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30.眠れぬ夜を数えて
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静かな夜だった。静かすぎる、夜だった。洞窟の奥で、布にくるまれて眠る黄金の髪の少年が一人。それを眺めながら、焚き火に薪をくべる銀髪の青年が一人。会話などなく、ただ、沈黙の中に薪の爆ぜる音が響く。
不意に、少年が体を起こした。どうしたと問いかけようとした青年の言葉を遮るように、何も聞きたくないと言うように、少年は両耳を掌で覆った。布が肩から滑り落ち、服の上からでも体が震えているのが解った。きつくきつく瞼を閉じ、血が出るほどに唇をかみしめる。かたかたと歯が鳴る音がしていたが、少年は何も言わなかった。
その背中が、青年を拒絶していた。心配そうに伸びた腕が、少年に触れることのできないままに、仕方なさそうに引き戻される。青白い顔をしたままで、少年は身動き一つしなかった。それは、青年の知る少年とは、どこまでもかけ離れた姿だった。
「…………フーア?気分でも悪いのか?」
半ば強引に、少年の掌をはがし、問いかける。次の瞬間、青年の腕は振り払われていた。手負いの獣が、庇護の手を敵と恐れて振り払う、その様にひどく似ていると、青年は漠然と思った。
答えはなかった。ただ、怯えたように少年は縮こまり、再び掌で耳を覆う。それをまた、青年が強引に引きはがした。先ほどよりも強い力ではがされ、強い力で手首を捕まれ、それで初めて、その痛みで、少年は青年に気づいたようだった。
「……アズル?」
「何があった?顔色が恐ろしく悪いぞ、お前。」
「…………何でも、ない……。ちょっと、夢見が悪かった、だけだ……。」
「ただ夢見が悪かっただけで、そこまでになるか、お前が。自分で気づいているのか?死人みたいな顔色だぞ?」
「……放して、くれ……。大丈夫だ。明日には、きっと……。」
「その状態で眠れるのか、お前?」
心配げに顔をのぞき込む青年の、深紅の双眸から逃げるように、少年は両眼を深く閉じて、唇を噛み締めたまま俯いた。宥めるように、大きな掌が頬を撫でた。びくりと、少年の体が跳ねた。怯えているのだと、青年は気づき、眉間にしわを刻んだ。
仕方ないと、青年はため息をついた。未だ俯いたままの、視線すら合わせない少年を見て、彼は伸ばした腕で布を拾い上げ、ぱさりと頭からかぶせる。ぽんぽんと、頭を軽く撫でるようにして叩き、堅く緊張したままの体を宥めるように、そっと抱きしめた。
怯えたような声が、あがる。逃げようと動いた体を、青年は腕の中に抱き込んだ。暴れる力の強さに舌打ちをしながら、それでも腕を放さない。嫌だ、放せ、やめろ、などなど少年の口からは拒絶の言葉が溢れた。
「落ち着け、フーア。眠れ。どんな夢を見たかしらんが、お前は人間で、眠らなければ倒れるんだ。」
「……っ、放せ、嫌だ……っ!!」
「大人しく寝てしまえと言っている!」
「…………っ!」
「……眠ってしまえ。眠れぬ夜など、人間には、必要ないはずだ。」
「…………ぅ……。」
しがみつく腕があった。きつくきつく、それこそ血管が浮き出ているのではないかと思えるほどの力で、少年は青年にしがみついていた。かすかな痛みをやり過ごし、青年は少年の瀬を撫でる。眠れと、穏やかな声が、また、囁いた。
青年は、眠りを必要としなかった。けれど、少年には、眠りが必要なのだ。だからこそ彼は、何も問いかけず、ただ、言う。眠ってしまえと、優しく。
やがて、少年は眠りに落ちる。いつ泣いていたのか、その頬には、涙の跡が刻まれていた。その小さな体を腕に抱いたまま、青年は焚き火を見つめた。赤々と燃える炎を見つめる青年の瞳は、それよりなお深い、深紅の輝きを宿していた。
「…………お前はいったい、何なんだ……?」
答えが返るわけがないと解りつつも、青年は問いかけた。何がお前を苦しめているのだと、続ける。常の強さをすべて壊すほどの弱さが、少年にはあった。そして青年は、その理由を、何一つとして、知らなかった。
