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第二章
16 推しに気持ちを伝えるつもりはありません
ジノさんの普段とは違う様子に気づいた仲間たちが、ちらりと視線を寄越す。
その気配を感じた僕は、ゆっくりとまばたきを送った。
『シャノンくんの病は、治りつつあります』
短い合図が伝わったのだろう。
ジノさんは、あんぐりと口を開けて凍りついたように固まる。
彼が慌てて高速でまばたきを返してくるが、残念ながら僕にはそこまでの読解力はない。
「わからないよ」と首を横に振って、改めてゆっくりと一度、まぶたを閉じる。
『今はまだ、そのときじゃない』
――焦らないで。
大切なことだけを告げた僕は、彼らがロキ様にこのことを伝えてくれることを願い、シャノンくんのもとへ戻った。
◇ ◇ ◇
別荘に戻ると、僕のアトリエでシャノンくんが絵を描いていた。
迫力のある竜の姿、緑豊かな大地、どこまでも広がる青空。
それらはすべて、彼の故郷であるクロムの景色だとすぐにわかった。
「すごいな、シャノンくん。僕なんかより、ずっと上手だよ」
「へへっ……。そんな、ベルナ様の絵にはとても敵いません!」
シャノンくんの視線の先には、ロキ様のタトゥーから着想を得て描いた僕の一枚があった。
鮮やかな模様をなぞるように描いたその絵を、彼は目を輝かせて見つめている。
「ベルナ様。僕の絵も描いてくれませんか?」
「実は僕、人物画はあまり得意じゃないんだけど……それでもいい?」
過去に、ロキ様の絵を描こうとしたことは、何度もある。
けれど、実物よりも美しく描けた試しがなくて、完成まで至った作品は一枚もなかった。
それでも、ねだられてしまえば断ることなどできなくて、僕は素直に筆を取った。
椅子にちょこんと座るシャノンくんは、僕が描きやすいように動かずにいてくれる。
少し肩に力が入っていたので、リラックスさせるため話しかけた。
「実は今日、ジノさんにシャノンくんの無事を知らせておいたんだ」
「えっ!? そんなことして……ベルナ様は、大丈夫なんですか?」
喜ぶと思ったのに、返ってきたのは僕を心配する言葉だった。
やっぱり優しい子だ。
ロキ様の弟だなぁ、としみじみ思ったその時――
「あっ、そうか! ベルナ様は、兄様の恋人だったんですね!」
ぱぁっと満開の笑顔を見せるシャノンくん。
灰緑の瞳がきらきらと輝いて、そこに疑いの色は一片もなかった。
僕はその一言を受け、固まった。
……は? ……はい??
いやいやいや、ちょっと待て。
「――――な、な、なんでそうなるの!? えっ!? 誰!? 誰がそんなこと言ってた!? まさかロキ様!? いやそんなわけないかっ! え、え!? えぇ~っ!?」
動揺のあまり、語尾が完全に迷子になった。
思わず目を泳がせていたら、シャノンくんはにこりと笑ってぺこりと頭を下げる。
「兄様から話は聞いてます! いつも兄様がお世話になっています!」
(……せ、世話って何の……!? いやそれ以前に、何の“話”を!?)
脳内でベルナ・セザンヌ情報整理会議が開かれたが、役に立つメモはひとつもなかった。
「ち、違うよ!? 僕は、ロキ様の恋人なんかじゃ――」
慌てて否定しかけた瞬間、シャノンくんの笑顔がふっと翳る。
「……そう、ですよね。ごめんなさい。ベルナ様みたいな立派な人が、奴隷に身を落とした人に恋をするなんて、あるわけないですよね……」
胸の奥が、ぎゅうっと痛くなった。
これは、シャノンくんが誰よりもロキ様を大切に思っているからこそ出た言葉だ。
僕はシャノンくんの肩に手を置き、目線を合わせた。
「それは違う。全然違うよ、シャノンくん」
「……え?」
「身分なんて関係ない。ただ……僕の、片想いってだけだから」
それは、誰にも言ったことのない本音だった。
「信じてもらえないかもしれないけど……。僕が、趣味だった絵を本格的に始めたのは、ロキ様を奴隷の身分から解放するためなんだ」
シャノンくんは息を呑み、目を見開いた。
「三年前から計画してた。ロキ様を自由にするには、グロンダン侯爵家と正面から戦わなきゃならなかった。でも僕の力じゃ敵わない。だから――芸術を愛するマリシャス・グロンダンに近づこうと決めた。絵の才能を磨いて、彼に気に入られるために」
その結果、僕はグロリアーナの婚約者に選ばれた。
そしてようやく、ロキ様のそばに居られるようになったんだ。
「でもね、人前で優しくなんてできなかった。だからわざと命令口調で話して、ご飯を食べさせたり、服を用意したり、剣を贈ったりして――」
「ベルナ様……」
シャノンくんが苦しそうに、僕を見つめてくる。
「…………本当は、そんなことしたくなかったんだ。『みんなで一緒にご飯を食べよう!』って誘いたかった。友達みたいに肩を並べて歩きたかった。ただ――ロキ様に、笑ってほしかった……」
「それなら!」と、シャノンくんが何か言いかけたとき、僕はそっと首を振った。
「僕の気持ちを伝えるつもりはないよ。だって僕は、彩筆侯の爵位を得ているんだ。そんな立場の人間が、恋人になってって言えば、それはもう命令になっちゃう」
「っ……」
「ロキ様は断れない。もし、僕が恋人になってって言えば、きっと演技してくれると思う。でも、僕はそんなこと望んでない。……僕の願いは、たった一つだけなんだ」
僕は、シャノンくんの目尻に浮かんだ小さな汗を、そっと拭った。
「ロキ様に、笑っていてほしい。幸せになってほしい。それだけだから――」
シャノンくんは、何かを言いかけて、唇をきゅっと噛みしめた。
「……ごめんね、長く話しちゃって。そろそろ寝ようか」
彼はこくんと頷くと、いつものように僕の腕の中に体を預ける。
シャノンくんに気持ちを打ち明けたからか、胸の奥がほんの少し軽くなった。
今日はぐっすり眠れそうな気がした。
シャラリ――と、カーテンが揺れる音。
夜の風が、ひんやりとした空気を運んでくる。
誰かが、僕の髪を撫でた気がした。
どこかで知っている、強くて優しい手の感触。
「――ごめんなさい、ベルナ様。あなたはもう、兄様から逃げられないと思います……」
微睡の中、遠くで誰かの声を聞いた気がした。
けれど、それが現実だったのかどうかもわからないまま、僕は静かに眠りへと落ちていった。
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