一途彼女と誘惑の彼

山の端さっど

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∽2∽[笑顔]の裏側

§14[気懸(キガカリ)]

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 偶然を装って会おうとすると、意外と人には出会えない。久々にそんな事を実感していた。円居まどい先輩はどうやって、あんなに「偶然」に会えるんだろう。
 私には先輩のクラスを直接訪ねるようなことはできない。あのやり取りがあった後に会いに行ける強いメンタルは持ち合わせていないし、「[誘惑]のターゲットである[一途]」という立場上、会いになんて行ったら理由を説明させられかねない。

([役割]で制限を受けることって、こんなに普通にあるんだ)

 そんな事を今ごろ思っているあたり、私は恵まれてるんだろう。腹立たしくなるくらい。

 六月五日の夕方、私は図書館で、いい加減帰り支度をしていた。円居先輩が来そうな場所、といって思いついたのがここだけなんだから、思わず笑ってしまう。手に取ってみた雨の日ミステリーも頭に入って来なかったから、解決編に手を出すのはやめておいた。

 図書館はいつも心地よい空間だけど、私の心にあるのは緊張が半分、会えなかった安堵あんどが半分だった。会ったとして、なんて話しかければ良いんだろう。何を話せば良いんだろう。友達からお願いされた事を聞く、という口実付きで、なんとか会おうと勇気を振り絞ったばかりだ。
 会いたいとは、話したいとは、思っているのに。

「……帰ろう」

 借りる気も起きない。私は本を書架に戻して、バッグを手に取った。振り返りもせず出て行ったから、本棚の奥にいた誰かが私を見ていたことには気づかない。



 雨だから夕焼けも見ることはできない。私は真っ直ぐに寮室に帰ってきて、ベッドの上に転がった。

「ちょっと今日は無理、気長に待ってて……」
 
 友達に弱気なメッセージを投げて、ぬいぐるみを抱きしめる。優馬さんから去年の誕生日にプレゼントしてもらった、大きなマレーバクだ。柔らかくて気持ち良くて、ついつい寝落ちてしまいそうになる。

「十分、だけ……」

 呟くと、タブレットから『十分後にアラームをセットしました』と落ち着いたAIの声がする。私はその声に誘われるように、ゆっくりと布団に沈んでいった。



   ◇

『見ろよ、[◼︎◼︎]だ』
 『[◼︎◼︎]』
  『どうせ何も、救◼︎ないのに』
   『◼︎◼︎◼︎◼︎は、どうして特別なんだ?』

         ◇



 アラームの音が、夢を遮る。ぼんやりとタブレットを見た私は、次の瞬間飛び起きた。

「七時?! やだ、寝過ごし……」
『午後七時です』

 冷静なAIの声に、ほっとしてベッドに座り込む。
 7:00の文字と朝と同じアラームの音で慌ててしまったけど、まだ、夜だ。二十四時間表示に直そうと、タブレットを手に取る。

「あれ……」

 頭のどこかに、引っかかるものがあった。
 ひとまず起き上がって、目をこすったら、ざらりとした感触があった。目やにかと思ったら、涙の結晶だ。

「?」



 宿題と、明日の授業の予習を軽く済ませる。思ったよりも早く終わって、私は紅茶を入れて一息ついていた。もちろんダイエットの天敵、砂糖は入れない。クッキーもお預け。今日良い結果だったとはいえ、次のスキャンまであと二日ちょっとだ。

「明日は何かあったっけ」

 日程を確認してみる。
 午前と午後一つは普通の授業だけど、午後三時から、部活動や委員活動の開始時間を遅らせて、総合的な学習の時間が入っている。つまり、今月末のスポーツ大会のための打ち合わせ時間だ。
 縦割りで学年混合、組対抗のスポーツ大会は、参加自由だけど大きめのイベントだ。私は二年一組だから、図書委員会の桜木先輩や市ノ瀬先輩と同じチームとして参加か応援することになる。多分種目決めをしたり、当日の応援のための準備を始めるんだろう。

「面倒だな……」

 私は運動系に参加するつもりはない(そもそも戦力外)から、eスポーツの方に連れて行かれなければ、多分、応援のためのグッズ作りあたりになるんだろう。
 去年は入院でろくに準備には参加できなかったから、あまりイメージはできない。当日も応援はしたけれど、ほとんど皆の様子は頭に入ってこなかった。

優馬ゆうまさんなら、もっと格好良いのに)

 なんてことを、つい考えてしまったから。
 私はふるふると首を振った。皆が頑張ってる時にこんなこと考えてたなんて、絶対誰にも言えない……。

「お風呂入ろう……」

 汗と一緒に邪念を流してしまおう。
 久し振りにバスタブにお湯を張って体を洗っていたら、ぽん、と通知が来た。普段より遅めの、友達からの返事だ。何かあったんだろうか?

