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第5話「ありがとう、本命?」
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「……あ、よかった! ここにいたんですね!」
ラズが着替えを終え、廊下に出ると、時を同じく着替え終わったリーゼロッテが、ラズに向けてにこにこと手を振っていた。赤いマフラーにベージュ色のコート、ポンポンつきのニット帽。外の寒さに負けぬよう、完全防備だ。
ラズが笑顔で返すと、彼女が駆け寄ってくる。ラズの手にする紙袋よりも二回り大きいそれから、手のひらに収まるサイズの包みを差し出した。店でよく見る焦げ茶色の包装紙に、金色のリボン。しかし、このような小さな売り物は存在しない。
「はい、ラズくん。ハッピーバレンタインです!」
ラズもリーゼロッテの笑顔に併せて、にこりと愛想笑いを浮かべる。
彼女のことが決して嫌だったわけではない。しかし、彼は心理に気づいたのだ。
どうせこの包みは友好の証という意味だろう。昨日もそうだけど、自分にだけ特別ってわけじゃないし、ゼナイドにもオーギュストにもマクソンスにもジローにも――すなわち、ここに働く従業員全員にも渡しているものだろうに、とも。
ラズはため息を押し殺しながら、それを受け取った。顔に張り付いた愛想笑いは消えない。嬉しくないわけではないが、正直言って複雑だった。
「ありがとう、本命?」
ラズが何気なく早口で言うと、リーゼロッテはオウム返しのようにつぶやきながら首をかしげる。
ああどうせそんなことだろうと思った、聞くまでもないよなあ、と、ラズはその包みをショルダーバッグの一番上にしまった。
「ホンメイ――の意味は分かりませんけれど、ラズくんのものは特別です。マクソンスさんと一緒に、今朝頑張って作りました!」
紙袋を持ったラズの左手の人差し指が、リーゼロッテの言葉の中で二度反応する。特別、と、頑張って作った、の二度だ。情報量が多すぎる上、言葉の破壊力が格段だった。
後頭部に向けて湧き上がる熱を感じながら、ラズは無理矢理愛想笑いを顔に貼り付ける。平常心を保つためである。
「へえ、今朝忙しかったのに、頑張ったんだね」
「はい! ラズくんのことを思って、一生懸命作りました!」
満面の笑みを浮かべ、陰りない笑顔でリーゼロッテは言う。明るい彼女の様子からは、太陽らしく嘘偽りといった影は存在しない。
ラズはそれを真正面から受け止め、脳髄がぐらりと傾くような、めまいに似た浮遊感を覚えていた。あやうく、手にした紙袋を取り落としそうになるほどに。
――ああもう、そういうところなんだけど。
心の底から湧き上がる、羨望、愛情、嫉妬、困惑、動揺、不安――それら大小様々な感情が、ラズの胸の内でぐるぐると巡る。そのすべてを受け入れられず、空いている右手で頭を掻いた。彼のくせっ毛に、寝起きのような癖がつく。ため息の代わりにゆっくりと深呼吸を繰り返した後、リーゼロッテに紙袋を差し出した。
「俺も、これ。ロッテのことを考えて選んだよ」
バレンタインの単語を意地でも口にしないのは、彼にとってのこだわりである。
「ラズくんから? ありがとうございます!」
リーゼロッテは紙袋を受け取るなり、双眸を輝かせた。それを抱えるようにぎゅっと握りしめると、ラズの目の前であの眩しい笑顔を向けてくる。自分に向けた分ではないだけ、先ほどよりもダメージは少ないが。それを横目に、彼は再び作り笑いを貼り付けていた。
これがリーゼロッテという少女の素なのだ。眩しいくらいの笑顔も、弾んだ高い声も、胸の内を嘘偽りなくさらけ出す態度も。誰にだって、そうだ。その現実に、ラズはほんの少しの苛立ちを覚える。が、それと同時に、安堵もした。この表情を向けられる以上は、自分は嫌われていないことを意味するからだ。
やがて、沸騰するように停滞していたラズの頭の奥が、徐々に普段通りへと戻っていく。脳裏に再び浮かんだリーゼロッテの笑顔が脳の動きを鈍らせたが、視線を足下へ向けることでなんとかやり過ごした。
――でもま、男を勘違いさせるような物言いは、なんとかした方がいいよなあ。
ラズは自分の足下に向けてため息をつくと、静かに腕を組んだ。右手の親指が左胸に当たる。どくりどくりと早鐘を打っている。もう平常通りに戻っていると信じていたのは、ラズの意識だけだった。
