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34 家事にそんな大金、払えるか 《倫太郎side》
しおりを挟む紬と距離を置いて、二ヶ月。
俺の日常は、少しずつ乱れていった。
紬がいなくなってから、すべてが不便になった。
食事は外食、洗濯はクリーニングを利用し始め、出費はかさむ。
風呂掃除がだるくてシャワーで済ませるため、体の疲れも取れない。
いかに紬が、細やかな気配りができる女性だったか、今さら思い知らされる。
「今月、本気でヤバいな……」
ため息が漏れる。
給料日なのに、残った金はほとんどない。
遊びも、付き合いも、見栄も――全部、俺の“普通”の生活の一部だった。
それをやめるなんて、考えたこともなかった。
そんなとき、スマホが震えた。
画面には“姫奈”の名前。
『リンくん、今日は会えない? お店は来なくてもいいから、会いたいなぁ』
甘ったるいメッセージ。
いつもなら気軽に「いいよ」と返していたが、今はそんな気分じゃない。
『悪い。仕事で疲れて会えない』
紬に使っていたのと同じ言い訳。
“仕事”と言っておけば、女はたいてい引き下がる。
それを俺は、よく知っていた。
とはいえ、今は本当に余裕がなかった。
貯金は底を突き、遊ぶ金もない。
そのため、休日は汚い部屋で過ごすしかなくなり、家事代行を頼もうとしたが、サイトを見た瞬間、思わず舌打ちした。
「は? 四万……? 家事にそんな大金、払えるか。バカじゃねえの」
やっぱり、紬が必要だ。
「つむぎがいれば、こんな面倒なこと考えなくて済むのに……。どうにかして戻ってきてもらわないと」
そんなときに声をかけてきたのは、ランチによく誘ってきていた、総務の舞華だ。
俺に好意を持っているのはわかっていたが、社内の女に手を出すのは面倒で、ずっと避けていた。
「ずっと付き合ってる彼女がいるってわかってる。でも、西橋くんのことが好きなの……」
恥ずかしそうに目を伏せながら、彼女は言った。
「二番目でもいい。そばにいさせてほしい」
――その瞬間、ふとひらめいた。
そうだ。
紬とよりを戻すまでの間、こいつに家のことをしてもらえばいい。
金もかからないし、こっちが優位に立てる。
『家に誘いたいけど、部屋が汚いんだよな……』
『ア、アタシが片付けるよ! 任せてっ』
『まじか。夕飯も作ってくれたら助かる』
軽く言えば、舞華はすぐ頷いた。
頬を赤らめ、嬉しそうに笑う。
その顔を見て、胸の中のもやが少し晴れた。
ようやく、面倒なことが一つ片付いた気がした。
(舞華は俺のことが好きなんだし、少しくらいワガママを言っても、どうせ許してくれる――紬がそうだったように……)
紬は、俺のどんな言葉にも笑って頷いてくれた。
疲れたと言えば、家事などの面倒なことはすべて片付けてくれ、静かに寄り添ってくれる。
あの優しさを、俺は“彼女なら誰でもできること”だと思っていた。
――女を怒らせたら、どうなるかなんて。
俺はまだ、何も知らなかった。
◇ ◇ ◇
家事問題は解決し、次は金だ。
俺はまず、同僚の柿谷に声をかけた。
「今、母親が入院しててさ。働けなくなって、生活費がかかるらしくて……。俺も休日は地元に帰ってるから、交通費が馬鹿にならなくて」
「まじか。お母さん、大丈夫なのか?」
「ああ、重い病気じゃない。ちょっと休んでるだけで」
「そうか……まあ、金はいつか返してくれればいいよ。お母さん、早く良くなるといいな」
申し訳ないけど、簡単だった。
口先だけで、あっという間に金が手に入る。
その金は、姫奈の店への未払い分に回した。
そして夜、今度は母親に電話をかけた。
「ああ、母さん。今月、金が足りなくてさ。少しでいいから、貸してくれない?」
「……あんた、また? 何に使うの?」
「別に、ちょっとした出費だよ。すぐ返すって」
母さんは小言を言いながらも、結局は振り込んでくれる。
「少しでいいんだ。来月には返すから」
「別にいいけど……。あんた、大丈夫なの? 紬ちゃんは元気?」
「あー、元気元気。この前、十年目の記念日でさ。ディナーとか旅行とか、今年は色々と金がかかったんだよ」
口が勝手に嘘を紡ぐ。
母さんは電話の向こうで笑っていた。
「紬ちゃんのこと、大切にしてるのね。よかったわ」
その声を聞いて、胸が少しだけ痛んだ。
でも、紬が戻ってきさえすれば、全部うまくいく。
そう信じて、俺は翌月も金を借りた。
「紬が結婚式で、ちょっと高額なウェディングドレスを見ててさ。いいなって話してたんだ。だから、それをレンタルしてやりたくて。内緒で金を貸してくれよ」
紬の名前を出せば、母さんは迷わず振り込んでくれる。
何度も、何度も。
そのたびに「無理しないでね」と言いながら。
――その“無理”の意味を、俺は考えもしなかった。
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