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58 疲れているからこそ、声を聞きたい
しおりを挟む恋も仕事も順調で、「綺麗になったね」と言われることが増えた。
その言葉はもちろん嬉しい。
けれど、一番嬉しかったのは、自分自身にようやく自信が持てるようになったことだった。
資格を取り、チームリーダーになり、後輩を育てる立場にもなった。
以前の私は、仕事は頼りになる人たちに任せて、自分の意見を言うことができなかったけど、今では自然と胸を張って歩いている。
利仁さんの隣を歩くときも、もう「不釣り合いかもしれない」なんて考えることはなくなっていた。
そんなある日。
利仁さんに届け物を頼まれ、私は彼のいる会社へ向かった。
ビルのエレベーターに乗り込むと、数人の男性社員が軽く会釈してくれる。
(きっと、私が利仁さんの婚約者だと気づいたのね)
私も微笑んで会釈を返したところで、途中の階から女性社員たちが数人、にぎやかに乗り込んできた。
「ねぇ聞いた? 舞華さ、今度は営業の佐伯くん狙ってるらしいよ」
舞華さん――その名を聞き、胸の奥がひやりとした。
脳裏に浮かぶのは、派手な化粧で私を睨みつけてきた女性。
倫太郎の“彼女だった人”だ。
「また? あの子ほんと懲りないよね~」
「彼女いるって知らないのかな」
「どうせ“二番目でもいいから”って言うんじゃない?」
「いるよね、人のものばっか欲しがる子。友達やめて正解だったわ」
どうやら、彼女は倫太郎との関わりで総務部からの信頼を失い、今はひとりでいるらしい。
「舞華といえば……あの子の元カレさ、今、副業で交通整備のバイトしてるんだって」
「えっ!? あの西橋くんが?」
「そうそう。借金返済で首が回らないらしいよ。自慢のロレックスも売ったって」
「えぇ……。うちらに奢ってくれてたのも、もしかして全部借金してたってこと?」
「どうだろ。見栄っ張りだったんじゃない?」
彼女たちは軽い調子で話しながら、倫太郎の話を“残念イケメン”というひと言で片づけて降りていった。
エレベーターが閉まり、静寂が戻る。
私はそっと息を吐いた。
倫太郎と付き合っていた頃――私はいつも苦しかった。
『仕事で疲れてる。会う余裕ない』
そう言われる日が増えて、不安な毎日を過ごしていた。
別れてしばらくは、本当に世界の色が褪せて見えた。
けれど、今の私は、もうあの頃の私じゃない。
息苦しい恋じゃなく、肩の力を抜いて笑える関係があった。
「紬」
名前を呼ぶ低い声に、顔を上げる。
届け物を受け取るために待っていた利仁さんが、こちらへ歩いてきた。
「わざわざごめんね。持ってきてくれてありがとう」
彼の笑顔を見るだけで、胸がすっと軽くなる。
さっきまでのざわついた感情が、一瞬で静まった。
「どうかした?」
「ううん。……ただ、利仁さんの顔を見たら安心しただけ」
自然と口をついて出た本音。
利仁さんは少し驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくり微笑んだ。
「実はさ……今、大きい案件抱えてて。けっこう疲れてたんだ」
そんな弱音を聞くのは珍しかった。
胸がきゅっと痛む。
私は迷わず、利仁さんを抱きしめた。
利仁さんは一度驚いた後、ふっと力を抜いて笑った。
「紬に会えたら元気出た。……本当に救われてる」
その言葉を聞いた瞬間、視界がじんわり滲む。
――“疲れてるから会えない”と言われた私が、
今は“疲れてるからこそ会いたい”と言ってもらえている。
こんな幸せが、かつての私に想像できただろうか。
「……私も、利仁さんがいてくれると頑張れるよ」
気づかれないようにそっと涙を拭うと、利仁さんは私の手をとり、軽く握ってくれた。
その温かさが、傷付いた過去を、少しずつ消してくれる。
ただ、あの頃の痛みがあるからこそ、今の幸せがあると感じられた。
「午後も頑張ってくる。……でも、あとで少しだけ電話してもいい?」
「ふふっ。うん、待ってるね」
利仁さんが微笑む。
“疲れてるからこそ、紬の声を聞きたい”
――その気持ちが表情に滲んでいる。
胸があたたかくなり、私は小さく頷いた。
(……幸せだなぁ)
過去に囚われたままじゃ見られなかった景色を、今はちゃんと見ている。
――きっと明日も、私は彼と笑っている。
(完)
――――――――――――――――――――――――
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!
楽しんでいただけましたでしょうか?( ˆoˆ )/
本作では、このあと紬のお仕事のことや、利仁さんのファンとの衝突など、描きたいエピソードがまだまだあったのですが、すでに十万字を超える長編となりましたので、今回はここでいったん完結とさせていただくことにしました。
その後のふたりのお話は、またいつか、おまけとして投稿できればと思っております。
そして、これまで寄せてくださった感想にも、心より感謝いたします。
どれもとても励みになりました!
途中からは執筆を優先してしまい、お返事ができず申し訳ありませんでした……。
少しずつにはなりますが、またお返事を書かせていただきますね!
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
ぽんちゃん
1,792
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