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第二章
55 蓋をする (※)
しおりを挟む時が止まったかのように見つめ合う。
優しく唇を啄むと、それに応えるように柔らかな唇もゆっくりと動いた。
しばらく口付けていると、彼からうっとりと甘い吐息が漏れて、気持ち良さそうだなと目を細めた。
舌を差し込もうとして、ふと俺は一体何をしているんだ、と我に返る。
咄嗟に離れようとすると、ジュリアス殿下が俺の腕をぎゅっと握った。
「イヴ……もう少しだけ……お願い……」
切ない声で語られて、俺の眉間に皺が寄る。
もちろん、嫌だからじゃない。
俺がジュリアス殿下を突き放せないとわかっていて言っているのだろうか、と思いながら舌を差し込んだ。
温かな舌が出迎えてくれて、優しく絡み合い、林檎のまろやかな味がする。
「はぁ……イヴ……んっ、……」
「ジュリアス殿下……もう――」
「殿下はいらない。ね、イヴ……」
再度、「お願い」と告げられて、少し迷ったのちに、熱を孕む碧眼を見つめながら彼の名を囁いた。
その瞬間、ジュリアス殿下の腕が俺の首に回って強く抱きしめられる。
口付けに慣れているのかと思いきや、懸命に俺の舌を吸う姿がなんだか可愛らしく思えて、俺は優しく髪を撫でた。
細く指通りの良い髪を撫で続けていると、んっと艶かしい声を上げたジュリアス殿下が、唇を離す。
急に立ち上がり、「待ってて」と声を掛けたジュリアス殿下は、真っ赤な顔で席を立った。
腹部辺りを押さえていたから、お腹が痛くなったのかもしれない。
そんなに恥ずかしいことじゃないのに、耳まで赤くしていた姿に、俺はくすりと笑った。
紅茶を席に持ってきて飲んでいると、用を済ませたジュリアス殿下が、さっぱりとした顔で戻って来る。
「お待たせ」
「大丈夫ですか?」
「うん、平気」
頬を赤らめたままのジュリアス殿下が、俺の足の間に滑り込み、再度口付けてくる。
まるで逃がさないかのように、両手で俺の頬を包み込む。
ジュリアス殿下の左足が椅子に乗り上がり、ギシリと音を立てる。
背凭れに身体を預けながら受け入れていると、綺麗な顔が苦しそうに歪んだ。
少し心配になって舌を絡めて癒しの力を使うと、目尻がとろんと垂れ下がる。
「ん……イヴ……きもちいいっ……」
ふにゃりと体の力が抜けたらしいジュリアス殿下の腰を抱き寄せると、彼の体が震えた。
「ごめん、ちょっと待っててね」
息を荒げるジュリアス殿下は、再度席を外す。
癒しの力を使ったのに、具合が悪そうだ。
猫背になるジュリアス殿下の背を見つめ、また毒でも盛られているのかと不安が過ぎる。
さすがにそれはないだろうと、俺は気持ちを落ち着かせるために冷めてしまった紅茶を口に含んだ。
しかし、なかなか戻って来ない
ジュリアス殿下が心配になって手洗い場に向かうと、洗い息遣いが聞こえて来る。
「は……ん、……イヴっ……」
艶かしい声と共に俺の名を呼ぶジュリアス殿下の少し掠れた声に、身体が硬直した。
見てはいけないと思いながらも、俺は少し空いている扉から中を覗き込んでいた。
俯く彼が、下穿きを寛げている。
右手が動いているのは、用を済ませるためではないことが見て取れた。
見てはいけないものを見てしまい、すぐに離れようとしたのだが、体が動かない。
彼の艶かしい声が俺の名を呟いており、顔に熱が集まった。
ゆるりと顔を上げたジュリアス殿下の欲情した表情に、目が釘付けになる。
俺とバッチリと目が合い、口をはくはくとさせるジュリアス殿下が、慌てて身なりを整える。
気まずいのか、ジュリアス殿下が俺から視線を逸らした。
「手伝い、ましょうか……?」
「えっ……」
自分でもなんでこんなことを言ったのかはわからない。
でも、とにかく俺は気にしていないと伝えたかった。
視線を彷徨わせたジュリアス殿下だったが、落ち着かせるように軽く息を吐いて、ゆっくりと俺の元に歩み寄る。
「すごく魅力的なお誘いだけど、大丈夫」
「……そ、そうですか」
「あ、勘違いしないで? 本当は今すぐにでもっ、したいよ? でも、イヴが私と同じ気持ちになってくれた時に……お願いしても良い?」
お互い真っ赤な顔で見つめ合って、ごくりと唾を飲んだ。
本当なら、もっと触れ合いたいと願っているはずだ。
そんなジュリアス殿下に、俺の気持ちを待つと告げられて、いろんな感情が込み上げてきた。
どうしよう……。
今すぐ抱きしめたいと思ってしまうこの感情は、一体なんなのだろうか……。
それと同時に、彼の気持ちを弄ぶような発言をしてしまった自分に嫌気が差した。
昂っていた感情が、徐々におさまっていく。
