仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん

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8 金曜の夜は

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 ――倫太郎と別れたのだから、もう神崎さんと会うことはないだろう。
 そう思っていたのに。


「今日はね、寿司に連れて行ってくれるみたい」


 朝から上機嫌な凛音と会社を出ると、見覚えのある高級車が停まっていた。
 体格の良い運転手さんが扉を開けてくれる。
 凛音が意気揚々と乗り込み、私も続くと、後部座席には、神崎さんが待っていた。


「ふたりとも、お疲れ様」


 落ち着いた声に、自然と肩の力が抜ける。
 穏やかな笑みを向けられただけで、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 初めて出会ってから、もうすぐ一か月。
 私たちは、金曜の夜に食事をする“友人”になっていた。

 凛音が嬉しそうに次の予定を立ててしまうから、私もつい便乗してしまって――これで、もう四回目の食事会である。

 実は、あの日に神崎さんから名刺をもらっていた凛音が、ちゃっかり連絡を取っていたらしい。
 その行動力には、いつもながら感心する。

 私はといえば、神崎さんとは住む世界が違うと思っていたから、お礼の連絡さえためらってしまっていた。
 だから、今日こうしてまた会えたのは――正直、凛音のおかげだった。

 それから案内されたのは、落ち着いた木目調の高級寿司店。
 檜のカウンターは美しく磨かれ、職人の手元がよく見える。
 少し背筋が伸びるような雰囲気に、私はそっと息を呑む。
 そんな私とは対照的に、凛音はカウンター席に腰を下ろすなり、目を輝かせて言った。


「私、中トロ、いくら、ウニ、えんがわ、鯛、はまち、鰻、ホタテ! あと巻物も!」


 立て続けに注文するその勢いに、大将がわずかに頬を緩め、手際よく包丁を取った。
 ほどなくして差し出された皿に、凛音は嬉しそうに手を合わせる。
 そして、ひと口。
 その瞬間、ぱっと表情が輝いた。


「んんっ、なにこれ……! 最高っ!」


 モデルのような体型なのに、見事な食べっぷりだ。


「ふふっ。本当に美味しそうに食べるね、凛音は」


 私の席はいつも、神崎さんと凛音のあいだ。
 ふたりの華やかな横顔を見ていると、自分はその輪の中に混ざり込んだ“おまけ”のように思えてしまう。
 けれど毎回、凛音が幸せそうに食べる姿を、神崎さんと私が見守る――そんなお決まりの構図になっているおかげで、不思議と居心地は悪くなかった。


「だってネタが新鮮で、シャリもふんわりしてて最高なの! ねぇ大将、この子にも同じものをお願い!」

「あいよ」


 遠慮していた私の代わりに、凛音がどんどん頼んでいく。
 目の前で大将が手際よく寿司を握る様子は、それだけで芸術みたいだった。
 そして、私も中トロを口にした瞬間――。


「……とけちゃった……」


 思わず小さく呟くと、凛音が満足げに頷く。

 確かに、別格だった。
 あまりの美味しさに、ゆっくりと噛みしめるたび、幸せが広がっていく。

(……こんな気持ち、ひさしぶり)

 神崎さんが紹介してくれる店は、どこも雰囲気が良くて、味も抜群だ。
 しかも、気づけばいつも神崎さんが支払いを済ませてくれている。
 “仕事関係の店だから”と笑っていたけれど、たぶんそれは口実だ。
 優しい人なんだと思う。
 そんなことを考えていたとき、ふと視線を感じて顔を上げる。
 目が合った神崎さんが、目尻をやわらかく下げて微笑んだ。


「ここは寿司だけじゃなくて、焼き魚や蒸し料理も美味しいですよ」

「そうなんですね!」


 神崎さんのおすすめをいただきながら、私は頬がゆるむ。
 以前は、倫太郎の分まで作り置きをしていたから、自分の食費はほとんど残らなかった。
 今はそのぶん、こうして少し贅沢ができる。
 小さな幸せを噛みしめながら、心に余裕が生まれた気がした。

 けれど支払いの段階になると、今回もまた、いつのまにか神崎さんが済ませてしまっていた。


「神崎さん、本当にありがとうございます。でも、次は私にご馳走させてください」

「その気持ちだけで嬉しいです」


 優しい声と笑みに、胸の鼓動が速くなる。
 すると、隣の凛音がぽんと手を打った。


「それなら、紬が神崎さんに手料理を作ったら? その方法なら、確実にお礼できるわよ」

「……えっ!?」


 思わぬ提案に、大きな声が出てしまった。
 確かに、それなら気持ちは伝わるかもしれない。
 けれど、美味しいお店をたくさん知っている神崎さんに、私の家庭料理なんて――。


「いいですね。次は僕の家に集まりますか? 広瀬さんさえ良ければ、ですけど」

「あ……」


 控えめに断ろうとしたのに、神崎さんのほうがずっと乗り気で。
 その穏やかな笑みを見ていると、どうしても“無理です”なんて言えなかった。















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