一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(三)・彼女の名前の由来と、幼少期の祖母との思い出

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え、…名前、ですか?私の?……ええ、父が付けました。
ええ、そう思われますよね?私、逆の冬の子、二月生まれなんです。
ええ、先月、…二十八に。
…そう言えば、あれはいつだったか、確か私が幼稚園に通ってた頃のことだと思いますけれど、夏場に父と道を歩いていて、「これが葵の花だ」って教わって、なんで私、夏の生まれじゃないのに「葵」なの?って訊いたことがあります。まだ離婚の話なんか、少なくとも当時の私には、気もなかった時分の話です。
父は「植物の『葵』は、元々は「逢ふ日」なんだ。良く見なさい、真っ直ぐ太陽に向かって咲いているだろう?…その上に、花言葉が『大望』、大きな望みだ。どうだ、いい名前だろう」って威張ってました。
後で祖母に聞いた話ですが、私が生まれる時に、…女の子、っていうのは分かっていたので、父はとにかく花の名前がいいって言って、ただの植物図鑑じゃない、植物の名前の由来やら、花言葉やら何やらまでがちゃんと載ってるっていう、馬鹿馬鹿しく大きくて分厚い事典買ってきて、暇さえあればひねくっていたそうなんです。
祖母は「男の人ってのは、どうしてああだろう」って苦笑いしていましたけれど…。私も、「立花」って、名字にも「花」の字が入っているのに、何でわざわざ花の名前、付けるんだろう、って思っていました。…ええ、名字だって、元々は花の…って言うか、植物の名前ですよね?
そう言えば、祖母もね、変…って言うと悪いですけれど、何て言うか、…可笑しいところ、ありましたよ。祖母は元々、立花の家の家付き娘なんですよ。私は今でも良く知らないんですけれど、うち、何でもそれなりに由緒があるらしくて…。「立花の家は世が世なら」って、良く言っていました。
まあ、大抵これは、いわば私にお説教する前置きで、…要するに、私にしっかりしろってことですね。ご期待に添えなくて、お祖母ちゃん、ごめんなさい…って、不肖の孫娘は平謝りするしかないです。

もう少しだけ祖母の話、しても構いませんか?…ありがとうございます。
うちの祖母ね、本当に立志伝に出てくる人みたいだったんですよ?家付き娘に甘んじないで、お稽古事の茶道で、頑張って師範の資格まで取って、祖父が早く亡くなったあと、茶道教授で身を立てて、女手ひとつで一人娘の母を育てて、大学まで出したっていう…「賢女」って言うか、…孫娘の私が言うのも何ですけれど、いわゆる「女傑」です。
伍代さん、うちの、仏間の次の間、ご覧になりましたよね?…あそこね、本当はお茶のお稽古、できるようになっているんです。炉も切ってありますし。
……伍代さん、うちの祖母はね、本当に格好良い人だったんです。起きてる間はいつも着物で、しゃん、としてて。…そりゃ、お稽古終わったら、「あー、疲れた。葵、少し肩揉んで」なんて言う時もありましたけれど。でも、いざという時には、何があっても、全力で私を守ってくれましたし、私も、そんな祖母の隣にいて、祖母を手助けできるのが本当に嬉しかった。
母は、その…先ほどお話したような人なんですけれど、「女傑」の一人娘としては、もしかしたら、母親である祖母に対する複雑な感情もあったのかも…って、今ではそう思います。

そう言えば、思い出したことがあります。お話ししても構いませんか?…では、お言葉に甘えて。
私が祖母の家に引き取られてしばらく経った頃でしたから、あれは小学三年の時のことだったのかな?とにかく、小学校の下校途中のことでした。
その時はまだ、一緒に帰るような相手もいなくて、私が一人で歩いていると、もう今では名前も顔も覚えていないんですけれど、普段話したこともない、同じクラスの男子が、いきなり後ろから、私をランドセルごと突き飛ばしてきて、「やあい、インラン親父とインランお袋から生まれたインラン娘、やあい!」って囃し立てたことがあったんです。「インラン」って、その時は意味が理解できなかったけれど、両親の離婚のことで自分が馬鹿にされている、っていうことだけは、さすがに直感的に理解できました。…それと同時に、通常の人体の血液の流れを全く無視する勢いで、自分の顔から血の気が引くのがわかりました。その時の自分の顔色なんか、勿論自分の目からは見えやしませんけれど、でも自分の唇が、局所麻酔を掛けられた時みたいに端からずんずん冷たくなっていったのは、物凄く良く判りましたから。
普段から私、祖母に「そういうのは相手にするんじゃない」って言われていましたから、大抵は黙ってスルーしていたんですけれど、その時ばっかりは我慢できなかった。何か…理性の箍が弾け飛んだみたいな、…ああ、そうですね、その通りです。「堪忍袋の緒」です。さすが伍代さん、言葉を使うのがお仕事の方ですね…。とにかくその、私の堪忍袋の緒が、音を立てて切れたのが、それはもう、手に取るようにはっきりとわかりました。
私、ほとんど反射的に、お返しじゃないですけれど、相手の胸を思い切り突き飛ばして、相手が尻餅つく前で足踏ん張って、父親にも母親にも見棄てられたヤツの気持ちがお前に分かるか!?インランだろうが何だろうが私の親だ!!って啖呵切って、家まで走って帰りました。
…いいえ、泣きながら、じゃありません。家にたどり着いて、ちょうどお稽古がお休みで、「どうしたの葵!?」って言いながら出迎えてくれた、いつもの割烹着姿の祖母を見て、初めて涙が出てきたの、覚えていますから…。ただいまも言わないで祖母にすがりついて、さっきあったことを全部ぶちまけました。
祖母もね、私の話を聞くなり顔色を変えて、
「子供の喧嘩に保護者が出るのは気が進まないけれど、いくら何でもこれはちょっと酷すぎる。第一、子供の喧嘩って言うには、少しばっかり洒落にならない」
って、即座に学校に掛け合ってくれて…。何よりその時のPTAの会長さん、祖母のお弟子さんだったんです。いざとなればそういう、搦手からも攻勢掛けるようなことを全く躊躇わない人でした。「不必要に喧嘩を売る必要なんかないけれど、こちらに対して礼儀を守らない相手に、こちらが礼儀を守る必要も謂れもない」って、良く言ってましたっけ…。
その男の子ですか?…多分、親だの担任の先生だのにこってり油を絞られたんでしょうね。翌日、無言で教室に入って行った私の顔を見て、何か言いたそうな顔していましたけれど、でも、それ以来、私に絡んでくることはなくなりました。…ええ、本当に、名前も顔も覚えていません。
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