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§02 葉噛みする葛藤ネイビー

秘めて対面イン・スレール

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「……殺す……殺してやる……最悪……」
「命の恩人に酷い言い様だな」
「恩人ね……どっちかっていうと復讐者だろ、これ……」
 笑みの理由がやっと分かった響は、ぐったりとソファーに沈み込んでいた。
「復讐? 何を言う」
 対照に、ゆったりと立ち上がる小折こおりは楽しそうな声だ。パフェ店での騒動、特に湯上桃音ゆがみももねに醜態を見せてしまった恨みを発散したからに違いない。
「はあ……そんなに気にしてんなら、あんたから湯上に、俺に話しかけてこないように言ってくれよ……」
「くだらん、そんな嫌われかねん事ができるか。桃音の魅力に惑わされる貴様が悪いのだ」
「ああそうですか何度断っても話聞いてくれないから婚約者様がどうにかしろって言ってんだよ! 甘やかしてんじゃねえ!」
 語気のわりに響には元気が残っていない。目を閉じたまま、下敷きをうちわ代わりに顔をあおぐ。
「で、何だったんだよ、あの……レース?」
「あれか。貴様の表層だ」
「ひょーそー?」
「人間を、簡単なイメージで言えば芯にレースを巻物のように巻き付けた存在としてのが御降おおり綾取あやどり術だ。この認識上においては簡単な呪いは表層近くの綾模様に縫い込まれ、強力な呪いほど奥へ、強い糸で綾取られることになる。外側だから肌に関するもの、という訳ではないがな。糸は人間の構成要素だ。認知を感覚、知覚、認知の3プロセスと考えるとーー」
「あ、理解できないけど大体分かったんでもういいです」
「ーー貴様は!」
 説教が流れてくるが響は聞き流す。あの「糸」を押さえられただけで体が動かせなくなった理由がなんとなく分かったところで質問の意図は達成している。
(……といっても、対策が思いついた訳じゃないけど)
 痛い思いをするだけならまだいい。体の自由を奪われるのは、嫌いだ。
(いや、痛いのにも慣れちゃ駄目か)
 首をかすかに振ると、視界の端に緑が目に入った。切れ目の入った大きい葉のあふれる鉢だ。
「……なんで保健室って観葉植物色々置いてんだよ。特にアイツ大嫌いなんだけど」
「モンステラか? 癒しの為に飾られ、ハワイでは魔除けにも用いられる神聖な植物に随分な言い様だな」
「知るかよ。あー、無理。もう無理。コイツと同じ部屋にいんの無理。教室帰っていいか?」
「……よく今まで生きてこられたな、貴様」
「我慢してんだよいつもは! これで誤魔化せてなかったらただじゃおかないからな」
「それは問題ない。私自身にすら、貴様には以前と同じ呪いが掛かっているように感じられる。まじないの効力を失う『糸』を混ぜ込んで用いただけで、あの魔法陣とほぼ同じ文様は縫い込んだ。詳細に紐解き、り合わせた一本一本の糸に至るまで確認しない限り、気づけはしまい」
「確認すれば気付けんのかよ」
「確認する気にさせなければ良い」
 話は終わりと言わんばかりに小折は保健室を出て行った。チラリとベッドを見てから、倒れていない方の取り巻き、未留那まどなも後を追う。



「春樹様?」
「手洗いに行くだけだ。付いてくるな」
 先ほどから様子がおかしいことに気づいていた未留那が後を追うと、やはり何か調子が悪いのか、小折春樹は顔の下半分を大きく手で覆って歩いていた。
「今回の解呪にはかなり時間が掛かってしまいました。私どもの不手際で、ご心労お掛けしてしまい申し訳ございません」
「案ずるな。この程度で私は動じない」
「しかし、お顔が……お耳まで赤いようですが」
「……熱に」
「はい?」
「熱に、当てられただけだ……」

 小折春樹は気取られないよう顔を背けると、鼻血が流れ出てくる前に急いでトイレに入っていった。



「簡単に言いやがって……」
 外の騒ぎにも気づかず、響は持ち上げていた頭を、またソファーに深く沈めた。窓からの涼風が、すぐに眠りへと誘っていく。
(少しだけ……)
 響は目を閉じた。







