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第一章
8 泣きたいのは僕の方
しおりを挟む「なにを言っておるのだ! フロレンティーナは、まだ歩くこともできない赤子だぞ!? 正気か、お前たちは……」
国王陛下が我が子を見る目は、汚らわしいものを見るような目だった。
(いくら母様のことが気に食わないからって、まだ赤子のフロレンティーナを差し出そうとするだなんて……)
王妃様もサブリナも、本当に血の通った人間なのかと疑いたくなる。
怒りに震えていると、「俺も賛成」とグウェインが片手を上げた。
「だって父上、サブリナですよ? 美しい王女を娶るはずが、こんなじゃじゃ馬が嫁いできたとなったら、大公は『侮辱された!』とまたキレ出すのでは? 俺だったら、即刻、斬り殺すかも」
「~~っ、グウェイン!! あんたは黙ってなさい!!」
遠回しにブサイクだと言われたサブリナは、顔を真っ赤にして怒っている。
でも僕は、初めてグウェインを見直した。
グウェインは、妹を貶しながらも救おうとしていることがわかったからだ。
(ああ、情けない。僕も、フロレンティーナのお兄ちゃんなのに……)
勇気を振り絞り、手を上げようと試みる。
けれど、王妃様とのお茶会で意見を言って、彼女たちに百倍返しされた記憶が蘇った。
フロレンティーナを守りたいのに、なかなか言葉が出てこない。
中途半端に上がった手を見つめ、自分の不甲斐なさに泣きたくなった。
「では、どうしたら……」
「今から養子をとるか?」
「だが、王族以外に赤い髪の女などいないし、染めたとしてもすぐにバレるだろう」
大臣らが頭を悩ませる。
けれど、身代わりを送ったことがバレたら、今度こそ本格的に戦争が起こるのではないだろうか。
今回、国内最強のシトロエン辺境伯が、あっさりと敗れたのだ。
もし、次に攻め込まれたら、ゾネ王国は今度こそおしまいだ。
そのことは、ここにいる全員がわかっているだろう。
それでもなかなか話がまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。
そして宰相が、皆の代表として国王陛下に首を垂れる。
「代役を用意したとして、髪を赤に染めても、赤い瞳は誤魔化せません。……ゾネ王国の民のために、どうか賢明なご判断を」
大臣らも揃って頭を下げ、僕は息を呑んだ。
つまり、サブリナかフロレンティーナのどちらかが、国のために犠牲になれ、ということだ。
決断を迫られる国王陛下が、渋い顔をする。
けれど、彼がフロレンティーナを選ぶことはないだろう。
僕の予想通り、国王陛下はさほど時間をかけずに口を開いた。
「インネサイト国に嫁ぐ名誉ある役には、サ――」
「それなら、彼はどうです?」
皆が固唾を飲んで見守っていると、王妃様が国王陛下の言葉を遮る。
豪華な扇子で指され、僕はあまりの衝撃に思考が止まった。
(………………えっ? 僕?)
壁と一体化していた僕に、皆の視線が集まる。
背にブワッと嫌な汗が流れる。
僕が選ばれるはずがないと思うのに、僕は立っているのがやっとだった。
バクバクと、心臓の激しく音が鳴り始めた時、母様が立ち上がる。
「なにを言い出すのかと思えば……。セティは王族ではございません」
「ええ、そうですね? でも、わたくしはあの子を、家族のように思っていますわ?」
「なっ! 母上!? 正気ですか!?」
グウェインが驚愕した面持ちで立ち上がり、ガタンッ! と音を立てて椅子が吹っ飛ぶ。
イメルダ王妃様が笑顔で嘘を吐き、この場にいる誰もが絶句した。
王妃様の思惑を察し、僕は目の前が真っ暗になる。
ここで僕を王族に迎え、インネサイト国に捧げる生贄にしようとしているのだ。
(母様がどれだけお願いしても、僕だけ王族だと認められなかったのに、こんな形で戸籍が変わってしまうの……?)
