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第2章:魔物との遭遇

森の主

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 ドーン!という地響きとともにジンの目の前には今までに見たことがないような巨大な魔物がいた。

「これが森の主…」

 全長8メートルほどだろうか。他の茶色の毛のフォレストコングとは異なり、つま先から頭まで真っ白な毛皮で覆われている。その肥大した筋肉を伴った四肢は、なるほどこの森の王者であるという風格をジンに与えさせた。だがどう考えても普通のものより倍はある。

 それが今ジンの前に立ち、他のフォレストコング同様に握りこぶしを地面につけて四つん這いになるという独特のスタイルをとっていた。そして牙を剥き、低いうなり声をあげた。その様はまるで戦闘前に意識を高揚させている様に見えた。

「あわわわ。なんでこんな魔獣が‼︎」

そう言ってピッピがジンのザックに入り込む。

「なんだって?」

唖然としているジンはぽかんと口を開けてそんなことをつぶやいた。次の瞬間一陣の風が吹いた。とっさに後ろに飛んだジンの右腕に何かがかする。

「??ぐっ」

見ると右腕があらぬ方向に向いている。かすっただけで骨が砕けた様だ。

「え?」

現実をまともに認識できない状態のジンは主の方向を聞いてようやくそれを理解した。

「痛ってぇぇぇぇ!」

右腕を抑えながらよろめく。

「ジン、早く結界を張れ!急げ!」

 ピッピがザックから顔を出し、そう言ってきたことでようやくそのことに思い至り、慌てて『発動』と唱える。体を薄い膜が張り巡る。そして足を、主を中心に回る様に動かし、先ほどピッピと目指していた方向にまで体を素早く持っていく。

 その間、主は胸を叩いてこちらを眺めていた。まるで痛がる獲物を面白がる様に。そして目的の方向に立ったジンが立ち止まると今度は右拳を地面すれすれに、大雑把なスイングをしてきた。

 まるで殴り飛ばすかの様な大ぶりなそれはジンにとってありがたいものだった。それを正面から受けることであえて吹き飛ばされ、目的の場所まで少しでも近づこうと考えたのだ。しかしその打撃は想像以上の威力を秘めていた。

 主のこぶしがくる瞬間、あまりの恐怖に初めて戦ったとき同様、走馬灯が駆け巡る。そして巨大な何かがぶつかった衝撃と共に一気にものすごいスピードで吹っ飛ばされた。途中にある木を何本もぶつかってはなぎ倒してゆき、ようやく止まった。数十メートルは吹き飛ばされている。しかしその衝撃は全て庇護の指輪が守ってくれた。おかげで右腕以外に大した外傷もなく、慌ててこの場から逃げ出そうとした。

「待ってジン。あそこ、あそこに洞穴があるから!あそこまで走って!」

「わかった!」

 奇跡的にも巨大コングの攻撃は予定どおりにジンの体を目的地までおよそ50メートルほどの位置に誘った。ジンは急いで立ち上がり、そこを目指してかける。今までで最速の走りはすぐに洞穴までジンを運び、飛び込む様に中に入った。そしてすぐさまピッピが木神術を発動し、入口を木の根で塞ぐ。

 そこまでやったところで、主が近寄ってくる音がした。どうやらジンが死んだのを確認しに来たらしい。しかし彼がその場にいないことに気がつくと、さっさと別の場所に行ってしまった。おそらく森のさらに奥を探しに行ったのだろう。匂いでばれなかったことは幸運でしかない。

 ピッピとジンは息が止まるのではないかというほどに息を潜め、洞穴の奥にできる限り体を突っ込んだ。その洞穴入り口から10メートルほどまで続いていた。彼らはその最奥まで移動し、主が立ち去る音を聞いた後もしばらくの間、口を塞ぎ、息を潜めていた。10分ほど立ちようやく安心してきたのかジンは急に右手に凄まじい痛みが走り、骨が砕けていることを思い出した。

「痛ってぇ…」

大きな声を出しそうになるも、なんとか堪えるジンを見てピッピが早速治療に取り掛かった。

「よし、直してやるから腕だしな!」

「ああ、ごめん。頼む」

脂汗と涙を浮かべながらジンがお願いする。

「そうだ!ジンもティファ様から回復の封術武具もらってたじゃねーか。それも一緒に使えば多分すぐに治るぜ!」

それを聞いてジンはいそいそと片手で不器用にザックを開けて、中からティファにもらったナイフを取り出し、中に入っている木神術を発動させる。緑色の淡い光が幹部を包み込み、徐々に痛みが引いていく。

