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57 どうしようもない後悔だけ 《倫太郎side》
しおりを挟む――借金の返済が始まって三ヶ月。
何より先に痛感したのは、俺のせいで家族の人生まで狂わせてしまったという事実だった。
父さんは、定年後は趣味でも楽しんで、のんびり過ごすつもりだった。
それなのに、元いた会社の紹介でまた働き始めた。
母さんは、俺に金を貸した負い目を感じてか、「私への返済は最後でいいから、他の借金を先に返しなさい」と言ってくれた。
『私は家でゆっくりさせてもらうから』と笑っていたが――あれは嘘だ。
本当は、また職場に戻るつもりだった。
だが、俺の噂が広まっていたらしく、母さんの居場所はもうなくなっていた。
好きで続けていた仕事を、俺のせいで奪ってしまったのだ。
姉さんは強い女で、悪意のある噂話なんて気にしないタイプだった。
けれど、子どもたちのためにと県外へ引っ越すことを余儀なくされた。
家族全員が、俺の尻拭いをしていた。
俺のせいで、人生の歯車を狂わせられていた。
(なのに俺は……何も変えられなかった)
ここまで迷惑をかけておきながら、生活レベルを下げることすらできなかった。
節約しなきゃいけないのはわかっていた。
だが、飲みに出歩く回数は減らしたつもりだったのに、仕事帰りについコンビニで酒を買ってしまう。
「今日は一本だけ」と決めても、気づけば二本、三本。
ギャンブルも、「今日こそ勝てる気がする」と自分に都合のいい理由をつけて足が向く。
煙草もストレスを言い訳にして本数が減らせない。
本気で節約するなら、やめないといけないものばかりだ。
わかっている。
わかっているのに、全部やめられなかった。
そんな甘ったれた生活を続ける俺に、神崎さんから最終通告が来た。
『マグロ漁船の体験に行きますか?』
(いくら給料が良くても、船酔いするから無理だっ)
船上生活を想像しただけで、さっと血の気が引く。
「毎日揺れる船の上で生活とか……絶対に死ぬっ!」
俺は全力で首を横に振った。
すると、給料はほとんど天引きされ、借金返済に回されることになった。
俺の手元に残るのは、二万円にも満たない金だ。
しかも、俺が持っていた高価なものは、すべて売り払われた。
靴も時計も、ブランド物の財布も。
残ったのは、安い布みたいな財布と、くたびれたスマホだけだ。
それでも借金はまだ残っている。
ため息が出る。
いや、もうため息すら贅沢に思えるくらい、心がすり減っていた。
「はぁ……たまに食べるから美味しいのに。毎日だと飽きるわ」
深夜の交通警備のアルバイト中。
休憩時間に食べる百五十円のカップラーメン。
味は濃くて、どこか安っぽくて、身体が重くなる味だ。
でも、腹を満たすためだけに食うこれが、今の俺の夕飯だった。
湯気を見つめていると――どうしても紬が作ってくれた飯を思い出す。
俺の健康のために、栄養バランスを考えた弁当を毎日持たせてくれていた。
胸がぎゅっと痛む。
「……思い出すなってのに」
それでも、思い出は勝手に浮かんでくる。
自分も仕事で疲れているはずなのに、毎日一生懸命作ってくれていた、素朴で温かい飯。
それを、なんで俺は――
……なんで、神崎さんなんかに譲ったんだろう。
俺の胸に残るのは、どうしようもない後悔だけだった。
「はあ……行くか」
休憩が終わり、現場に戻る。
深夜の道路は静かで、車が通るのもまばらだ。
赤い誘導棒を振りながら、ぼんやりと考える時間が続く。
考えなくていいのに、手持ち無沙汰な分、余計に考えてしまう。
忘れようと努力しても、俺の頭の中は、紬のことでいっぱいだった。
どれだけ貧乏になっても。
どれだけ追い詰められても……。
仕事中でも、人混みの中でも、俺は気づけば紬を探している。
いるはずがない場所に――
いるはずのない人を……。
「なにやってんだろ、俺……。自分から距離を置いたくせに……バカみてぇだな」
冷たい夜風に、体も心も冷えていく。
立ちっぱなしの足は棒みたいだ。
こんな生活、いつまで続くんだろう。
でもこれは、俺が自分で選んだ道の、当然の結果だった。
……なんで俺は、あいつの大切さに気づかなかったんだろう。
金も、地位も、今の俺には何ひとつ残っていない。
だけど、ないからこそわかる。
あの時、俺が手放したのは、金よりも何よりも価値あるものだったんだ。
「……紬」
呟いた名は夜風にさらわれ、虚空へ消えていく。
どれだけ探しても、もう二度と会えない。
紬は二度と、俺の前に現れない。
わかってる。
そんなこと、わかりきってるのに。
それでも、どこかで探してしまう。
忘れられない。
忘れられるわけがなかった。
借金はまだ山ほど残ってる。
毎日が底辺で、苦しくて、惨めだ。
だけど俺は、この痛みを背負って生きていくしかない。
地獄のような世界で、紬を裏切った代償を、生涯をかけて払い続ける。
逃げる資格なんて、俺にはない。
これは罰だ。
そして、生きている限り続く罰だ――。
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