眠ることのない青年は、もどかしさを抱えたままで、腕の中の少年を守るようにして、夜を明かした…………。
不意に、少年が体を起こした。どうしたと問いかけようとした青年の言葉を遮るように、何も聞きたくないと言うように、少年は両耳を掌で覆った。布が肩から滑り落ち、服の上からでも体が震えているのが解った。きつくきつく瞼を閉じ、血が出るほどに唇をかみしめる。かたかたと歯が鳴る音がしていたが、少年は何も言わなかった。
その背中が、青年を拒絶していた。心配そうに伸びた腕が、少年に触れることのできないままに、仕方なさそうに引き戻される。青白い顔をしたままで、少年は身動き一つしなかった。それは、青年の知る少年とは、どこまでもかけ離れた姿だった。
「…………フーア?気分でも悪いのか?」
半ば強引に、少年の掌をはがし、問いかける。次の瞬間、青年の腕は振り払われていた。手負いの獣が、庇護の手を敵と恐れて振り払う、その様にひどく似ていると、青年は漠然と思った。
答えはなかった。ただ、怯えたように少年は縮こまり、再び掌で耳を覆う。それをまた、青年が強引に引きはがした。先ほどよりも強い力ではがされ、強い力で手首を捕まれ、それで初めて、その痛みで、少年は青年に気づいたようだった。
「……アズル?」
「何があった?顔色が恐ろしく悪いぞ、お前。」
「…………何でも、ない……。ちょっと、夢見が悪かった、だけだ……。」
「ただ夢見が悪かっただけで、そこまでになるか、お前が。自分で気づいているのか?死人みたいな顔色だぞ?」
「……放して、くれ……。大丈夫だ。明日には、きっと……。」
「その状態で眠れるのか、お前?」
心配げに顔をのぞき込む青年の、深紅の双眸から逃げるように、少年は両眼を深く閉じて、唇を噛み締めたまま俯いた。宥めるように、大きな掌が頬を撫でた。びくりと、少年の体が跳ねた。怯えているのだと、青年は気づき、眉間にしわを刻んだ。
仕方ないと、青年はため息をついた。未だ俯いたままの、視線すら合わせない少年を見て、彼は伸ばした腕で布を拾い上げ、ぱさりと頭からかぶせる。ぽんぽんと、頭を軽く撫でるようにして叩き、堅く緊張したままの体を宥めるように、そっと抱きしめた。
怯えたような声が、あがる。逃げようと動いた体を、青年は腕の中に抱き込んだ。暴れる力の強さに舌打ちをしながら、それでも腕を放さない。嫌だ、放せ、やめろ、などなど少年の口からは拒絶の言葉が溢れた。
「落ち着け、フーア。眠れ。どんな夢を見たかしらんが、お前は人間で、眠らなければ倒れるんだ。」
「……っ、放せ、嫌だ……っ!!」
「大人しく寝てしまえと言っている!」
「…………っ!」
「……眠ってしまえ。眠れぬ夜など、人間には、必要ないはずだ。」
「…………ぅ……。」
しがみつく腕があった。きつくきつく、それこそ血管が浮き出ているのではないかと思えるほどの力で、少年は青年にしがみついていた。かすかな痛みをやり過ごし、青年は少年の瀬を撫でる。眠れと、穏やかな声が、また、囁いた。
青年は、眠りを必要としなかった。けれど、少年には、眠りが必要なのだ。だからこそ彼は、何も問いかけず、ただ、言う。眠ってしまえと、優しく。
やがて、少年は眠りに落ちる。いつ泣いていたのか、その頬には、涙の跡が刻まれていた。その小さな体を腕に抱いたまま、青年は焚き火を見つめた。赤々と燃える炎を見つめる青年の瞳は、それよりなお深い、深紅の輝きを宿していた。
「…………お前はいったい、何なんだ……?」
答えが返るわけがないと解りつつも、青年は問いかけた。何がお前を苦しめているのだと、続ける。常の強さをすべて壊すほどの弱さが、少年にはあった。そして青年は、その理由を、何一つとして、知らなかった。
眠ることのない青年は、もどかしさを抱えたままで、腕の中の少年を守るようにして、夜を明かした…………。
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