『急がなくていいからね~』

「うん」とだけ返事して、私は湯船に浸かる。ほんのりラベンダーのバスボムが香る。

 円居先輩は、いつも、どこに居るんだろう。
 今は流石に、寮室か自宅に居るんだろうけど……そもそも、実家から通ってるのか寮に住んでるのかも知らない。
 この間、朝早くに校庭に居たんだから、寮生だろうか。でも私の寮棟じゃないのは確かだ。
 今日は図書館に行ってみたけど、図書委員とはいえ図書館によく居るとは限らない。そもそも図書委員会は人員不足になることも多い委員会だから、本好きでない人がなることもある。でも本には詳しそうで……いつ、そう思ったんだろうか。話した時にさりげなく、そう思った。放送班じゃない事は知ってるけど、他のどちらの班なのかも知らない。知る必要は、たしかに無い、けど。
 そういえば、先輩に教えていただいたあのカフェはどうだろう。慣れている感じだったし、時々あそこに居てもおかしくない。ただ、ダイエット中の私には、あそこに通うなんて恐ろしいことは出来そうになかった。
 そう考えると、あとは、何も思いつかない。

 本当は連絡を取ればいいのは分かっている。
 気まずくて、何と切り出せばいいのか分からない。
 一応言い訳にできそうなことはもう一つあるけれど、どんな文字を打ち込んでも、全部我儘わがまま欺瞞ぎまんに腐っていってしまいそうだった。
 本当に、中途半端だ。

 指でなんとなく窓にイタズラ書きをしていたら、ふと、思い出した文面を書いていた。

『6 3 アサコウテイ』

 確か、六月三日の朝、校庭……だったけど、誰も来なかったということは、違ったんだろうか。



「……あ」

 六月三日の朝じゃない?
 頭の中で、さっきの光景が走った。朝七時と夜七時、数字だけ見たら間違えてしまう。でも、もしベッドが窓際で、起きた途端に夜空が見えていたら、勘違いなんてしなかった。「19:00」の文字が見えていれば、間違えなかった。

「あれ……?」

 あんな短い暗号文で、わざわざ、分かり切ってる「六月」なんて情報を入れるだろうか。なんで、「アサ」なんて曖昧あいまいな時間指定をしたんだろう。もしかして……。

「六月三日じゃなくて……六日の、朝三時?」

 でも、そうだとすると、少し変だ。どうして「アサ」とわざわざ入れたんだろう。一日に「三時」は二回あるけど、六月六日の昼三時は、全学年一組の生徒が校庭に集まる。スポーツ大会の準備であれだけの生徒が集まっている中、隠し事なんてできないはずだ。そもそも、校庭は通常時でも運動部が使っている。昼の三時はありえないから朝の三時、と、書かなくても分かりそうなものだけど……。
 分からない。でも、六日の可能性も、これだけじゃ否定できない。

『それが余計なんだよ。いや、迷惑だ。きみに心配されると、迷惑で迷惑でしょうがない』

「円居、先輩……」

 私は立ち上がっていた。





 草木も眠る丑三つ時。監視システムは眠りを覚えず、されど全ては見通せない。木々の間を全て見通せるカメラなど設置できない。校庭の小さなビオトープで息づく生物の音や雨音の中から小さな音を正確に判別する方法はない。ある意味で、自然は監視を拒絶する。
 その中を、一人、歩く影がある。黒いレインコートを着て、周囲を慎重に見回し、監視カメラの届きにくい所を選んで忍び歩く。やがて、大きなナツメの樹に辿り着くと、幹に寄り添うように身を落ち着けた。

