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48 家族揃って笑い合える日
しおりを挟む家を出たとき、私はずっと強張っていた肩の力が、ようやく抜けはじめていることに気づいた。
玄関を閉める音が、遠くで鈍く響く。
「紬、大丈夫か」
すぐ隣で、父の低い声がした。
父は私の肩をそっと押さえ、気遣うように覗き込む。
「……うん。大丈夫」
「車に戻ろう。風が冷たい」
父に促され、駐車場までの道を歩いていると、利仁さんが静かに口をひらいた。
「今日は同行していただき、ありがとうございました。お義父さんがいてくださって、紬さんも心強かったはずです」
礼儀正しいその物腰に、父の肩の力がわずかに抜ける。
「……いや。利仁くんがいてくれたからこそだよ」
父はふっと息を吐き、拳を握りしめた。
「俺は何一つ証拠も用意できなかったし、紬を守れる状況でもなかった。ただ、『俺の娘を傷つけやがって! 娘の大切な十年を台無しにして、どう責任取るつもりだ!』って怒鳴ることしかできなかったと思う。実際、利仁くんがいなかったら、俺はアイツを殴っていたかもしれない」
「……父さん……」
父の拳はわずかに震えていた。
私以上に悔しさを噛みしめていたのは、父だったのかもしれない。
「紬。辛かっただろう。怒りや悔しさも、ずっと一人で抱えて……」
父がそっと手を重ねてくれた。
その大きな手が温かくて、涙が込み上げてくる。
当時の私は、倫太郎のことしか考えていなくて。
ただ、助けに行かなければと必死で、せっかく掴んだ仕事も辞めてしまった。
両親から見れば、無鉄砲な娘に映って当然だったと思う。
それでも――離れていても、ずっと心配してくれていたのだ。
その深い愛情を感じて、そっと胸を押さえた。
「……うん……でも、大丈夫。利仁さんがいてくれたから――」
利仁さんを見上げれば、優しく微笑んでくれる。
「そうだな。今日の利仁くんの働きには、頭が上がらないよ」
父がそう言うと、利仁さんは小さく首を振った。
「そんな、恐れ多いです。ただ……もう紬さんが傷つく姿を見たくなかっただけです」
利仁さんが穏やかに言い切る。
父はわずかに目を見開き、そのあと優しく目元を緩めた。
「……そうか」
父が私を見つめる。
声にはしなかったけれど――その目は「いい人を見つけたな」と語っているようだった。
◇ ◇ ◇
家に着くと、玄関の灯りが温かく迎えてくれた。
扉を開けた途端、甘い香りがふわっと漂う。
「おかえり、紬!」
明るい声とともに、母がエプロン姿のまま飛び出してきた。
心配していたのだろう。
目元が少し赤く見える。
「……ただいま」
言い終えるより早く、母はぎゅっと私を抱きしめた。
その腕に包まれた途端、胸の奥に残っていた緊張がすうっと溶けていく。
「紬の好きなもの、いろいろ用意しておいたの。夜も遅いけれど……今日は特別。一緒に食べましょう?」
母の声は弾んでいて、ダイニングへと手を引かれる。
テーブルの上には、宝石のようなケーキがいくつも並んでいた。
「うわぁ、綺麗! 美味しそうっ」
「でしょう? 利仁さんと父さんが買ってきてくれたのよ。まずは紬から選んで」
母はきらきらした目で私を促す。
視線を感じて振り返ると、父もなぜか期待に満ちた表情でこちらを見ていた。
「フルーツタルトに、苺のショートケーキ……チョコケーキもいいなぁ」
迷いながら並んだケーキを眺め、私はひとつ指を伸ばした。
「それじゃあ、私はこれ――」
「「っ……!」」
私が指差した「モンブラン」を見て、両親が同時に驚きの声を漏らす。
横では、利仁さんがこっそり満足げに口元を緩めていた。
「紬、モンブラン……食べられたんだな?」
「うん。実は、大好き」
「あらまあ。知らなかったわ……。それ、利仁さんが選んだのよ。『紬さんはきっとこれだ』って自信満々でね」
母が嬉しそうに笑う。
だから利仁さんはあんな誇らしげな表情をしていたのかと、納得する。
(……大人の素敵な男性なのに、そんな可愛い反応するのは、反則っ)
ふと、見えないはずの尻尾が、彼の背後でぶんぶんと揺れている気さえした。
そして――父の手元に視線を移すと、苺のショートケーキを持っていた。
「父さん、それで大丈夫?」
「ああ……。俺はこれでいい」
言いながらも、どこかしょんぼりしている。
その様子が可愛らしくて、私はそっと微笑んだ。
「モンブランはね、父さんが好きだから、いつも譲ってただけで……ほんとは、私も好きだったんだよ」
「……そう、だったのか……」
父は驚いたように瞬きをし、それからふっと目尻を緩めた。
好物を逃したはずなのに、まるで自分の分まで甘いものを味わったかのように、どこか嬉しそうだった。
「それじゃあ、食べましょう! ん~、最高っ!」
真っ先にフルーツタルトへとフォークを伸ばした母が、幸せそうに頬をゆるめる。
その仕草に、自然と笑い声がこぼれた。
数年前までは、こんなふうに家族揃って笑い合える日が来るなんて、想像もしていなかった。
――それも、利仁さんがいてくれたから。
彼が支えてくれたおかげで、私の世界はようやく元の色を取り戻せた気がした。
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