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§04 根濁してマロウブルー
融解まつろわぬハイカカオ
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「いや理解してる、こないだの会議の内容は完璧に頭に入った。結局、いくら時間が無いっつっても、バンダちゃんがミツダマの記憶取り戻させるまで出来ることは無いし、『パーツ』見つけるまで出来ることはない。その間俺に出来ることはゼロ。それは分かった。でも、部屋に閉じ込めてテスト勉強させるのは違うだろ」
「何が『違う』んですか?」
「……集中できない」
反論が思いつかず、響は自室の机に突っ伏した。
「何で期末テストなんてあんだよ……」
「夏休み前に浮かれて勉強しなくなる人間の心理を抑制する為でしょうか?」
「じゃあ何で今が夏休み前なんだよ……」
「盛夏になると授業を受ける行為に人間は耐えられない、と聞き及んだ事がありますが、合っていますか?」
「いや知らねえ……じゃあ何で、こんな時期に陰陽師来んだよ?」
「さあ?」
「そもそも七夕の時期とかって忙しいもんじゃねえの」
「あれらにとっての七夕は八月では? 旧暦を馬鹿正直に守っていそうですから」
「伝統的七夕って奴か」
テスト前に脳の容量不足で後悔するような豆知識を生徒に植えつけるのが好きな国語教師の受け売りだ。今実際に後悔している。
「まあ七月の祭りもありますし、彼らには年中何かしらの因習があるんですよ。大小あれど犠牲を払って来るのは変わらないのですから、考えるだけ無駄というものです。はい」
「ん」
口にチョコを押し込まれそうになって、響は直前で唇を閉じた。
「響くん?」
「んんん」
口を開かず喉だけで拒絶を伝えておく。が、強引さで影に叶うわけがない。顎をこじ開けられて食べさせられる。
「いきなり何だよ」
「リフレッシュとか適度な脳への糖分補給とか、そういう追肥が人間には必要でしょう?」
「追肥って言うな。ガキ扱いされてるみたいで嫌なんだよ、食わされるの」
「へえ」
細い指が伸びてきて、溶けたチョコがついた響の唇を拭う。
「良い案だと思ったのですが。まあ、私の栄養補給ができたので良しとします」
そのままその指を影はゆっくりと舐め取る。
「え、衛生観念……」
「何か?」
「いや病気とか罹んなさそうだなあんた。手についた雑菌その場で殺してそう」
「私の手は抗菌素材ですか?」
「殺菌っつってんだろ」
響はもう一度机に突っ伏した。
(……キス、されるかと思った……)
男相手に、そもそも蝕橆相手に、この程度のことでドキドキするわけもないのだが。そもそもというならそもそも、あまり響は動揺が顔に出るタイプではないので変な顔になっている可能性は低いのだが、見られたくない。
「あんたなんて嫌いだ」
「そうですか」
普段から言っている言葉を重ねたところで、何も伝わるわけがない。もっと具体的に「やめろ」と言わないのは響の甘えなのだろう。
(あんた相手じゃなきゃ、ここまで「嫌い」とか軽々しく使わねえよ)
分かっていても言ってしまう。
「さあ響くん、今日のうちにそのテキストを終わらせればだいぶマシになりますよ」
「マシ……マシね……」
「赤点は回避できるでしょう」
「コレ用意したのあんただっけ? 勉強できんの腹立つんだよな」
「前から思っていましたが、きみは変な所で立腹しますよね」
「良いだろ、自分より出来る奴にちょっとムカつくくらい」
シャーペンの芯を押し出して紙に突き刺す。
「なあ、ミツダマの『パーツ』ってどこ欠けてんの」
「きみは勉強する気が……」
「これ聞いたらやるから」
「はぁ。右眼と心臓です」
「ん?」
響は頭を机から引き剥がす。
「この間あんたが見つけてきたパーツって目じゃ無かったっけ」
「そうですね」
「って事はバノンが持ち去ったのって両目と心臓ってことになるよな。これ、たまたまって事あるか?」
