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121 ベアテル
しおりを挟む悍ましい魔物との戦いの後、最愛の伴侶に癒やされる時間は、ベアテルにとって至福の時だった。
ただそばにいてくれるだけで幸せなのだが、人前では気を張っているレヴィが、今は甘えるような仕草で、ベアテルの胸に顔を埋めている。
近辺に魔王が潜伏していることも忘れ、ベアテルは心を鷲掴みにされていた――。
「――……はあ、可愛い」
ベアテルがたまらず想いを漏らせば、レヴィはますます顔を上げづらくなったようだ。
膝の上に乗るだけで「重いからおりますっ!」と苦しい言い訳をし、恥ずかしがっていたレヴィが、今はベアテルに身を委ねている。
(普段から、レヴィは世界一愛らしいが……。悍ましい魔物との戦いの後では、目に毒だな)
「レヴィ」
そっと顎を持ち上げれば、潤む薄紫色の瞳と視線が交わる。
愛する人を喰らいたい欲が顔を出す。
だが、その気持ちを必死に抑え込むベアテルは、優しい口付けを落とした。
「んっ……」
レヴィの体がぶるりと震える。
初めて口付けをした時のような、初心な反応を見せるレヴィがたまらない。
いつまでもレヴィにおやすみのキスをし続けるベアテルは、今すぐ愛し合いたい気持ちを押し殺し、さっさと魔王を始末してしまおうと心に決めていた――。
そして、三ヶ月もかからずに魔王を討伐することとなり、ベアテルはドラッヘ王国の英雄となった。
◇
クローディアスに跨り、先頭に立つベアテルは、レヴィを抱きしめたまま王宮に向かう。
沿道には、多くの人が詰めかけており、王都を守っていたエミールが、民の安全の為に部隊の指揮をとっている。
この時ばかりは国民が仕事を放り出し、大義を成した魔王討伐部隊を出迎えていた。
「おかえりなさいっ!!」
「レヴィ様ッ、ベアテル様~ッ!!」
巨大馬に怯えながらも、レヴィに手を振る子どもの姿もあった。
だが、レヴィを乗せているからか、クローディアスは堂々としている。
『ウィンクラーの怪物』と恐れられてきたベアテルの愛馬だが、主人を守るために本領を発揮し、その名の通りの活躍ぶりであった。
「リンドヴィルム様にも、見せたかったなあ……」
笑顔のまま、レヴィがぽつりと呟く。
リンドヴィルムは先に湖に戻っているため、銀のドラゴンの姿はない。
だが、籠を持つ国民は、溢れんばかりの笑顔で桃色の花を散らせていた。
「我はなにもしておらぬ! って飛び立ってしまいましたけど……。リンドヴィルム様って、お茶目で謙虚なドラゴンですよね?」
「「「…………」」」
リンドヴィルムは、お茶目でも謙虚な性格でもないと思っているベアテルは、同意しかねる。
聴覚の優れた仲間たちを見れば、誰もが聞こえないふりをしていた……。
初めて見ることとなった魔王は、人間でも獣でもない、この世の者とは思えない悍ましい姿だった。
耳元まで大きく避けた口からは、有害な毒素が放たれており、両親から話を聞いていたベアテルですら、背筋が寒くなったものだ。
だが、ベアテルは魔王を瞬殺していた。
頼もしい仲間と、不死鳥が力を貸してくれたおかげである。
なにより、愛するレヴィを守りたい気持ちが、ベアテルを奮い立たせたのだ。
一方で、リンドヴィルムは落ち着き払っていた。
レヴィには決して見せたことのない、魔王を見下ろす冷たい瞳。
まるで道端に落ちているゴミを見るような目を、ベアテルは今でも忘れられない。
魔王討伐部隊の者たちにとって銀のドラゴンは、魔王よりも恐ろしい存在となっていた――。
話を変えるべく、ベアテルは隙間なく密着するレヴィの耳元で囁く。
「――……最高の眺めだな」
たった三ヶ月の間に、様変わりした街の景色を見渡すベアテルが感嘆の声を漏らせば、レヴィはぴくっと反応する。
「っ、ベアテル様が、ますます人気者に……」
国民に手を振り続けているレヴィだが、焦燥を感じている。
要らぬ心配をしているようだった。
ベアテルが喜ばしく思ったのは、民に英雄と崇められているからではない――。
(街が、レヴィ一色だ)
初代国王アーデルヘルムの肖像画や彫像が飾られていた場所は、全てレヴィに変わっているのだ。
肖像画はともかく、彫像は一体いつから用意していたのだろうか。
愛らしいレヴィの姿そのままに作られているのだから、リュディガーかユリアンが動いていたであろうことは、容易に想像がついていた。
◇
謁見の間に案内されれば、魔王討伐部隊を出迎えたのは、ヴィルヘルムではなかった。
此度の感謝と、誰も命を落とすことのなかったことに安堵するリュディガーに、ベアテルはこうべを垂れる。
「無事に帰還すると信じていたが、擦り傷すら負っていないとは……」
若くして国王の座に就いたリュディガーが、脱帽する。
魔王討伐部隊が出立した後、ヴィルヘルムは国王の座をおりた。
現在は政に口を出すこともなく、テレンスを愛するが故に甘やかしてしまったと悔いているマティアスと共に、ひっそりと過ごしているそうだ。
国民には大歓声で迎えられたが、あまりに早い帰還に、貴族の表情は硬い。
ベアテルは笑って見せたが、貴族たちはさらに顔を引きつらせることとなっていた。
(俺に盾突こうものなら、魔王のように始末されるとでも思っているのだろう。……馬鹿馬鹿しい。そんな無駄なことをする時間などない)
涼しい顔で帰還したベアテルが、レヴィとふたりきりで過ごしたいがために、魔王を瞬殺したことなど知る由もなかった――。
リンドヴィルムのおかげで、蔑むような目を向けられることはない。
だが、相変わらず距離を取られている。
普通の人間より身体能力に優れているだけで、さして変わらないとは思うが、皆が畏怖の念を抱いていることは、ひしひしと伝わってきていた。
(別に悲観することではない。俺は、慣れている。ただ……。俺の子も、同じように見られることになると思うと、胸が痛いな)
我が子は、レヴィに似てほしい。
出来ることなら、醜い耳が無ければいい――。
幼少期に苦しめられた過去を思い出していると、いつのまにか固く握りしめていたベアテルの手は、小さな手に優しく包まれていた。
「回り道をしましたが、ベアテル様が英雄と讃えられて、とっても嬉しいです。努力家のベアテル様の伴侶になれたことを、僕は誇りに思います」
花が咲くような笑みに、ベアテルは息を呑んだ。
周りの反応など気にすることはないと、レヴィが言外に告げてくれたのだ。
じん、と胸が温かくなる。
(……レヴィなら、我が子の頭に耳が生えたら、喜ぶのかもしれない。きっと俺のように、隠れて過ごす必要もないだろう)
レヴィの少し膨らむ腹に手を添えたベアテルは、早く我が子に会いたい気持ちでいっぱいになっていた――。
ベアテルにそっくりの無口で無表情。
無愛想な子が誕生するまで、あと少し――。
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