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密やかに、誓う
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「……は?」
不敬であると解っていても、若き近衛騎士・シュライトは、間の抜けた声を上げてしまった。言われている言葉が良く解らなかった。陛下、と喉の奥から絞り出すようにして声を出す。本来ならば直接言葉を交わすことなど恐れ多い、この国の王。シュライトが仕える哀れで美しい王太子の実父。至尊の存在である国王を前にして、それでもシュライトは、言われた言葉の意味が解らずに、問い返すことになったのだ。
「それは、どのような意味でございましょうか?」
「ふむ?言葉のままである。そなたもアレの側に控えて幾ばくかの時が過ぎたであろう。そろそろ配置換えを願うのではと思ってな」
「そのような、ことは……」
「願わぬのか?」
まるで、願うことが当たり前であると言いたげに、国王はシュライトを見た。喉が渇く、とシュライトは思う。からからに渇いた喉で、声は掠れていく。けれどそれでも、ひたと己を見据える国王の視線と向き合いながら、シュライトは心情を口にした。相手が国王であろうと、シュライトの決意は変わらない。
「私は、許されるならば、王太子イグジリス殿下のお側にお仕えしたいと思っております」
「……何?」
ざわり、と周囲が驚愕の気配を広げた。それでもシュライトは、前言を撤回するつもりは無かった。シュライトがイグジリスの傍らにはべるようになって、早、三月。その三月というのは、今までの近衛騎士達が配置換えを願い、去って行った期日の最長記録に該当した。どれほど長い近衛騎士も、三ヶ月以上イグジリスの傍らに佇んだことはないのだ。幼さに似合わず聡明すぎ、人形めいて美しく、感情を押し殺すかのように淡々としたイグジリスは、幼児とは思えぬ異質な生き物だった。血色の右目と闇色の左目と相まって、魔物のように恐れられる、異形の王太子だ。それゆえに、近衛騎士も長続きはしなかった。
けれどシュライトは、その前例に従うつもりは無かった。
彼は知っている。イグジリスはただ、孤独なだけだということを。聡明であるのは、そうでなければ役目を果たせないからだ。淡々としているのは、何一つ与えられないままに、全てを諦めてしまっているからだ。永久凍土のただ中で、凍えているような哀れな子供。それが、シュライトの知るイグジリスの姿で、けれど、誰もそれに同意しないだろうことも、彼は知っていた。
きっと、イグジリス自身が、そんな評価を是としないことぐらい、シュライトには解っていた。だからこの感想は、主に伝えてはいない。ただ、何一つ信じていないイグジリスに対してシュライトは、許されるならば側にいたいと、ただ、それを伝え続けているだけだ。
せめて、己だけは。不敬だと解っていても、シュライトはそう思っている。あの孤独な魂の、美しい魂の傍らに、寄り添いたいと。許されるならば、この身が朽ちるまで。或いは、あの哀れな魂が、優しい温もりを得て、当たり前の人のように笑うことが出来るようになるまで。その日まで、側にいて、護りたいと願うのだ。
「そなたはアレを恐れぬというのか?」
「……お言葉ながら、私は、殿下の何を恐れれば良いのか、解りませぬ」
本心から答えたシュライトに、再び驚愕の視線が注がれる。それはやがて、理解不能な存在を見るような視線へと変化していく。あぁ、なるほど、とシュライトは思った。常日頃、あの美しい王太子は、このような不躾で残酷な視線に晒されているのだな、と。こんなものに囲まれて、誰にも理解されないままでは、孤独から心を封じ込めても仕方が無いと思えた。
イグジリスは決して、情緒が未発達な訳では無い。常識が欠如しているわけでは無い。幼い見目の割に、その内面が成熟してしまっているだけだ。けれどそれは、そうならざるを得なかっただけであって、決して真っ直ぐと、正しい意味で成熟したわけでは無い。歪なままで、捻れて歪んでおかしな形のまま、それでも奇妙な美しさでもって存在しているのが、王太子イグジリスである。
