一途彼女と誘惑の彼

山の端さっど

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∽3∽[一途]の役割

Side22.5 円居レンの反感

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「[一途]が見たら泣くんじゃない? その凶悪顔」
「すみれにこんな顔すると思うか?」

(痛っ。面倒めんど。最悪)

 三語で言えば、そんな気分だ。一語で言えば、最悪。もしくは災厄。

「離してくれる? 慰謝いしゃ料請求だの示談だのって話になる前に」
「ははっ」

 形だけ笑った風な顔が、至近距離だと僕でもひるむくらいに凶悪だ。それはそうだ。人類の敵、「神の使徒」とやらと戦っておいでの軍人様に、一般人が気迫で敵う訳がない。
 戦場優馬。[勇敢]の[役割]持ちにして、[一途]町角すみれの恋人。そして、円居レンぼくが今、一番出くわしたくなかった人間だ。元クラスメート、今は同学年。多少は知り合い、話くらいはして、気が合わないとお互い悟った関係。
 一応肩の拘束は離してもらったけど、関節がだるくて暫く重いものは持てそうにない。本当に慰謝料請求してやろうか。

「まあ座れよ」
「嫌だけど」
「立って食うのか?」
「……」

 僕は戦場優馬の座った席から二つ離れた所に座り直す。

「その距離なら、まだ一瞬でれるけどな」
「きみ、精神性麻薬ドラッグゾンビを逮捕しに来てるんでしょ? ゾンビでもない、権限と監視付きの[役割]持ちで成績優等の未来ある高校生を勝手に殺して罪に問われない立場なら、やってみれば?」
「……冗談だよ」

 ようやく引っ込められた殺気に、僕は内心で深く息を吐く。[誘惑]の逆恨みで逆上した生徒に刺されそうになるのとは、重みが違う。
 当然、切羽詰まっていただろう生徒の必死の一撃の方が、この男の気まぐれな殺意より軽い。常に命を懸けていれば当然身につくものなのだろうが、普段殺戮兵器に向けられているそれを僕に向けられるいわれはない。

「殺せば、すみれが気に病むだろう?」

 冗談ともつかない言葉で笑うのが、この男だ。[一途]が「向日葵ひまわりのように眩しく輝く人」と呼ぶ男が。……町角すみれは、詐欺に遭ったことにも気付かないタイプの人間だろう。視界を花畑で覆われ、脳内を陽だまりで洗脳されていることに勘付きもしない。

(そういう所に、イライラする)

 あの雑な暗号から午前三時に雨の中飛び出す度胸はあるくせに、[誘惑]なんて警戒すべき相手の前で啖呵たんかを切る胆力はあるくせに。気味悪いほどに盲目的で、せっかくの力の向けどころを間違えている。そう思えて仕方ない。

「……それとも目をふさぐきみとバックアップが優秀だからかな」
「何だ?」
「いや、何でも。[勇敢]に口出しする用件は僕には無い」

 無視して味噌汁に口をつけた時、

「へえ。俺に口出しできないから、すみれに手を出したのか?」
「っ?!」

 予想外の言葉に、危うくせる所だった。

「何の話?」
「俺が気づいてないとでも思ってるのか?」

 ……この男に話しかけられるなら、その用件だろうと思ってはいた。それ以外に、僕と食事の席を共にする理由なんてこいつにはない。高校で初めて会った時のことを思い出して、僕は顔を歪めた。

「自己愛精神が強いところ悪いけど、きみにそれほど興味無い」
「だろうよ。お前が興味あるのは、すみれだからな」
「は……?」
「自覚してないってことは無いだろう? あんな目、すみれに向けやがって」

 どんな目だよ。僕ははし先から焼き鯖の欠片を取り落とした。

「だったら何。[誘惑]の仕事としては興味を持っても悪くないはずだけど」
「仕事ね。仕事だけじゃないだろ?」
「もし万一私情が含まれていたとして、[役割]にのっとって動いている限り、きみには邪魔する権利はないはずだ」
「恋人を惑わすに文句を言う権利はあるだろ?」
「惑わす、ね。その言葉は[誘惑]として冥利みょうりに尽きるよ」

