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第1章 SHP

第6話 美里とギルフォード

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 ギルフォードは昨日異変に遭遇した海岸に着いた。周囲を見回してから、件の藪に向かった。
 自転車から降りて再び藪を探ってみたが、今回は特に異変もなく、頭に変な声が響く様子もない。やっぱり空耳だったのだろうかと思うと、つい小さく「空耳ア~ワ~♪」と口ずさんでしまい、ギルフォードは苦笑した。
 ふと見ると、藪から少し離れたところに小さな公園がある。せっかくなのでそこで少し休憩することにした。
 自転車を手押しして公園の中に入ると、大きな木の横にちょこんとベンチがあった。ギルフォードは横に自転車を止めてベンチに座った。日本によくある小規模な公園で、英国の広大な公園を知るギルフォードにとっては広場という感覚である。ウエストバッグからマグボトルを取り出し自家製ミルクティーで一服する。昨日に引き続き梅雨時にしては爽やかな晴天で、心地よい。ギルフォードはベンチにごろんと横になりぐんと伸びをした。そのまま両手を首の後ろで組んだ。2日続けて遠出した上に自転車で長距離を走ったので疲れが出たのか、ギルフォードはそのまま眠ってしまった。

 富田林と葛西は、ギルフォードの後を追って海岸までやって来た。
「もお、富田林さん、足痛いですよ。折り畳み自転車のタイヤが小さすぎます」
「根性が足りんのだ。俺なんか全然平気だぞ」
 葛西は富田林を恨めしそうに見て思った。
(トンさん、足短いやん)
「トンさんはやめろ~~~」
「スミマセンッ(ツッコむのそっちかよ! てか、なんで聞こえてんだよッ)」
「それより、奴はどこへ行った」
「せめて教授って言ってくださいよッ」
「とりあえず、自転車こいつをどこかへ置いてから、この辺を散策しようか」
 というと、富田林は近くにあった木に目を付け、チェーンを巻いて自転車2台をロックした。
 しばらく歩くと昨日の藪とその向こうに公園が見えた。
「あれ?」葛西が言った。「あの公園のベンチに寝てるの、教授じゃないですか?」
「おう、確かに奴だ。目立つから遠くからでもよくわかるわい」
「遠出が続いて疲れちゃったのかな」
「不用心だな。たるんどる。まあ、ほっといて俺たちは捜査を続けるぞ」
「は~い」
「『はい』は短くきびきびと! おまえもたるんどるぞ!」
「はいッ!」
 葛西は半ばヤケで声を張り上げた。

 「ママ―、ガイジンのホームレスのヒトが寝てるよ~」
 ギルフォードはその声に飛び起きた。ベンチに座ったまま改めて自分の姿をみると、リップドジーンズは(一見)ヨレヨレで黒のTシャツは色あせておりくたびれたレザージャケット(若干くたびれた方が着心地がいいのだ)は着崩れて右肩が露出してしまっている。さらに後ろに軽く結んでいた髪も寝ていたためにぼさぼさである。ホームレスと勘違いされるのも無理はない。
 声の方向を見ると、幼稚園くらいの幼い男の子と若い母親が立っており、男の子がギルフォードの方を指さしている。母親はギルフォードが起き上がったので我に返ると、急いで子供の手を取り下に下ろすと言った。
「見てはダメよ、行きましょっ!」
「あ、あの、スミマセ……」
 ギルフォードは誤解を解こうと声をかけようとしたが、母親は子供の手を引っ張ってそそくさとその場から逃げようとした。
「おじちゃん、ばいばーい」
 男の子は引っ張られながらもギルフォードに向かって笑顔で手を振った。ギルフォードもお返しににっこりと笑って手を振る。
「いいから来なさいっ」
 男の子は母親にひっ抱えられて去っていった。ギルフォードは手を振るのを止めると、ゆっくりと手を下ろしため息をついた。
” 誤解されちまったぜ ”
 そう言って苦笑いをすると立ち上がり、髪を結びなおして、はみ出したシャツをジーパンに押し込んでジャケットを着なおし身だしなみを整えた。
「さてっと、どうしましょうかねえ」
 その時、またもギルフォードの頭に声が響いた。
「うわっ」
 またも頭を抑えるギルフォード。今度は漠然としたものではなく、明確な意味として声が響いた。
” たすけて……だと? ”
 ギルフォードは腕組をして考え込んでしまった。
(”これがテレパシーってやつか? それとも俺の頭がおかしくなったのか?”)
 そんな時、遠くでなにか騒ぐ声がした。見ると、少し向こうの通りを女の子が歩いており、その後ろを少年たちがはやし立てている。少女はそれを無視して足早に歩いている。少年たちは駆け寄って少女の周りを囲み、おどけた格好をしながらはやし立て始めた。
(”なんだ、あのムカつくガキどもは!”)
 ギルフォードは躊躇せずにガキもとい少年たちの方に向かって駆け出していた。

