九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿

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第4章 高橋紹運

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 立花道雪の死は、立花統虎と誾千代姫の絆を固く結びつけた。誾千代姫の虚しい気持を埋めるように統虎は絶えず誾千代姫の心に寄り添っている。統虎も道雪を偲びながら、大友家への忠義の心を継承し続けると決心している。戦国の世において、家名を上げる為には下剋上も辞さないという考えが満ちる中、統虎は衰えた主君を支え続けるという厳しい選択をしたのだ。
 統虎の父高橋紹運も大友家への忠義を貫きとおす考えである。
 
 立花統虎(立花城)
 高橋紹運(岩屋城)-高橋直次(宝満城)

 以前、立花道雪が高橋紹運に語った通り、立花家と高橋家は一つとなって、大友家への忠節を尽くす覚悟を固めた。立花城の統虎は、毎日の日課となっている朝駆けと十時摂津との弓稽古も鬼気迫る表情で取り組んでいる。大友家家臣たちも新しい棟梁の必死な様を見て、少しずつ心服していった。

 大友家の家督を継いだ大友義統・加判衆筆頭の田原親賢、そして大友宗麟との関係は相変わらず悪いままである。島津軍が遠征軍の準備を進める話が豊後国に聞こえてきても、全く手を打たぬ大友義統に、大友宗麟は見切りをつけた。
“義統の采配では大友家は無くなるであろう。”
 大友宗麟は自分の息子義統の器量では、大友家は生き残れないと確信し、この先全てを関白となった秀吉にすがることと決した。筑前国には立花道雪の意志を継いで、大友家への忠節を尽くす立花統虎と高橋紹運がいるが、今大友家が本拠地とする豊後国府中とは何せ距離が遠すぎる。それに“島津軍には到底敵わぬ“と密かに思っている。
 
 そんな中、京の新しい為政者となった関白秀吉は徳川家康との和解を探る一方で、九州制覇の為の布石を打っている。
 天正13年(1585)10月2日、秀吉は従四位下の官位を持つ大友宗麟と島津義久に“九州での私闘”を止めて和睦するよう命じたのだ。この関白の下命はまずは千利休・島井宗室を通じて大友宗麟へ届けられた。そして島津義久への下命は、細川幽斎が和歌を教えていた島津家の宿老伊集院忠棟に伝えられ、伊集院は薩摩まで下り、主人島津義久へ届けられた。
 2人の返事は、正反対のものとなった。もともと関白の威光にすがる考えの大友宗麟は、千利休・島井宗室に即座に受ける返答をした。一方の島津義久は関白の下命を伝えに下った伊集院忠棟と問答した。
「上様、関白様の御返事如何致しましょう。」
「忠棟、その方はどのように思う。」
「関白様のご威光に朝廷も上杉家も服しました。いずれ、徳川家康殿も帰服するはずでございます。当家も御家安泰の為に和睦の命は受けたほうが宜しいかと。」
「ほーっ、卑賤の出である秀吉に服せよとお主は考えるのだな。」
 島津義久はとげのある言葉で伊集院忠棟をいたぶった。
「決して・・・そのようなこと。ただ、関白様の兵は数十万でございます。」
「その方は数で戦をするのか・・・。京にかぶれて戯言ばかり言いおって・・・。忠棟よ、よくもそのような事を取り次いで参った。我が島津家は古からの名門、我らに対し、和睦せよとは・・・なんとも無礼な・・。何時でも戦ってやろうぞ。」
 島津家は関白の下命を退けることと決まった。島津義久は大友家との合戦の後に、関白秀吉と戦うことも覚悟した。
 
 翌天正14年(1586)、すぐ九州中に島津家が北上するという噂が流れてきた。恐らく本当であろうが、島津家がどのような道筋で北上するか誰も分らない。島津家に既に帰服した龍造寺家・秋月家も島津軍がどう動くか知らされていない。西の筑後国から攻め上がるのか、東の日向国から攻め上がるのか、それとも軍を分けて北上するのか。全く島津軍の動静が掴めぬまま、時だけが過ぎていった。