「……ニックスが襲撃した場所に存在していた『パーツ』がたまたま目と心臓のある地点だったのでしょう」
「うーん……そうかもしれないけど……」
何かを忘れているような気がして響は頭を掻く。
「……とりあえず勉強するか」
「有言実行は美德ですね」
「なあ、もしかして守ってるつもり」
「はい?」
とぼけたような返事が若干遅い。
「最近、買い出しとか色々、全部あんたが行ってくれてるだろ。俺学校の行き帰りしかしてないし」
「きみはすぐ勉強をサボりますから」
「ゴミ出しも?」
「……人間のすなるゴミ出しといふものを、私も」
「それどこかで聞いたことある。『やってみたかった』でゴミ出さないだろ」
「人間の感覚ではそうかもしれませんが」
「まあ、前例があるし? 何も起きないから外出させろとは言わねえけど?」
気に食わない。
「俺は楽でいい……んだろーけど、なんかまーたガキ扱いされてる気がするっつうか……」
「きみは子供ですよ。人間の法律的にも」
「あんた的には?」
「まだ今のきみを酔わせて言質を取る事ができないのは残念ですね」
「うわ……」
響は縁切りのジェスチャーをした。
「酔って取った言質が何の役に立つんだよ」
「色々と」
「『お付き合い』の過程気にする奴ならあんな押し掛け方しねえよな……」
言いながら、一応手は動かしている。
「きみは私のものですし、最終的に、きみの全てを私は手に入れますから」
「過程はどうあれ最後には俺が惚れてるってか? はっ。大した自信で」
「確信ですよ。さ、あと210ページです」
「多っ……あー、これ何の公式だっけ」
「教科書83ページですよ」
「あ゛ー……」
カタッ。
「……あ?」
小さな音がして、床にシャーペンが落ちていた。
「あれ……寝てたのか……」
あれからかなりの時間勉強していたような気がする。途中でバンダちゃんがいつの間にか作り置きしてくれていたご飯を温めて食べて、また再開して……いたはずが、机に突っ伏していたらしい。
肩にはブランケットが掛けられている。それと卓上にメモ。
『少々出掛けます。きちんと入浴してベッドで寝てください』
ほら、まただ。ページ数の代わりに「あと186ページ」と書かれた影のテキストを閉じて響は欠伸をした。
カタン。
「ん?」
机の上に今度はお行儀よく載っているシャーペンを通り過ぎて、音のした方へ視線は向かう。
(玄関?)
寝ている間に呼び鈴を鳴らされたのかもしれない。返事が無かったので立ち去るところか荷物を置いたか。確認せずに出て勧誘だったりすると面倒なので、響はそっと玄関に向かった。そっと郵便受けの隙間から下を確認する。
(……足も荷物も見えない)
などと少し油断した直後だ。
郵便受けの中から、炎が飛び出した。
「っ!」
一瞬で顔を遠ざけ、熱せられたフタから手を離すが、熱風で持ち上がっているのか閉まらない。いや、むしろ。
(火が、腕みたいに動いて持ち上げてる?)
思ったときにはすでに、上体を反らしつつ後ろに大きく駆け下がっている。咄嗟の危機回避能力だけしかないのだからこの程度、避けられなくては困る――
(って、今はそれだけじゃなかった)
触手のように噴き出してくる炎の腕に向かって響は構える。
「入ってくんなっ!」
手を叩く。
イメージも加減も全くできていない。ただ炎を外へ押し出そうとするだけの烈風を部屋に叩きつける。
ビリビリと空間が音を立てる。シンクが軋む。背後で紙がめくれる音がする。前髪が叩かれたように目に覆いかぶさってくる。響は強風で揺れる体を押さえつけて、ただじっと前を見据えていた。
衝撃にあっさりと炎は千切れ、欠片がドアに叩きつけられていた。
しかし火は消えない。欠片になったまま燃え続け、風が止めばまた、蠢くように炎をもたげて。
蝋燭を吹き消すのとは状況が違うが、この勢いで消えない炎はないだろう。普通なら。燃え移っていないことも不気味だが今は有難い。
(衝撃に弱いけどバラバラになってもダメージは無い? で、俺だけが「熱い」って感じる……?)