この持って行き場のない気持ちは、どうしたらいいのだろう。
呆然とする僕の代わりに、母様が声を上げた。
「イメルダ様がセティを気にかけてくださっていることは、私も嬉しく思います。ですが、セティは女性ではないのです。セティを選べば、インネサイト国の怒りを買うことになるでしょう」
「うふふっ。そんなカリカリしないで? ほんの冗談じゃないの」
困った人ね、と言わんばかりにイメルダ王妃が肩を竦め、グウェインは力が抜けた様子でドサッと椅子に腰掛けた。
「イメルダ様っ! 今は冗談を言っている場合では――」
「で。フロレンティーナ王女を選ぶのね?」
「そっ、それは……」
フロレンティーナの名を出されてしまい、母様が言葉に詰まる。
いくら王妃様が苦手な相手でも、優しい母様は、同じ娘を持つ母親として、サブリナに人質になれとは言えないのだろう。
だからといって、フロレンティーナを差し出すこともできない。
(どうしてこんなことに……一体、どうしたらいいんだろう……)
僕を見つめる母様は、今にも泣き出しそうな悲痛な表情だ。
そして、震える唇がゆっくりと動く。
『ごめんなさい、セティ……』
音にならなかった言葉が、僕にはどうしてか耳元で聞こえた気がした――。
「それは、できません」
フロレンティーナを守る道を選んだのだろう。
凛と背筋を伸ばした母様が言い切る。
すると、その言葉を待ってましたとばかりに王妃様が声を荒げた。
「では、どうするの? っ……まさか! エルシー様は、自分の娘が可愛いからと、わたくしに娘を差し出せと仰るの!? 水の女神様が、そんな非情なことをされる方だとは思いもしなかったわ!?」
大切なサブリナを守りつつ、母様を悪に仕立て上げようとしているのだろう。
王妃様の怒涛の口撃を聞いているだけで、僕は嫌な気持ちにさせられる。
けれど、母様は毅然とした態度で言い放った。
「いえ。フロレンティーナが成長するまで、猶予をいただきたいのです」
「「「っ……」」」
固唾を呑んで見守っていた大臣たちから、どよめきが起こる。
直後、人々の視線が僕に突き刺さった。
肌が粟立つ。
(……なんで僕を見ているの? 僕は王族でも、王女でもない。関係ないはずだ)
それなのに、冷や汗が止まらない。
「……ああ、なるほど。あの子を差し出すのか」
「気の毒にな。すぐに殺されるだろう」
今まで僕の存在を無視したり、王子から理不尽な暴力を受けていても気にも留めていなかった人々に、憐れみの目を向けられる。
そこでようやく理解した。
――僕は、母様に捨てられたのだと……。
「では、決まりだな。王女が美しく成長するまでの期間。――セティ。お前が名誉ある役をつとめよ」
「っ…………そ、そんなっ、」
理不尽な王命が下る。
静まり返った場で、僕は絶望した。
平凡な容姿で、王族でも王女でもない。
そんな僕がインネサイト国に行けば、即刻、処刑されてしまうだろう。
まだ繋がっている首に触れる手は、無様なまでに震えていた。
(はっきり言われたことはないけど、誰よりも僕のことを邪魔者だと思っていたのは、母様だったのかもしれない……)
辛い現実に打ちのめされる。
見開いたままの瞳から、堪え切れずに涙があふれ出た。
その瞬間、暗い空にピカッと稲妻が走った。
「きゃあッ!!!!」
サブリナが耳をつんざくような叫び声を上げる。
大臣らは窓の外に視線を向けた後、一斉に母様を見つめた。
どこかに雷でも落ちたのか、ドゴォーンと大きな音も鳴り、雷が苦手なサブリナは、とうとう会議室から逃げ出した。
だが、走り去るサブリナを気にかける者は誰もいなかった。
なぜなら、すぐさま席を立った大臣らは、母様に駆け寄っていたからだ。
「エ、エルシー様、大丈夫ですか……?」
「これをお使いください。エルシー様のご英断に敬意を表します」
「…………ええ。ありがとう、ござい、ますっ」
俯き、静かに肩を振るわせる母様が、なんと儚げで美しいことだろう。
皆が母様に寄り添い、優しく声をかけている。
その光景に、僕は言葉を失った。
――泣きたいのは、僕の方なのに……。
なんで母様が悲しそうにしているのだろう。
母様自身が、僕を人質に選んだのに――。
僕の心の奥底にあった黒く醜い感情を刺激する。
ぽつぽつと降っていた雨が、窓ガラスを激しく叩きつけ始めた。
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