あの幼い子供を、どうして誰も理解しないのか。見ようとしないのか。シュライトには解らなかった。確かに、色違いの双眸というのは異質だろう。血を連想させる赤い右目と、夜闇を思わせる黒い左目が、その色白の肌と輝くような白金の髪と相まって、美しすぎて恐ろしく見えるのも事実ではあるだろう。人形めいた美しさだからこその異質性は確かにある。だが、それでも彼の人は子供であるのに、とシュライトは思う。
「そうか。ならば今しばらくは、アレの側にいるがよい」
「……お許しいただける限りは」
すっと頭を下げてシュライトが告げた言葉の真意を、理解できる者は恐らく、この場にはいないだろう。シュライトが許しを求めたのは、眼前の国王ではない。彼が許しを願うのは、あの美しい王太子だ。心を封じ、いつも凍えているようなあの幼い子供にこそ、シュライトは許しを求めるのだ。どうか、傍らにいさせてください、と。
誰に理解されなくても構わなかった。ただ、シュライトが、それを望むのだ。世界の全てを切り捨てて、優しい何かも、暖かい何かも知らず、ただ、生きているだけイグジリス。幼い子供は、きっとまだ、何も知らない。世界の半分も知らないだろうに、己の閉じた世界が全てだと信じている。その姿に、シュライトはいつも、胸を締め付けられるほどの痛みを覚える。
だからこそ。
(せめて、私だけは、お側に)
誰にも信じられることはないだろう。イグジリスに届くかすらも解らない。それでもシュライトは決意したのだ。初めて出会ったそのときに、その美しい魂に魅せられた。護りたいと思ってしまった。己のような一介の騎士が抱くには大それた感情だと解っていた。それでも抱いた感情は、捨てられない。
世界の全てが彼を拒絶しても、自分は側にいるのだと、それを知って欲しいと、シュライトは思った。三月が過ぎても側にいる自分を、彼はどう思うのだろう、とシュライトは考える。歴代の近衛騎士達は、三月で彼の側を去ったという。それに倣わない己は、彼の王太子に、どのように映るのだろうか、と。
騎士はただ、一人で誓った。世界の全てに拒絶された孤独な王太子の傍らに、許される限りははべろうと。それがいずれ愛に至る恋だと、騎士はまだ、知らなかった。
不敬であると解っていても、若き近衛騎士・シュライトは、間の抜けた声を上げてしまった。言われている言葉が良く解らなかった。陛下、と喉の奥から絞り出すようにして声を出す。本来ならば直接言葉を交わすことなど恐れ多い、この国の王。シュライトが仕える哀れで美しい王太子の実父。至尊の存在である国王を前にして、それでもシュライトは、言われた言葉の意味が解らずに、問い返すことになったのだ。
「それは、どのような意味でございましょうか?」
「ふむ?言葉のままである。そなたもアレの側に控えて幾ばくかの時が過ぎたであろう。そろそろ配置換えを願うのではと思ってな」
「そのような、ことは……」
「願わぬのか?」
まるで、願うことが当たり前であると言いたげに、国王はシュライトを見た。喉が渇く、とシュライトは思う。からからに渇いた喉で、声は掠れていく。けれどそれでも、ひたと己を見据える国王の視線と向き合いながら、シュライトは心情を口にした。相手が国王であろうと、シュライトの決意は変わらない。
「私は、許されるならば、王太子イグジリス殿下のお側にお仕えしたいと思っております」
「……何?」
ざわり、と周囲が驚愕の気配を広げた。それでもシュライトは、前言を撤回するつもりは無かった。シュライトがイグジリスの傍らにはべるようになって、早、三月。その三月というのは、今までの近衛騎士達が配置換えを願い、去って行った期日の最長記録に該当した。どれほど長い近衛騎士も、三ヶ月以上イグジリスの傍らに佇んだことはないのだ。幼さに似合わず聡明すぎ、人形めいて美しく、感情を押し殺すかのように淡々としたイグジリスは、幼児とは思えぬ異質な生き物だった。血色の右目と闇色の左目と相まって、魔物のように恐れられる、異形の王太子だ。それゆえに、近衛騎士も長続きはしなかった。
けれどシュライトは、その前例に従うつもりは無かった。
