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◆第一章◆
*2* いきなり大ピンチすぎる。
しおりを挟む広いとはいえない店の戸口から見物人を割って現れたのは、揃いの黒い制服に身を包んだ数名の男達だった。腰に目をやれば帯剣していることから、警備隊だろう。そしてその先頭に立っているのが今し方、私がこの姿になってから初めての試合を邪魔してくれた人物のようだ。
私よりも頭一つ分高い身長に、鋭い光を放つ嵐の晩の海に似た青みがかった灰色の瞳。短く刈った黒髪を後ろに撫でつけたガッシリとした体格の男は、何となく私の二番目の弟で、バラクーダーを祖にする人魚に似ていた。
歳の頃は私とあまり変わらない感じだが、下ということはないだろう。その鋭いというか油断ならない抜き身の剣のような気迫に、一瞬だけ息を飲む。海底でもあまり見なかったようなこの気迫……地上でこんな人間を見るとは思わなかったが……コイツはかなりの手練れだ。
だというのに弟を彷彿とさせるからか、妙な懐かしさまで感じてしまう自分が情けない。海から上がったばかりでホームシックとは先が思いやられる。
よく日に焼けた顔は厳ついというよりは精悍な部類だと思うが、弟と同様に女子供は怖がるかもしれない。だが安心しろ。うちの弟はそれはそれは美しい、東のリュウグウ……何とかを祖に持つ人魚を妻にもらった。お前もきっと大丈夫だと内心で激励してやる。
しかしこれでこの不届き者も捕縛されるだろうし、私も店と店員の娘を庇うという名目を失った以上、不完全燃焼ではあるが引き下がるしかなさそうだ。ならば何も食事が出来る店はここだけではないのだから、もういたところで悪目立ちしかしないこの店に用はない。そう思って壁に立てかけておいたグングニルを手に取って、店を出ようとしたのだが――、
「市民から酒に酔って飲食店で暴れている男と、生乾きの衣服を身につけておきながら、裸足で槍のようなものを持って歩いている不審者がいるとの通報を受けた。それはお前達で相違ないな?」
目の前に立ちはだかった男は槍を手にした私を見下ろして、その低い声で威圧的にそう訊ねてくる。その内容は不本意極まるものだ。だが……ここで再び魔女に対しての折檻項目が増えた。街に入ってきてからというもの人の視線が痛かったのは、魔槍が目立っているだけかと思ったが、どうやらそういうことだったのだろう。
服が生乾きなのは空腹から気が急いただけだが、確かに街中で見る人間達は、この足なるものに何やらカバーをつけていた。それこそ……年端もいかないような子供でさえも。とはいえ、何かおかしいとは感じつつも、まず腹拵えを優先しようとしてしまったことは私の落ち度だ。ここは魔女への折檻も鼻フックくらいで済ませてやるべきだろう。
――と、
「おい、どこへ行くつもりだ? 我々に届出もなくこんなものを堂々と持ったまま街中を歩くなど、正気の沙汰とは思えん。よって無論お前にも同行してもらうぞ」
弟に雰囲気“だけ”似た男は、私の手からグングニルを奪おうと手を伸ばしてきた。男のその言い分は治安を守るべき職務に忠実であり、おかしなところは一つもない。この場合むしろおかしいのは私の存在だ。
しかし――……しかしである。
「いくら不審者相手とはいえ、こちらがそこにいるクズの相手をしていなければ、今頃その娘は身体だけでなく、心にまで傷を負うところだったのだぞ? それを黙って見ているだけだった市民からの通報とやらで、こちらを捕らえようなどと……片腹痛い正義もあったものだな」
怒りのあまりグングニルを握る手に力が入るものの、何とか振り回すことを堪えてそう言ってやる。まったくもって無礼千万! 怒りで腸が煮えくり返りそうだ。やはり妹のことを抜きにしても人間は悪に違いない。
街の見回りをしている末端の兵士でこれなのだから、統治者の方も器がしれるというものだ。
すると後ろでクズ男に縄をかけて店の外に出ようとしていた男の部下達が「な、貴様! 副長を愚弄する気か!?」「今の発言だけで捕らえるに値するぞ!」などと騒ぎ出し、表の見物人共の人数がさらに増えた。
……コイツ等は騒ぎを収めるべき立場にありながら、これ以上現場での仕事を増やして何が楽しいのだ。部下の躾がなっておらん。うちの弟達であればこんな愚かなことで騒いだりせんぞ。
いや、だが、これはこれで部下からの信頼が厚いという点においては、この男も及第点というところか。私の弟に雰囲気が似ているだけあって。
そんなことを考えながら目の前の男をふと見れば、何やらこっちも考え込んでいる素振りが見られる。ふん――……どうやら話がまったく聞けない人種でもないらしいな。しかしいくら考え込む素振りがある相手だからといって、この隙を逃す手はない。ザッと見たところ、この男の部下達だけでは到底私を捕らえる技量も度量もないだろう。
……ここは一気に入口の見物人共を蹴散らして、一度街から離れて出直した方が得策か。となれば、方針は固まった。
二度手間になるが今日のところは出直そうと腹を括った次の瞬間、それまで黙って震えていた娘から「待って下さい!!」と声がかかり、店内にいた人間どころか、店を覗き込んでことの成り行きを面白がっていた見物人共の視線も一気に集中する。
「あ、あの、待って下さい、その方はわたしの恩人です! だから、捕まえたりしないで……」
娘はそこまで口にすると緊張の糸が切れたのか、ボロボロと涙を零しながらその場にへたり込んだことで、ようやくこの場はお開きとなったわけだが――初日から何とも雲行きの怪しい幕開けである。
