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§02 葉噛みする葛藤ネイビー

愚衲(グノウ)死すともアグノシア

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 現実に起きている、蝕橆ショクブツとかいう化け物に関するあれこれを、響が口にしたくないのには理由がある。まともに取り合ってもらえないだろうというのが一つ。そしてもう一つ、もし人に話したと知られれば確実に、あのドSサイコ変態蝕橆、美路道ミロドウカゲの機嫌を損ねるだろうからだ。

(……で、今の状況、奇跡的にどっちもクリアしてんだよな、多分)

 でなければ切羽詰まっていても、ソファーにふんぞりかえって腕を組んだこの一応センパイ、小折こおり春樹はるきに相談などしなかっただろう。
「何だ、ジロジロと」
「……別に」
 響が目を逸らしてため息をついたとき、何度目かの予鈴が鳴った。もうすぐ十時になるが、まだ保健室の女教諭は戻ってこない。職務怠慢がそろそろ本格的に気になるところだ。そして響の、植物恐怖症やら影の話やらもざっくりと終わったところだった。
「……ハァ。貴様、数学や歴史の成績が悪いだろう」
「あ?」
「話を聞かず、物事のプロセスを理解しようともせずに結果のみを求める。そういう公式暗記型人間がこの澄谷すみがや高校の、ひいては私の経歴のレベルを下げるのだ」
「……」
 レベル云々はともかく、実際にその辺りで赤点を取りまくっている響は反論できない。できないのだが急にディスられるいわれもない。ムスッとした顔で黙ると、小折は優等生らしからぬ舌打ちをした。
「内容も聞かずにちぎやくする阿呆がいるか! だからこのような事になったのだ。このままでは一年以内に死ぬぞ!」

「……え、俺が?」
「当然、貴様がだ! ああいう輩と契約などすれば魂が腐る。それだけでも人間の身には危ういが、『苗床』というのならば文字通り貴様を養分とする気なのだろう。肉体が壊れるで済むか、精神も崩壊するまでなぶられるか。遠からず死ぬ」
「魂が腐る……? 養分……?」
「黙っていろ、例えだ。……別のシナリオは、私のような綾取あやどり師に貴様が排除されるというものだ」
「は?」
「現在の貴様は、傍目には強力な呪いを振り撒く害悪。化け物の手先にも見える。危険分子たる貴様をころ……排除せねばならない、と考える者がいても不思議ではない」
「おい今殺すって言いかけたよなあんた!」
「大声を出すな……聞かれると面倒だろう」
 小折は深く息を吐くと、顔の右半分にべたりと手を当て肘を突いてうつむく。一方響はといえば、口に出したことで今更、言葉が腹にドサッと落ちてきていた。
「いや、いきなり殺すとか殺されるとか聞いたって、実感なんて湧か……ないのが普通、だよな?」
 響は自分の腕を押さえた。そんな事をしなくとも、響の体は震えたりしない。恐怖に動じるようにはできていない。もし震えていたら、血の気が引くようだったら、失神し、この先の大事な話を聞くこともできなかったかもしれないのだから。
(俺は冷静だ。そのはずだ)

「実感? 化け物との契約など、それこそ死の疑似体験だろう。恐れて何がおかしい」
 小折の声は鋭かった。
「……過激派は何処にでも存在する。ようやく実感したというならば、これからは考えて行動する事だな」
「……」
「何だ、その沈黙は」
「いや、俺の事嫌いなのに案外親切なんだなと……」
「だ、誰が貴様の事など考えるかべらぼうが! いくら貴様が害悪で脅威でも、人殺しなどという手段を認めるわけにはいかないからだ!」
 小折は勢いよく紅潮した顔を上げてから、大声を出してしまったことに気づいたのか咳払いをする。響も一度、落ち着くために息をついた。殺すだの人殺しだの、誰かに聞かれれば怪しさ満点の会話だ。

「で、俺が助かる方法って」
「……」
「おい」
「……いや、無いでは無いはずだ。起きろ、狩留羅かるら末留那まどな
「「はっ」」
 小折が首を傾げて呼びかけると、保健室のベッドが跳ね上がった。気絶していたはずの小折の取り巻きが二人、飛び出して小折の前に片膝を突く。片方は長いツイストスパイラルヘア、もう片方はやや背の低い目元の隠れるマッシュヘア。アクションシーンのような動きだった。

