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11 今更届いた手紙
しおりを挟むふたりきりの食事会は和やかに終わり、当たり前のように家まで送ってもらった。
神崎さんにとっては日常の行動でも、私にとっては胸を打つ体験だった。
「今日はありがとうございました。次は、お返しさせてください」
「では僕も、来週までに新しいレシピを作れるようになっておきますね」
「はいっ! 楽しみにしてますね……って、それだとまた私がお礼できないじゃないですか!」
思わずノリツッコミのようになってしまい、神崎さんがくすくすと笑う。
ちょっぴり恥ずかしくて、ついムッとした顔をしてみたけれど――
内心では、次も神崎さんの心のこもった料理を食べられることが、どうしようもなく嬉しかった。
「実はやってみたいことがあって。次は、寿司を握ろうかなと」
「えっ!? お寿司を握るんですか!? 私でもやったことないですよ!」
「ははっ。俄然やる気が出てきました」
まだ話し足りなかったけど、気づけば夜がすっかり更けていた。
名残惜しさを胸の奥に押し込めながら、私はシートベルトを外す。
「今日は本当にありがとうございました。すごく楽しかったです。……それじゃあ、また」
車のドアを開けた瞬間、夜風が頬を撫でる。
静まり返った街の空気がひんやりと心地よくて、けれど少しだけ寂しい。
そんな思いのまま歩き出した背に、神崎さんの声がかかる。
「広瀬さん」
振り返ると、運転席の窓越しに、神崎さんが穏やかな笑みを浮かべていた。
「来週の金曜は出張があって、帰りが少し遅くなるかもしれません。もし広瀬さんさえよければ、土曜でもいいですか?」
「あ、はい。私は大丈夫ですけど……」
「よかった。では、土曜の昼頃にまたこちらまでお迎えに上がりますね。おやすみなさい」
低く、やわらかい声が、夜の静けさに溶けていく。
車を降りてから、マンションのエントランスに着くまでの短い距離。
振り返るたびに、まだ彼の車のライトがそこにあった。
まるで、ちゃんと家に着くまで見届けたいと言うように。
誰かに見送られながら帰るなんていつ以来だろう。
胸の奥に残るのは、不思議な安心と、少しの切なさだった。
(そういえば、次に会う約束をしたけれど……神崎さんの口から、凛音の名前は出なかったな)
彼にとって特別な人なら、自然と話題に上がるはず。
それなのに、一度も――。
しかも、土曜はわざわざ私の家まで迎えに来てくれると言っていた。
(……それってつまり、また私とふたりきりでいいってことなのかな?)
胸の奥に、じんわりと熱が広がる。
けれど、それを認めてしまえば何かが変わってしまいそうで。
「私たちは、食事をするだけの友人。変に意識しちゃダメよ」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
そうしていつものようにポストからチラシを取り出し、無意識に目をやった――そのとき。
そこに、一通の封筒があった。
真っ白な便箋に、見覚えのある筆跡。
差出人の名前を見た瞬間、心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「……なんで」
切手は貼られていない。
つまり、倫太郎が自らここに来たということだ。
本当は、読みたくなんてなかった。
でも――“今までごめん”と書かれているかもしれない。
そんな一縷の思いが、私の手を動かした。
恐る恐る、封を切る。
中にあったのは、たった一行の言葉だけだった。
『話がしたい。連絡してほしい』
それだけ。
あまりに短く、あまりに軽い。
ゆるゆると、肩の力が抜けた。
「……今さら、なんだっていうの? 私は話したいことなんてないけど」
倫太郎と最後に会ってから、もう一か月以上経っている。
あの夜を境に、私は泣きつくすほど泣いて、涙を枯らした。
彼のために流すものなんて、もう残っていない。
だから今さら、何を言われても揺れることはない――そう思っている。
「でも……もしかして、ふたりで貯めていた結婚資金のことかしら」
大学時代から月に一万円ずつ、ふたりでこつこつと貯めてきた結婚資金。
あの通帳には、ふたりの年月がそのまま詰まっていた。
もしかしたら、それを返したいという連絡なのかもしれない。
そう考えたら、少しだけ胸がざわついた。
けれど、今は――会う気分じゃない。
顔を見たら、きっとまた、いろんなものが崩れてしまう気がするから。
私は静かに便箋を裏返し、テーブルの上に置いた。
そこには何も書かれていない真っ白な紙面が、ただ静かに光を受けていた。
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