響はやっと瞬きをする。普段から忘れがちだが、炙られた後ともなるとかなりかさついていた。
「……まあいいよ、どうせ狙いは俺か影って事だろ」
今度は姿勢を少し整えて。
手を回して重ねて。
手短に息を吐いて。吸って。止めて。
「……ざっけんなよ!」
手を打ち合わせる。
一発で内出血を起こした手のひらから、鋭い衝撃が刃のように飛ぶ。すぐさま響は同じように――火打ち石でも合わせるように、痛々しい音を立てて手を擦り鳴らす。何度でも。
「気に入らねえ、ああ、気に入らねえよ。どうだよ影? 家に居たって襲われたけど。はっ。馬鹿馬鹿しいよな! ガキ扱いしやがった結果がこれかよ。気に入らねえな!」
炎の欠片が室内に侵入する端から、透明な刃が切り刻んでいく。
「こいつは俺を大人扱いしてるっぽいぜ。なんせ、ちゃーんと警戒して、家で油断してるところを狙ってくるんだからな!」
爪が指に引っかかり、食い込んで欠ける。どうでもいい。放った刃は火の勢いを削ぐだけで、倒せているようには見えない。どうでもいい。
どうでもいい。
「気に入らねえ……」
血の混じった風が、炎に食い込む。生肉の焼けるような臭いが一瞬にして広がって……炎が、消えた。
「あ……?」
「きみは私を心配させる天才ですね。血を媒介に加えて力づくで術を封じるなんて」
背後から手を取られる。もはや急に現れることに驚く気も失せて、響は目を閉じる。
「きみにも言ったでしょう? 手をボロボロにしてまで戦うなんて、いけませんよ」
「……この間から思ってたんだけど、あんたって手フェチかなんかなのか?」
「いいえ別に?」
「あと俺、今、超イラついてんだけど」
「聞こえていましたよ。美食家としては、自傷の悲鳴は好ましくありませんね」
「ぅ」
手のひらを舐められる。痛みと腫れでマヒしたはずの感覚の奥を、ぬるりと冒してくる。
「やめろ……」
「その怪我では勉強にも支障が出るでしょう」
「ガキだからってガキ扱いしやがって……」
「していませんよ。ただ、きみはまだ脆い」
舐め取るようにして傷口を治した影は、名残惜しそうに離れると郵便受けに引っかかっていた紙片を引き抜く。
半分ズタズタに切り裂かれてはいたが、残る半分には切れ込みと、流れるような筆文字が残っていた。
「……まあ、人形の式神でしょうね」
「陰陽師?」
「ええ」
影の袖から花のつぼみが飛び出して花開く。
「一つ、きみに同意しておきましょう」
「ん」
「気に入りませんよねえ、こんなことをする輩は」
花は、ぱくりと人間型の紙切れを飲み込んで引っ込んだ。
「何が『違う』んですか?」
「……集中できない」
反論が思いつかず、響は自室の机に突っ伏した。
「何で期末テストなんてあんだよ……」
「夏休み前に浮かれて勉強しなくなる人間の心理を抑制する為でしょうか?」
「じゃあ何で今が夏休み前なんだよ……」
「盛夏になると授業を受ける行為に人間は耐えられない、と聞き及んだ事がありますが、合っていますか?」
「いや知らねえ……じゃあ何で、こんな時期に陰陽師来んだよ?」
「さあ?」
「そもそも七夕の時期とかって忙しいもんじゃねえの」
「あれらにとっての七夕は八月では? 旧暦を馬鹿正直に守っていそうですから」
「伝統的七夕って奴か」
テスト前に脳の容量不足で後悔するような豆知識を生徒に植えつけるのが好きな国語教師の受け売りだ。今実際に後悔している。
「まあ七月の祭りもありますし、彼らには年中何かしらの因習があるんですよ。大小あれど犠牲を払って来るのは変わらないのですから、考えるだけ無駄というものです。はい」
「ん」
口にチョコを押し込まれそうになって、響は直前で唇を閉じた。
「響くん?」
「んんん」
口を開かず喉だけで拒絶を伝えておく。が、強引さで影に叶うわけがない。顎をこじ開けられて食べさせられる。
「いきなり何だよ」
「リフレッシュとか適度な脳への糖分補給とか、そういう追肥が人間には必要でしょう?」
「追肥って言うな。ガキ扱いされてるみたいで嫌なんだよ、食わされるの」
「へえ」
細い指が伸びてきて、溶けたチョコがついた響の唇を拭う。