「……えっ何こいつら」
「御降に代々仕えさせている一派だ。時折この高校に紛れ込ませている」
「生徒じゃないのかよ」
 突っ込むと、刺々しい目が四つ響を睨んだ。敵と認識されているらしい。
「落ち着け、お前達。解呪を行う。略式で構わん、平らげの準備を始めろ」
「「はっ!」」

 短く返じて、ツイストスパイラルの方がカバンからスプレーを取り出して辺りに透明の霧を吹き掛けていく。同時にマッシュは床に人型の薄紙を投げ落とすように並べ始めた。陰陽師とかの話で見るものよりリアルな造形の人型だ。

「……何すんの」
「まずは貴様の鈍麻どんま状態を解く」
「鈍麻?」
麻痺まひのようなものだ。化け物から受け取ったという魔法陣は今持っているか?」
「ああ……」
 内ポケットから折り畳んだ紙片を取り出すと、見てもいないのに「うっ」と小折は深く顔をしかめた。
「酷い呪いだ。……開かずにそのまま、机に置け」
「これを、ってか俺をどうするんだよ」
「うむ、普段からそのようにインフォームド・コンセントを求めれば良いのだ。いいか、その呪いは恐怖心を奪うだけでなく、貴様の植物と『蝕橆』とやらへの認識力を奪う働きを持つらしい。知覚を障害する、故に鈍麻だ。その上、化け物との契約を強固に保護している」
「? ……とにかく、コレをまず無効にしなきゃいけないのか」
「そうだ。まずこの糸口を解呪しなければその先の契約を破棄する手段も探れない。といって、その先の解呪をすぐに行える保障はないがな」

「……『インフォームド・コンセント』ってんなら、二つ、聞きたい事があんですけど」
 響は唾を飲んだ。
「まず一つ。コレ解いたら、また植物が怖くなるんだよな?」
「ああ。これからその先の解呪も試みる以上、代替するまじないを私から与えることもできない。だが」
「分かってますよ、死ぬよりゃマシって事だろ。クソ」
 床を蹴飛ばしたい、のを我慢する。
「二つ目! そもそも、勝手に解呪とか影にバレたら普通にヤバい目に遭う未来しか見えないんだけど?」
「私がそこを考えていないと思うか? 抜け道はある」
「抜け道?」
 小折春樹は自信に満ちた薄笑いを浮かべて響の方を見た。
「美路道影と言ったか。奴が呪いに詳しいのなら、これほどの強力な呪いをストッパーも隠蔽もなく貴様に掛けるはずがない。当分の間貴様を生かしておく気ならなおさらな」
「は?」
「今の貴様の死が迫った現状こそが、奴が適当に呪いを掛けたことを意味している。つまり、呪いに関しては私の方が上手だ」
「えー……?」
「貴様にサラダを食べさせ感想を聞くあたり、効力を奴自身が感じることはできないらしい。ならばやりようはある。要は、呪いが掛かっていると誤認させておけば良いのだろう? のは私の得意分野だ」
 そう言う小折の手にはいつの間にか、ペンほどの長さがある太い穴空き針がある。
「それ縫い針? 繕うってそういう……」
「なに、突き通しはしない。呪いが欠けた隙間をだけだ」
 小折は穴に糸を通す仕草をする。が、糸は見えない。
「私の説明に納得したならば、そのサークルに入れ。それをもって了承とみなす」
「サークル? ……ああ」
 保健室の床には、人型の薄紙を輪状に並べて作った「サークル」ができていた。蝋燭もいつの間にか混ざって立てられている。
「やっぱ宗教だろ」
 愚痴りながら、響はその中心に踏み込んだ。

「……入れと言ったのは私だが、随分簡単に信用したな。貴様、そのように思考放棄して……」
「ちゃんと俺も考えましたって」
 考えたのは、影の事だ。
「センパイの事は正直信用してませんけど、幸い今は死んでないし、死にたくもないし。危険っちゃ危険なんだろうけど、アイツの鼻を明かせるかもしれないなら賭ける価値はあると思ってる」
「……鼻を明かす、か。どうも危機感に欠けるな。まあ都合が良い、始めるぞ」
 危機感がないつもりは無かったのだが側からはそう見えるらしい。

 ともかく、儀式とやらが始まり……響がサークルの中心に立ち、取り巻きが三本の蝋燭に火をつけると、急に周囲が暗転した。
(うわ)
 目を見開いても闇の中に放り込まれたかのように、足元の床とサークル、そして人間以外、何も見えない。小折の唱えるような声だけが虚ろな空間を満たすように聞こえてくる。

