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八王子のヤンキー、台湾の母。

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 義父と義母は、しょっちゅう喧嘩をしている。

 義父は「うるせえ、ババア」が口癖だし、義母はカタコトの日本語で「アナタ、頭オカシイ」と言う。

 生まれたてほやほやの赤ん坊の頭の匂いを必死に嗅ぎながら、私は二人の喧嘩を見守る。

「だーから」と義父。
「ハア? 意味ワカンナイ」と義母。
 二人の間には、火花が飛び散らんばかりに、ピリッとした空気が流れている。義父が大きく舌打ちをした。

「うるせぇ、クソババア」
 でた! 義父の口癖! これは、火に油ならぬ、ガソリンを注ぐセリフ!

 義母が目を丸くして、義父を見る。大きく口を開いたままの義母の体が、小刻みに震えたように見えた。

「今、ナンテ言ッタ? クソババア?」

 私は思わず、子供の頭に顔を隠す。

「アナタ、ッテ意味、知ッテル? ウンコ、ッテ意味ヨ!!」

 だめだ、めちゃくちゃ面白すぎる。
 吹き出しそうになるのを、私は赤ん坊独特の匂いをクンクンすることで、必死に心を鎮めようとたえた。それは、もう必死に。

「ウンコババア! アナタ、ソウ言ッタノ!」

 もう、無理。
 私は盛大に吹き出してしまった。義父も笑っている。「ナンデ笑ウノ?」と義母も笑っている。
 まあまあ平和な喧嘩は、こうしていつも唐突に終わるのだ。




 義父は、八王子のヤンキーだった。
 義母は、台湾の人だ。


 と言うと少々語弊があるので、修正をしておく。義父が八王子のヤンキーだった、というのはあくまでも推測である。

 では、なぜヤンキーだと言ったのかというと、息子である旦那さんがそう言ったから。

「ボンタンみたいな制服をきた写真を見た」
「武勇伝を聞いたことがある」というのが理由だ。

 私もかつて義父から、匂わせな話を聞いたことがある。


「高校生のころ、ヤンキーだったって本当?」と旦那さん。

「馬鹿やろう。俺は健全なサッカー部員だった」

「そうなの? でも、制服が不良っぽかった」

「あの頃の時代は、みんな着てたんだよ」

(みんな着てたのか……)

「まあ、そうだな。確かに放課後は、戦争だった」

(戦争!?)

「八王子には、強い学校が二つあってさ」

(あ、サッカーの話か)

「俺もよく助っ人に呼ばれてたっけな。待ち伏せしてよぉ」

(やっぱり喧嘩してるじゃん!)

 私はちらりと義父の顔を盗み見る。ダンディーな義父の顔にある消えない傷はもしかして……と無駄な詮索をしてしまう。




 義父が息子に、おもちゃをプレゼントしている。まだふにふにの赤ちゃんなので、車のおもちゃの正しい使い方を知らない。車のおもちゃはすぐに息子の口元へと運ばれてしまう。

 ぺろぺろなめて、物を確かめている息子にむかって、義父がヤンキー座りをしながら顔をのぞきこむ。

「うれしいか?」

 私はちょっぴりハラハラした。そんなにすごまれたら、泣いてしまうのではないかと思ったのだ。

「お? うれしいかって聞いたんだよ」

 あー義父さん、それは完全にカツアゲしてる人みたいです。

「笑えよ」

 怖い!!!!

 義父は息子を抱き上げて、やさしく揺らした。息子がケラケラと笑う。

「アハハハ! オ父サン、本当ニ、子供アヤスノ上手ネ~」

 義父の後ろから、ひょっこり顔を出した義母が、手を叩いて大爆笑している。孫を眺める二人は、幸せそうだ。

 この二人にどんな過去があって、どうやって知り合ったのか、私はもちろん知るわけがないし、知る必要もない。

 息をするように、喧嘩が始まる二人。そして、風がすぎるように、喧嘩が終わる二人。

 私はちらりと旦那さんを見る。私は、喧嘩が苦手だ。大声を出したり、大きな音が嫌いだから。その前に、旦那さんは温厚に温厚を厚塗りした人なので、喧嘩はしなさそうだ。

 喧嘩をしないから、いい夫婦だとか、
 喧嘩をするから、悪い夫婦だとか、きっとそんな単純なモノで測れるものではない。夫婦も、友人も、親子の関係も。

 けど、わかっていることが一つある。

 喧嘩ばかりで、あべこべで、でこぼこで、キャラ濃い夫婦が、私はとっても大好きなのだ。
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