「良い案だと思ったのですが。まあ、私の栄養補給ができたので良しとします」
そのままその指を影はゆっくりと舐め取る。
「え、衛生観念……」
「何か?」
「いや病気とか罹んなさそうだなあんた。手についた雑菌その場で殺してそう」
「私の手は抗菌素材ですか?」
「殺菌っつってんだろ」
響はもう一度机に突っ伏した。
(……キス、されるかと思った……)
男相手に、そもそも蝕橆相手に、この程度のことでドキドキするわけもないのだが。そもそもというならそもそも、あまり響は動揺が顔に出るタイプではないので変な顔になっている可能性は低いのだが、見られたくない。
「あんたなんて嫌いだ」
「そうですか」
普段から言っている言葉を重ねたところで、何も伝わるわけがない。もっと具体的に「やめろ」と言わないのは響の甘えなのだろう。
(あんた相手じゃなきゃ、ここまで「嫌い」とか軽々しく使わねえよ)
分かっていても言ってしまう。
「さあ響くん、今日のうちにそのテキストを終わらせればだいぶマシになりますよ」
「マシ……マシね……」
「赤点は回避できるでしょう」
「コレ用意したのあんただっけ? 勉強できんの腹立つんだよな」
「前から思っていましたが、きみは変な所で立腹しますよね」
「良いだろ、自分より出来る奴にちょっとムカつくくらい」
シャーペンの芯を押し出して紙に突き刺す。
「なあ、ミツダマの『パーツ』ってどこ欠けてんの」
「きみは勉強する気が……」
「これ聞いたらやるから」
「はぁ。右眼と心臓です」
「ん?」
響は頭を机から引き剥がす。
「この間あんたが見つけてきたパーツって目じゃ無かったっけ」
「そうですね」
「って事はバノンが持ち去ったのって両目と心臓ってことになるよな。これ、たまたまって事あるか?」
「……ニックスが襲撃した場所に存在していた『パーツ』がたまたま目と心臓のある地点だったのでしょう」
「うーん……そうかもしれないけど……」
何かを忘れているような気がして響は頭を掻く。
「……とりあえず勉強するか」
「有言実行は美德ですね」
「なあ、もしかして守ってるつもり」
「はい?」
とぼけたような返事が若干遅い。
「最近、買い出しとか色々、全部あんたが行ってくれてるだろ。俺学校の行き帰りしかしてないし」
「きみはすぐ勉強をサボりますから」
「ゴミ出しも?」
「……人間のすなるゴミ出しといふものを、私も」
「それどこかで聞いたことある。『やってみたかった』でゴミ出さないだろ」
「人間の感覚ではそうかもしれませんが」
「まあ、前例があるし? 何も起きないから外出させろとは言わねえけど?」
気に食わない。
「俺は楽でいい……んだろーけど、なんかまーたガキ扱いされてる気がするっつうか……」
「きみは子供ですよ。人間の法律的にも」
「あんた的には?」
「まだ今のきみを酔わせて言質を取る事ができないのは残念ですね」
「うわ……」
響は縁切りのジェスチャーをした。
「酔って取った言質が何の役に立つんだよ」
「色々と」
「『お付き合い』の過程気にする奴ならあんな押し掛け方しねえよな……」
言いながら、一応手は動かしている。
「きみは私のものですし、最終的に、きみの全てを私は手に入れますから」
「過程はどうあれ最後には俺が惚れてるってか? はっ。大した自信で」
「確信ですよ。さ、あと210ページです」
「多っ……あー、これ何の公式だっけ」
「教科書83ページですよ」
「あ゛ー……」
カタッ。
「……あ?」
小さな音がして、床にシャーペンが落ちていた。
「あれ……寝てたのか……」
あれからかなりの時間勉強していたような気がする。途中でバンダちゃんがいつの間にか作り置きしてくれていたご飯を温めて食べて、また再開して……いたはずが、机に突っ伏していたらしい。
肩にはブランケットが掛けられている。それと卓上にメモ。
『少々出掛けます。きちんと入浴してベッドで寝てください』
ほら、まただ。ページ数の代わりに「あと186ページ」と書かれた影のテキストを閉じて響は欠伸をした。
カタン。
「ん?」
机の上に今度はお行儀よく載っているシャーペンを通り過ぎて、音のした方へ視線は向かう。
(玄関?)