 立花家棟梁となった立花統虎は、島津家と戦う為、自らを徹底的に鍛えている。毎日、朝早くから馬の早駆けを必死の形相で行い、馬場に戻ると流鏑馬と弓の稽古に没頭している。その成果もあって、世戸口十兵衛に速さは及ばないが、弓の正確性は匹敵するほどの腕前となっているし、膂力も増えたことから刀の腕前もかなり上がった。
 誾千代姫も統虎を支えたいとの思いで、静と一緒に薙刀と鉄砲の腕を磨いている。
 このように若い夫婦が一心不乱に稽古に励む姿を見ていると、家臣一同皆が道雪の死を乗り越え、立花城を守らねばと思う気持ちが拡がっていく。
 今まで道雪に仕えていた家老由布雪下、小野和泉、薦野三河らも、統虎の懸命な姿に立花家を背負い、そして島津家に勝つという気迫を感じ、この若き棟梁の為に力の限り尽くそうという心が日々強まっていった。
 
 岩屋城の高橋紹運は家老の屋山中務と島津家への備えを練っている。島津家が筑前国に進軍してくれば、必ずこの岩屋城を最初に攻めてくるはずである。この岩屋城は島津家の大軍を退けるほどの山城ではないが、工夫を凝らせば5日程度は島津軍を足止めできると思っている。高橋紹運はより長く足止めさせる為、鉄砲隊の腕を磨いている。
 更に島津軍がこの岩屋城を簡単に攻められぬよう、新たな曲輪や柵、逆茂木を設けるなどの策を施した。立花家・高橋家が島津家への備えを進める中、大友宗麟は、天正14年(1586)3月わずかな家臣を引き連れ、臼杵港を博多商人が手配した安宅船で出港した。

 大友宗麟は、多くの商船や小早船が行き交う瀬戸内海を抜け、堺港に達した。大友宗麟は堺からでも見える大阪城の大きさに圧倒された。
“これが天下人の城か。”
 南蛮貿易で九州一の財を為した大友宗麟であったが、大阪城の威容から関白秀吉が握る巨万の富にまるで及ばないことを悟った。宗麟はそのまま堺の妙国寺に入り、朝鮮から輸入した希少な虎の皮を秀吉の側近にばらまき、大友家への便宜と秀吉への挨拶を根回しした。

 4月5日朝、大友宗麟は大阪城へ繋がる水路の廻船に乗って大阪城を目指した。まだ、大阪城周りではあちらこちらで大工事が行われている。無数の人夫が動くいくつもの大工事と徐々に近づく大阪城の威容に圧倒された。宗麟は改めて大阪城の尋常ではない巨大さを感じている。
 そして、大阪城外堀で廻船を降り、ふと目にした城門に驚かされた。
“この巨大な門に鉄を張るとは・・。火も鉄砲も防ぐであろう。”
 城門をくぐり、城内の建物を見ると細部に亘る彫刻細工の巧緻さに驚かされた。
“敵わぬな。”
 海外との貿易で莫大な利を得て、様々な文化に造詣を深めてきた大友宗麟でも、自分は九州の田舎大名であると打ちのめされた。城の中で案内された謁見の大広間の大きさにも驚いた。どのような仕組みで幅9間もの大広間を作ることが出来るのか、九州の城大工では絶対に作れぬ大広間である。その大広間の両側に見たこともない直垂姿の大名が並んでいる。大友宗麟は大広間の真ん中に一人案内され、座った。
 
 そして、前触れに続いて大広間の上段に赤い小袖を羽織った関白秀吉、両脇に秀吉の弟秀長・宇喜多秀家・細川幽斎が現れた。大広間の大名全員が頭を下げ、秀吉が座るのを待った。真ん中に陣取って座った関白秀吉は自分の眼前で頭を垂れる大友宗麟を見ている。
“さて、どのような挨拶であるか。
 畿内を制し、領土を広げ、関白の位も得たが、誰もが卑賤の出であることを知っている。その自分に遠く鎌倉時代から続く名家大友宗麟が、多くの大名が並ぶ中で臣従の挨拶をすると聞いている。
“頭を上げい。”
 待ちに待った大友宗麟の挨拶が始まった。
「関白秀吉様、九州より参りました大友宗麟でございます。何卒、関白秀吉様の臣下に加えさせて頂きたいと思い、大阪城まで参りました。」
 再び頭を垂れた大友宗麟に秀吉が催促した。
「それだけではなかろう。」
 秀吉の言葉に促され、大友宗麟は言葉を続けた。
「ただいま、九州では島津家が関白秀吉様の下命に従わず、我らに戦を仕掛けて参ろうとしております。どうか、関白秀吉様に島津家を討伐して頂きますようお願い申し上げます。」
 秀吉が望んだ挨拶であった。
「宗麟、心配するでない。万事任せるがよい。さあ、それでは、皆食事といたそう。」
 鷹揚に応えた秀吉であるが、自尊心を大いに満たした大友宗麟の言葉に心弾んだ。秀吉は大友宗麟の潔さに並々ならぬ好意を持ち、必ずや大友宗麟の面目が立つように取り計らうと決めた。秀吉はこの後、北条が押さえる関東、そして奥州にも進出する考えである。秀吉は、自分に臣従を望む大名は寛大に処する先例をここに示すこととしたのだ。
 
