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nao

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第8章:王国決戦編

選択の果て

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 キス、接吻、口付け、口吸い。その行為を意味する言葉は複数存在する。しかしその行いが持つ本質は一つ。

【なんでキスなの?】

 フィリアおばさんが尋ねてくる。

【人間の魂が揺さぶられる根源的な感情ってなんだと思う?】

 僕の質問におばさんはしばし考える。

【生存欲求かしら?】

【確かにそれは大きい感情の一つだ。でもそれは魂を揺さぶる感情ではないよ。それは強い意志、つまり反対の魂を固定させる感情だ。人間は魂を揺さぶられる際に必ずと言っていいほど他者が介在するんだ】

【どういうこと?】

【つまりさ、憎しみも恐怖も怒りも悲しみも喜びも、そうした感情は己と他者のコミュニケーションの中で発露することが多いのさ。そして、人間が最も他者との繋がりを感じるのは、互いの関係に愛が存在している時だ】

【ちょっとよく分からないのだけど。それとキスにどう関係があるというの?】

 おばさんは数千年も人間を見てきたのに、その本質を理解してはいなかった。探究は彼女にとっての娯楽ではなかったからだ。人間の本質を知る事は彼女にとって無価値な事でしかなかった。

【愛という感情が人間を支配するんだ。それを知れば知るほど、底無し沼に落ちていくように魂はその感情に飲まれていく。本当はキスでなくてもいいんだ。強く愛を感じられる行為であれば、魂は激しく揺さぶられるからね】

【つまりキスをするだけで、あの子の魂は揺らぎ、大きな隙が出来るのね】

【そういう事。まあそれで支配権を奪われるほどレトは弱くないけどね】

【そうね。そんな事をしてもあの子が負けるとは思えない】

【うん。だからさ、あのアドバイスはシオンが表にいる時にこそ役立つんだよ】

【どういう事?】

【シオンの体の中にナギの魂が隠れている事は分かってた。それが何をしようとしていたかもなんとなく分かったしね。レトの性格からも、一度はシオンが表に出てくると思ったんだ】

【それで?】

【100%ありえないけど、レトがナギに負けた場合、彼女が表に出られるように布石を打つ必要があった。だけど、魂っていうのは己で簡単に揺れ動くものではない。だからシオンを堕とすためにはジンの協力が必要だったのさ】

【ふふ、なるほどね。あなた、本当に性格が悪いわね】

【僕はね、ジンに色んな思いをしてもらいたいんだ。例えば、自分の手で最愛の女性を地獄に叩き落としたりね】

【ふふ、あんまりいじめすぎたら潰れちゃうんじゃない?】

 おばさんはクスクス笑う。

【彼はそんなに弱くないよ】

【なんで断言できるの?】

【だって彼はこの物語の主人公なんだ! 僕達、神という悪役を倒すまで彼は止まらないし、止まれない。憎しみが強ければ強いほど、彼は復讐にのめり込んでいく。そうなるように創ったからね】

【ふふ、本当に悪趣味だこと】

【褒め言葉として受け止めておくよ】

~~~~~~~~~

 唇を離す。

「どうして……」

 シオンが俺の事を信じられないという目で見つめてくる。攻めるようなその視線に思わず目を逸らす。

「悪い……でも、俺にはお前を、お前達を殺すなんて出来ない」

 いつの間にか流れていた涙を拭う。

「だめだよ。それでも僕は生きていちゃいけないんだ。じゃないとまたあいつが表に出てきて全てを壊してしまう」

 俺は思わず潰れていない右腕でシオンを抱きしめる。

「俺が……俺がどうにかする、どうにかしてみせる! だから、そんな事を言わないでくれ」

 シオンが俺の背に手を回して、弱々しく抱きついてきた。俺はさらに強く彼女を抱きしめた。

「大丈夫だから。きっと俺がなんとかしてみせるから」

 自分に言い聞かせるように何度も呟く。シオンの方も言葉に呼応するように俺の背に回った力がどんどん強くなっていった。

「絶対に俺が……っ」

 俺を抱きしめる力が常人のそれを越えた。背骨がミキミキと軋んだ。

「シ、シオン?」

 彼女の方に顔を向けると、彼女は顔を歪めていた。ひどい痛みに耐えるように。突然体が激しく痙攣した。

「あ、ああ、あああああ……」

 彼女の肩甲骨のあたりが膨れ上がり始める。徐々に徐々に、体内から純白の翼が生え始めた。

「シオン! おい、意識をしっかり持つんだ!」

 俺は必死に呼びかける。だがシオンの体は変化をし続ける。

「だめだ、やめてくれ!」

 シオンの体が突然光った。ついで凄まじい衝撃が走り、俺は吹き飛ばされる。

「がはっ……」

 少し離れた壁に叩きつけられる。

「シオン……」

 彼女の方に顔を向けると、彼女は頭を抱えて悶えていた。弱々しく俺の方に顔を向けてくる。聞こえないはずなのに彼女の口の動きだけで、何を言っているか理解した。

「逃げられるわけねえだろ!」

 俺は立ち上がってシオンに駆け寄る。だが全てが遅かった。シオンが口を動かす。

『殺して』

 その口の動きが終わった瞬間、彼女は二度と起きる事のない眠りについた。

【別れは済んだか?】

 彼女の声で、彼女の顔で、彼女ではない悪魔が言う。

「なんでっ……」

 俺は奥歯を噛み締める。バキッという音が聞こえた。

【お前のせいだ。お前が彼女の魂を揺さぶったから、シオンはもう二度と表に出る事はない】

「なにを……?」

 レトは俺にひどく楽しげに魂について話す。そして、俺がした行いの意味も。

【お前はお前自身の手で彼女を地獄に堕としたのだよ】

 その言葉を聞いた瞬間、周囲の景色がぐにゃりと歪み、立っていられなくなり、地面に膝をつく。痛いはずなのに痛みすら感じない。レトの言葉が何度も何度も頭の中で反芻する。

 それなのにりかいできない。
 だってあいつは、らぐなはいったんだ。
 そうすればしおんをすくえるって。
 じごくってどういうことだ?
 おれのせいでしおんが?
 なんで? どうして?
 いみがわからない

【……………】

 なにかいっている。
 だけど、おれにはわからない。
 なにもわかりたくない。

 ばくふうがおれをふきとばす。
 たたなきゃいけないのに、あしにちからがはいらない。
 めでぼんやりとしおんのほうをみる。
 あいつはおれにもうきょうみをもっていない。
 つばさがうごく。
 またたくまにそらにうかぶと、どこかにとんでいった。

