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124 ベアテル
しおりを挟む王宮からの使者の訪問に、ベアテルは神経を尖らせていた。
長年、恋焦がれていた人と、奇跡的に想いを通わせ、もうすぐふたりの愛の結晶も誕生する。
幸せに心が満ち足りている。
それでも、愛する伴侶が魅力的すぎる天使故に、ベアテルは油断できない日々を送っていた。
(いくらエルネストの兄とはいえ、王宮からの使者が隣国の王太子だなんて、おかしいだろう)
さっさと追い返したい気持ちは山々だが、レヴィは白虎に会えて喜んでいる。
愛するレヴィの喜びは、ベアテルにとっても喜ばしいことだ。
「そんなに警戒しなくても、私はレヴィの幸せを願っているよ。……私の想いが報われずとも」
「…………」
セドリックの囁きが、ベアテルの耳に届く。
ただの呟きか。
それとも、ベアテルの聴覚が優れていることを知っていて、わざと聞かせたのか。
過去に叶わぬ恋をしていたベアテルのような姿を見せ、同情を誘っているのかもしれない。
だが、心優しいレヴィとは違い、ベアテルは情けをかけるつもりなどこれっぽっちもなかった。
「その点、似たもの同士だとは思わない? 私は、ベアテル卿とも良好な関係を築きたいと思っているんだ」
もっともらしいことを話しているが、いつのまにか「レヴィ」と名を呼んでいることが、どうにも不愉快だ。
ただ、セドリックを邪険に扱うことはできない。
相手が王太子という立場だからではなく、ベアテルが愚かな対応をすれば、レヴィの足を引っ張ることになる。
そしてなにより、レヴィに嫌われたくない、その一心だった――。
「マーキングって、なんですか?」
「っ……」
セドリックを見送る際。
ようやく安心できると思っていたベアテルは、背筋が凍りつく。
どんなに離れた場所にいようとも、ベアテルの耳はレヴィの愛らしい声を聞き逃さない。
(っ、マーキングについて、レヴィが知ってしまったのか……)
恐る恐るレヴィを見れば、思い悩んだ表情を浮かべていた。
他者より異様に独占欲が強いことを、ベアテル自身も自覚している。
だから秘密にしていたというのに……。
――また、あの白虎か。
レヴィの話によると、レイバンは礼儀正しい白虎らしい。
だが、過去にもベアテルの秘密を暴露された経験があったため、ベアテルはレイバンに苦手意識を持っていた。
ベアテルの苦手とする者たちが去った後、レヴィに手を引かれて部屋に戻る。
「今日の仕事は終わりですよね? これから大切なお話があるので、緊急の用事以外は、部屋に近付かないよう、お願いします」
レヴィに指示を出されたコンラートは、僅かに驚きつつも了承する。
有無を言わさぬ態度のレヴィは、魔王を瞬殺したベアテルや、国の騎士を厳しく統率しているエミールよりも圧があった。
(…………終わった)
真実を知ったレヴィには、ベアテルは独占欲の強い、鬱陶しい男だと思われたのかもしれない。
もしくは、密かに他者を牽制していただなんて、レヴィの想いを信じていないのかと、幻滅された可能性もある。
(レヴィは、俺だけを愛してくれている……。その気持ちを疑っているわけではない)
それでも、毎日欠かさずレヴィに匂いをつける行為を止められない――。
「ベアテル様! 早く座ってくださいっ!」
「っ……」
レヴィの指示通りに動くベアテルは、ソファーに浅く腰掛け、姿勢を正す。
反省の色を見せる今のベアテルは、牙を抜かれた獣のようだった――。
「っ……レ、レヴィ?」
衝撃的な光景を前にし、ベアテルは限界まで目を見開く。
レヴィがベアテルの膝の上に、ちょこんと乗ったのだ。
あの恥ずかしがり屋のレヴィが、だ。
清い生活を送っていたレヴィは、他人に乱れた姿を見せることを嫌がる。
恥だと思っているのだ。
常に受け身であり、その態度をベアテルは不満に思ったことはなかった。
むしろ初々しく、世界一可愛いと思っていた。
だが、それが間違いだったと、今この瞬間に気付いた――。
(っ、最高に可愛すぎて、し、死ぬ……)
ベアテルの首に腕を回したレヴィに、じっと見つめられる。
至近距離で見つめ合うことは度々あるが、胸のときめきは今までの比ではない。
なにせ今のベアテルは、レヴィに襲われているような体勢なのだから――。
「ベアテル様は、マーキングって知ってますか?」
「っ……」
可愛らしく上目遣いで見つめられ、ベアテルは呼吸することを忘れていた。
無言で天井を見上げるベアテルは、魚のように口をはくはくとし、なんとか酸素を取り込もうとするが、うまく呼吸ができない。
「僕、マーキングについて、初めて知りました。好きな人に、自分の匂いをつけるだけで、他の人を牽制できるそうです」
新しく仕入れた情報は正しいのかと、大きな瞳に問いかけられる。
酸欠状態のベアテルは、頭の中が真っ白だ。
なんと答えたらよいのかわからないが、とにかく頷いた。
「やっぱりそうなんだ……。僕も、マーキング、したい……」
「っ、」
(幻聴、か? ……夢、なのか?)
