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十三落
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青白い肌の背の低い子ども。痺れて震える歪んだ視界の中でも確かにそう確認した。長髪をくくり、雑に古布を身体に巻きつけて服としている。目がとても大きいように見える。
「ジャジャ、たうぇた」
口周りに力の入っていない平坦な喋り方。やはり女の子だ。揚羽が何も言えずにいると、八尋の方まで歩み寄ってくる。
「ジャジャ、たうぇた?」
語尾がわずかに上がっている。一か八か、八尋はうなずいた。
子どもは八尋に顔を寄せると、口に何かを押しこむ。ブドウの渋みを強めたようなものが潰れて口いっぱいに広がった。
「ッぶ」
「たうぇる」
吐き出そうとしたところを押しこまれる。八重歯が指に刺さっても動きを止めなかった。
「ん」
そしてそのまま八尋の両脚を肩に担いで歩き出す。背丈に似合わず、ずるずると身体が動いた。腕に引っかかった脱がされかけの服もついてくる。
「ま、待って、だめ! どこ行く気? うわっ」
「……あらしの、むら」
引きずられるのが止まる。……揚羽が何かされたような音も。抱え方を変えて、子どもは大きな声を上げた。
「メェル! ほしふたつ! ひとつ、ジャジャたうぇた! ひとつ、へん!」
そして八尋は冥穴に放り投げられた。
「ッ?!」
やっとここまで堕ちてきた。
小さな声で冥王が言う。汗だくの八尋の背を軽く撫でる。
まさか、こんなところで終わりはしないだろう?
網の上に沈むように落ちる。網のきしむ音が冥穴の縁まで広がっていく。波打った網が2度、勢いを戻して弾み、八尋を空に跳ね上げた。動けないので収まるまで勢いに任せるしかない。
太い縄で粗く編まれた網だ。漁業で使われそうな頑丈な網を中心に、しっかりした太い綱や布紐をより合わせて作ったつぎはぎの綱、正体の分からない赤黒い紐などが無数に結ばれ絡み合わさっている。冥穴全体を覆う巨大な網を端で支えているのは、分厚く突き出た肉襞に引っかかった3本の大木の幹……と、幹を支えにして絡まり伸びた太い肉の筋だ。
「……ううぉえる?」
声がした。大人びた女性の声。子どものものより聞き取りやすい。音素が欠落しているが、知らない言葉ではない。動けるかと八尋に聞いている。
「ヴ……ぐ……」
「ううぉえない。こえは?」
「ァ……わ、た……しは……」
「んん、あとえ。むらにつえてく」
背負われる。力が強い。
「『おつかえ、はなおめ』」
「ギッ……花、嫁……じゃ……な……」
「わあってう。だえもおもあない。だえも、なあない」
「あッ、なた……は」
「メェル」
女は名乗るように言った。
「ここうぇ、うまえた。うえのことは、しあない」
肉の洞穴の奥底にしては、「むら」は整った雰囲気のある場所だった。
小石と冥銭が丁寧に積まれた石垣がゆるやかに肉の地面を区切り、皮を剥いで砕いた木片が床代わりに敷かれている。相変わらずどこからか差し込む光のおかげで、さして暗くもない。大きめの枝を物干し竿にして、あの赤黒い紐がずらりと吊るされていた。その隣に、袋に入った紐を取り出す人が何人かいた。その中の1人、背の高い人が八尋と「メェル」に目を止める。「メェル」の方から近づいて何ごとか話している。落ちてきた人間を拾ったとか「ジャジャ」のことを伝えている風だ。
(男だ)
こちらは見るからに大人の男だ。長髪なのは村人全員らしい。
……この冥穴の奥底に子どもがいて、一世代では築けないほどの「村」があり、男も当たり前に生活している。何かの間違いで男が生贄になった時代があるのでなければ、理由は一つだ。妊婦が生贄にされたことがあり、冥穴の中で男子を産み、その子の胤が他の生贄と交わっていった。さしずめ地底人。想像を絶する。
