月鏡の畔にて

ruri

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【ひとやすみinterlude】

【太陽の国からの旅人】

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 三日月と星々が彩る夜空と、それを鏡のように映す広大な湖。この壮麗な光景こそが格式高い土地名の由来であり、月鏡の民らの心の拠り所たる理由である。
 とある青年は凪いだ湖を前に佇んでいる。聴き慣れた足音が近づくのを背に受けながら、人々が故郷の景色の感傷に浸る様子を想像するのだ。

「レオナ。ぼーっとしてどうした?」

 予想通り、落ち着いた女声が鼓膜を震わせた。背まで届くミルクティー色の髪の一束を動かし、名を呼ばれた青年――レオンハルトは振り向く。地味な暗色のマントを身に着けた彼は、幼さの残る顔立ちにめ込まれた真っ赤な瞳で、声の主を見上げた。

「少々考え事を。この街は不思議なものですから」
「……私にはよくわからん。どうせ無くなるんだろ」
「だからこそ風情があるのだ。行こうか、アレス」

 小柄な青年が瞳をあやしく輝かせ、先に湖畔を離れていく。遅れて、チャイナドレスから長い手足を際どく覗かせた美女――アレスのほうも、朱色の長い三つ編みを揺らして後を追う。斜めに切り揃えられた前髪の奥で、刃に似た翡翠ひすいの双眸を細めて。

 *

 二人が歩む夜の繁華街の街灯が青白くも暖かい光を放っている。レオンハルトが歩きながらそれを一瞥して口を開く。

「この一帯でしか採れない珍しい鉱石ですね。主に下級層の男性が劣悪な環境下での採掘を任され、国がそれを外国へ売って巨万の富を獲得――莫大な図書の収集に費やしてる訳だ」
「ふーん」
「あの装飾の街灯はその鉱石の放つ光を利用している。別名『夜晶石やしょうせき』。光を溜め込んで暗所で光る、それはそれは美しい水晶だと聞きます。それがひどく希少で、いわゆる鏡外――月鏡の外では高値がつくのです」
「ってことは、そいつが目的か」
「ええ。それに加えて、ここの図書館は世界中の叡知の集う場所で、蓄積された『過去』そのもの。まさしく人類の宝だ」
「ナルホドな」

 斜め後ろをついて歩くアレスが適当に頷いた時、ふ、とすれ違う影。小柄なレオンハルトの肩に軽く手がかかる。手のあるじは身長170センチ半ばの、どことなく高貴な身なりをした青年だった。首には大粒のアメシストのブローチ、透き通るブロンドは軽く切り揃えられ、ダブルスーツ風の黒いテールコートに白ズボンと革のブーツを合わせている。光の加減で色味を変えるアースアイの横顔が、レオンハルトへ低く問い掛けた。

「あんた、『帝国』の刺客だろ?」
「ええ。この衆目環視の中ですので、手荒な真似事は致しません。ご安心を」

 レオンハルトが人の良さそうな柔和な笑みで堂々と答えた。腰に据えたサーベルに右手で触れながら、真っ赤な瞳で再び金髪の男を見上げる。一方の男は、冷え切った牽制けんせいの目線をレオンハルトへ寄越した。

「その泥のついた足で、踏み荒らしてくれるな」

 男の薄い唇が、操られているように動く。

「……と水神は云ってる。早めに引き返した方がいいよ」
「ご冗談を。我々はちょっとした観光ですよ」

 男の無言の仕草にいざなわれ、大通りを逸れて人の少ない暗い脇道へ連れられる。レオンハルトは物腰やわらかな態度のまま、しらじらと首を傾げてみせた。

「なんの御用です?」
「知ってるかい。ここには、君みたいな侵略者が豪雨や豪雪に襲われる伝承がいくつもあるんだ」
「それはあり得ません。というより、発展した学術都市なのに未だ神にすがっているのですね。前時代的だ。閉ざされた土地ゆえの因習ですか」
「……侮辱ぶじょくするつもりなの? 俺は君の顔を片時かたときも忘れたことはないよ」
「こちらこそ、貴殿の声はよく覚えていますよ。私の目を奪った方ですから」

 瞬間、レオンハルトの背後から影が飛び出していた。
 主人のサーベルを引き抜いて男へ振り下ろさんとするのは、無表情に鬼神のごとき怒りを湛えたアレス。しかし、攻撃を片腕で受けた男からは血ひとつ流れていない。涼しい顔だ。

「本気で斬りかかったね?」
「よくもノコノコと出てこれたもんだな死神。やっと記憶が戻ったか」
「……わざわざ答えなきゃいけない質問でも無いじゃんか」
「凍らせてるのか、クソ」

 届いた筈の剣先には銀の霜やつららが垂れ――アレスのしなやかな腕までを無慈悲に凍てつかせている。漂う白霧。ち、と舌打ちをする赤髪。

「また死神呼ばわりか。こんなことで剣を抜くなよ、疲れるだけだろ」

 男の軽い声音が鈴を鳴らす。頭に血が上ったらしいアレスは、あえぐような雄叫びと共に剛力で氷の拘束を引きちぎり、再びサーベルの刃先を男の白い首へ当てた。フーと息を吐く猛獣に、傍観していたレオンハルトが一声「アレス」と名を呼ぶ。

退きなさい」
「だが!」
「退くのだ」
「……。わかった」
「貴殿もお分かり頂けますよね。こおり巫覡ふげき殿?」

 螺旋らせんの渦巻く赤目が相手方の立ち姿を捉えた。少し待って、白氷が昇華しきらきらと空中へ消える。ブロンドの男がほんの少しだけ口許を緩め、後ろ手に腕を組んだ。

「喧嘩売ったのはそっちだろうに。まあ、君にまだ理解があって助かったけど」
「交戦には時期尚早でしょう。意味のない犠牲は出したくありません」
「じゃ、根本から諦めて。君らをこれ以上傷つけるのは嫌なんだ」
「無理なお願いですね!」
「潔いね」
「我々ゾネンブルク人の宿願ですから」
「ま、いいや。早く帰んなよ」

 そう云って男は路地裏の闇へ消える。立ち尽くすアレスが再度盛大な舌打ちをかましたので、レオンハルトが軽く顎に触れてやった。すると、心なしか纏う雰囲気は穏やかになる。それから愛用のサーベルを彼女から受け取って、歯こぼれが無いか確かめてから腰のさやに静かに納めた。ふ、と思わず笑い声を漏らし、レオンハルトは呟く。

「今のはご挨拶というわけですね」
「けっ」
「煽り過ぎたか……だが悟られないためだ。次が楽しみですね。アレス」

 童顔華奢の青年と、美しき体躯の名花。太陽の国より来た二人組が、明るい夜の街を並んで征く。
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