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50.最後の鍵 後編
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強い光が神殿内に満ち溢れた。驚かねばならないその現象に、けれど青年は驚かなかった。光が消えたその時には、彼の目前に一人の人影があった。金とも銀ともつかぬ長い髪を背に流し、その双眸は光の加減によって様々な色に見える不思議な光彩を放つ。男か女かすら解らぬ中性的な美貌を持ったそのヒトは、膝をついたまま自分を見上げる青年を見て、微笑んだ。
「久しき事ですね。」
「……久しき事だ、我等が祖、オリジンよ……。」
「全てを取り戻しましたか?7体目の精霊神よ。」
「取り戻した。思い出したくもない過去全てを。…………俺はまた、あの頃と同じ過ちを犯した……!」
ぐしゃりと前髪を掌で乱しながら、絶望を宿した声で男は唸る。その姿を見て、オリジンは困ったように笑った。青年の前に降り立つと、そっとその肩に掌を乗せる。見上げた青年に、そうではないと頭を振る姿があった。
「そなたの所為ではないのです。これは運命だったのですから。遠い時代、全ての精霊神達が立ち去っていった、あの頃に既に定められていた、預言の一部なのですよ。」
「定められている未来などに何の価値がある。一つの生命を犠牲にしてしか成り立たぬ世界に、一体どれほどの価値があるというのだ、オリジン!」
「昔からそなたはそうでしたね。世界の為の犠牲を、そなたは拒む。……本当に優しい気性を持ってしまったそなただから、永い時を生きる間に痛みを覚え、自ら邪神となる事を望んだ……。」
オリジンの掌が、青年の頬に触れる。優しい温もりだった。青年の記憶にある、遠い日の温もりとまったく同じだった。そして不意に、結界越しに彼に触れようとした子供の、まだ少し小さな掌を思い出す。あの掌の温もりは、はたしてどんなモノだったのかと。
青年の頬を、涙が伝った。哀しみの涙だ。救えなかった自分に対する憤りと、最後まで救われる事を願わなかった子供への怒りと。それ以外の様々な感情を混ぜ合わせた、けれど何よりも哀しみ以外のモノではない涙だった。
「取り戻す事は、不可能なのか……オリジン?」
「不可能です。如何にそなたが時空を司るモノであったとしても、既にあの子供はこの世界と同じモノになってしまっているのですよ?」
「……だから俺は、神の名など、いらなかったのだ……!精霊神という名を持ちながら、俺は、いつも誰も、救えない!」
「…………落ち着きなさい、時の精霊神・クロノ。」
静かな、けれど抗う事を許さぬ声が響いた。クロノと呼ばれた青年は、ゆっくりとオリジンを見た。その双眸に宿る漆黒の輝きは、けれど荒んでいる。何よりも強い輝きを宿す瞳が、哀しみによって歪んでいた。かつて彼が幾度も経験した痛みと同じモノが、いや、それ以上の哀しみが、青年を支配していた。
時の精霊神。既に多くの人々に存在を忘れられてしまった、7体目の精霊神。他の精霊神達のように異界を作る事はなく、代わりに界と界を繋ぎながら全ての世界を巡る、そんな奇妙な生活を続けていた最後の精霊神だった。
けれど彼は、何度も哀しみを覚えた。何時の世にも、どの世界にも、全体の為に犠牲となる生命があった。彼はその全てを救おうと願い、その度に兄弟神達に阻まれた。そして最後に、彼はこの『オリジン』で一人の神子を救おうとした。この世界を生き長らえさせる為の生け贄となる子供を、彼は自らの存在をかけても救おうとした。
それは、親兄弟に対する裏切りであった。その為に彼は6体の精霊神達の捕らえられ、祖である始まりの神・オリジンの手によって堕とされた。全ての記憶と瞳の色と片眼と名前すら奪われ、彼はこの『オリジン』で永遠の封印につくはずだった。
何の因果か、生け贄になるべくアルファ神殿を目指す子供が、封じられていた彼を、邪神・アズルとなっていた青年を、希うような想いを込めて封印から解放した。その時から、既に運命の皮肉は始まっていたのだ。今ならばクロノにもそれが解る。
けれど、不思議な事に彼は、時の精霊神・クロノよりも邪神・アズルでありたいと思ったのだ。フーアという名の勇者が彼を呼んでいた名前。あの子供と共に過ごした時間を持つ存在。そうありたいと、自分でも解らぬ内に、彼はそう願っていた。