「我の信に足る者、我に応えよ。我は認識をもって其方そなたを認め迎え操りし綾取師あやどりし、大いなる御降おおり大針だいしん心眼包扉開百しんがんほうどかいびゃく御降春樹。其方くと我の前にらしめ、その綾をつまびらかにせよ」

 蝋燭ばかりが揺らめいていた闇に、フッと強い光が現れる。レース地のベールのような光る糸でできた布が、少し体から浮き上がるようにして響を取り巻いていたのだ。長さは首から腰の辺りまで。編み物のことはよく分からないが、細かい模様が全体に入っていて綺麗だった。
 手を伸ばしてもすり抜けてしまい触れない。が、体をひねるとまるで身にまとっているかのように合わせて光のベールも動く。
(何だこれ……)
 見える限り見回してみた響は、前面部、心臓の近くに異質なデザインの模様がひとつ、混ざっているのに気付く。
(この模様……あの魔法陣の形そのまんまだ)
 その魔法陣の模様に、小折春樹の指が触れた。
「貴様の魔法陣は、コレで間違い無いな?」
 小折の人差し指は光の糸をすり抜けず、サラリと表面を撫でる。

「っ……ふっ」
 響は返事の代わりに、口から変な空気を漏らした。
「どうした、賢木響」
「いや、なん……で……も……ふっ、駄目だこれ、くすぐったいんだけど……」
「くすぐったい? 触れられて感覚があるのか?」
 小折は妙な顔をして、レースをつまむ。
「ちょ、やめろ手離せっ」
「嘘ではないようだな。ここまで感覚の鋭い奴は初めてだが……まあ、かゆみくらいなら耐えられるだろう」
「は、いや、ヤバい一旦……っ! 聞けよ!」
「邪魔を受ければ手元が狂って余計なまじないを掛ける危険がある。早く終わらせてやるから大人しくしていろ」
「あんたな……」
「話に承諾したのは貴様だろう」
 小折は言い放つと、レースを本格的に弄り始めた。

 細かい網目を確認し、数え、指で探りきれない所に針先を通す。その度に、細やかに皮膚をくすぐられなぞられる感覚が体のあちこちを襲った。

「うっ……な、つか、変な感覚……なんだけど……」
「我慢しろ」
「や、ってか、ぅあっ……こ、れ、わざとじゃねえの……?」
「……妙な声を出すな、集中できん」
「そういう、感覚なん、だよ……! んっ……ざけん、なっ」
 さすがに暴れて抵抗しようとするが、体がうまく動かない。
「あ……?」
「春樹様の儀式中です。動くな」
 小折の取り巻きの一人、マッシュヘアが、レースの袖から一本ずつ、糸を引き出してつまんでいた。力を入れているようには見えないのに、それだけで動きを封じているらしい。
「っ……覚えてろよ……」
 響は力なく毒づいた。



「……よし、こんなものか。継ぎ目はほぐれた、 これから呪いを剥ぎ取る」
 地獄のような五分が過ぎ、若干くたびれた声で小折は言うとレースから手を離した。
「はぁ、も、もう少しなんとか、なんなかったのか……これ」
「ならん。貴様こそどうにかならんのか」
「なるわけないだろ……」
 幸い、なんとか響は耐え切った。刺激が無くなれば、込み上げてきていたものもすぐに醒めていく。人前で趣味など無いのだから、当たり前だ。
「……この次の工程は、人により軽い痛みを伴う場合がある」
「痛みって……俺の場合はどうなるんだよ」
「……」
 小折は顔を背けると額の汗を拭った。
「おい」
「……なるべく静かに剥いでやるから貴様も我慢しろ」
「最悪。そもそも痛いとか最初に聞いてない」
「質問の時間は設けたはずだ」
「ああ聞かなかった俺が悪かったですよ! つか、なら一瞬で終わらせろよ」
「その方が痛くなるぞ。それに周辺が傷つく」
「うるせえこっちは尊厳の危機乗り越えたとこなんだよ!」
「五月蝿いのは貴様の声だろう。分かった、そこまで言うならやってやる。恐らく、胸部に数日残る痛覚だ。覚悟しろ」
 響は頷いた。

 小折は、鋭く長い爪のついた指ぬきを五本、右手に嵌めた。軽く爪先を打ち合わせて音を確かめる。そして、散々弄って広げていた魔法陣とレースの隙間に、五本同時に打ち込む。同時に響の胸に、深い衝撃が突き刺さった。