***
外の青空と街並みの活気に加え人間の愚かさと横暴さを味わった私は、あの後泣き出した被害者であり、加害者でもある娘を宥めていたところ、急にそれまでの態度を改めて詫びを入れたいと申し出た男に連れられて、何やら兵舎のような場所まで連れてこられてしまった。
何もあっさりとついてきたのは「食事をしようとしていたのではないか」と男が訊ねてきたので頷いてしまっただけであって……別に「なら、詫びも込めてこちらで食事を用意させてくれ」という言葉に心惹かれたわけでは断じてない。
道中私から槍を取り上げる素振りを見せなかったから、ギリギリ信用してやったまでだ。本当に本当だぞ。
途中「一度着替えを済ませてくるから先に待っていてくれ」と言って、兵舎の入口で別れた後に私一人で通された部屋は、あの男の執務室なのか、装飾の一切が排された暗色の家具で固められた部屋だ。
素足のままだと外聞が悪いとのことで貸し出された足カバーは、ふかふかと心地良くて、これなら人間共も履きたくもなるわけだと感心した。
書棚に並んだ本の背表紙を見てみるも興味のあるようなものはなく、暇だったので、試しに手にしたグングニルを振るってみようかと思い始めたところで、ようやく料理と共に男が戻ってきた。
「先程は任務の為とはいえ、部下ともども失礼した。見たところ訳ありだというのに、そんな身でありながら人助けに入った正義感を持つ人間を疑うなど……あってはならないことだ」
テーブルに料理を並べてくれた中年の女性が退室し、ワインを注がれたゴブレットを渡して席を勧めてくれた男は、開口一番そう謝って深く頭を下げた。昔からクソ親父を見て育ってきた私にとって、男が簡単に非を認めて素直に頭を下げることは滅多にないことだと知っている。
だからという訳ではないが、ほんの少しだけこの男を見直した。まあ、最初のあの態度の悪さを許すことはないが。
「別にもう済んだことを謝ってもらう趣味はない。当初の目的通りこうして食事にもありつけたんだ。もうその話は止せ」
私が食事にありつけたことで若干寛大になった心でそう言えば、男は心持ち緊張を解いた様子で顔を上げて「感謝する」と答える。受け答えの堅苦しさが半端ではないなコイツ。
やや空気が和んだところで、自らも昼食がまだだという男と一緒に食事をとり始めて数十分後。男は私とグングニルを見比べながら、言いにくそうに口を開いた。
「そのまま……食事をしながらで構わない。俺から少し質問したいことがある。勿論これは尋問ではないから拒否してくれても構わん。どうだ?」
せっかくさっきの無礼を水に流して食事の席で和んでいるところに、またも空気の読めない発言をする男に内心呆れつつ、男の職業倫理と、むしろ当然だろうなという諦めの元「ああ」と短く答える。
またも「感謝する」と前置いた男は、私が差し出したゴブレットを職務中だと辞して、再び口を開いた。
「俺の名はオズヴァルド・クレメンティ。このザヴィニア国に仕える騎士団の副団長だ。今日は街の巡回の最中に市民を助けてくれたことを――」
――――、
――――――、
――――――――……拙いぞ。この展開は非常に拙い。
陸に上がって何とか戴冠式に潜り込んで馬鹿王子を殺せば、その場で近衛兵達と差し違えても構わないと思っていた手前、偽名だとか出身地の偽装だとかは全く考えていなかった。
いや待て、そもそも今更気付いたが……戴冠式の日取りを私はカモメに訊いた記憶が……ない、ぞ?
瞬間食事をする手を止め、ついでに呼吸も止めてみる。内心で頭を抱える私をよそに男はまだ何か喋っているが、それどころではないこちらとしては、まったく言葉として聞き取ることが出来ない。
かといって今ここでそんなことを口にしたが最後、双方無事ではいられまい。しかも私はまだこの足なるものの扱いに慣れていないから、目の前のオズヴァルドと名乗った男に遅れを取ることは必至。
この男が話し終えるまでに、何か気の利いた偽名や言い訳を考えるが――無理だ! 弟妹ならいざしらず、私の頭ではそんな短時間に器用な真似が出来るはずがない!!
かくなる上はこの魔槍で何とかするしか……と、危ない思想に走った私を前に、すっかり自己紹介を終えたらしいオズヴァルド・クレメンティが「それで貴殿はどのような理由で我が国に?」と、堅苦しく訊ねてきた。
しかし、やっぱり無理だ。どのようなも何も、私には答えられる内容が“お前のところの時期国主を殺害しに来た”以外にないのだから。
極度の緊張から喉の渇きを覚えてゴブレットに伸ばした手が震えるが、それを見た男は「どうした、震えているようだが。体調が良くないのか?」と、さっきまでの空気の読めなさをどこにやったのかというような目敏さを見せる。
そんな遅すぎる気遣いを見せた男に対して、咄嗟に私の口をついて出た言葉は「分からない」だった。しかし、意外にも何も考えていないからこそ出たその悲壮感漂う私の答えに、目の前に座っていた男の瞳に微かな同情の色が浮かんだ気がしたような――?
不思議な反応を見せた男はそのまま俯いたかと思うと、何かを悩むように眉間に皺を寄せる。私はといえば、他に何の答えも持ち合わせていないために馬鹿のように男の言葉を待つ。
そしてたっぷり二十分は待っただろうか? 再び顔を上げた男は「もしや貴殿は、ここに来るまでの記憶がないのか?」と、自分でも信じていないであろう優しい仮定を口にした。
その明後日な方角を向いた男の発言に、私は――、
「ああ、やはり隠していても、お前のように分かる人間には分かってしまうものなのか。恥ずかしながら……実は、そうなんだ」
――当然、全力で乗っかることにした。
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