自ずと顔も俯いてしまい、彼を傷つけるような発言をしてしまったのではないかと唇を噛んだ。
「すみません。ジュリアス殿下の気持ちも考えずに……」
「ううん、嬉しかったよ。だってイヴは、私とそういうことをしてもいい、って思ってくれてるってことだよね? それを知れただけでも、幸せ……」
俺の肩に頬を寄せるジュリアス殿下は、俺とは対照的にすごく嬉しそうに頬を緩めていた。
室内でも煌めく碧眼を吸い込まれるように見つめて、心臓が激しく音を立てる。
ジュリアス殿下の気持ちには、応えられないと思っていた。
王家に囲われたくないのもそうだが、俺がジュリアス殿下の隣に並ぶ資格がないから。
ジュリアス殿下にはもっと相応しい相手がいる。
……でも、もしジュリアス殿下が王子様じゃなかったら――。
そこまで考えて、俺は溢れそうになる気持ちに蓋をした。
もしなんて考えても仕方がないこと。
ジュリアス殿下は皆の手本であり、紛れもない王子様だ。
それに、俺の初めて出来た友人……親友だ。
俺の為に動いてくれたセオドアや、ランドルフ様の顔が脳裏に浮かび上がる。
ジュリアス殿下に好きだと告白されて、ジュリアス殿下を意識してしまっているだけだ。
そう思うと、少しだけ落ち着くことが出来た。
「イヴ? どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
いつものように笑ってみせると、少しだけ不服そうにするジュリアス殿下は、俺の手を取った。
両手を繋いで向かい合う。
「本当は、イヴにも早く私と同じ気持ちになって欲しいって思ってる……。でも、待つよ……。イヴが私と同じ気持ちにならなかったとしても……。ずっと待ってる……。私は、待つことには慣れてるからね……」
眉を下げる彼は、悲しげな表情を隠すように口角を無理矢理持ち上げた。
「っ……ジュリアス」
俺はたまらずジュリアス殿下を掻き抱いて、深く口付けていた――。
目元を赤らめて、俺に必死にしがみつくジュリアス殿下を壁に押し付ける。
荒ぶる感情のまま、激しく口内を嬲った。
じゅるじゅると淫靡な水音に、ジュリアス殿下の全身から香る百合のような匂いが鼻腔を擽る。
「ふ……ん、イヴ……イ、ヴっ……」
「っ、ごめん。苦しい?」
唇を離して額を合わせ、空気を吸い込むジュリアス殿下の赤らむ頬を優しく撫でた。
長い睫毛を震わせて、ぽけっとしている彼の金色の髪を、手櫛でそっと整える。
「ジュリアス、大丈夫か?」
「っ……」
以前親しげに話してほしいと言われていたことを思い出し、敬語を取っ払う。
ぶわっと瞳が潤んで、信じられないものを見るような目で見つめられてしまった。
そんなにタメ口で話したかったのか、と俺は思わず笑みがこぼれる。
口の端から流れている唾液を指先で拭いながら、呆然としているジュリアス殿下に首を傾げた。
「なに?」
「っ……ううん。し、心臓が、は、破裂しそう」
過呼吸ぎみになるジュリアス殿下は、やばいやばいと呟きながら、胸元を押さえている。
「それは困るな。ジュリアスは王子様だし、死んだらみんな悲しむ。もちろん、俺も……ああ、でも俺にとって、王子は関係ないな。俺の特別……」
「はうっ……。イヴっ! ちょ、ちょっと待って! 心拍数がっ! うぐっ……!」
顔をぶんぶんと振りながら、せっかく整えた金髪を揺らすジュリアス殿下に、くすりと笑う。
「癒そうか?」
「っ、あ、う、うん……いや、でも待っ――」
ぐだぐだ話す口を塞いだ俺は、目を細めた。
触れるだけの口付けをして、そっと唇を離すと、少し赤くなる唇が俺を追いかけてくる。
口付けられないように顔を引けば、捨てられた子犬のような表情で唇を震わせていた。
普段の凛とした態度とは違い、俺にだけ見せてくれる恥じらう姿に、自然と口角が持ち上がる。
「ふっ、待って欲しいんじゃないの?」
「っ…………いじわる王子様っ」
「ん? 王子はジュリアスだろ?」
「いや、えっと、そ、そうじゃなくって……」
狼狽えるジュリアス殿下が面白くて、喉を鳴らして笑ってしまう。
「で。どうする?」
首を傾げてにこりと微笑むと、美しい顔がこれ以上ないほど真っ赤に染まる。
「っ、もうヤダ……、かっこよすぎて無理っ」
「ん。わかった、じゃあ今日は帰るか」
「ヤダっ!!」
見えない尻尾を激しくフリフリする美形の子犬が飛びついてきて、唇を食べられた。
少しも離れたくないとばかりにぎゅうぎゅうと体を押し付けられて、優しく抱き留める。
結局、日が暮れるまで口付けをし、帰宅する頃には制服に百合の香りが移っていた――。
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