その彼が八尋の方を向いて目が合った。やはり青白い。そして光をできるだけ取り込もうとしているような大きな目だ。
「ッ……、や、ひ、ろ。わた、し、は、八尋……」
初対面の相手にまず名乗る習慣はあると推測し、必死に口を動かす。伝わったらしく、彼は鼻に指を当てて返してきた。
「ノアマ。むらの、あいひょう。まあはあおう。メェル」
「わあってう」
ノアマは作業に戻り、メェルは布で仕切られた一帯まで八尋を担いでいく。
「すううなおう。ねええ」
下着以外を今度はしっかり脱がされ、軟らかい肉の上に寝かされ、上から重いくらいに肉をしっかりと掛けられる。汗をかくか肉を湿布にすると早く痺れが治るのかもしれない。
肉をすくって乗せるのに古いスコップのような道具を使っている。冥穴を覆うように網が張っているのだから、上から落ちてきたものはひとまずここで回収されることになる。風に飛ばされて変なものが落ちてくることもあるだろうし、ありふれた枝でも植物の育たない冥穴内では貴重な資源だ。そのためにあの網は張られている。そしてついでに、急に降ってくる生贄を無事に受け止めるために。
「あ、りが、ッ……」
「わあってう」
その後耳まで肉片に覆われ、ろくに身動きもできないまま過ごした。体感1時間ほどで全身の痛みは引き、痺れもほとんど無くなる。揚羽から聞いていた話よりかなり早い。
(あの渋い実のようなものと肉布団のおかげか)
冥穴内でずっと暮らしている人々なら、肉の中の虫がもたらす症状や対策を知っていてもおかしくない。虫のことを「ジャジャ」と呼んでいるのだろう。
八尋は肉をのけて起き上がった。仕切られた空間にメェルはいない。服がたたまれていたので着る。礼を言わなければならないし、揚羽がどこにいるかも分からない。
「誰か……」
呼びかけながら暖簾になっている布をめくると、そのさらに奥の布を払って子どもが現れた。赤猿を連れていた子だ。
「あ……さっきは、ありがとう」
「ほしみっつ、いう。ネンマ、みっつみんな、みうえた」
誇らしそうにしているように見える。八尋は視線を合わせようとしゃがんだ。はっきり発語したつもりの言葉がどこまで伝わっているかは分からない。
「……ネンマ、というのは何?」
「あらし」
鼻を指さしている。ノアマの名乗りと同じしぐさだ。
「私は八尋だ。やひろ。……その、星? というのは」
「ほし」
ネンマは布張りの天を指さして、自分でも上を見てから首を振った。八尋の手を掴むと布張りのエリアを抜け、網の張られた近くまで近づく。天は天でも穴の入り口の方向、真っ暗な闇の空間を指差す。八尋を落としてから1週間経っているから社殿の屋根は取り払われているのだろうが、もはや星も陽の光も見えない。これだけ距離が開いていて見えるわけがない。
「みえうよ」
「……地上の光が?」
「ひうう、ようう、ほし」
初めは天を指さし「ほし」のところで八尋に指を移す。
「……まさか、私が穴に落とされたとき、私の身体の分だけ空が暗くなったのも見えていたのか」
黒い星のように。
社殿の屋根が掛かっている時には冥穴に降りそそぐ陽光は少なくなっていて、はっきり影は見えないはずだ。それでもこの大きな瞳は区別できるのか。でなければ揚羽も八尋も等しく星と認識している説明がつかない。
「ネンマあ、ほし、みうえた。ネンマ、みんなみうえた」
八尋と揚羽の落下を観測したのも、実際に八尋と揚羽を見つけたのもこの子らしい。
「……待ってくれ。今、星は3つだと言わなかったか」
ふと冥穴内のことが蘇る。入りこめないはずなのに降ってきた雨。誰かが封じられた社殿を開いたとしか考えられない落雨。あのときに、誰かがもう1人落ちていた?