 冥利(神仏から与えられる幸福)なんて信じたことは無いけどね。今の世の中じゃ有神論者は「私の神はAIではない」といちいち説明しなきゃならないらしい。信仰心を持った人間に攻撃をためらわせるために、キリスト像や仏像型のAIが宗教団体を襲うって話も聞く(偶像崇拝しない宗教が事なきを得る)。それを信仰するカルト団体もあるというから反吐が出る。……食事中に思い出すんじゃなかった。

「無駄だ」
「何が?」
「お前が何をしても、すみれは俺のものだ。絶対に渡さないし、許す気もない」
「熱心なのは構わないけーー」
「俺は、すみれをからな」
「っ……!」

 しばらく、言葉を失った。

 はたから聞けば、それはただのノロケだ。いや実際、そういう意図なのかもしれない。他意のない、恋人との絆を信じている彼氏の宣言として、受け取るべきなんだろう。……たとえそれが、含みを持った言い方……例えば、女に愛情が芽生えた男の、一方的な独占欲の芽生えに聞こえても。それなら尚更面倒臭い。黙っておくべきだ。

「……わざわざそれを言わなきゃならないきみの境遇に、いち同輩として心から同情するよ」

 だというのに僕は、またこうやって要らないことを言ってしまう。ここまであおられれば、ケンカを買ってしまう。
 魚の皮を片付けて何気なく見やると、優馬と目が合った。

「それはお前もだろ?」

 除き損ねていた小骨が口内をチクリと刺す。顔をしかめたのはそのせいで、戦場優馬の言葉に何か心動いたからじゃない。
 僕は小骨を無言で噛み砕いた。

 そんな事、気づいているに決まってるじゃないか。この[役割]を好きでもなしに押し付けられた時から……いや、そもそも、僕は何を気にしている?

(あれは、いつだった?)

 僕は喉を潤そうとサービスの茶を取ろうとして、ふと瞬きをした。優雅なマドレーヌの紅茶煮どころか安く薄くぬるい緑茶の香りが、脳の奥を突いた。



  ∽ ∽ ∽

「私、彼氏ができたんだよねー」

 初恋の女子に想いを気付かれもしなかったのは、むしろ幸運だった。
 友人はすぐに消え、話しかければ勝手に色眼鏡で僕の言葉は悪意あるものに改造される。[誘惑]を身につけるうちに、それが当然だと理解せざるを得なかった。

『どうせ、本心じゃない』

 それでも人が欲しければ、隠して付き合うしかない。外見がまあ悪くないのが悪く働いた。初めは勝手に向こうから近づいてくる。言葉を交わせば気の合う人はいる。どんな言葉を交わして分かり合った仲でも、僕が[誘惑]だと知れば態度を変えた。二度目の恋なんてなかった。
 幸い、顔も声も知らせずにチャットで繋がり、自分の代わりにアバターを動かせる時代だ。電子上では、多少自分を楽にできる。……検閲をうまく避けられれば。電子空間は無限に次元がある仮想空間だ。ネットと言うけれど網状に広がっているのは全体のほんの一部。三次元ならxとyとzで表せるけれど、網が複雑に繋がりあった次元全てを表せる変数はない。「原点」に位置する中枢AIの監視を逃れる次元の網のほんのわずかなスペースで息抜きをしていた。見も知らぬ奴らに、本心をさらけ出すのが唯一の救いだった時期もあった。

『どうせ、本心じゃない』

 奴らがそう思いながら対話しているのだと、自覚するのにそう時間は掛からなかったけれど。ほんの少し検閲の圧政を逃れ、匿名の個人が好きに発信する世界で、正しいものなどいくつもない。誰もが初めから、疑いをもって対話している。
 つまりは、僕の居場所はそこでもなかった。

(あれは、いつだったか)

