聖魔の救済者

港瀬つかさ

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外伝 幸せの子供

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 オメガ神殿の中庭で、一人の少年が空を見上げていた。年齢にして、十代の後半頃。黄金色の髪に青の双眸、健康的に陽に灼けたしなやかな肢体の、見るモノを惹き付けるだけの少年らしい美貌の持ち主である。
 見上げた空の先に何があるのかを、彼は知っていた。知らずにいれば良かった事実を、知ってしまった。ただ、それだけの事だ。彼は知らなくても良い事を知った。そしてそれは、誰にも告げてはいけない事だった。

「…………異父兄上あにうえ…………。」

 誰もいないと解っているからこそ、そうやって呼ぶ。答える事のないヒトを。二度と会う事のできないヒトを。孤独な瞳をしていたヒトを。最後に何を願ったのかすら解らぬヒトを。無垢な想いで、ただ呼んだ。
 不意に衣擦れの音が聞こえて、少年は振り返った。四十歳を越えているだろうに、汚れ無き無垢さを宿した女性が、不思議そうに少年を見ていた。傍仕えの巫女達を従えた主席巫女である女性が、少年の母親である女性が、じっと息子を見詰めていた。

「どうしたのです、サリヤ?」
「……いえ、美しい空でしたので、見ていただけです。母上こそ、どうなさいました?」
「これから瞑想に入ります。そなたも奥殿には近づかぬように。」
「はい、解りました。ご苦労様です、母上。」

 一礼した少年、サリヤを一瞥して、主席巫女である女性は立ち去っていった。彼女の髪に付けられていた鈴飾りが、軽やかな音を立てていた。その音が遠ざかるのを聞いて、そしてサリヤは、拳を握りしめた。
 貴方はそれで平気だったのですか。喉元まで出かかった言葉を、サリヤは封じ込んだ。オメガ神殿の、次期神殿長。その役目を担う事になる、現神殿長の孫であるサリヤ。主席巫女とその夫である神官長の嫡男。それが、サリヤだ。
 けれど彼は知っていた。自分が、母の嫡子ではないという事を。母の息子であるという事実を封じられたまま、この神殿で、人目につかぬように育てられた子供がいた事を。そのヒトが今はもう、何処にもいない事すらも。
 何故と、サリヤは叫びたかった。幼かったあの日、今日のように澄んだ空の広がる日だった。まだ5歳だったサリヤの前に、そのヒトはいた。一人で空を見上げるその人の事を、サリヤは知っていた。母の兄である伯父の忘れ形見、勇者となるべきヒト。
 従兄だと、信じていた。疑いもしなかった。だから、無垢なままだったサリヤは、その綺麗なヒトの元へ駆け寄った。驚いたように自分を見て、そして逃げるように足を一歩引いた子供。その綺麗な顔立ちに魅せられて、そして、寂しげな瞳が気になって、サリヤは思わず掌を伸ばしていた。

——……ないていらっしゃったの?
——……君は?
——ぼくはサリヤだよ。おかあさまは、しゅせきみこさまなの。あなたは、だぁれ?
——……僕は、フーア。……君のお母様のお兄様の子供だよ。だから僕と君は、いとこ同士だね。
——そうなの?

 その時サリヤは、ただ嬉しかった。この綺麗なヒトと、自分に繋がりがあるという事が。ただそれだけが、嬉しかった。だから気づけなかったのだ。フーアと名乗った美しい子供が、寂しげに苦しげに笑っていた事に。

「……異母兄上……。お許し下さい、業深き我等を。貴方の犠牲の名の下に、この平穏を甘受する我等を。」

 彼が望んでいたのが、ささやかな平穏だった事。彼が、伯父と母の間に生まれた子供である事。彼が、母に愛されたいと願っていた事。彼が、誰にも愛されなかった事。その事実を、サリヤは、全てが終わってから、知ってしまった。
 あの日から、世界が滅びから救われた日から、5年。既に19歳になってしまったサリヤは、フーアの年を越えた。僅か17歳で世界を救い、そして消えてしまった勇者。世界が救われた事で、誰も勇者の存在を気にしなかった。まことしやかに囁かれるのは、勇者は神々に招かれて、その眷属になったのだという話だった。
 そんなわけがないと、サリヤは声高に叫びたかった。彼は死んでしまったのだ。いや、彼ですらない。性別すら宿さず生まれた禁忌の子供。世界の為の犠牲として生まれ、育てられ、そして死んだ子供。そのヒトの事を、サリヤはしっかりと覚えている。
 旅立ちの前に、お祖父様とお母様を大切にしなさいと、優しい従兄の姿のままで告げたフーア。その奥にあった真実に、今なら気づけた。本当は、誰よりもあの二人に見て欲しかったのだ、彼は。けれどそれすら願えず、だから勇者として立派になろうとしていた。
 ごめんなさいと、サリヤは呟いた。あの頃自分がもう少しでも大人であったのなら、彼の心の機微に気づける程に大人であったのなら、その哀しみは少しは癒される事ができたのではないだろうか。そう、思うのだ。
 あの日、全てが終わったあの日に出会った精霊神。その言葉が、今もサリヤの脳裏を駆け巡っている。真実に気付き、一人呆然と立ちつくしたサリヤの前に、空間を歪めて現れた、漆黒の化身がいた。
 
——…………お前だけが、あの子供の死を悲しんでいるな。
——……ッ!何者だ!
——……我が名は、シェイド。闇界『サターン』の創造主にして、その守護神を務めるモノ。
——何故、その精霊神が、我が元へ……!
——…………あの子供の死を悲しむモノに、逢いたかった。我等が救えず、犠牲に差し出した子供の死を、悼むモノに。

 静かに告げたシェイドの言葉に、サリヤは目を見張ったものだ。精霊神ともあろう存在が、人間を気に掛けていた。それは何処かで喜びだった。自分以外の誰かが、あの孤独なヒトを見ていてくれた事。それだけが。
 望んだ存在との短い時間。それだけで救われたのですかと、サリヤは問いかけたかった。答えが返る事はないと知っていたけれど。転生する事すらなく、楔となった異父兄あに。幼いあの日に見た笑顔を思い出すだけで、涙が溢れそうになった。

「……私は、貴方の生み出した平穏を、護ります。この、オメガ神殿を継ぐモノとして。………………貴方の、異父弟おとうととして……。」

 空を見上げて、サリヤはそう告げた。答えは返らない。けれど風は吹いた。彼の頬を撫でるように、優しく。それが幼い日に触れたフーアの掌のようだと、彼は思った。


 幸せの中で育った子供が、未来の為に、密かに祈る。


FIN…………?
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