 大友宗麟は小姓に連れられ、上座の細川幽斎の横に座らされた。秀吉の格別の厚意であり、宗麟の下座には前田利家・安国寺恵瓊・前田玄以・利休らが並んでいる。そして、関白秀吉が一言告げると全員に饗応の膳が並び、酒・菓子なども用意された。皆が厳そかな顔で食事を食べ終わる頃、秀吉は大友宗麟に声を掛けた。
「宗麟、茶を飲むか?」
 大友宗麟は博多商人との付き合いで茶の道には随分のめり込んでいる。特に懇意の博多商人島井宗室は千利休に弟子入りするなど、宗麟の周りは茶の湯への造詣が深い。
 今回の大阪城訪問でも宗麟は秀吉に”志賀”と呼ばれる大名物の茶壺を献上している。関白秀吉と茶を飲むことに何の異存もない。宗麟が返答する前に、千利休が先回りして答えた。
「宗麟様は九州でも指折りの茶人でございます。さあ、どうぞこちらへ。」
 宗麟は大広間を出て、秀吉と千利休の後を付いて行く。すると案内された大部屋の中に妖しく光る茶室が見えてきた。
“これは金の茶室。”
 促されるがまま、にじり口を開けると茶室全てが金であった。あまりにもあからさまで豪奢な茶室に宗麟は苦笑した。
”金で茶室を作るという考えが秀吉らしい。卑賤な身から出た故の発想であるな。ただ、よき茶室であるな。”
 宗麟は素直にこの黄金の茶室に感服したことを伝えると、秀吉も喜色を浮かべた。
「宗麟、この茶室が気に入ったか。九州一の目利きに言われるとうれしいのう。」
 わずか3畳の茶室に入ると、思ったよりも柔らかな光で満たされた空間であった。早速、秀吉が亭主となって茶を点てたが、その所作は覇者の風格を感じさせた。
「宗麟、さあ・・。」
 秀吉が点てた茶を宗麟が味わっていると、秀吉はもう一人の客千利休を見ながら話を始めた。
「この黄金の茶室、一人だけ反対したものがおる。」
「そのような方が・・・・・。」
 宗麟は秀吉の視線の先にいる千利休が反対したと気づいた。
「もっと大きい茶室を作れと言ったのに・・・。」
「小さくした故、どこへでも持ち運びできるようになりました。」
 千利休は秀吉の批判を流し、さらりと返した。宗麟は利休の考えもよく分った。黄金の茶室は富を見せつける愚かな所作と紙一重である。千利休はあえて小ぶりに作ることで茶の湯の粋な姿を示したのだ。秀吉はこの言葉に反応せず、宗麟の眼を見ながら、優しく声を掛けた。
「宗麟、正直・・・よく参ったな。お主のような名家が、わしのような者に頭を垂れるのはさぞかし辛かったであろう。」
「いえ、そのような・・・。秀吉様は真の関白でございます。ここ大阪城へ参りまして、全てに及ばぬことがよく分りました。誠にこの大阪城は三国無双の城でございます。」
 宗麟の偽らざる心であった。その言葉に秀吉は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
「宗麟、ここ大阪城へ参ったのは良き心がけであったぞ。島津は必ずや倒してみせよう。それから、宗麟、大阪城を案内する故、付いてくるがよい。」
 上機嫌となった秀吉は宗麟の手を取って、大阪城の天守閣へ案内した。天守閣から望む大阪の城下町・川と運河・遠くに見える大阪湾、これらすべてが秀吉の治める領土の一部である。秀吉は宗麟の肩に手をかけ、眼前に広がる大阪城と大阪の町を説明した。更に秀吉は天守閣を降り、大阪城真下にある蔵も見せた。蔵にはこの天守閣を守る様々な武器が納められている。大手火矢・大筒が6挺、手火矢などはずらりと数えられぬほど並べられている。宗麟はキリスト教を保護し、ポルトガルから2挺の大筒を手に入れ、“国崩し“と名付けたが、この蔵にはその大筒が6挺も保管されている。秀吉は宗麟が大筒2挺を手に入れたのを知っている。
 今回、6挺の大筒を見せることで、自らの財力と武力を見せつけたのだ。秀吉は殊勝な姿を見せる宗麟を気に入り、更に自分の寝室まで見せている。真っ赤な布で覆われた寝台があり、枕元には黄金の彫刻が施されている。その次の間は茶の名物が納められている部屋であった。
「宗麟、秘蔵の壺をお見せしよう。」
 利休に命じ”四十石”という大名物の壺を見せた後、次々と大名物を見せた。
「宗麟、頂いた志賀は本当に良きものである。この中におくことにした。」
 宗麟は面目が立ったと素直に喜んだ。まだまだ、秀吉の歓待は続く。女房衆の為の小袖が飾られている衣装の部屋を案内された。傍らには着飾った若い女子三人が茶菓子や秀吉の太刀を捧げて控えている。秀吉は部屋に用意してあった二本の脇差のうち一本を手に取り、宗麟に差し出した。
「宗麟、わしが愛用する脇差じゃ。持って行くがよい。」
 脇差を受け取った宗麟に秀吉は声高に言い渡した。
「宗麟、お主の息子義統、高橋紹運、立花統虎は我が御家人となる。よいな。」
 有無を言わせぬ言葉に、宗麟は平伏するしかなかった。この言葉で大友家と家臣は関白秀吉の直参に加わることになった。これで秀吉は労せずして、九州の一大勢力を手に入れた。宗麟は秀吉傘下の一大名となったが、島津へ対する策はこれ以外無かった。
“大友宗麟、秀吉に降る“の報せは、すぐに毛利家当主の毛利輝元に知らされ、今まで仇敵であった両家は秀吉の仲介で和睦をすることになった。
 そして、秀吉は毛利輝元にいずれ島津討伐の軍を出すことも報せ、九州遠征の準備をさせた。
 