「うっ……」
 爪が魔法陣を切り取るように動けば、肉がえぐられる。肺がかき混ぜられ、勝手に口から空気が出て行く。糸が切れるたびに、血管を千切られる音が胸から全身にこだまする。鼓動のように痛みが巡る。何かが、失われていく。
「がっ、あぁ、あっ……ざけん、な」
「……」
「ぐぁ……お、い、……痛く、ねーよ、こんな、の……チラチラ、見てんじゃ、ねえ……!」
 小折が困惑している気配に、響は声を絞り出した。気遣いされても困るし、手が止まると長引くだけだ。肺が潰れたか、息が吸い込めない。酸欠で頭がクラクラしてくる。
アイツのに、比べ、たら、こんな、の……死んだ、時に、比べ……た、ら…………、……」
「……すまない」
 小折は小声で何事か呟くと、動きを早め、レースを爪で握り潰すようにまとめて千切り取った。
「ーーーーーーーーーーっ!!!」
 叫ぶこともできずに、響はその場に崩れ落ちた。



「一度、場を壊せ! 急げ!」
 誰かに上半身を起こされる。すぐ近くで声がする。響は一瞬閉じた目を、すぐに開いた。小折春樹の顔が見える。片腕を背に回してくれたらしい。
「息をしろ、賢木響!」
「……、…、…………! はっ、はあっ、はあはあ、はあ、は、はあ、あ、はぁ、はぁ、はぁ、」
「過呼吸か。腹で息をしろ、少し前屈みにさせるぞ」
 背中を押される。響は、がら空きになっている小折の腕を掴んだ。
「はぁ、は、は、はっ、はぁ、はぁ、こ、おり、」
「無理に話すな、息を吐くことを意識しろ」
「はぁ、ま、ど、はぁ、み、ろ、はっ、は、はや、く」
「……なに?」

 保健室の窓の外に、黒い花びらのような物が舞っていた。ただの花びらなどではない、見覚えがある。あれは……ミツダマの事を調査する為、影が飛ばしていたモノの一つだ。

「なっ……逃すな狩留羅!」
 小折の声に弾かれたように、狩留羅と呼ばれたツイストスパイラル髪の取り巻きが飛びつくと窓を引き開けた。ひらひらと不規則に動く黒片を、素早く掴み取る。
「っ」
 狩留羅は顔を苦痛に歪ませると、身を丸めて背中から保健室に倒れた。顔が青い。それでもしっかりと握り締めた手の隙間から、黒い煙がゆらゆらと触手のようにはみ出して腕に、体にまとわりついていく。
「お下がりください、春樹様!」
 もう一人の取り巻き、マッシュヘアの末留那が飛び出す。狩留羅の握り拳を見て、怯んだのか一度止まり、深く息をつくと……
「許して、狩留羅」
 狩留羅の脇腹を、助走付きで回し蹴った。

 雷が落ちたような空気を裂く音がして、狩留羅の体が跳ね上がる。一瞬、全身が光ったようにも見えて……黒煙が、体から蒸発していった。



「……安全になりました、春樹様」
「ご苦労」
「なんで、お前らの、解呪って、そう、乱暴なの、ばっか、なんだよ……」
 言いながら、響は周囲を見回した。呪いを切り取られた途端に感じた、視線のような恐怖はもう無い。
「アレの存在を感じたのか?」
「あ、ああ……多分」
「私でも気づきにくいレベルの微弱な呪いだった。それが貴様の本来の認識力という事なのだろうな」
 問題なしとでも言いたげに小折は頷くがそれはつまり、響が気づかなければ逃してしまったと言っているようなものだ。どうなっていたか考えたくもない。

「過呼吸も治まったな。不安要素も消えたことだ、するとしよう」
「え」
 もう終わりだと思って油断していた響に、小折は何故か、満面の笑みを向けた。マッシュヘア末留那もいつの間にか、狩留羅をベッドに押し込んで響の肩を背後から押さえている。
「呪いを剥ぎ取った穴を、魔法陣に見せかけた偽りの文様で刺繍する。繕うのは得意だと言っただろう? なに、痛くはない」
「痛くないって……あっちも嫌なんだけど」
「案ずるな、あの痛みに堪えてこれだけ元気な貴様なら問題無い。縫い甲斐がありそうだ」
「体力とかじゃなくて別の心配してんだよ! いやなんであんたそんな笑顔なんだよ怖っ」
「笑顔? 私がそんな顔をしているわけがなかろう。真面目な解呪中だぞ」
「ちょっ、勝手に始めんーーんんんっ!」
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