「……オリジンよ。……願いが、ある。」
「願いとは?」
「今更、生き続ける事など俺には苦痛なだけだ。幸いにも、支えねばならない異界を俺は持たぬ。」
「……えぇ、そうの通りです。」
「…………俺を、この祭壇に、封じてくれ。時の精霊神たる俺ならば、楔の役目に相応しかろう?」
「クロノ……?ですが、楔は既に……。」
「俺は、もうこれ以上、時を重ねたくないのだ……!」
その声に宿るのは絶望だった。他の感情は何処にもなかった。今まで、何度傷つき、何度同じ痛みを覚えていても、彼は確かに立ち直るだけの強さを残していた。けれど今の彼には、もう、それがない。
オリジンは、ゆっくりと息を吐いた。その掌が、青年の額に触れる。ゆっくりと、力が注ぎ込まれるのを青年は感じた。そして、自らの身体が純粋な魔力へと変貌し、祭壇の中央、結界の中へと吸い込まれていくのを。
「そこへ行ったところで、あの子供はもういませんよ?」
「構わん。……せめて、同じ場所で眠りたい。」
「どうして、あの子供にそこまで思いを傾けますか?」
「……理屈で解るなら、俺ももう少し、楽になれたと思う。」
「そうですか……。……お休みなさい、クロノ。」
「……あぁ、お休み、オリジン……。我が祖よ……。」
その言葉を最後に、青年の姿は掻き消えた。ちらりとオリジンが視線を向けた祭壇の中央では、黄金と白銀の輝きが混ざり合い溶け合い、そして何処か戯れるように移動を繰り返していた。
その光景を見届けた後、オリジンは再び姿を消す。光の粒子となったオリジンは、この世界そのものとなり世界を見守る。それまで眠っていたのが目覚めただけで、何一つ変わる事はない。ただ一つ変わるとすれば、それはこの世界が滅びから逃れたという事。いつかまた滅びが訪れるかもしれないとしても、今はもう、滅びの恐怖に人々が怯える事はなくなっている。
そして、自らと同化していく二つの生命をオリジンは知っていた。不器用で哀れで、けれどひどく無垢な勇者と、直向きで愚かで、けれどひどく優しい邪神と、オリジンが愛する生命のウチの二つは、確かにそこにあった。二度と滅ぶことなく、この世界そのものとして存在していたのだ。
はたして誰が、直向きに愛される事を望んだ子供と、その子供を救いたいと願った不器用な神がいた事を、彼等が世界を救った事を、知っているのだろうか…………?
END
「久しき事ですね。」
「……久しき事だ、我等が祖、オリジンよ……。」
「全てを取り戻しましたか?7体目の精霊神よ。」
「取り戻した。思い出したくもない過去全てを。…………俺はまた、あの頃と同じ過ちを犯した……!」
ぐしゃりと前髪を掌で乱しながら、絶望を宿した声で男は唸る。その姿を見て、オリジンは困ったように笑った。青年の前に降り立つと、そっとその肩に掌を乗せる。見上げた青年に、そうではないと頭を振る姿があった。
「そなたの所為ではないのです。これは運命だったのですから。遠い時代、全ての精霊神達が立ち去っていった、あの頃に既に定められていた、預言の一部なのですよ。」
「定められている未来などに何の価値がある。一つの生命を犠牲にしてしか成り立たぬ世界に、一体どれほどの価値があるというのだ、オリジン!」
「昔からそなたはそうでしたね。世界の為の犠牲を、そなたは拒む。……本当に優しい気性を持ってしまったそなただから、永い時を生きる間に痛みを覚え、自ら邪神となる事を望んだ……。」
オリジンの掌が、青年の頬に触れる。優しい温もりだった。青年の記憶にある、遠い日の温もりとまったく同じだった。そして不意に、結界越しに彼に触れようとした子供の、まだ少し小さな掌を思い出す。あの掌の温もりは、はたしてどんなモノだったのかと。
青年の頬を、涙が伝った。哀しみの涙だ。救えなかった自分に対する憤りと、最後まで救われる事を願わなかった子供への怒りと。それ以外の様々な感情を混ぜ合わせた、けれど何よりも哀しみ以外のモノではない涙だった。
「取り戻す事は、不可能なのか……オリジン?」
「不可能です。如何にそなたが時空を司るモノであったとしても、既にあの子供はこの世界と同じモノになってしまっているのですよ?」
「……だから俺は、神の名など、いらなかったのだ……!精霊神という名を持ちながら、俺は、いつも誰も、救えない!」