彼は知っている。イグジリスはただ、孤独なだけだということを。聡明であるのは、そうでなければ役目を果たせないからだ。淡々としているのは、何一つ与えられないままに、全てを諦めてしまっているからだ。永久凍土のただ中で、凍えているような哀れな子供。それが、シュライトの知るイグジリスの姿で、けれど、誰もそれに同意しないだろうことも、彼は知っていた。
きっと、イグジリス自身が、そんな評価を是としないことぐらい、シュライトには解っていた。だからこの感想は、主に伝えてはいない。ただ、何一つ信じていないイグジリスに対してシュライトは、許されるならば側にいたいと、ただ、それを伝え続けているだけだ。
せめて、己だけは。不敬だと解っていても、シュライトはそう思っている。あの孤独な魂の、美しい魂の傍らに、寄り添いたいと。許されるならば、この身が朽ちるまで。或いは、あの哀れな魂が、優しい温もりを得て、当たり前の人のように笑うことが出来るようになるまで。その日まで、側にいて、護りたいと願うのだ。
「そなたはアレを恐れぬというのか?」
「……お言葉ながら、私は、殿下の何を恐れれば良いのか、解りませぬ」
本心から答えたシュライトに、再び驚愕の視線が注がれる。それはやがて、理解不能な存在を見るような視線へと変化していく。あぁ、なるほど、とシュライトは思った。常日頃、あの美しい王太子は、このような不躾で残酷な視線に晒されているのだな、と。こんなものに囲まれて、誰にも理解されないままでは、孤独から心を封じ込めても仕方が無いと思えた。
イグジリスは決して、情緒が未発達な訳では無い。常識が欠如しているわけでは無い。幼い見目の割に、その内面が成熟してしまっているだけだ。けれどそれは、そうならざるを得なかっただけであって、決して真っ直ぐと、正しい意味で成熟したわけでは無い。歪なままで、捻れて歪んでおかしな形のまま、それでも奇妙な美しさでもって存在しているのが、王太子イグジリスである。
あの幼い子供を、どうして誰も理解しないのか。見ようとしないのか。シュライトには解らなかった。確かに、色違いの双眸というのは異質だろう。血を連想させる赤い右目と、夜闇を思わせる黒い左目が、その色白の肌と輝くような白金の髪と相まって、美しすぎて恐ろしく見えるのも事実ではあるだろう。人形めいた美しさだからこその異質性は確かにある。だが、それでも彼の人は子供であるのに、とシュライトは思う。
「そうか。ならば今しばらくは、アレの側にいるがよい」
「……お許しいただける限りは」
すっと頭を下げてシュライトが告げた言葉の真意を、理解できる者は恐らく、この場にはいないだろう。シュライトが許しを求めたのは、眼前の国王ではない。彼が許しを願うのは、あの美しい王太子だ。心を封じ、いつも凍えているようなあの幼い子供にこそ、シュライトは許しを求めるのだ。どうか、傍らにいさせてください、と。
誰に理解されなくても構わなかった。ただ、シュライトが、それを望むのだ。世界の全てを切り捨てて、優しい何かも、暖かい何かも知らず、ただ、生きているだけイグジリス。幼い子供は、きっとまだ、何も知らない。世界の半分も知らないだろうに、己の閉じた世界が全てだと信じている。その姿に、シュライトはいつも、胸を締め付けられるほどの痛みを覚える。
だからこそ。
(せめて、私だけは、お側に)
誰にも信じられることはないだろう。イグジリスに届くかすらも解らない。それでもシュライトは決意したのだ。初めて出会ったそのときに、その美しい魂に魅せられた。護りたいと思ってしまった。己のような一介の騎士が抱くには大それた感情だと解っていた。それでも抱いた感情は、捨てられない。
世界の全てが彼を拒絶しても、自分は側にいるのだと、それを知って欲しいと、シュライトは思った。三月が過ぎても側にいる自分を、彼はどう思うのだろう、とシュライトは考える。歴代の近衛騎士達は、三月で彼の側を去ったという。それに倣わない己は、彼の王太子に、どのように映るのだろうか、と。
騎士はただ、一人で誓った。世界の全てに拒絶された孤独な王太子の傍らに、許される限りははべろうと。それがいずれ愛に至る恋だと、騎士はまだ、知らなかった。
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