死にかけているベアテルに、気付いているのか、いないのか。
レヴィは追い打ちをかけてくる。
「ベアテル様のことを、疑っているわけじゃないですよ? でも、マーキングをしていた方が、僕が、安心できるから……。僕のワガママを、聞いてくださいますか?」
我儘でもなんでもない。
とにかく可愛すぎると悶絶するベアテルは、激しく頷いていた。
「よかったあ……。ベアテル様は強者だから、僕に少し匂いをつけるだけでも、他の人を牽制できるそうです。でも僕は、ベアテル様と違って強者じゃないから……。ベアテル様に、たくさん匂いをつけないといけないみたいですっ」
「~~~~ッ!!」
甘えるように頬を寄せたレヴィが、すりすりと匂いをつけ始めた。
レヴィの可愛さに、今度こそ限界を迎えたベアテルは、昇天する。
マーキングにおいては、強者であろうとなかろうと、匂いをつけておくだけでいい。
それだけで、伴侶がいると判断できる。
ただ、強者であれば、より効果を発揮するというだけだ。
(っ……弱いならその分、たくさん匂いをつけようとするなど……。最っっ高に可愛い発想だっ!!)
レヴィに抱きつかれるベアテルは、デレデレとだらしない顔を晒す。
脳内がお花畑だ。
それでもベアテルの腕は、レヴィが怪我をしないよう、しっかりと支えていた。
(っ……こんなに大胆なことをするレヴィの姿は、初めてだ……)
ベアテルは感動していたのだが、レヴィは時折、ベアテルの顔色を窺っていた。
きめ細やかなレヴィの白い頬は、真っ赤だ。
きっと恥ずかしい気持ちを、必死になって堪えているのだろう。
ベアテルに、よそ見してほしくない一心で――。
(……はあ、好きだ)
可愛くて可愛くてたまらない。
そして首に熱を感じた瞬間、ベアテルの醜い耳はぴくぴくっと反応する。
「んん~~っ。……あ、あれ? 全然うまくできないや……。ごめんなさい、ベアテル様……。もう少し我慢してくださいね」
「っ、」
何度もベアテルの首に吸い付くレヴィは、必死になって印をつけようとしている。
その度に「んん~~っ」と、鼻にかかった可愛い声が漏れているのだから、たまったもんじゃない。
「フー……フー……」
ベアテルの心臓が暴れ出し、呼吸は乱れ、どんどん息が荒くなっていく。
何度も押し倒しそうになる己を律する。
レヴィへの愛が大爆発を起こしているのだが、ベアテルは無口だった過去のように、一言も話せないまま、愛する人の濃厚な匂いに包まれていた。
◇
そうして、愛する人と幸せな時を過ごし、ベアテルは父になった――。
「っ、耳~~~~ッ!!!!!!」
疲れ切ったレヴィが弾けるような笑顔を浮かべ、我が子を抱いた瞬間に発したのは、死の森まで届きそうな、歓喜の雄叫びだった。
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