  ∽ ∽ ∽

 町角すみれの事は、とどろき絵美里の[誘惑]をしていた頃から、当然知っていた。実を言えば、「友人」に対して、性別を超えた感情を抱いている可能性も気づいていた。効果的な[誘惑]の手段として、町角すみれを調べ上げ、轟絵美里の動揺を誘う言葉を見つける事はできた。でも僕はあの時期、それだけはしなかった。むしろ、町角すみれの調査は避けていた。
 戦場優馬と関わりたくなかったからだ。

 あの時に比べれば、僕は随分と町角すみれの調査に熱心になったらしい。おかしな話だ、一年前と比べ、戦場優馬との関係は変わっていないのに。こうやって、見かけた時に絡まれて不快な事を言われるのは分かっていたはずなのに。

(いつだ)

 任務を受けた直後は違った。一年前と同様、義務的に、戦場優馬と極力関わらないで済むように、「[一途]の[誘惑]」とかいう嫌な仕事に取り組む気だった。そもそも、[誘惑]の仕事で好きなものなどありはしない。

(いつだった)

 図書委員会で初めてまともに見た時に、自然と笑みが浮かんだ。
 面白い人間だと思った。
 二年生にして僕の事を知らず、悪意なく見ていたからか。純粋培養されたような無知さが目を引いたのか。最近の女子には珍しい細やかな仕草か。戦場優馬と会った直後の浮かれた顔か。態度か。どれも分からない。分からないから、丁寧に調べた。その過程での接触も、多かったかもしれない。

(いつ、から)

 町角すみれに本心をさらけ出したことはほとんど無い。無かったはずだ。居場所と思った事も無い。無かったはずだ。感情豊かで面倒で、そう、面倒だ。あの無垢そうな口から出る言葉も、本心からの言葉かどうかも分からない。それなのに、話していて嫌ではなかった。
 警戒はしていたが、離れてはいかなかった。僕の言葉を曲解はしたが、誤解と分かれば謝ってきた。いっそ羨ましさすら消えるほどに、感情を隠さなかった。そのうちに、誤解されたくないと思っていた。[誘惑]のくせに、傷つけたくない、なんて。

 豆電球、閃きマーク、「もしかして、恋」。

 気づいた時にはもう、退くには関わりすぎていた。

  ∽ ∽ ∽


「……分かった」

 記憶と共に、脳内で考えが噛み合った。
 あちこち飛び回る思考を一度切って、僕は今度こそぬるくなった茶碗を取る。技術が進んでもコップの茶の保温性はあまり進化していない。

「これまでは許される範囲で良識を持って好きにしてきたけど、これからは止めようか」

 口にしてみれば、いやに清々しい気分だった。飲み干して、こみ上げる感情を全部、笑顔の形に注ぎ込む。



「これからは、きみに一切遠慮せず、彼女を口説くよ」



 珍しい呆け顔の戦場優馬を放って、席を立つ。

 これはささやかな反抗だ。

 ……[誘惑]の範疇はんちゅうで留めておくつもりだった。ただ僕が気になるというだけで、関係を壊すような事は、するつもりがなかった。

(これは恋じゃない)

 僕は何度でも胸中で言う。
 いや、恋かもしれない。町角すみれに感じている気持ちの正体を、僕はまだ消化しきれていない。それでも構いはしない。愛と言い換えても同じだ。
 だって、どうせ叶わない恋に、何の意味がある?

(戦場優馬。僕は、お前が余計な事を言わなければ、[誘惑]を外れた事をする気は無かった)

 職権濫用して迫ったところで、それで万一手に入れたところで、『円居レンはやはり、噂通りの悪人だった』と広められるだけだ。恋だけなら、愛だけなら、になってやる気はなかった。
 感情を殺すのには、慣れていた。



(町角すみれ。今からきみを、私怨によって利用する。きみの拒否権はあった。期限は[誘惑]終了までだった。きみの被る不利益は、公共の利益の達成のためのものだけだった。でも、その制限は、これから僕によって不当に奪われる)

 一つ、頭の隅にあった仮説が、形になりつつある。もしこれが正しいとすれば、僕は今からでも、反旗をひるがえそう。
 もし僕に声なんて掛けなければ、思いつきもしなかったのに。芽生えもしない反抗心だったのに。
 残念だったね、戦場優馬。
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