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第八話
しおりを挟むこの国の誰もが知る『アンリとロクサーヌ』は、数百年前の舞台作家が作った物語だ。
ヒロインのロクサーヌはとある貴族の令嬢。幼い頃にひと夏を過ごした避暑地の別荘でアンリという平民の少年と知り合い、二人は瞬く間に恋に落ちる。しかしロクサーヌには家が決めたヴィンセントという婚約者がいる。叶わぬ恋だと知っていた彼女は、アンリに黙って姿を消す。
十年後、ヴィンセントと結婚させられる目前のロクサーヌのもとにアンリが再び現れて、恋は再燃するのだが、家もヴィンセントもそれを許さない。とうとうヴィンセントからアンリへ決闘が申し込まれ、アンリは恋敵を打ち倒して勝利する。そのアンリと共に、ロクサーヌは幸せな結婚を手にするのだ。
「貴族の身分を捨ててでも恋した人と共に生きる」というロマンティックな筋書きは、いつか政略結婚せざるを得ない貴族令嬢たちに人気が高く、毎年どこかで舞台が上演されている。登場人物の設定や終わり方などにいくつかのバリエーションも生まれているはずだ。
昔は家族で連れ立ってよく観劇に行っていたから、私もこの舞台は何度か観ていた。筋書きは同じでも、その時々の俳優の演技は一度きりだから飽きないものだ。
「ご観劇、楽しみでございますね。奥様」
「そうね。ベルナール様と初めてのお出かけだわ。王都に行くのも久しぶり」
幼い頃は、よくお母様に連れられて王都へ出かけたものだ。アルドワン家のタウンハウスや、華やかな大劇場、大陸随一の規模を誇る王立図書館に、高級婦人服の路面店が立ち並ぶエクフイユ通りのことが思い出される。正直、心が浮き立った。
「そういえば、デュトワ家のタウンハウスを訪れるのは、今度が初めてね」
「今のタウンハウスは、旦那様がご当主になられてから改装されました。温かみのある雰囲気で、きっと気に入られますよ」
クリスタの微笑みに、久々の王都がますます楽しみになる。
体調を崩すのだけはいやだなあと、もうすっかり諦めたはずのことを、思わず願ってしまうほどに。
*
「クリスタ。今日はね、付き合ってほしいことがあるの」
「はい。奥様のおっしゃることでしたら、何なりと」
いま私の部屋にいるのは、私とクリスタだけ。自室に用意させたのは、裏側に滑り止めを施した絨緞と、平民が着るような綿の服。それとメイドが高い所にあるものを取るときに使うような、頑丈な踏み台だ。
服のほうは動きやすいように少しゆとりを持たせたサイズで、長袖のシャツとくるぶし丈のパンツに分かれている。当然、伯爵夫人としては──はしたないを通り越して、奇妙な格好ですらある。
その私を目の前にしても眉ひとつ動かさないのだから、クリスタはやはり優秀な侍女だ。
「今度ベルナール様と一緒に王都に行くでしょう? それまでにできる範囲内で、体を丈夫にしておきたくて」
『アンリとロクサーヌ』のチケットは、本格的な夏に入る三週間後の日程で取られていた。上演される劇場はもちろん、王都にある王立ブロンテール大劇場。私の愛する劇場へせっかく行けるのに、体調不良で途中退席なんてことになったら──いくら泣いても泣き切れない。
「さようでございましたか」
「それで、まあ、鍛練するにもこんな格好でしょう? さすがに人目に触れるわけにはいかないから」
「ご安心下さい。旦那様も、クロードさんも、他の使用人も、完璧に遮断します」
「ありがとう! やっぱりクリスタは頼もしいわ!」
少し体力がついたら、庭を散歩したり、外出してみるのもいいかもしれない。本格的な夏に入る前にこなせるのは、庭の散歩くらいまでだろうか。決して無理はいけない。少しずつでも、着実に。
「部屋での鍛練に慣れてきたら、庭を散歩したいのだけど」
「それもようございますね。夏の日差しが心配ではありますが……」
「やっぱりクリスタもそう思う? 私、日傘を差しても日光のせいで熱を出すことが多いのよね」
日傘を差していても、日陰に避難していても、日中に長時間外出すると後から熱を出す──日光に敏感なのではとか色々言われはしたものの、医師にかかっても、結局原因不明ままの症状だ。当然治療の見込みも、対策の目処も立っていない。
二人でうーんと唸ってみたが、庭の散歩についてはそのうち試してみて、だめだったらやめておこう、という結論に落ち着いた。
「でも、こちらの日差しは、アルドワンの領地より柔らかい気がするわ。西のアルドワンより少し北にあるためかしら」
絨緞に座って柔軟体操を始めた私を手伝いつつ、クリスタが答える。
「そうですね。王都から見て西北にありますから、日差しも弱まるのでしょうね」
「私の体調にとってはありがたいことだわね。その分冬は寒いのかしら?」
久しぶりの柔軟はなかなか上手く行かない。痛みに顔をしかめた私を見て、クリスタが背中を押す力を弱める。
「冬は寒うございますね。十一月には雪がちらついて、乾燥も強いですから、お風邪を召される方も多いです。奥様はこちらにいらして初めての冬になりますから、温かくしてお過ごしになりましょうね」
まだ半年近く先のことで私を気遣ってくれるクリスタの優しさに、胸の内のやわらかいところがくすぐったくなる。
「冬を乗り切るためにも、この夏の王都を攻略しないとね。頑張りましょう!」
ヴィオレット・デュトワ、体力増強計画の始まりです。
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