 大友宗麟は豊後へ帰国すると、家臣たちに秀吉軍がまもなく九州へやってくることと、秀吉軍に味方する者達は本領が安堵されるであろうと喧伝した。大友宗麟の上洛を知らされていなかった大友義統と加判衆筆頭の田原親賢であったが、交渉の成就には正直安堵した。
“これで島津軍を怖れることはなくなった。”
 知らぬ間に秀吉の直参となった大友義統であったが、義統にとってそのようなことはどうでもよいことであった。
 
 大友宗麟帰国の話はすぐ筑前にも知らされた。高橋紹運と立花統虎が秀吉の直参になった話は九州中に知れ渡った。自分が全く知らぬところで秀吉の傘下に下った高橋紹運は信頼する家老の屋山中務を伴って、立花城を訪れた。久方ぶりの親子の対面である。
「わざわざのお越し、痛み入ります。」
 立花統虎と共に出迎えた由布雪下、小野和泉が平伏した。
「突然参ってすまなかった。お屋形様の話を聞き、すぐに参らねばと思った。」
 高橋紹運の言葉に小野和泉が応える。
「紹運様、義統様と田原様はすっかり気が緩んでいらっしゃいます。」
「うむ、そうであろう。だが、われらはそうはいかぬ。島津家は間違いなく、この筑前を攻めてくる。」
 由布雪下もすぐ同意した。
「紹運様、私もまもなく島津家は北上すると思っています。龍造寺家と鍋島家を従えたのはその為、既に両家は戦の準備を進めております。」
 高橋紹運は大きく頷いた。
「雪下殿、和泉殿、これより主君となる秀吉様は、家康様との和議で少なくとも2か月は動けぬであろう。その前に島津家はわたしがいる岩屋城、次は直次の宝満城、最後は立花城と攻めて来るはず。・・・この3つの城でわれらは2か月守らねばならぬ。」
 立花家棟梁となった統虎であるが、立花城の仕置きは家老である由布雪下と小野和泉に任せている。神妙に父高橋紹運の話を聞いている。
「われらが島津軍の進軍を止められるか否かが、この戦の全て。秀吉様の軍が九州へ入れば、我らの勝利。これが島津家とは戦う術である。」
 紹運の考えがそのまま高橋家・立花家の方針となった。軍議はこれで終わりとなり、高橋紹運と屋山中務の見送りは由布雪下の計らいで立花統虎のみとなった。
 紹運と屋山中務は馬を曳きながら城門へ下っていく。その横を統虎も一緒に歩いた。
“我が息子は既に立花家棟梁、・・・かくも成長したか。”
 自分の下を離れて既に5年、横顔は少年から20歳の精悍な青年の顔となった。体躯も激しい稽古の賜物であろう、見違えるように逞しくなっている。身の回りの所作も落ち着き、貫禄さえも漂い始めている。
 立花城を覆う新緑の青い葉が風で揺れている。城門に到着すると紹運は我が息子統虎へ顔を向けた。
