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第四話 霞立つ湖
【再会】
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★
出発が明日だと突然決まって、御影は辟易としていた。
南西にある森へ気象観測兼地質調査に向かうのは、先行隊が何者かに襲われて人手が足りなくなったからなのだとか。あの未開の土地ならば、犯人は賊や野生動物だろう。一体護衛は何をしているのかと思うが、屈強な兵士でも歯が立たぬ程の強敵だったのかもしれない。そんなのが出没する場所までわざわざ遠出するなんて、死にたがりか相当の研究馬鹿だ。
ひとり夕焼けの繁華街を歩くのは、黒髪黒目の無表情の青年のなりをした御影だ。センターパートマッシュのうねる前髪が、心を映さない真っ黒な目にかかっている。この装いは彼の亡き兄のものだ。記憶を風化させないという真の理由は誰にも言うつもりはなく、人目を避けるという名目のもと借りている。
ふと頭を過るのが、図書館の書架の前で弾けるように笑う彼女――黒廼暁。
風邪で離脱して以来用事が立て込んでいるのと、なんとなく合わせる顔がないまま、かなりの時間が経過してしまった。しかし、別れの言葉を告げずに立ち去ってしまえば、恐らく彼女は良い気はしない。泉が『また放置プレイしたんですか!? これだからあなたは……』と小言を連ねるのも想像できる。
(手紙でも残そうか……)
些か最善とは言えぬ手段を思い付いて、誰にもわからない程度に端正な顔を歪めた、そのとき。
「人のふりだけは、吐き気がするくらいに巧いな」
雑踏の中から、よく通る女声が聞こえた。御影はぴたと立ち止まり、ゆっくりと振り返る。長い前髪に陰る、ハイライトの無い目がすっと細められた。
見据えた先には、布製のマントのフードを目深に被った人影。沈む太陽を背にして足元から黒い影が不気味に伸びている。体の芯からの動揺と震えを隠すように、御影は沈黙を貫いた。
「オマエのことだ、死神。この前はよくも逃げてくれやがったな」
「君がここまで追ってくるとは思わなかったよ。暇か? 紅華……」
フードから覗くのは切り揃えられた朱色の髪。白磁の肌に完璧に配置された切れ長の碧眼には、憎悪の焔が燃えている。その女の姿は、以前見かけたときよりも美しく残酷に育っていた。
「うるさい、その名で呼ぶな! ムシズが走る……!」
「僕こそ、死神なんて呼ばれるのは心外だ」
「……まさか覚えていないのか? レオナの国をあんなにしておいて?」
責め立てる口調に「記憶に無いな」と御影は冷たく吐き捨てる。赤髪の美女は瞼をひくつかせて大げさに舌打ちをした。
「なるほどな。都合よく忘れてやがるのか。まあいい」
「……」
「ところでオマエ、あの娘を守ろうとしたな。そうだろ? 大事なニンゲンなんだろ」
「…………誰のことだ。僕にそのような相手は居ない。居たとしても一時的なものに過ぎないよ」
「さっき会ってきた。まだ殺すのは惜しいな」
上の指示か、と当たりをつける。彼女の声に一瞬、憎しみとは真逆の色が混ざった気がした。
「だが死神。オマエの息の根は必ずワタシが止めてやる」
「難儀だな。何をそう焦っているんだ」
「早速この人混みの中で料理されたいようなら……みじん切りか直火焼きか、何がお好みだ?」
「大層な挨拶だが、僕は簡単には死なないぞ。遠慮しておくよ」
黒い手袋をひらりと振って、御影は太陽に背を向けて足を踏み出した。鋭い殺意の光が矢のように刺さる。彼女は追って来なかった。
出発が明日だと突然決まって、御影は辟易としていた。
南西にある森へ気象観測兼地質調査に向かうのは、先行隊が何者かに襲われて人手が足りなくなったからなのだとか。あの未開の土地ならば、犯人は賊や野生動物だろう。一体護衛は何をしているのかと思うが、屈強な兵士でも歯が立たぬ程の強敵だったのかもしれない。そんなのが出没する場所までわざわざ遠出するなんて、死にたがりか相当の研究馬鹿だ。
ひとり夕焼けの繁華街を歩くのは、黒髪黒目の無表情の青年のなりをした御影だ。センターパートマッシュのうねる前髪が、心を映さない真っ黒な目にかかっている。この装いは彼の亡き兄のものだ。記憶を風化させないという真の理由は誰にも言うつもりはなく、人目を避けるという名目のもと借りている。
ふと頭を過るのが、図書館の書架の前で弾けるように笑う彼女――黒廼暁。
風邪で離脱して以来用事が立て込んでいるのと、なんとなく合わせる顔がないまま、かなりの時間が経過してしまった。しかし、別れの言葉を告げずに立ち去ってしまえば、恐らく彼女は良い気はしない。泉が『また放置プレイしたんですか!? これだからあなたは……』と小言を連ねるのも想像できる。
(手紙でも残そうか……)
些か最善とは言えぬ手段を思い付いて、誰にもわからない程度に端正な顔を歪めた、そのとき。
「人のふりだけは、吐き気がするくらいに巧いな」
雑踏の中から、よく通る女声が聞こえた。御影はぴたと立ち止まり、ゆっくりと振り返る。長い前髪に陰る、ハイライトの無い目がすっと細められた。
見据えた先には、布製のマントのフードを目深に被った人影。沈む太陽を背にして足元から黒い影が不気味に伸びている。体の芯からの動揺と震えを隠すように、御影は沈黙を貫いた。
「オマエのことだ、死神。この前はよくも逃げてくれやがったな」
「君がここまで追ってくるとは思わなかったよ。暇か? 紅華……」
フードから覗くのは切り揃えられた朱色の髪。白磁の肌に完璧に配置された切れ長の碧眼には、憎悪の焔が燃えている。その女の姿は、以前見かけたときよりも美しく残酷に育っていた。
「うるさい、その名で呼ぶな! ムシズが走る……!」
「僕こそ、死神なんて呼ばれるのは心外だ」
「……まさか覚えていないのか? レオナの国をあんなにしておいて?」
責め立てる口調に「記憶に無いな」と御影は冷たく吐き捨てる。赤髪の美女は瞼をひくつかせて大げさに舌打ちをした。
「なるほどな。都合よく忘れてやがるのか。まあいい」
「……」
「ところでオマエ、あの娘を守ろうとしたな。そうだろ? 大事なニンゲンなんだろ」
「…………誰のことだ。僕にそのような相手は居ない。居たとしても一時的なものに過ぎないよ」
「さっき会ってきた。まだ殺すのは惜しいな」
上の指示か、と当たりをつける。彼女の声に一瞬、憎しみとは真逆の色が混ざった気がした。
「だが死神。オマエの息の根は必ずワタシが止めてやる」
「難儀だな。何をそう焦っているんだ」
「早速この人混みの中で料理されたいようなら……みじん切りか直火焼きか、何がお好みだ?」
「大層な挨拶だが、僕は簡単には死なないぞ。遠慮しておくよ」
黒い手袋をひらりと振って、御影は太陽に背を向けて足を踏み出した。鋭い殺意の光が矢のように刺さる。彼女は追って来なかった。
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