「…………落ち着きなさい、時の精霊神・クロノ。」
静かな、けれど抗う事を許さぬ声が響いた。クロノと呼ばれた青年は、ゆっくりとオリジンを見た。その双眸に宿る漆黒の輝きは、けれど荒んでいる。何よりも強い輝きを宿す瞳が、哀しみによって歪んでいた。かつて彼が幾度も経験した痛みと同じモノが、いや、それ以上の哀しみが、青年を支配していた。
時の精霊神。既に多くの人々に存在を忘れられてしまった、7体目の精霊神。他の精霊神達のように異界を作る事はなく、代わりに界と界を繋ぎながら全ての世界を巡る、そんな奇妙な生活を続けていた最後の精霊神だった。
けれど彼は、何度も哀しみを覚えた。何時の世にも、どの世界にも、全体の為に犠牲となる生命があった。彼はその全てを救おうと願い、その度に兄弟神達に阻まれた。そして最後に、彼はこの『オリジン』で一人の神子を救おうとした。この世界を生き長らえさせる為の生け贄となる子供を、彼は自らの存在をかけても救おうとした。
それは、親兄弟に対する裏切りであった。その為に彼は6体の精霊神達の捕らえられ、祖である始まりの神・オリジンの手によって堕とされた。全ての記憶と瞳の色と片眼と名前すら奪われ、彼はこの『オリジン』で永遠の封印につくはずだった。
何の因果か、生け贄になるべくアルファ神殿を目指す子供が、封じられていた彼を、邪神・アズルとなっていた青年を、希うような想いを込めて封印から解放した。その時から、既に運命の皮肉は始まっていたのだ。今ならばクロノにもそれが解る。
けれど、不思議な事に彼は、時の精霊神・クロノよりも邪神・アズルでありたいと思ったのだ。フーアという名の勇者が彼を呼んでいた名前。あの子供と共に過ごした時間を持つ存在。そうありたいと、自分でも解らぬ内に、彼はそう願っていた。
「……オリジンよ。……願いが、ある。」
「願いとは?」
「今更、生き続ける事など俺には苦痛なだけだ。幸いにも、支えねばならない異界を俺は持たぬ。」
「……えぇ、そうの通りです。」
「…………俺を、この祭壇に、封じてくれ。時の精霊神たる俺ならば、楔の役目に相応しかろう?」
「クロノ……?ですが、楔は既に……。」
「俺は、もうこれ以上、時を重ねたくないのだ……!」
その声に宿るのは絶望だった。他の感情は何処にもなかった。今まで、何度傷つき、何度同じ痛みを覚えていても、彼は確かに立ち直るだけの強さを残していた。けれど今の彼には、もう、それがない。
オリジンは、ゆっくりと息を吐いた。その掌が、青年の額に触れる。ゆっくりと、力が注ぎ込まれるのを青年は感じた。そして、自らの身体が純粋な魔力へと変貌し、祭壇の中央、結界の中へと吸い込まれていくのを。
「そこへ行ったところで、あの子供はもういませんよ?」
「構わん。……せめて、同じ場所で眠りたい。」
「どうして、あの子供にそこまで思いを傾けますか?」
「……理屈で解るなら、俺ももう少し、楽になれたと思う。」
「そうですか……。……お休みなさい、クロノ。」
「……あぁ、お休み、オリジン……。我が祖よ……。」
その言葉を最後に、青年の姿は掻き消えた。ちらりとオリジンが視線を向けた祭壇の中央では、黄金と白銀の輝きが混ざり合い溶け合い、そして何処か戯れるように移動を繰り返していた。
その光景を見届けた後、オリジンは再び姿を消す。光の粒子となったオリジンは、この世界そのものとなり世界を見守る。それまで眠っていたのが目覚めただけで、何一つ変わる事はない。ただ一つ変わるとすれば、それはこの世界が滅びから逃れたという事。いつかまた滅びが訪れるかもしれないとしても、今はもう、滅びの恐怖に人々が怯える事はなくなっている。
そして、自らと同化していく二つの生命をオリジンは知っていた。不器用で哀れで、けれどひどく無垢な勇者と、直向きで愚かで、けれどひどく優しい邪神と、オリジンが愛する生命のウチの二つは、確かにそこにあった。二度と滅ぶことなく、この世界そのものとして存在していたのだ。
はたして誰が、直向きに愛される事を望んだ子供と、その子供を救いたいと願った不器用な神がいた事を、彼等が世界を救った事を、知っているのだろうか…………?
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