召喚された最強勇者が、異世界に帰った後で

ぽんちゃん

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117 アニカ



 夜の風もひんやりとし始め、夏の終わりが近付く頃に、急ぎ魔王討伐部隊が編成された。
 出産し、レヴィの治癒の力が弱まる前に、魔王を討伐した方がよいと判断されたのだ。

 早朝から落ち着かないアニカは、レヴィを見送るため、ユリアンと共に王宮に向かっていた。
 見目麗しい公爵夫婦だが、目の下には化粧でも隠しきれない濃い隈ができている。

「身重なレヴィが魔王討伐の旅に参加するだけでも不安だというのに、凍えるような寒さの中での戦いに、耐えられるのだろうか――」

 弟を溺愛するユリアンが、もう何度目かもわからない溜息を吐く。
 久々にレヴィに会えるというのに、人形のように整ったユリアンの顔は、非常に憂鬱そうな表情だ。
 そんなユリアンを励ますように、アニカは大切な伴侶に寄り添う。

「ええ、そうね? でも、私はレヴィちゃんを信じてる」

「……ああ、それは私も――」

「それでも、寒さで震えるレヴィちゃんを想像するだけで、私が耐えられそうにないわっ!?」

 穏やかに語っていたアニカが急に立ち上がり、ユリアンはぎょっとする。

(やっぱり、私がついて行くべきよ……)

 だが、今のアニカには、魔王討伐部隊に参加する権利はなかった。
 シュナイダー公爵夫人となったアニカは、聖女の役目を終え、今は公爵領の民を癒やしている。
 やることは変わらないが、立場は変わってしまっているのだ。

「どうして聖女の座を降りてしまったのかしら? みっともなくとも、しがみつけばよかったわ……」

「……相変わらずブレないな?」

 頭を悩ませるアニカをよそに、ユリアンの表情は和らいでいた。

 そして王宮に到着し、ふたりは気を引き締める。
 魔王討伐部隊を見送るため、美しい白亜の王宮の前には多くの貴族が集っていた。

「いよいよですね」

 レヴィの兄であるユリアンに、貴族たちが声をかけていく。
 代わりになれたらどれだけよかったかと、レヴィの身を案じてくれる者も多かった。

 しかし、レヴィの胎内ですくすくと育っている子への気遣いが感じられたのは、聖女たちだけであった――。

 愛し子の血を継ぐ者の誕生は、実にめでたいことではある。
 だが、貴族たちは、母体になにかあればと、レヴィの体調を危惧していた。

(祝福すべきことだというのに、とても複雑な気持ちにさせられるわ……)

 微笑みを浮かべるアニカであったが、物申したい気分だった。

 そして王族が姿を現し、皆が今か今かとレヴィの到着を待つ。
 貴族が華々しく見送ることで、部隊の者たちの士気は上がり、民は不安を感じることもなく、必ず魔王は討伐されるのだと確信することとなる。
 魔王討伐部隊を貴族総出で見送るのは、民へのパフォーマンスのようなものだった。

 だが、この度集まった貴族たちは、貴族としての義務ではなく、レヴィの姿を一目見ようと、自らの意思で足を運んでいた。

 ――レヴィが教会を去り、辺境伯家に嫁いだことで、王都に魔物が現れたのではないだろうか。

 そんな憶測が流れる中、ウィンクラーの怪物に跨るベアテルを筆頭に、屈強な騎士たちが続々と姿を現す。

「っ、来たぞ!」

「おお。エミール殿の率いる特別部隊にも引けを取らない……いや、それ以上の威圧感だっ!」

 日頃から鍛えている騎士ですら、持ち上げることのできないような大剣を担いでいるベアテルは、一国の王のような存在感があった。

(っ……迫力が増しているのは気のせいではないわね? 今のベアテル様がついていれば、私は必要なさそうね)

 思わず息を詰めたアニカだったが、既に臨戦態勢のベアテルの姿を見て安堵する。
 そんなベアテルの背後に騎乗する騎士たちは、まだ豆粒ほどの大きさだ。
 それでも、異様なまでの迫力が感じられる。
 貴族たちは頼もしいと思いながらも、身震いしていた――。


 誰もがレヴィの身を案じているが、ウィンクラー辺境伯家の使用人たちは、彼ら以上にレヴィを守ろうとする気持ちが強い。
 魔物の気配がなくとも、油断は大敵。
 加えてベアテルには、己の命が尽きようとも、レヴィのことだけは死ぬ気で守れと、命令が下されているのだ。
 出立前に、レヴィに騎士の誓いを立てた使用人たちは、誰もが気力を奮い立たせ、今や王国一の最強軍隊と化していた。


「……レヴィ様のお姿が見当たらない」

 今まで当たり前だった平穏な暮らしが危ぶまれ、王都に住む高位貴族たちは、縋るような思いでレヴィを探していた。
 だが、いくら探しても、レヴィがいない。
 身重なため、騎士たちに守られているのかと思いきや、馬車にもレヴィの姿はなかった。

