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21 虚無感 オリバー
しおりを挟む「エレン……」
慣れない小さな小さな家で、一人きりで過ごす俺は、虚無感に襲われ続けている。
エレンの婚約者の座が空いたと社交界で噂になれば、血が流れることになるからと、三ヶ月謹慎するように命じられている。
どうして血が流れるのかはわからない。
……美人だからだろうか。
やる事が無くてぼーっとしていると、侍従のネイソンに、万が一、勘当された時の為に家事を覚えてみないか、と提案されて即座に頷いた。
だけど俺は今、昨日ネイソンが持ってきてくれた食材を手にして、どうやって調理したら良いんだ、と嘆いている。
住み慣れた侯爵邸を離れてからの最初の一週間のうちに、ネイソンから全ての家事のやり方を教わったというのに、何一つ覚えていない。
――こんな時、エレンなら何度も何度も教えてくれるのに……。
それに謹慎が解ければ、夜会に行って婚約者を探さなければならない。
でも夜会に顔を出したくても、どうやって夜会に参加したら良いのかすらわからない。
だって俺は、いつもエレンが敷いてくれたレールの上を歩いていたから。
真っ直ぐなレールを嫌がって、何度も何度も逸れたのは自分自身なのに、今は恋しくて仕方がない。
「また野菜を生で齧っていたんですか」
呆れた声に振り返れば、濃紺色の髪を掻き上げた男前が深い溜息を吐く。
「そんなこと言われても……やり方がわからない」
「はあ……もう何度目ですか?」
「……それもわからない」
「二十七回目です」
無駄に細かいことを覚えているネイソンは、ネチネチと文句を言いながら、キッチンに来いと顎で指示をして来る。
――エレンなら、「仕方ないなあ」って言いながら、優しく手を引いてくれるのに……。
渋々立ち上がった俺は、ネイソンの後を追ってキッチンで料理を作る様子を見学する。
「こんなこと言いたくありませんけど……。自分でやってみようとか、やり方をメモしようとか、思わないんですか?」
「……思わなかった」
「はあ……エレン様が甘やかしたせいですね?」
「っ、違う……。エレンは、悪くない」
俯いて唇を噛み締めていると、料理を作り終えたネイソンは、溜まっていた食器を洗い始める。
「そのことがわかるようになっただけマシですね。ほら、温かいうちに食べてください」
何も言い返せなくて食べる気にならないのに、焼けた肉の良い匂いに、ギュルルと腹の音が鳴る。
とぼとぼと席に着いて料理を食べ終えると、溜まっていた家事を終えたネイソンは、いつもならすぐに帰るのに、今日は俺の対面の席に腰掛けた。
「エレン様の有り難みがわかりましたか?」
「……ああ、」
「もっと早くに気付けたら良かったんですけどね……。ご主人様は、オリバー様がエレン様の大切さを失ってみないとわからないのだろうと思い、敢えて使用人をつけなかったんです」
「……そうだったのか」
「そりゃそうでしょ。貴方様は、今のところはまだクリストフ侯爵家の人間ですから。家事をする高位貴族がどこにいるんです。いるとすれば、なかなか奇特な方ですよ」
眉根を寄せるネイソンは、大量の招待状を机に並べる。
「明日からは使用人を手配します。その代わり、夜会に出席して、婚約者を見つけてくるようにとのことです」
「わかった」
「一番日付が近い夜会は半月後ですね。迎えに来ますので、逃げないように」
「っ、逃げるわけないだろ?!」
「いつもエレン様を無視して遊び歩いていた方に言われても、信じられません」
言葉に詰まった俺は、俯くことしか出来ない。
「あの……。不躾な事をお聞きしますが……」
「なに」
「最後はいつ、性交渉をしたんですか?」
「っ…………」
「それによっては、婚約者探しどころではなくなる可能性もありますので」
「………………」
「もしや、そのことすらも覚えていないんですか?」
エレンと婚約破棄をするまでは、俺に対していつも優しくて、穏やかな性格だったネイソンは、今は別人のように恐ろしい顔をしている。
「モンキーさんを調査した結果。オリバー様以外に、親密な関係のお方が五人いたことがわかりました。ですので、万が一身ごもっていた場合、誰の子かは産まれてからでないと判断出来ないと思われます」
「そうか……」
モンキーじゃなくて、マイキーなんだが。
……とは、決して言えない空気なので口を噤む。
それに、あんな奴のことなんてどうだって良い。
何でも完璧に出来るエレンが眩しくて、疎ましくて、嫉妬していた。
だから自分より低俗な相手といると楽だった、ただそれだけだ。
瞼を閉じて思い浮かぶのは、美しい翡翠色の瞳から静かに涙を流したエレンの顔。
いつも凛とした姿のエレンの泣き顔は、今まで見てきた中で一番綺麗だった。
何十年と見慣れた顔なのに、女神のような美しさと、幼さの残る愛らしさに胸を鷲掴みにされた。
慈しみに溢れた眼差しが、今も脳裏に焼き付いている。
もうマイキーの顔すら忘れてしまっていた――。
「モンキーさんが六人の中で、どうしてオリバー様を選ばれたと思います?」
「……侯爵家の人間だからだろ?」
「違います、一番お馬鹿だからです。他の五人は結婚など考えておらず、適当な遊び相手として付き合っていたようです。人間の言葉を話せないモンキーさんに、貴方は見下されていたんですよ?」
「…………」
「今のままで良いんですか?」
ネイソンの問いかけに首を横に振る俺は、今までの行いを反省して、今度こそ婚約者を大切にしようと誓う。
婚約破棄を言い渡しても、ずっと友人でいようと話してくれたエレンの為に――。
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