「いやー、それにしてもやばかったな。後ちょっとで死ぬとこだったぜ。おいらなんか危うくちびっちまうとこだったぞ」

そう言ってケタケタ笑うピッピの横でジンは沈んでいた。

『なめてたわけじゃない。でも心のどっかで油断してたんだ。本当に危なかった…』

 今思い返すだけでもジンの背に冷や汗が流れる。腕の痛みが完全に引き、骨折が治ったはずの腕がキリキリ痛む。助かったことがわかりようやく安心できたはずなのに、彼の体は震えだしてしばらく止まらなかった。憎悪を糧に過ごしてきたつもりだったはずが、初めて凄まじい暴力による恐怖に対面したことでくじけそうになった。

 フィリアの使徒はおそらくあの森の主よりもずっと強いはずだ。そんな相手に果たして勝てるんだろうか。その疑問の答えはいくら考えても出なかった。

「それにしてもお前の話よりだいぶでかくなかったか。どう見ても倍はあったぞ?」

「ああ、おいらもびっくりした。前に見た時の主と変わったみたいだ」

「それいつの話だ?」

「三ヶ月ぐらい前かな。というよりあれは多分前見たやつじゃない。普通のコングがあそこまででかくなるわけないし。それに容姿も全然違ったしな」

 それを聞いてジンは黙り込む。つまりこの三ヶ月でこの近辺に巨大なコングが現れたということだろうか。このことをティファは知っていたのか。それとも隠していたのかわからなかった。ただ少なくとも、あれは通常のものよりもかなり危険であることだけは理解できた。初めて遭遇した怪物はジンの心に大きな恐怖心を埋め込んだ。

 精神的にも肉体的にも疲労したことを踏まえて、回復も兼ねてジンたちは2泊した。そして3日目にようやく出発することに決めて、あたりで何か魔獣がうごめいていないかをピッピが確認した。それから安全を確認してようやく穴の中から這い出て、再度目的地に向かい歩き始めた。

 それからさらに4日して主の縄張りを抜けると、突然ピッピが

「なあジン。今日は久々にベッドで寝られるかもしれないぜ?」

と言いだした。

「何言ってんだお前。こんなとこの何処にベッドがあるんだよ」

「いやなに、この近くによ、変人のドワーフのじいさんがいるんだよ。ほらトルフィンが前に言ってただろ?」

「あー、なんか言ってたな。それよりなんでそのじいさんはこんなところに住んでんだ?主の住処に近すぎるだろ」

「そのじいさん武器職人なんだけどな、なんかあの辺りに、いい封術武具が作れる鉱石が取れる場所があるんだって」

「だからってこんなところに住みたくねーよ」

「それなー。でも前行ったことあるけど、地下に作られててすんごい心地よかったぜ。意外に広かったしな。じいさんも変なとこに住んでて少し頑固だけどいい人だよ」

「ふーん。そんじゃそこに行ってみるか。さすがにそろそろゆっくり休みたい」

「おっけー、んじゃ付いてきな」

ピッピに案内を任せ森の中を進んでいった。

「助けてー、誰か助けてー」

しばらくすると緊迫した声がジン達の左側の前方の方から響いてくる。誰かがこの森の中にいるようだ。その声を聞いてピッピとともにそちらに目を向けると、蜥蜴人の少年が走っていた。その後ろをゴブリン達が追いかけている。どことなく見覚えのあるウロコ模様だった。よく見て、ようやくバジットにいたレックスであることに気がついた。

「おいジン。どうする?助けるか?」

「……お前はどう思う?」

「いや助けるべきだろ?」

「そうだよなぁ。でもあいつ前に俺のこと半殺しにしたやつなんだよ」

「え、マジで!?…そんなら仕方ねえな」

「お前がそういうやつで本当に良かったと思うよ俺は」

「よせやい照れんだろ」

 二人にとって面倒ごとは極力避けたかった。ようやく後10日ほどで目的地につくところまで来たのだ。こんなところで巻き込まれて、もし死んでしまったら今までの苦労は水の泡である。しかも今はようやく森の主の縄張りを通り過ぎた後だったのだ。あまりよく知らない、その上印象も最悪な相手をわざわざ助けようというほど、彼は善人ではなかった。