~~~~~~~~~

 痛みに目を覚ますと、目の前にマルシェの顔があった。すぐそばにアルトワールとテレサさんもいた。全員目を瞑っていた。ぼんやりとしていた頭がどんどん覚醒していく。そして思い出す。

「マルシェ!」

 体を起こし、マルシェの様子を伺う。短く、浅い呼吸を繰り返し、顔色はもはや白を通り越して青い。だけど、まだ生きていた。

「クソッタレ!」

 俺は悪態をつく。救いたいのに、俺には彼女を回復させる力がない。

「そうだ、テレサさんなら!」

 彼女は水法術を使える。それなら治癒の術も知っているはずだ。俺はテレサさんの体を軽く揺する。

「テレサさん! 起きてくれ! 頼む!」

 彼女は見た感じ怪我している様子はなかった。だが目を覚さない。このままだとマルシェが死ぬ。俺は焦ったくなって思わず彼女の肩を掴んで激しく揺さぶった。

「う……」

 テレサさんがゆっくりと目を開けた。

「よかった! 頼む、マルシェを助けてくれ!」

 俺は叫ぶ。テレサさんはその声ではっきりと覚醒したらしい。頭を押さえながらマルシェを診る。

「これは……」

 だがその顔はすぐに泣きそうな顔へと変わった。

「どうしたんだ? 助けられるんだよな?」

 俺は縋るように尋ねる。だけど彼女は静かに首を横に振った。

「ごめんなさい。私の力じゃ無理だわ」

「なんで!」

「怪我が酷すぎるの。これを治せる術を私は扱えない。出来るのは使徒のウィリアム様ぐらいよ」

 テレサさんの言葉が信じられない。なのに、分かってしまう。彼女が嘘を言っていないことを。

「そんな……」

 俺が呆然としていると、マルシェが小さく咳き込みながら血を吐いた。

「マルシェ!」

 アルトワールも目を覚ましたのか、俺を突き飛ばして彼女に近寄る。

「治療……治療しなきゃ!」

 泣きそうな声で、すぐに俺たちを覆っていた『岩牢』を解除する。外の惨状が目に入ってきた。

「これは……」

 口から言葉が溢れる。突然、影が俺にかかる。そちらに顔を向けるとジンが幽鬼のように立っていた。左腕が潰れている。

「ジン、マルシェが!」

 そう言った俺をチラリと見ると、ジンは感情を失った顔でマルシェを見つめた。それから彼女の患部に手を当てた。

「なにをするつもりだ?」

 傷口を触られてもマルシェは反応しない。どんどん死が近づいているのだ。

「なにをするつもりだ!」

 もう一度俺はジンに叫ぶように聞く。だがジンは俺を無視して患部に右手を当て続ける。やがてジンの手が光り、マルシェの傷口がどんどん塞がっていき、瞬く間に元通りになった。弱々しかった彼女の呼吸がだんだん落ち着いてくる。

「もう大丈夫だ」

 ジンが一言呟く。俺はその言葉を聞いて思わず涙が出てきた。

「ありがとう……ありがとうな」

 俺の言葉を聞いているのか、聞いてないのか、ふらりと立ち上がると、ジンは重い体を引きずるように歩き出した。

「ジン! どこに行くんだ!」

 俺の声を無視してジンは進んでいく。追いかけようとしたが、そこで足が折れていることに気がついた。

「アルトワール! ジンを止めるんだ!」

 なぜそんな事を言ったのか分からない。だがアルトワールも立ち上がり、ジンの方へ歩き出そうとして、立ち止まった。

「なんで止まるんだ!」

 俺がアルに聞きながら、その顔を見るとひどく怯えていた。その視線の先にいたジンの顔がこちらに向いていた。それを見て俺は固まった。声さえ出せなくなった。ジンの顔がまるで悪鬼のように怒りと憎しみで歪んでいたから。ただただ怖かった。俺たちは奴の背が見えなくなるまで、ただそれを見送るしかなかった。


 その後、ジンがどうなったか、俺たちは知らない。
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