 ……時は飛んで、夜。
「失礼、ただいま戻りました」
 美路道ミロドウカゲが響の前に再び現れたのは響が寝支度を始めた頃だった……寝室のドアをノックするという、一人暮らしには少々恐怖心を与えるやり方で。
「……お望み通り買ってきたけどこれでいいのか?」
 あいにく、そろそろ現れるだろうと予想していた響にとっては、アパート前待ち伏せ事件ほどのインパクトはない。部屋に放置していた買い物袋をテーブルに置く。入っているのは爪やすり、バッファー、シャイナー、ネイルオイル、ベースコート、トップコート、何色かのマニキュア、スポンジなどなど。店員に言われるがまま買ってきた物だ。合計金額は命と比べればだいぶ安い。
「爪何色にすんのか聞いてなかったから適当な色買ってきたけどいいよな?」
「『ただいま』、響くん?」
「……おかえり」
「構いませんよ。気に入らなければ別の腕に替えればいいですし……おや、ストーンがありませんね」
「……ネイルストーンのことか? 男のネイルってそういうの、つけんの?」
「さあ? 上質なケーキに金箔を乗せるようなものでは?」
「センス次第ってことか。店行け。それと今日すんのは下処理だけだから」
 響はため息をついてカバンを降ろした。慎重に盗み見る。
(パッと見、怪しい素振りはない……とりあえず、何も言われないってことは気づいてないのか?)
 小折の信用がマイナスなので正直不安しかない。
「……どうしました? 私の顔にキスしたい部位でもついていましたか?」
「んなものついてねえよ」
「えっ、この美しい唇が見えないんですか響くんには?」
「……」
 前言撤回。こんなバカっぽいことを言う奴なら、誤魔化せるんじゃないかと響は思い始めた。
(うん、これは気づいてないな)
 小折の信用+1して、響は寝室に持ち込んだ深めのボウルにぬるま湯を張る。
「甘皮ってやつ? を傷つけずに処理すんのにふやかすのがいいって言われた。しばらく指浸しとけ」
「はあ、爪の付け根に薄く伸びた皮膚のことですか。異物の侵入を防ぐ役割があるはずですが、人間はこの部分を剥がしても問題ないのですか?」
 言いながら、影は6本ほど手を突っ込んだ。入る隙間を探してうろうろした7本目が、諦めてどこかへ引っ込んでいく。
「傷めないようにふやかして、程々に取るらしい? から、大丈夫なんじゃないか? とりあえずガーゼで拭いてみる。それで取れなきゃニッパー使う。痛かったら言えよ」
「優しくしてください、ね」
「……」
「響くん? そこはツメではありませんよ? それに、手つきが全然優しくないのですが……」
「うるせえ黙ってろ! はぁ……なんで俺、平日の夜から男の爪の手入れなんてしてんだ」
「きみが望んだことです。私はツメなど切らずとも良かったのですが?」
「いや、それはちょっと。危ないし。爪長い男はキモいって女子が言ってたぞ」
 別に影がJKから見てキモかろうがどうでもいいのだが。手つきをゆるめて、真面目に拭き始める。
「湯上桃音が言ったんですか?」
「いや? ……それ聞いてどうすんだよ」
「きみの爪を伸ばせば、彼女に嫌われることも可能かもしれませんよ」
「湯上、そもそもどこも見てないだろ」
「ほう?」
「俺の事好きなわけじゃなくて、からかってんのが楽しいだけだろ、あれ」
「……」
 しばらく沈黙が続いた。響は黙々と作業を進める。五指終わればその手は引っ込み、次の手が水気を切って前に出てくると同時に新しい手がボウルの中に滑り込む。
「……きみ、女子にはモテる方ですか?」
「? 告られたのは人生で片手程度だけど」
「おやまあまあ……にしては女心が分かっていませんね」
「人間心が分かってない奴が……ん?!」
 響は手を止めた。ボウルにうごめく腕の中に一つ、明らかに違う肌色の、女の腕が混ざっていたのだ。

 赤い。それが最初の感想だった。白い肌なのだろうが、のぼせた後のように血色の良すぎるピンク色になっている。遠目なら日焼け肌にも見えるだろう。細い手首をしならせて出てきた指先には、手入れが要らなさそうなツヤツヤした爪がついている。
「……なんだよコレ。あんたじゃないだろ」
 次点の感想。男の手入れはどうこう言ったけど女なら良いとも言ってない。

 影はその腕を見て、無表情になると首を傾げた。
「なぜ今混ざってきたかはともかく……紹介はしていませんでしたね。出てきなさい」
「はいは~いっとぉ」
 そんな気の抜けるような声がして……腕が、輪切りにされたように弾けた。
「っ!」
 皮膚だけが螺旋らせんのリボン状に広がる、広がる、広がる。中身はなく、裏面はぞっとするような赤色だ。キュルキュルと解け、ねじれながら絡みついて、次第に人の形を作っていく。そして……