 ただでさえあの後細心の注意で踏み入れないように、取り巻きに見つからないように警戒し続けて、精神的に疲れているのだ。誤って見つかってしまった時の恐怖は今でも覚えている。結界を張っていなかったら、偶然殴り飛ばされた場所が洞穴の近くでなかったら確実に死んでいた。そんな相手の縄張りからようやく逃げられそうなのだ。疲れた頭でぼぉっとしながら、

『すまんな、レックス。安らかに眠れ』

そう考えて顔の前に両手の組んで、哀れな蜥蜴人の少年の冥福を祈ることにした。名前だけしか知らないうえに、散々痛い目に遭わされたのだがこの際それは置いといた。ピッピもその横でジンの真似をしていた。

 おそらくあの姉を殺した日の前ならばジンはこんな状況ならすぐにでも助けに行っただろう。しかしかつての彼と今の彼は違う。復讐という野望の達成のためにこんなところでつまずいている時間はないのだ。そうして前を向き再度出発することにした。心の中ではそう思いながらも、実際にはあの主への恐怖が心に根深くこびりついていたことに、ジンは気づかないふりをした。そんなことを考えているとピッピが突然思い出したように言った。

「あれ?あいつの近く、主の縄張りの端っこじゃね?ってジン走れ!逃げるぞ!」

 そう言ってピッピがジンを急かす。地響きとともにけたたましい声とうるさい鼻息が聞こえる。あの忌々しいドラミングの音が聞こえる。レックスが縄張りに入ったことに気がついたようだった。『なんで縄張りに入っただけで気づくんだよ。どうしてるのか本当に教えて欲しい』などと心の中で舌打ちをする。

 レックスの方を見ると、彼を追いかけていたゴブリン達はいつの間にか蜘蛛の子を散らすように走り去っていた。逃げようと思ったジンはしかし自分の思いと裏腹に足はレックスの方に向かっていた。

「なにやってんだジン!?」

「先行ってろピッピ!俺もすぐ行く!」

そう言って闘気を全身に充実させてレックスのそばに素早く駆け寄ろうとする。

『なんで俺こんなことしてるんだ?見捨てようと思ってたのに…』

 どんなに悲しい思いをしていてもジンの根幹にあった『護りたい』という意志は、深く彼の心に根ざしていたのである。結局のところピッピの時もそうだった。本当に見捨てるならば「助けて」という言葉に反応する必要はなかったのだ。それでも反応してしまったのは彼の心がどんなに傷ついていてもその本質が変わっていなかった証左であった。

 徐々に近づいてくる巨大な音に肝を冷やす。早鐘を打つ心臓のせいで気分が悪い。口の中はカラカラに乾き息苦しい。そしてこの唸り声を聞いて腰が抜けたのか、座り込んでいたレックスのところに着くと彼の脇に駆け寄った。

「おい、さっさと逃げるぞ!」

「へ?だ、誰だお前?」

「いいから早く立て!この音が聞こえんだろ、主がくるぞ!」

そう言ってジンがレックスの背に手を回し、脇を抱えて強引に立たせた。

「で、でも足が動かなくて、は、走れねえよぉ」

それを聞いてジンは一つ大きく舌打ちをした。

「このヘタレが!早く俺の背に乗れ!」

そう言ってレックスを背負う。想像以上に重く、これでは今から走っても追いつかれてしまうかもしれない。

「行くぞ!しっかり掴まってろ!」

叫ぶようにジンがそう言って、足に精一杯の力を入れて走りだす。目の前にある木をひょいひょいと避けながら猛スピードで進んでいく。しかし後ろからは木をなぎ倒しながら進む主の走る音が聞こえてくる。

「ジン、早く早く!」

 木々の間を抜けると前方にある岩場の影から手を振っていた。そこに何かしら隠れることができる場所があるのかと思い、一層足に力を込め、近づいていき、岩場の影に地下へと続く洞窟が隠されてあることがわかった。どうやらあれがドワーフのじいさんの家に続いているらしい。しかしあと少しというところで、ついに森の主、巨大フォレストコングに追いつかれた。

 ジンは素早く地面にレックスを下ろし、

「早く逃げろ!あの中に入れ!」

そう言ってレックスを蹴り飛ばした。その勢いに押されレックスは穴の近くまで飛んでいき、這いずるように中に入っていった。
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