に決める。
「ただ、まあ……ひとまず敵情視察と腹拵えが必要か。服は乾かすだけで良いにしても、流石に穂先を隠してあるとはいえ、街でグングニルを持ち歩くのは目立つだろうし……どこかに宿を取る必要もあるか」
海面に出るまでに無駄にもがいたせいか、早くも空腹を訴えている自分の胃袋をさすって人間の街がありそうな方角を向く。目指す方角には白亜の尖塔が建ち、あれが妹の憧れていた“王子様”の住処であることを確信する。
「待っていろよ腰抜け王子。このジェルミーナが、貴様をこの血に飢えた魔槍の錆に……じゃない、この妹が遺した短剣の錆にしてくれる」
――キュルルルル。
敵討ちの炎を胸に一人佇む砂浜で、腹の虫がか細く鳴いた。
***
さて、魔槍と短剣に血を吸わせる以前に自分の胃袋に食事を詰め込もうと、人間の街にヒレ……じゃない、足を踏み入れてみたところ、それなりに活気のある街だった。
時折海が荒れたときに沈んだ船が落とすような珍しい品物や、肌の色や言葉まで違う人間達に、水の中と違って直接感じる風と音が面白かったのもあるが、海沿いとあって見知った魚を取り扱う店も多く、弟妹のうちの何人かは目を回してひっくり返りそうだ。
しかし一概に人魚とは言っても食事は基本個人の好みなので、私のように魚を主食にしている者達も少なくない。
大勢いる人間達とぶつからないよう避けるうちに、体捌きもなかなか分かってきたのは嬉しい誤算だ。
そんな中で食事がとれそうな店を探して道を歩いていたら、不意に野太い男の怒声と、何かが割れる音、そしてひたすら謝罪を繰り返す若い娘の声がしてくる店があった。街に入ってまだ三十分くらいしか経っていないというのに、もう面倒ごとが起こるとは……あのカモメめ、どの辺が比較的情勢が穏やかなんだ?
とはいえ、妹の仇である人間を助けてやるような慈悲は持ち合わせていないので、そのまま素通りしようとしたのだが、どうにも同族である人間ですら怒声の聞こえてきた店から逃げ出していく。
――――気乗りがしない。
――――まったくもって、気乗りがしない。
だが、子供が泣きながら助けを乞う声を聞いて、私は助ける気もない見物人達を押し退けて店の中へと踏み込む。すると、入ってそうそうに若い娘に無体を働こうとする不届き者を発見し、一応「合意の上か?」と娘に訊ねた。
当然怯えながらも違うと叫ぶ娘に「だろうな」と気のない返事をしてから、視線を男に戻す。男の方は急な私の登場に一瞬怯んだものの、娘を捕らえた腕を離すつもりはないようだ。
よくよく見れば、昼間から酒に酔っているらしい太った男の衣服に、ソースのようなものがべっとりとくっついている。
そこで、納得した。この娘も全くの無罪ではないということに。しかし、一応は両者の言い分を聞かねば気が済まないのは、長女としての性分。弟妹間の諍いはどちらか一方にしか非がない場合を除き、常に両成敗が基本。
顔を真っ赤にして何か叫んでいる男を相手にしても無駄だとは思ったが、どうせ殴り倒すにしても形式的に行くことも大切だ。
「若い娘の失敗に目くじらを立てたふりをして無体を働こうなどと、貴様の行いは行き過ぎだと思うが、どうだ?」
店の戸口で好き勝手に騒いでいる見物人と、被害者であり、加害者でもある娘を前にして、一応私は話を聞いた。――で、あれば。
その後「ああん? 突然出しゃばって来やがったと思ったら、何言ってやがんだこの野郎!?」と怒鳴った男が、酒瓶を振りかぶって臨戦態勢に入ったのはもう仕方がない。
コイツは今、私を“野郎”と呼んだ。クソ親父と私を同じ性別扱いをしたことは、控えめに言っても万死に値する。
――命は取らないにしても、ナニを潰すくらいならしても良いだろう。
そう思った私はグングニルを店の壁に立てかけ、丸腰のまま人差し指で“かかってこい”と挑発してやる。この身体になってから初めての荒事だ。どれくらい使いこなせるか試してみるのもいい。案の定、安い挑発に乗った男は勢いをつけてこちらに向かって来た!
が、その時だ。
「全員その場を動くな!!」
海底で岩場を通り抜ける早潮の音のような低くて重みのある声が、今にも殴り合おうとする私と男の間に割って入ってきたのである。
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