「よ~う待ちくたびれたぜアルジよ。放置プレイがお好きかよ~? って」
 背の高い女が、ぬっと姿を現した。
 まず目に入るのは子供の頭を二つ並べたごとき巨大な胸。それとバランスが取れるほどがっしりと広い肩は薄青のワンピースから大きく露出している。その上からあちこちに、緑の長いワンカールヘアが全体に散らばっていた。くるんと外向きに巻いた毛先は明るめのグリーンだが、根元に向かうにつれ暗いオリーブに変わっていく。視線を上げれば、目が合った。好きなタイプではないが、某ハリウッド女優を思わせる活発そうな美人だ。
「ん~、コレが今の苗床スケープゴートか。胸ちっちぇ~な」
 ……口調はガサツ、いや口調も活発そうだった。

「男だ、ピオニィ」
「は~? は~……はいはいなるほどな。主はこういうのも好みかい俺様にはわっかんね~わぁっと」
 美女は疑り深く響をジロジロと眺めると首をぐるりと回す。
「……で、何だよ、コレ」
 誰、とは聞かない。響の体はさっきからずっと、新たに現れた蝕橆ショクブツに対し警報を鳴らし続けていた。
「私の台木だいぎの一つ……まあ、手駒ということです」
「スケープゴートと似たよ~なもん?」
「じゃピオニィは名前か?」
「あ~? おっ前『ピオニィ』が何か知らね~な?」
 ピオニィはぐるりとターンした。……正確には、腰のあたりが螺旋らせん型にほどけてねじれ、それに合わせて上半身だけがぐるりと回った。

「こんな美人様、二度と忘れないよ~に360°見とけよ。立てば俺様座れば俺様、歩く姿だけ百合リリィに譲ってやんよ~っと。さて俺様ピオニィはな~んだ」

 やや節をつけて言うそのフレーズは、聞き覚えがある。
「! 芍薬シャクヤク牡丹ボタン……?」
「どっちも正解、おんなじ花の王者たる俺様ピオニィの仲間なんだよなぁ。っつ~わけでよろしく、苗床ベビー」
 ピオニィはほどけた胴をばね状に伸ばした。びっくり箱から飛び出したバネ仕掛けのピエロのごとく響の眼前に迫ると、顎をクイと親指と人差し指で持ち上げる。
「おぇっ」
 響は即、顔をそむけた。
「は~? なんでこんな美人に触られて吐きそうになってんだよマジ?」
「ピオニィ、退がれ」
「……は~い、主のシモベっつか下僕は退がりますよ~っと」
 血のような赤い液体を飛び散らせ、ピオニィは一瞬で響から離れると胴をくっつける。血しぶきの代わりに真っ赤な大ぶりの花びらが数枚、床に散らばった。
「だから何なんだよコレ……」
「ただの台木ですから、別に構うことはありませんよ」
「わざわ~ざ幽霊なんか調べてきてやった俺様に構うな~? 酷い主じゃね~か!」
「この時間に混ざってきたお前が悪い。今後は私と響くんだけの時間の邪魔をするな」
「あんたは気色悪い言い方すんなよ」
「何か問題がありましたか?」
 影をにらむ響の横で、ピオニィは「へいへ~い、お熱いことで~」とヒラヒラ手を振った。