「ど、どこにいる?」
震える声で八尋が問うと、不思議そうにしながらネンマは先ほど八尋が寝ていた布張りのエリアまで八尋を連れ戻した。
示された方向を仕切る布を、パッと払いのける。
「……どうして……」
八尋は腰から崩れ落ちた。捕まったときも犯されたときも、突き落とされたときも、旧友が自分を陥れたと聞いて怒りをあらわにしたときも、その後1人になったときも、痛みと痺れと恥辱に苦しんだときも、ほとんど出もしなかった涙がだらだらと流れ出す。虫の毒は抜けたのに身体がガクガクと震えて止まらない。呼吸が乱れる。喉が詰まる。ネンマが戸惑ったように八尋の肩に触れた。
「……どうして、ここに、どうして来てしまったんだ、ヒナ子……! 君がどうして!」
睦山ヒナ子は穏やかな表情で、やつれた顔で、肉の中に眠っていた。
「ジャジャ、たうぇた」
口周りに力の入っていない平坦な喋り方。やはり女の子だ。揚羽が何も言えずにいると、八尋の方まで歩み寄ってくる。
「ジャジャ、たうぇた?」
語尾がわずかに上がっている。一か八か、八尋はうなずいた。
子どもは八尋に顔を寄せると、口に何かを押しこむ。ブドウの渋みを強めたようなものが潰れて口いっぱいに広がった。
「ッぶ」
「たうぇる」
吐き出そうとしたところを押しこまれる。八重歯が指に刺さっても動きを止めなかった。
「ん」
そしてそのまま八尋の両脚を肩に担いで歩き出す。背丈に似合わず、ずるずると身体が動いた。腕に引っかかった脱がされかけの服もついてくる。
「ま、待って、だめ! どこ行く気? うわっ」
「……あらしの、むら」
引きずられるのが止まる。……揚羽が何かされたような音も。抱え方を変えて、子どもは大きな声を上げた。
「メェル! ほしふたつ! ひとつ、ジャジャたうぇた! ひとつ、へん!」
そして八尋は冥穴に放り投げられた。
「ッ?!」
やっとここまで堕ちてきた。
小さな声で冥王が言う。汗だくの八尋の背を軽く撫でる。
まさか、こんなところで終わりはしないだろう?
網の上に沈むように落ちる。網のきしむ音が冥穴の縁まで広がっていく。波打った網が2度、勢いを戻して弾み、八尋を空に跳ね上げた。動けないので収まるまで勢いに任せるしかない。
太い縄で粗く編まれた網だ。漁業で使われそうな頑丈な網を中心に、しっかりした太い綱や布紐をより合わせて作ったつぎはぎの綱、正体の分からない赤黒い紐などが無数に結ばれ絡み合わさっている。冥穴全体を覆う巨大な網を端で支えているのは、分厚く突き出た肉襞に引っかかった3本の大木の幹……と、幹を支えにして絡まり伸びた太い肉の筋だ。
「……ううぉえる?」
声がした。大人びた女性の声。子どものものより聞き取りやすい。音素が欠落しているが、知らない言葉ではない。動けるかと八尋に聞いている。
「ヴ……ぐ……」
「ううぉえない。こえは?」
「ァ……わ、た……しは……」
「んん、あとえ。むらにつえてく」
背負われる。力が強い。
「『おつかえ、はなおめ』」
「ギッ……花、嫁……じゃ……な……」
「わあってう。だえもおもあない。だえも、なあない」
「あッ、なた……は」
「メェル」
女は名乗るように言った。
「ここうぇ、うまえた。うえのことは、しあない」
肉の洞穴の奥底にしては、「むら」は整った雰囲気のある場所だった。
小石と冥銭が丁寧に積まれた石垣がゆるやかに肉の地面を区切り、皮を剥いで砕いた木片が床代わりに敷かれている。相変わらずどこからか差し込む光のおかげで、さして暗くもない。大きめの枝を物干し竿にして、あの赤黒い紐がずらりと吊るされていた。その隣に、袋に入った紐を取り出す人が何人かいた。その中の1人、背の高い人が八尋と「メェル」に目を止める。「メェル」の方から近づいて何ごとか話している。落ちてきた人間を拾ったとか「ジャジャ」のことを伝えている風だ。
(男だ)
こちらは見るからに大人の男だ。長髪なのは村人全員らしい。
……この冥穴の奥底に子どもがいて、一世代では築けないほどの「村」があり、男も当たり前に生活している。何かの間違いで男が生贄になった時代があるのでなければ、理由は一つだ。妊婦が生贄にされたことがあり、冥穴の中で男子を産み、その子の胤が他の生贄と交わっていった。さしずめ地底人。想像を絶する。
その彼が八尋の方を向いて目が合った。やはり青白い。そして光をできるだけ取り込もうとしているような大きな目だ。
「ッ……、や、ひ、ろ。わた、し、は、八尋……」
