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92 テレンス
しおりを挟むレヴィがベアテルと婚姻した噂は、テレンスの耳にも届いている。
しかし、ベアテルの報復を恐れるテレンスは、ウィンクラー辺境伯領には決して近付かなかった。
その間にレヴィが、ドラッヘ王国の救世主、神の使い、この世で稀な獣医の中でも、最も優秀な者だと、様々な名で呼ばれ始めたことを知り、テレンスは歯噛みする。
(急ぎ、レヴィを側妃に迎えなければっ!)
今のレヴィを伴侶に迎えれば、アカリを引き止め続ける必要もなくなる。
ストレスから解放されるのだ。
晴れやかな気分になったテレンスは、直様、アカリのもとへ向かっていた。
「アカリ! 王都に戻るぞ!」
「……え? 今から?」
民の仕事を手伝っていたアカリが、荷を持ったままきょとんとしている。
あれだけ異世界に帰りたいと言っていたくせに、なにをぼけっとしているのだ。
理解力に乏しい者を毛嫌いするテレンスは、アカリに蔑む目を向ける。
「グズグズしていないで、さっさと準備しろ!」
「はあ!? なんなのよ、急にっ!! 私は遊んでいるわけじゃないんだからね!?」
アカリがテレンスに言い返したことで、民たちが怯え始めた。
平凡な見た目のアカリだが、これでも勇者だ。
魔王を討伐したアカリが本気を出せば、民が何十人と襲い掛かろうとも、返り討ちにされるだろう。
しかし、テレンスはアカリと行動を共にしていたことで、アカリのことをよく理解していた。
魔物は斬り刻んでいたが、アカリは人間には手を出さないことをわかっていて強気で出たのだ。
案の定、苛立ちをあらわにするアカリだったが、テレンスを睨んでいるだけである。
(この女を怒らせたところで、もう怖くはない。私には、アカリの代わりに英雄となる、レヴィがいるのだから――)
先に行くぞと脅せば、民に謝罪したアカリは、不貞腐れた顔のままテレンスについてくる。
颯爽と馬車に乗り込むと、領主たちが満面の笑みで魔物討伐部隊を見送っていた。
なんとも不愉快ではあるが、テレンスの脳内はレヴィのことしか考えていなかった。
「ふふっ。すぐに迎えに行くからね、レヴィ」
「はあ? レヴィくんに会いたかったけど、テレンスが失恋したから気を遣っていたっていうのにっ! 今更、レヴィくんに会いに行くわけ?」
それなら自分もレヴィに会いたかったと、アカリが文句を垂れているが、テレンスは無視する。
異世界に帰り、戻ってくるかもわからないアカリには、もう優しくする必要はない。
それに、自由気ままな伝説の不死鳥も、常にアカリのそばにいるわけではないのだ。
不死鳥が不在の状況を理解した上で、テレンスはアカリに対して、強気な姿勢を貫いていた。
「レヴィくんは、ベアテルくんと結ばれたんでしょう? 既婚者なんだよ? ちゃんとわかってる?」
「それがどうした。気分が悪くなるから、黙ってくれないか」
お節介な女を一瞥するテレンスだが、アカリと離縁するつもりはなかった。
異世界へと去ってしまったアカリを待ち続けるテレンスの姿は、おそらく国民には好印象を与えることになるだろう。
だが、王族であり、英雄となったテレンスは、高貴な血を後世に残す必要があるのだ。
そのために、テレンスはレヴィを側妃として娶ったのだと判断されることになる――。
「生き残ったことを、後悔するがいい」
獣の分際で、テレンスに歯向かったベアテルに、再度地獄を見せてやる。
長年、レヴィに想いを寄せていたベアテルは、おそらくテレンスの所業を話し、レヴィの同情を誘っていることだろう。
そんな薄っぺらい関係など、テレンスとレヴィの真実の愛の前では何の意味もなさない。
今はベアテルの伴侶だが、王命で娶られたまで。