寝ている間に呼び鈴を鳴らされたのかもしれない。返事が無かったので立ち去るところか荷物を置いたか。確認せずに出て勧誘だったりすると面倒なので、響はそっと玄関に向かった。そっと郵便受けの隙間から下を確認する。
(……足も荷物も見えない)
などと少し油断した直後だ。
郵便受けの中から、炎が飛び出した。
「っ!」
一瞬で顔を遠ざけ、熱せられたフタから手を離すが、熱風で持ち上がっているのか閉まらない。いや、むしろ。
(火が、腕みたいに動いて持ち上げてる?)
思ったときにはすでに、上体を反らしつつ後ろに大きく駆け下がっている。咄嗟の危機回避能力だけしかないのだからこの程度、避けられなくては困る――
(って、今はそれだけじゃなかった)
触手のように噴き出してくる炎の腕に向かって響は構える。
「入ってくんなっ!」
手を叩く。
イメージも加減も全くできていない。ただ炎を外へ押し出そうとするだけの烈風を部屋に叩きつける。
ビリビリと空間が音を立てる。シンクが軋む。背後で紙がめくれる音がする。前髪が叩かれたように目に覆いかぶさってくる。響は強風で揺れる体を押さえつけて、ただじっと前を見据えていた。
衝撃にあっさりと炎は千切れ、欠片がドアに叩きつけられていた。
しかし火は消えない。欠片になったまま燃え続け、風が止めばまた、蠢くように炎をもたげて。
蝋燭を吹き消すのとは状況が違うが、この勢いで消えない炎はないだろう。普通なら。燃え移っていないことも不気味だが今は有難い。
(衝撃に弱いけどバラバラになってもダメージは無い? で、俺だけが「熱い」って感じる……?)
響はやっと瞬きをする。普段から忘れがちだが、炙られた後ともなるとかなりかさついていた。
「……まあいいよ、どうせ狙いは俺か影って事だろ」
今度は姿勢を少し整えて。
手を回して重ねて。
手短に息を吐いて。吸って。止めて。
「……ざっけんなよ!」
手を打ち合わせる。
一発で内出血を起こした手のひらから、鋭い衝撃が刃のように飛ぶ。すぐさま響は同じように――火打ち石でも合わせるように、痛々しい音を立てて手を擦り鳴らす。何度でも。
「気に入らねえ、ああ、気に入らねえよ。どうだよ影? 家に居たって襲われたけど。はっ。馬鹿馬鹿しいよな! ガキ扱いしやがった結果がこれかよ。気に入らねえな!」
炎の欠片が室内に侵入する端から、透明な刃が切り刻んでいく。
「こいつは俺を大人扱いしてるっぽいぜ。なんせ、ちゃーんと警戒して、家で油断してるところを狙ってくるんだからな!」
爪が指に引っかかり、食い込んで欠ける。どうでもいい。放った刃は火の勢いを削ぐだけで、倒せているようには見えない。どうでもいい。
どうでもいい。
「気に入らねえ……」
血の混じった風が、炎に食い込む。生肉の焼けるような臭いが一瞬にして広がって……炎が、消えた。
「あ……?」
「きみは私を心配させる天才ですね。血を媒介に加えて力づくで術を封じるなんて」
背後から手を取られる。もはや急に現れることに驚く気も失せて、響は目を閉じる。
「きみにも言ったでしょう? 手をボロボロにしてまで戦うなんて、いけませんよ」
「……この間から思ってたんだけど、あんたって手フェチかなんかなのか?」
「いいえ別に?」
「あと俺、今、超イラついてんだけど」
「聞こえていましたよ。美食家としては、自傷の悲鳴は好ましくありませんね」
「ぅ」
手のひらを舐められる。痛みと腫れでマヒしたはずの感覚の奥を、ぬるりと冒してくる。
「やめろ……」
「その怪我では勉強にも支障が出るでしょう」
「ガキだからってガキ扱いしやがって……」
「していませんよ。ただ、きみはまだ脆い」
舐め取るようにして傷口を治した影は、名残惜しそうに離れると郵便受けに引っかかっていた紙片を引き抜く。
半分ズタズタに切り裂かれてはいたが、残る半分には切れ込みと、流れるような筆文字が残っていた。
「……まあ、人形の式神でしょうね」
「陰陽師?」
「ええ」
影の袖から花のつぼみが飛び出して花開く。
「一つ、きみに同意しておきましょう」
「ん」
「気に入りませんよねえ、こんなことをする輩は」
花は、ぱくりと人間型の紙切れを飲み込んで引っ込んだ。
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