「やめナサイ! 女の子ひとりになにをしているのですか!」
「わ~~~、ガイジンだ~~~~」
「おれ、英語ワカリマセーン」
「逃げろ~~~」
 突然現れた大柄の外国人に驚いて、少年たちは走って逃げて行った。
「君、大丈夫ですか?」
 少女は、ギルフォードの顔を見ると少し驚いた表情をしたが、つっけんどんに「ありがとう」というと、さっさと歩きだした。ギルフォードはなぜか気になって、少女の後を追った。
「あの、いつもあんなふうにされているのですか?」
 気になった質問をしてみるが、少女は無視して歩いていく。
「あのー」
「うるさいなあ。あんた昨日もいたでしょ。なんしに来とるん」
 そう言われてギルフォードはやっと気が付いた。
「ああ、君は昨日の、えーっと」
「覚えとらんの? きのう自転車屋のおしゃべりオヤジからきいとらんの?」
「スミマセン、名前は聞いたのですが、どうも顔も名前も一回では覚えられなくて」
 ギルフォードはやっぱり由利子たちを連れてくればよかったと後悔した。しかし、さすが子供たらしのギルフォード、飾り気がない態度で接したせいか、美里はなんとなく警戒を解いたようだった。
「なん、顔が覚えられんのか。大人のくせにダメだなあ」
「スミマセン」
「あたしは金子美里。おじさんは?」
「僕は、アレクサンダー・ギルフォードです」
「あれくさん……えっと?」
「ああ、難しいですね。なのでミサトちゃん、僕のことはアレクと呼んでください」
「うん、アレクね、わかったよ」
 美里がにっと笑って言った。

「ああ、おどろいた」
「なんで、こんなとこに外人がおるんや」
「ばりでかいヤツやったな、目が緑色しとったし」
「金髪長かったな」
「俺らの英語の先生東洋系だもんな」
「ロックの人かな?」
「そんなんがこんな田舎におるわけなかろーもん」
 美里をからかっていた少年たちが、百数メートル先のコンビニ前まで走って座り込みながら口々にわめいていた。
「あれ? 聖士サトシ、おまえどうしたんや?」
「さっきから何も言わんで」
 少年たちの中で一人むすっとして黙っている少年を見て皆が不審そう尋ねた。
「何でもねーよ。くそ、金子のやつ、いつのまに、あ、あんな……」
「そういや、イケメンやったな」
「ただの外人のオッサンやんかッ!」
「聖士、なんか顔が赤いぞ」
「こ、これは走ったからだよ。おまえらだって赤いから。それよりいい加減帰らんとかあちゃんにがられる怒られるぞ」
 そういうと聖士は立ち上がった。

「やっと笑いましたね。笑った方が可愛いですよ」
 ギルフォードが必殺の笑顔で言った。しかし、美里はまた不機嫌に戻って言った。
「かわいい? 無理しなくていいよ」
「どうして?」
「いままで『可愛げがない』しか言われたことないし」
「そんなことないです。ミサトちゃんは可愛いです。むすっとしてたって可愛いです」
「怪しいなあ。あんた、タラシ? まさか誘拐犯?」
「ちがいます。そうそう、名刺あげておきますから」
 そういうと、ギルフォードはジャケットの胸ポケットから名刺入れを出して美里に渡した。
「いいの? あたし、子供だよ?」
 美里は名刺を渡されて戸惑いながら言った。
「いいですよ。何かあったらケータイ番号に電話してください。ただし、落とさないでね」
「わかった。ありがとう」
 美里は初めて大人にもらった名刺をしげしげと眺めながら言った。
「大学の先生だったんだ。そうみえないけど」
「大学のホームページで確認できますよ」
「うん、帰ってから見てみるよ」
 美里はそういうと、ランドセルを下ろし古いシステム手帳を出して、名刺を大事そうに名刺入れにしまった。
「古いけど機能性の高そうな良い手帳ですね」
「うん。父さんからもらったんだ」
 ランドセルに手帳を収めながら言った。少し声のトーンが落ちたような気がした。
 美里はランドセルを背負うと、ぴょこんとお辞儀をしながら言った。
「アレク、今日は助けてくれてありがとう。遅くなると日紗子おばちゃんが心配するから、バイバイ」
 美里はそういうや否や駆け出して、見る見る遠くに去っていった。ギルフォードはその姿にしばらく手を振っていた。

 それを一部始終見ていた男たちがいた。富田林と葛西である。
「アレクってば、相変わらず子供に懐かれるなあ。うらやましい」
「なんだ? おまえロリコンだったのか?」
「違いますよ。だって、僕たちが近づくと子供たちみんな逃げるじゃないですか」
 葛西はそれがふっけい君面した富田林が劇画調ふっけい君状態でいつも葛西の後ろに立っているせいだということを知らなかった。
「警察官は怖がられるくらいがちょうどいいんだ!」
「そうかなあ」
「そういやあ、あれは昨日の金子美里って子じゃないか?」
「そうですね」
「偶然だろうか」
「え?」
「いや、何でもない。さて、ギルフォードセンセイの道楽は放っておいて、俺たちは捜査に戻るぞ」
「道楽って、僕たち警察が協力をお願いしたんじゃ……」
「スタンドプレイまでお願いしとらん」
「……で、何を調べるんですか?」
「そりゃあ、基本は聞き取り調査だ」
「え~。だって昨日成果なかったじゃないですか」
「だからもう少し範囲を広げるんだ。行くぞ」
「了解!」
 二人は地図を広げて次の聞き取り先を決め、そこに向かった。しかし、富田林ペアは、自分たちとは別に美里とギルフォードを見ていた人影があったことに気が付かなかった。謎の二人組は、ギルフォードと富田林ペアがその場から去ったのを見届けると、何食わぬ顔で美里の後を追った。
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