「(ふぅ……)」

 微かに吐息を吐いて、校庭を見据える。そのまま動きを止め、気配を殺してただ、待つ。

 どれほど待っただろうか。カサリ、と微かな音がした。

 葉が擦れる音と区別がつきにくいが、よく聞けば、何かが引っかかるような音だ。雨音に紛れて、何かが近づいてきている。
 それを確かに認めた影は……。



「( Freeze動くなandあと keep quiet黙ってて.どうしてきみがここに来るかな)」

 深いため息をついて、何かーーつまり私の手を引くと、樹の影に押し込んだ。

「(あ、あの、円居先輩、)」
「(取りあえず黙ってて)」
「(私……)」

 ごめんなさい、と言ったけれど、雨音に隠れて多分届かなかった。



 あの時お風呂で、私には、あの暗号が示しているのがという結論は出せなかった。私はそんなに頭が回るわけじゃないけど、こればかりは、暗号をやり取りした当人たちの間でしか分からないようになってるんだと思う。
 つまり、多分円居先輩にも、六日じゃないと断定はできない。

『余計だ』

 止めようとした私にそう言った先輩なら、三日のときに空振りだったなら、また見張りに行くだろうと思った。そう気づいてしまったら、居ても立っても居られなくなった。

(私が来ても、むしろ足手まといかもしれないけど……)

 中途半端な思いで、それでも来てしまった。
 午前三時、丑三つ時すら過ぎて、雨音以外には自分の呼吸がわずかに聞こえるくらいだ。

「(……)」
「(……何持ってんの?)」

 沈黙を破ったのは円居先輩だった。上から耳に落とし込むような、微かな声だ。黙ってて、とさっき言われたばかりだけど、このくらいの声量なら大丈夫だろうか。
 ひとまず、私はレインコートの下に持っていたものを出す。白い折り畳み傘だ。それから、爪先立ちして小声を出す。

「(返そうと思って……)」

 先輩が目を少し見開いたのが見えた。

「(気付いちゃったか)」

 多分傘を見て、私がたまたま散歩しているのではなく先輩に会いに来たこと、ここに居ると知っていたこと、つまり、六日三時の可能性に気づいたことまで分かったんだろう。
 その顔には、意外、全く毒気が無かった。

 私に言ったあれこれは、私をこの日の朝校庭から遠ざけるためのものだったのかもしれない、と思いつく。あれだけ言われれば私が朝出歩かなくなる可能性は高い(実際そうだった)。しかも、暗号の内容が「六日三時」かもしれないという可能性を言わなかった。友達に話を持ちかけられていなかったら、私が気づくことは無かったと思う。ショックのまま、ただこの朝も寝入っていただろうな。
 でもこの人は知らない。私が先輩と二人で誰にも邪魔されず話せる機会を必要としていたなんて。
 誰にも邪魔されないかは微妙だけど……。

「!」

  先輩が、校庭側から見えないように、体を隠した。先に私が幹に貼り付いているから、私に重なるように動くことになる。
 校庭を見ていなかった私には、さっぱり様子が分からない。

「(誰か……?)」

 無言で口の前に人差し指を立てて見せられる。私は黙って、耳をそば立てた。
 ……誰かが、二人で話をしている?

「……わり……ましょ……」
「どうし……だ?」
「だっ……、ど……びなんで……」
「ば……言うな!」
「じゃ…………なの……?」

 私は、次第に自分の顔色が変わってくるのを感じていた。
 これってもしかして……。


「スポーツ大会が終わるまでは完璧なスポーツマンで居たいんだよ!」
「つまり女の子からチヤホヤされたいんでしょ!」
「断じてそんなことはない!」
「じゃあなんで付き合ってること隠すのよ! この浮気者! あんたとなんて終わりよ!」
「……本当に良いのか?」
「なっ……あ、あんたが悪いんじゃない……」
「聞いてくれ。俺はクラスで、『終了まではスポ大一本でやってくれ』って条件付きでクラスリーダーに選ばれてるんだ。分かるだろ? これも全部、お前にカッコイイ所を見せてやりたいからなんだ」
「…………本当?」
「ああ。待っててくれ、必ず勝ってみせるから」
「そしたら私のクラス負けるんだけど……」
「うっ」
「でもカッコいい所も見たいし……」
「だろ?」
「でも負けたくないのよね……」
「ううっ」
「本当の本当に、スポ大終わったら付き合ってるって皆の前で言ってくれる?」
「勿論だ!」
「……それなら、すっごく嫌、だけどぉ……」



 私は真っ赤になったまま硬直していた。聞いちゃいけないような気がして、耳を途中からしっかりと押さえて。
 そんな私を、面白いものを鑑賞するような目で円居先輩が見ていた。
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