「っ、まさか、レヴィ様の身に何かあったのか?」

 これまでの功績から、レヴィが愛し子であることは、誰に言われるまでもなく、皆が納得している。
 だが、レヴィの儚げな容姿を思い出せば、誰もが心配でならなかった。

「レヴィ様に限って、逃げ出すようなことはない、とは思うが……」

 誰かの不安げなつぶやきに、アニカが反応する。
 レヴィが努力し続けてきたところを、幼い頃からずっとそばで見守ってきたアニカにとっては、聞き捨てならない言葉だった。

「レヴィは、治癒の力が僅かしかなかったとわかった時も。あなた方が勝手に期待し、失望した時も。聖女としての使命を全うしようと、最善を尽くしてきたのです」

 そんなレヴィが、逃げ出すはずがない。
 勝手なことを言うなとアニカが声を発すれば、ばつの悪そうな顔になる貴族たちは押し黙っていた。

(さあ、私の可愛いレヴィちゃんっ! 皆の度肝を抜いてやりなさいっ!)

 凛と背筋を伸ばしたアニカは、レヴィが必ず現れることを知っている。
 リンドヴィルムと共に現れることを――。

 王族とシュナイダー公爵家のみが知る事実。
 その重大な事実を事前に知らせれば、魔王討伐部隊そっちのけで、ドラゴンに関心が集まるだろう。
 その気持ちは、できることならリンドヴィルムをこの目で見てみたいと思うアニカとて、わからないわけではない。
 だが、命懸けで戦いに向かう魔王討伐部隊を激励することが、本日の目的である。

 それに、レヴィからは口止めされているのだ。
 もしドラゴンの体調が優れなかった場合、レヴィは無理にリンドヴィルムを魔王討伐の旅に参加させるつもりはなかった。
 その時、ドラゴンに会えると期待を募らせる者たちを、落胆させてしまうかもしれないという気遣いからだった。

(ふふっ、レヴィちゃんらしいけれどっ。レヴィちゃんは特別な聖女様なのよ? 皆は大いに期待しているけれど、本人はあまり自覚がないのかもしれないわね?)

 常に低姿勢で、おっとりとしたレヴィを思い出すアニカは、くすりと笑った。
 仮に、リンドヴィルム様が大怪我を負ったとしても、不死鳥を治癒できるレヴィであれば、ドラゴンだって治癒できるだろう。
 レヴィの意思を尊重したものの、無用な心配だとアニカは思っていた。

「アニカ、落ち着け」

「だって! 皆が腰を抜かすところを見れるのよ? 楽しみすぎて、ワクワクしちゃう!」

 興奮を抑えきれないアニカがはしゃいだ瞬間。
 討伐部隊の者たちの後方には、巨大なドラゴンが空を舞っていた――。

「「「――――…………ッ!!!!」」」

 曇り空から陽の光が差し込み、目も開けていられない程に、銀色の体が煌めく。
 透き通る羽根をゆったりと羽ばたかせているが、その速さときたら、国内最速の馬であるウィンクラーの怪物をも、あっという間に抜き去っていた。

(っ……な、なんて偉大な存在なの……)

 レヴィに言葉をかけようと思っていた者たち全員が、声を失っている。
 事前にリンドヴィルムの登場を知っていたアニカや王族ですら、全身に鳥肌が立っていた。

 瞬く間に先頭に躍り出たドラゴンが、音もなく地に舞い降りる。
 神と崇められている圧倒的な存在を前にし、皆が立っているのもやっとである。
 大勢の人間がいるというのに、辺りの音をすべて持ち去られたかのような静けさに支配されていた。


「お待たせしましたっ!」


 そこに、レヴィの元気な声だけが響く。
 レヴィはどこにいるのか。
 皆がきょろきょろと探している間に、リンドヴィルムが薄らと笑った――。

「「「…………ぁ、」」」

 想像の域を遥かに超えた光景に、あんぐりと口を開けた者たちが、無様に倒れて行く。
 真っ先に倒れたのは、ヴィルヘルムであった。
 最も毅然とした態度でいなければならないはずの王族だが、最前列にいたこともあり、誰よりも早く腰を抜かしていた。
 だが、今は誰も咎めることなどできない――。

(~~~~ッッ!!!! い、一番安全そうではあるけれどっ!? レヴィちゃんが、リンドヴィルム様のから出てくるだなんて、聞いていないわよーーーーーーっ!?!?)

 心の中で絶叫するアニカは、目を剥いていた。
 てっきりレヴィは、ドラゴンの背に乗っているのだと思っていたのだが、なんとリンドヴィルムの大きな口の中から顔を出したのだ――。

 そして気付いた時には、アニカは他の者たちと共に腰を抜かしていた。






















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