初対面の相手にまず名乗る習慣はあると推測し、必死に口を動かす。伝わったらしく、彼は鼻に指を当てて返してきた。
「ノアマ。むらの、あいひょう。まあはあおう。メェル」
「わあってう」
ノアマは作業に戻り、メェルは布で仕切られた一帯まで八尋を担いでいく。
「すううなおう。ねええ」
下着以外を今度はしっかり脱がされ、軟らかい肉の上に寝かされ、上から重いくらいに肉をしっかりと掛けられる。汗をかくか肉を湿布にすると早く痺れが治るのかもしれない。
肉をすくって乗せるのに古いスコップのような道具を使っている。冥穴を覆うように網が張っているのだから、上から落ちてきたものはひとまずここで回収されることになる。風に飛ばされて変なものが落ちてくることもあるだろうし、ありふれた枝でも植物の育たない冥穴内では貴重な資源だ。そのためにあの網は張られている。そしてついでに、急に降ってくる生贄を無事に受け止めるために。
「あ、りが、ッ……」
「わあってう」
その後耳まで肉片に覆われ、ろくに身動きもできないまま過ごした。体感1時間ほどで全身の痛みは引き、痺れもほとんど無くなる。揚羽から聞いていた話よりかなり早い。
(あの渋い実のようなものと肉布団のおかげか)
冥穴内でずっと暮らしている人々なら、肉の中の虫がもたらす症状や対策を知っていてもおかしくない。虫のことを「ジャジャ」と呼んでいるのだろう。
八尋は肉をのけて起き上がった。仕切られた空間にメェルはいない。服がたたまれていたので着る。礼を言わなければならないし、揚羽がどこにいるかも分からない。
「誰か……」
呼びかけながら暖簾になっている布をめくると、そのさらに奥の布を払って子どもが現れた。赤猿を連れていた子だ。
「あ……さっきは、ありがとう」
「ほしみっつ、いう。ネンマ、みっつみんな、みうえた」
誇らしそうにしているように見える。八尋は視線を合わせようとしゃがんだ。はっきり発語したつもりの言葉がどこまで伝わっているかは分からない。
「……ネンマ、というのは何?」
「あらし」
鼻を指さしている。ノアマの名乗りと同じしぐさだ。
「私は八尋だ。やひろ。……その、星? というのは」
「ほし」
ネンマは布張りの天を指さして、自分でも上を見てから首を振った。八尋の手を掴むと布張りのエリアを抜け、網の張られた近くまで近づく。天は天でも穴の入り口の方向、真っ暗な闇の空間を指差す。八尋を落としてから1週間経っているから社殿の屋根は取り払われているのだろうが、もはや星も陽の光も見えない。これだけ距離が開いていて見えるわけがない。
「みえうよ」
「……地上の光が?」
「ひうう、ようう、ほし」
初めは天を指さし「ほし」のところで八尋に指を移す。
「……まさか、私が穴に落とされたとき、私の身体の分だけ空が暗くなったのも見えていたのか」
黒い星のように。
社殿の屋根が掛かっている時には冥穴に降りそそぐ陽光は少なくなっていて、はっきり影は見えないはずだ。それでもこの大きな瞳は区別できるのか。でなければ揚羽も八尋も等しく星と認識している説明がつかない。
「ネンマあ、ほし、みうえた。ネンマ、みんなみうえた」
八尋と揚羽の落下を観測したのも、実際に八尋と揚羽を見つけたのもこの子らしい。
「……待ってくれ。今、星は3つだと言わなかったか」
ふと冥穴内のことが蘇る。入りこめないはずなのに降ってきた雨。誰かが封じられた社殿を開いたとしか考えられない落雨。あのときに、誰かがもう1人落ちていた?
「ど、どこにいる?」
震える声で八尋が問うと、不思議そうにしながらネンマは先ほど八尋が寝ていた布張りのエリアまで八尋を連れ戻した。
示された方向を仕切る布を、パッと払いのける。
「……どうして……」
八尋は腰から崩れ落ちた。捕まったときも犯されたときも、突き落とされたときも、旧友が自分を陥れたと聞いて怒りをあらわにしたときも、その後1人になったときも、痛みと痺れと恥辱に苦しんだときも、ほとんど出もしなかった涙がだらだらと流れ出す。虫の毒は抜けたのに身体がガクガクと震えて止まらない。呼吸が乱れる。喉が詰まる。ネンマが戸惑ったように八尋の肩に触れた。
「……どうして、ここに、どうして来てしまったんだ、ヒナ子……! 君がどうして!」
睦山ヒナ子は穏やかな表情で、やつれた顔で、肉の中に眠っていた。
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