坂の途中のすみれさん

あまくに みか

文字の大きさ
1 / 24
1章 坂の途中のすみれさん

坂の途中のすみれさん

しおりを挟む
 小港荘こみなとそうは、うねうねと長い坂の途中にあるアパートだ。◯◯荘という名前がつくアパートは、古っぽいイメージがあるが、小港荘はどちらかというと、新しいアパートだった。
 1DKの部屋は、明るい木目調と白い壁で統一されており、外に植えられているハナミズキの葉影が、床にきらきらと濃淡を作っている。
「いち……に……さん」
 今日も私は、船を数える。
 小港荘に住もうと思った2番目の決め手が、この窓から見える、海だった。大きな波が立たない限り、それが海だと気がつかないような、静かな海が見える。
 キラキラと、時折色を変えながら輝く地面のような水面を、すーっと滑る船を見るのが好きだった。
「今日は5艘か」
  私は手に持つ黄色のマグの中が、空になったのを確かめると、んーっと伸びをして立ち上がった。
 ネイビーのワンピースに、緑のカーディガンを羽織る。ボブカットに切ったはずの髪の毛は、顎のラインで見事に外側に跳ねている。生まれながらの癖っ毛には、美容師さんも勝てなかったようだ。
 日焼け止めを塗って、薄くアイシャドウを目元にのせる。チークを大きめのブラシで入れたら、最後にリップをつける。私のメイクは3分もかからずに終わる。
「いってきます」
 朱色の鞄を肩から下げて、私は小港荘を出る。ハナミズキの小道を抜けてすぐ、坂道があった。
 小港荘に住む1番の決め手が、坂道の途中にある。
 坂の上では、ダメなのだ。途中だから、いいのだ。終わらない物語の中にいるようなワクワク感、1番にならなくていい安心感や中間の楽さ、そんな感情に坂の途中は似ている。
 まさに、私の人生そのもののようだ。
 坂を下りきって、駅前の商店街へ向かう。大きなアーケードの下をくぐった時、少しだけ潮の香りがした。
 賑やかな商店街の大通りから少し離れた、横道に私が働く雑貨屋「ポラリス」はある。
 ポロロン、ポロロンとドアチャイムが鳴る。
「すみれさん、おはよう」
 私が挨拶するより早く、店長の真梨子さんが反応する。
「おはようございます」
 ポラリスは小さな雑貨屋のため、従業員もお客様と同じ入口から出入りする。真梨子さんの「いらっしゃいませ」のスピードには、未だにかなわない。
「ちょうど良かった、今日は頭痛がするのよ」
 眉間に皺を寄せて、前髪をかき上げる。真梨子さんは可愛いというより、綺麗という言葉が似合う美人さんだ。
「店番変わります。上で休んでいて下さい」
「ほんと? 助かる。宅配が届いたら、開けて並べちゃって……例のアレよ」
「わかりました」
「ごめんね」と言って、真梨子さんは2階へ上がっていった。
 ポラリスの2階は事務所と倉庫、そして小さなキッチンがある。真梨子さんは事務所のソファーで、午前いっぱい休むだろう。
「雨が、降るのかな」
 真梨子さんの頭痛は、雨の前にやってくる。もうすぐ梅雨が始まろうとしている。真梨子さんには気の毒な季節だ。


 宅急便は、11時頃にやってきた。
 私は早速ダンボールを開ける。緩衝材に丁寧に包まれたそれは、手のひらサイズの鳥の置物だ。丸っこくって、薄ピンク色の小さなくちばしが可愛らしい。羽はパステルカラーで虹色に描かれている。
「全部で20羽。確かに、あります」
 数を確認してから、1羽を手の上に乗せてみる。真梨子さんがこの可愛らしい鳥たちを「例のアレ」と言ったのには、訳がある。
 この鳥は今「恋を運ぶ鳥」として女の子たちから人気なのだ。店長は、お客様からの依頼もあり、ポラリスの店頭に並べることにした。
 真梨子さんは今34歳。彼氏いない歴6年だそうだ。こんな美人を世の中の男性が放っておくはずがないのだが、もしかすると真梨子さんは手痛い恋愛の過去があるのかもしれない……なんて、安易な想像をしている。
 そんな訳で、真梨子さんに「恋」とか「恋愛」とかいうワードは厳禁なのである。
「もしかして、鳥のせいで頭痛が……?」
 首をひねったところで、ポロロンとベルが鳴った。入ってきた人物を見て、私ははにかんでしまう。
「ちょうど近くを通ったから」
 スーツのジャケットを小脇に抱えて、直哉さんが笑う。
 直哉さんは大手の企業に勤める40代男性。この場に真梨子さんが居なくて良かったと、私は手をもじもじさせながら、頭の隅で思った。
「それ、何?」
 少しかがんで、私の手の中を指差す。
「可愛い鳥さんです」
 直哉さんの目の前で、手の中を開いて見せた。
「買ってあげようか」
 直哉さんが微笑む。頰が熱くなる。
「……いいんですか?」
 本当は、鳥に興味はなかったけれど、彼が嬉しそうだったから、ついつい私はのせられてしまう。
「いいよ、これくらい」
 笑って、お金を差し出してくるのを、私はおずおずと受けとる。
「今日は7時くらいになるかな。その時に、可愛い鳥さんを渡すよ」
 鳥は再び緩衝材に包まれ、今度はポラリスの紙袋に入れられた。それを直哉さんが持って、手を振りながらまた外へと戻って行ってしまった。
 あの鳥が「恋を運ぶ鳥」だというのは、黙っておこう。胸の奥がチクリとしたのを、私は隠せなかった。


 夕刻、やはり雨が降り始めた。
 しとしとと銀の糸が降るように、美しい雨が降っていた。真梨子さんは頭痛が治らず、今日は早めにポラリスを閉めることになった。
 店に置いておいた折りたたみ傘をさして、私は商店街を歩いた。
「ハンバーグにしよう」
 ぽつり、ぽつりと雨は傘をノックする。今日は、直哉さんがうちに来る。
 そう思うだけで、自然と笑みがこぼれてくるのに、体の奥で泣いているもう1人の自分がいた。
 雨足が強くなると、傘を叩く雨音は、まるで何かが燃えているような音に聞こえてくる。
 時計の針が、7に近づいてくると、ソワソワする。部屋は綺麗にしたし、彼が好きなハンバーグは、いい感じに出来立てを保っている。
 チャイムが鳴る。
 玄関に駆け寄って、ドアを開ける。
 直哉さん。直哉さん。
 私は彼に抱きつく。彼の手には、ポラリスの紙袋。中には「恋を運ぶ鳥」。







 嘘ばっかり。







 恋なんて、運んで来ない。
 直哉さんは、22時に小港荘を出て行ってしまう。彼を待つ、家族の元へ。

 坂の途中が、好きだ。
 中途半端なところが、私に似ているから。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜

猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。 その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。 まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。 そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。 「陛下キョンシーを捕まえたいです」 「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」 幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。 だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。 皇帝夫婦×中華ミステリーです!

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...