レヴィの意思ではない。
ベアテルの隣に立ってはいるが、今もレヴィは、密かにテレンスを想っているに違いない。
王都に到着するまで、目を伏せるテレンスは、人形のように愛らしいレヴィとの新婚生活を想像し、気分が高揚していた。
◇
「随分と遅かったな」
母であるマティアスと、抱擁を交わす。
意気揚々と王都に帰還したテレンスだったが、出迎えてくれた者は少なかった。
国王の姿もない。
父は多忙なためまだ理解できるが、マティアスも素っ気なかった。
「無事に帰ってきてくれて嬉しいよ、アカリ。異世界に帰る準備は整っているが、その前に、魔王討伐の任務中のことを、詳しく聞かせてくれるかい?」
「はいっ!」
マティアスに笑顔を向けられたアカリが隣に並び、歩き出す。
どうしてかテレンスがふたりの後ろを歩くことになったが、マティアスは勇者を気遣っているだけだろう。
余計なことは話すなよと、テレンスはアカリの背に冷めた目を向けていた。
「バルドヴィーノ様でしたら、最近はほとんどお休みになられています。魔王を討伐するまでに、かなり無理をされたみたいで……」
「そうだったのか……。私も不死鳥バルドヴィーノ様にお目にかかりたいとは思っていたが、いつかは会えるだろうか……」
「ふふっ。実は、既に会ったことはあると思いますよ?」
「……どういうことだ? 詳しく聞かせてくれ」
テレンスの存在を無視するふたりが、不死鳥の話で盛り上がる。
テレンスの予想より歓迎されていない気もするが、突然のことだったのだ。
致し方ないだろう。
(それにしても、なんだか慌ただしいな……)
王宮の廊下を歩くテレンスに、使用人たちが頭を下げる。
だが、以前のようなきらきらとした視線を感じることもなく、皆さっさと己の仕事に戻っていた。
テレンスが怪訝な顔をしていれば、マティアスが振り返る。
「近々、リュディガーが立太子することが発表されるからな? 皆、パーティーの準備で忙しいんだ」
「っ、なんですって!?」
「なにを驚いているんだ? リュディガーは王位継承権第一位だ」
当然だろう、とマティアスが話すが、テレンスが納得できるはずがなかった。
魔王を討伐したのはアカリだが、テレンスは魔王討伐軍を率いたのだ。
安全な王都でのうのうと過ごしてきた兄など、各地を走り回っていたテレンスに比べれば、なにもしていないのも同然である。
もちろんテレンスは、魔物の討伐さえも部下に丸投げしていたので、剣すら抜いていないのだが、密告する命知らずは誰もいないため、国王に相応しいのは己であると、胸を張っていた。
(ああ。いや、ベアテルを刺す時には、剣を使ったな……)
心臓を貫いたはずだというのに、生き残った化け物のことを思い出す。
ベアテルの顔を思い出すだけで、テレンスは吐き気がするほど不快な気持ちになっていた。
「それに、ウィンクラー辺境伯領で、ドラゴンの鱗が発見されたんだ。持ち込んだのはマクシム殿とエミール殿だが、第一発見者はレヴィだ」
「っ……レヴィが……?」
テレンスは度肝を抜かれる。
ドラゴンの鱗を発見するだけでも、奇跡だ。
「リュディガーはずっとレヴィの活動を支持していたし、いずれは賢王になってくれるだろう」
喜ばしいことだと、マティアスの話す声が遠くに聞こえる。
テレンスは、立っているのもやっとだった。
なにせ、己が国王になる未来を前提に、物事を考えていたのだ。
しかし、既に国王への道は閉ざされつつある。
それも、テレンスが無能だと思い込んでいたレヴィが、この一年でこつこつと功績を挙げ続けたことにより、レヴィを後押ししていたリュディガーが、立太子することが決まったも同然だった――。
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