「ってそ~だ、来ちまったもんはしょ~がないし報告しても良いかよ主?」
「……手短に」
 影が頷くと、ピオニィは中から瓶を取り出した。黒い花弁のような葉が中で動き回っている。
「な~んか一枚帰って来ないんだよなぁ~。カラスにでも食われたかもな~?」
「!」
 間違いなく、小折の取り巻きによって破壊されたから、だろう。響は動揺を表に出さないよう、気をつけて息を吐いた。幸い、影は怒ってはいないようだ。
「行方不明になるものがあっても良いよう、複数枚飛ばしていますからね。それで?」
「お~う。結論から言うと~、ありゃヤバいぜ主」
「結論から言え」
「っちょ怒るなって~、主の方がヤバいんだからよ。俺が言いて~のは、あの幽霊がどんだけ目ぇつけられてっかって話」
 ピオニィは指を折った。
「おっと余計な事をって怒んなよ主ぃ~。俺まっじめ~に調べたんだぜ? けっどよ、た~っかが幽霊のくせに死体の場所探すだけでストップ入りやがんの、おいおい何だよって~わけだ。そしたらよ~お、土地神があの幽霊を見たくないって仰せなのさ」
「は? 土地神?」
 影が眉を顰めるが、響も同じような気持ちだった。
「俺様も初め~てコンタクトったぜ土地神なんてよぉ。つかこの土地に居たのかよぉ~って。で、伝ご~ん。『我は其方そのほうと事を構えるつもりはござらぬ。ただ、我が地にて日に月にお目汚しする事だけはどうぞご勘弁頂きとうございまする』だ~ってよぉ」
「何だ、『事を構え』ないのか。それで、日に月に目汚す、とは?」
「ん~とぉ、外気に晒すなって事らっしいぜ~? 殺された場所がたまたま逆鱗に触れたっつ~話らしいんだが、ま~あ嫌われたもんだなぁ?」
 もうこの時点で響は内心パニックになっていたが、話は終わらない。
「その程度の制約か。棺にでも詰めて運べ」
「……ばいいじゃ~んって俺様も思ったわけよ、や~ん気が合うなぁ主ぃ~? でもよ~、かたすのに棺が何百要るだろ~なぁ?」
「何百?」
「あの幽霊、死体の破片ぜぇ~んぶ動かさねえとお引越しできねえタイプなんだよなぁ~。血も。んでんでぇ~、寸刻みの肉と希釈した血がまんべんなくぶっちけてあんの~、この澄谷すみがや地区全体にぃ~。気っ持ち悪ぃ~よなぁ、あいつやっべ~儀式に使われて死んだんだぜぇ?」
「は……?」
「馬鹿面に向けて言っとくけどマ~ジだぜこれ? あ~でも安心しろよぉベビ~、さっきの土地神とやらが表面には出てこないよ~に神経使ってるって~から、直接靴で肉踏んだりはしないぜ~多分」
 現実味のない話にぽかんとしてしまった響と違って、影は何か思うところがあるようだった。
「なるほど、だから外気に晒すなと」
「そ~っそ。ま~そのせいで土地神以外からもちょっかいかけられ~っしダルかったわぁ。幽霊に記憶がね~ってのがまた、な? んでこの度、めでた~く主にも因縁つけられちまっても~うお先真っ暗って感じぃ? きゃっは、い~いザマだなぁ!」
「五月蝿い」
「いやいや、調べた話聞いてただけの俺様すらイラつかせるって~のはなかなかだぜ~? な~主、あの幽霊でビーチバレーしようぜ、これから俺様もぎってくっからさぁ~」
 殺気を隠しもしない影にも動じず、ピオニィはからからと笑うと首に手をやった。
「勝手に動くな。全く、躾のない雑草だ」
「いっや~俺様も日々精進してんだけっどよ~、主のお素敵な所作もろもろにゃ~誰も敵わねえからしょ~がないよな!」
「お前を躾けるくらいなら、燃やしてその灰を躾のなった別の台木にでも与える方が有意義だ」
「ひっど~~いじゃねえかよあ~るじぃ~! 俺様こ~んなに働いたんだぜ、しっかも今すぐ大人しくなるんだぜぇ~? ほらさ~んにぃいっち、ぴたっ!」
 言うと同時に、ピオニィの体が崩れた。長いリボンになってぎゅっと寄せ集まると、授賞式で出てくるようなリボンの花になってコトリと床に落ちる。
 影はそれを、机上の響のスマホを手に取った。
「……今日はこれで終わりにしましょう。無駄に時間を使ってしまいました」
 そしてストップウォッチを止める。響がちゃんと時間をカウントしているのに気づいていたらしい。

「……今日、ツッコミどころが多くてついてけねーんだけど俺。なんかあんた、土地神とかいうのからもビビられてるし」
「さて、何故でしょう。初めて知った相手のことは分かりませんが、私が強いからでは?」
 笑えない冗談だ。
「……もういいや。で、ミツダマの事どうすんだよ」
「どうしたいですか?」
 影は首を傾げた。
「あの様子ではすみやかな成仏も移動もさせるのが難しいでしょう。私としては、除霊するのが楽でお勧めですが」
「いや、しないから」
 話を聞く限りミツダマの死因は他殺らしい。しかも、死体を弔われることなく細切れにされてばら撒かれ、そのせいで本人の意図なく嫌われまくっている。そこを除霊してスッキリなどと思えるわけがなかった。
「ふむ、君は先ほどの知能の低い報告からそのような解釈をしたのですか。お優しいことで」
「あ? 悪いかよ」
「いえいえ、微笑ましいのですよ。さて、話と爪の続きは明日です。夜に会いましょう」
「……」
「あ、明日は朝ご飯を頂きますよ。その後はまた出かけますので、残念ながら学校にはまた一人で行ってください」
「ついてくんのがデフォルトみたいに言うんじゃねえ。あと出てけ」
「はい、おやすみなさい響くん」
「……オヤスミ」

 影が扉から出ていくと、ようやく寝室は静かになった。響はひとつ深呼吸して、頭の中から情報をいったん全部追い出してから、ようやくボウルを片付け始めた。
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