仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん

文字の大きさ
29 / 58

29 近づく距離

しおりを挟む



 展示室は、柔らかな光と静寂に包まれていた。
 ガラスケースの中で、宝石が輝いている。
 神崎さんは足を止め、そっとつぶやいた。


「広瀬さんは、光と影ならどちらが好きですか?」


 少し考えてから、私は口を開いた。


「……影の方かもしれません。光に憧れもありますけど、影があるからこそ、光を感じられる気がして」


 神崎さんは少し笑った。


「なるほど。僕は光かな。……僕の中で、広瀬さんは光ですから」

「……えっ? 私が、光?」

「色で言うなら、オレンジ。温かくて、柔らかい光です」


 その声の温度に、心臓が跳ねた。

 ――光。

 私の周りには、いつも眩しいほどの美人たちがいる。
 凛音も、職場の先輩たちも、みんな華やかで、人の視線を集める人たちばかりだった。
 だから私はずっと、自分は“影”で支える側の人間だと思っていた。
 誰かを照らすような存在ではない、と。

 それなのに。
 神崎さんには、私が“光”に見えていたなんて――。

 胸の奥に、ふわりと温かいものが灯る。

(神崎さんの隣にいると、私まで少しだけ輝ける気がする……)

 神崎さんの手がそっと伸びてきて、肩に触れる。
 その動きに合わせて、自然と身体が寄り添う。
 穏やかな距離――それなのに、耳の奥まで熱くなるほど心臓がうるさい。


「……紬さん、って呼んでもいいですか?」


 不意に、掠れたような声。
 思わず顔を上げると、神崎さんが少し照れたように笑っていた。


「あ……いや。ここで言うことじゃなかったかもしれませんけど……どうしても、そう呼びたくなって」


 その一言が、胸の奥をやわらかく打つ。
 名前を呼ばれただけで、空気の色が変わった気がした。


「……はい」


 かろうじてそれだけ返すと、彼は小さく息をつき、安堵したように目を細めた。
 その表情があまりにも優しくて、また胸が熱くなる。

 ――“紬さん”。
 その響きが、こんなにも嬉しいなんて。


「できれば、僕のことも名前で呼んでほしいです」


 耳元で落とされた声は、誰にも聞かせたくないほど静かだった。
 その不器用な言い方が、また胸をくすぐる。
 

「――……利仁、さん」


 恥ずかしくて、うつむいたまま呼ぶ。
 ぐっと肩を引き寄せられて、鼓動が跳ねた。


「……ん。いいな」


 頭上からこぼれた満足そうな声。
 せっかく招待していただいた展示会だったのに、私は作品よりも神崎さんの横顔ばかり目で追っていた気がした。


 
 それから、会場を出る前にどうしても一言お礼を伝えたくなって、私は受付の女性に声をかけた。


「本当に素敵な展示でした。ひとつひとつの空間に、作り手の想いが感じられて……。すごく印象に残りました」

「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。――またぜひ、おふたりでいらしてくださいね」


 その言葉に、神崎さんと目を合わせ、自然と笑みがこぼれた。

 そして出口で社員の方たちに見送られたとき、ふと気づく。
 彼らの目元に浮かぶ、あたたかな笑み。
 その優しい視線が、なんとなく“微笑ましいもの”に見えて、頬が一気に熱くなった。

(……やっぱり、初デートって隠しきれないのかも)

 思わず神崎さんを見上げると、彼は少し恥ずかしそうに視線を逸らす。
 その仕草がたまらなく愛おしくて、胸がまた高鳴った。



 ◇ ◇ ◇



 美術館をあとにして、次に訪れたのはジュエリーショップだった。
 先ほどの特別展に協賛していた、神崎さんの取引先のブランドだ。


「ここのデザイナーは、展示会のメインビジュアルのジュエリーを担当していたんです。素材選びから仕上げまで、すごく丁寧で――」


 神崎さんの説明に頷きながら、私はショーケースを覗き込む。
 並んでいるのは、光を受けてやわらかく輝くアクセサリーたち。
 ひとつひとつに作り手の温度が宿っていて、心を奪われた。


「紬さん、気に入ったものはありますか?」


 ふと声をかけられて顔を上げると、神崎さんが穏やかな笑みを浮かべていた。
 私が指を止めたピアスを手に取りながら、彼は店員さんに軽く声をかける。


「このあたりを、いくつか包んでもらえますか」

「えっ……そんなに!?」

「取引先の方の作品ですし、できるだけ購入したくて。それに――」


 神崎さんは少しだけ目を細め、柔らかな声で続けた。


「紬さんに似合いそうなものばかりなんです。プレゼントさせてください」


 お礼を言おうとしたけれど、言葉より先に胸の鼓動が高鳴って、うまく声が出ない。


「次のデートのとき、どれをつけてきてくれるのか……楽しみにしてますね」


 その一言に、心臓がまた跳ねる。
 次のデートが楽しみで仕方なかった。
 会計を終え、笑顔の店員さんたちに見送られて、店を出る。


「今日の夕飯は、このままどこかで食べましょうか」

「いいですね! 利仁さんは何が食べたいですか?」

「んー……イタリアンかな? 紬さんは?」


 外に出て並んで歩くと、気づけば彼との距離が、来たときよりも近くなっていた。
 肩が触れそうで意識してしまうのに、離れたくない――そう思っている自分に気づく。

 見上げると、神崎さんもこちらを見下ろしていて、視線が重なった。
 思わず、ふたりして笑ってしまう。


「私も、同じ気分ですっ!」


 そう言うと、神崎さんが優しく目を細める。
 帰り道は、自然と手を繋いでいた。














しおりを挟む
感想 82

あなたにおすすめの小説

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

いなくなれと言った本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?

睡蓮
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するカサルはその自信のままにセレスティンとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってカサルの存在価値を大きく落とし、セレスティンから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。

報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?

小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。 しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。 突然の失恋に、落ち込むペルラ。 そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。 「俺は、放っておけないから来たのです」 初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて―― ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。

悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。

ふまさ
恋愛
 ──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。  彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。  ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。  だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。 ※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

処理中です...