彼の思いが通ずる日は、まだ遠いだろう。
ラズが着替えを終え、廊下に出ると、時を同じく着替え終わったリーゼロッテが、ラズに向けてにこにこと手を振っていた。赤いマフラーにベージュ色のコート、ポンポンつきのニット帽。外の寒さに負けぬよう、完全防備だ。
ラズが笑顔で返すと、彼女が駆け寄ってくる。ラズの手にする紙袋よりも二回り大きいそれから、手のひらに収まるサイズの包みを差し出した。店でよく見る焦げ茶色の包装紙に、金色のリボン。しかし、このような小さな売り物は存在しない。
「はい、ラズくん。ハッピーバレンタインです!」
ラズもリーゼロッテの笑顔に併せて、にこりと愛想笑いを浮かべる。
彼女のことが決して嫌だったわけではない。しかし、彼は心理に気づいたのだ。
どうせこの包みは友好の証という意味だろう。昨日もそうだけど、自分にだけ特別ってわけじゃないし、ゼナイドにもオーギュストにもマクソンスにもジローにも――すなわち、ここに働く従業員全員にも渡しているものだろうに、とも。
ラズはため息を押し殺しながら、それを受け取った。顔に張り付いた愛想笑いは消えない。嬉しくないわけではないが、正直言って複雑だった。
「ありがとう、本命?」
ラズが何気なく早口で言うと、リーゼロッテはオウム返しのようにつぶやきながら首をかしげる。
ああどうせそんなことだろうと思った、聞くまでもないよなあ、と、ラズはその包みをショルダーバッグの一番上にしまった。
「ホンメイ――の意味は分かりませんけれど、ラズくんのものは特別です。マクソンスさんと一緒に、今朝頑張って作りました!」
紙袋を持ったラズの左手の人差し指が、リーゼロッテの言葉の中で二度反応する。特別、と、頑張って作った、の二度だ。情報量が多すぎる上、言葉の破壊力が格段だった。
後頭部に向けて湧き上がる熱を感じながら、ラズは無理矢理愛想笑いを顔に貼り付ける。平常心を保つためである。
「へえ、今朝忙しかったのに、頑張ったんだね」
「はい! ラズくんのことを思って、一生懸命作りました!」
満面の笑みを浮かべ、陰りない笑顔でリーゼロッテは言う。明るい彼女の様子からは、太陽らしく嘘偽りといった影は存在しない。
ラズはそれを真正面から受け止め、脳髄がぐらりと傾くような、めまいに似た浮遊感を覚えていた。あやうく、手にした紙袋を取り落としそうになるほどに。
――ああもう、そういうところなんだけど。
心の底から湧き上がる、羨望、愛情、嫉妬、困惑、動揺、不安――それら大小様々な感情が、ラズの胸の内でぐるぐると巡る。そのすべてを受け入れられず、空いている右手で頭を掻いた。彼のくせっ毛に、寝起きのような癖がつく。ため息の代わりにゆっくりと深呼吸を繰り返した後、リーゼロッテに紙袋を差し出した。
「俺も、これ。ロッテのことを考えて選んだよ」
バレンタインの単語を意地でも口にしないのは、彼にとってのこだわりである。
「ラズくんから? ありがとうございます!」
リーゼロッテは紙袋を受け取るなり、双眸を輝かせた。それを抱えるようにぎゅっと握りしめると、ラズの目の前であの眩しい笑顔を向けてくる。自分に向けた分ではないだけ、先ほどよりもダメージは少ないが。それを横目に、彼は再び作り笑いを貼り付けていた。
これがリーゼロッテという少女の素なのだ。眩しいくらいの笑顔も、弾んだ高い声も、胸の内を嘘偽りなくさらけ出す態度も。誰にだって、そうだ。その現実に、ラズはほんの少しの苛立ちを覚える。が、それと同時に、安堵もした。この表情を向けられる以上は、自分は嫌われていないことを意味するからだ。
やがて、沸騰するように停滞していたラズの頭の奥が、徐々に普段通りへと戻っていく。脳裏に再び浮かんだリーゼロッテの笑顔が脳の動きを鈍らせたが、視線を足下へ向けることでなんとかやり過ごした。
――でもま、男を勘違いさせるような物言いは、なんとかした方がいいよなあ。
ラズは自分の足下に向けてため息をつくと、静かに腕を組んだ。右手の親指が左胸に当たる。どくりどくりと早鐘を打っている。もう平常通りに戻っていると信じていたのは、ラズの意識だけだった。
彼の思いが通ずる日は、まだ遠いだろう。
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