「統虎、立花家の棟梁として・・男の筋を貫くがよい。」
 5年前、立花城へ婿入りするときに父高橋紹運が自分へ贈ってくれた言葉である。
「はい、父上。」
「うむ、私も男の筋を貫くばかりだ。」
 紹運は統虎に微笑んだ後、馬にさっそうと乗って、腹を蹴って馬を走らせた。屋山中務も慌てて追走する。統虎は二頭の馬が見えなくなるまで見送ったが、これが父を見た最後の姿となった。

 その夜、統虎はいつものように誾千代姫の閨を訪ねると、珍しく誾千代姫が神妙な顔つきで待っていた。道雪の死がきっかけとなって、二人は仲睦まじく暮らすようになっており、軽口も叩くようにもなっている。
「どうした、誾千代。何かあるのか。」
 誾千代姫は無言で頷き、庭が見える縁側まで統虎を誘った。すると何本もの蝋燭の光の中、そこには襷掛けをした20名ほどの女衆が平伏している。それぞれの手元には薙刀と鉄砲が置かれていた。
「この者たちは・・・・。」
「はい、立花城を守りたいと常々思うております女衆でございます。静が薙刀隊を率い、私が鉄砲隊を率い、殿の手下となって戦おうと思うております。」
 統虎は以前から誾千代姫が女中頭の静と共に薙刀・鉄砲の稽古に励んでいるのは知っていた。だが、ここまで多くの女衆が稽古に励んでいたとは思いも寄らなかった。それより誾千代姫が初めて“殿”という言葉を発したことが何よりも嬉しかった。
「うむ、殊勝な心がけである。・・・これより、島津家との戦が始まる。」
 神妙な顔つきであるが、女衆の眼は統虎の一挙手一投足に釘付けとなっている。
「城を出る戦は男衆の縄張り、籠城戦になれば女衆の働き処がある。今までは飯炊きや怪我人の介抱ばかりであったが、籠城戦では頼りとしよう。」
 女衆は見事思いが届いたことに涙を流して喜んだ。誾千代姫も目が潤んでいる。
「殿、ありがとうございます。」
「うむ、男衆は飯炊きと介抱が出来ぬ。それだけはくれぐれも頼んだぞ。」
 皆が頷くと統虎は縁側を後にした。

 すぐ誾千代姫は統虎の部屋に追いかけて入り、統虎に向って平伏した。
「殿、出過ぎた真似をして、申し訳ございません。」
「よい、誾千代。ただ、女どもの命を粗末にしてはならぬ。男衆が死に物狂いで戦うのは名誉・立身の為もあるが、女衆・家族を生かさんと思うが故である。その女衆が死んでしまうようなことはあってはならぬこと。」
「そうではございますが・・ただそれは・・女も同じでございます。女も愛する人の為に戦いとうございます。愛する人が死んでしまっては、女も・・・。」
 誾千代姫は真直ぐ統虎の瞳を見つめた。統虎は熱いまなざしを受けながら、誾千代姫を堪らなく愛おしく感じた。誾千代姫の為にも、立花家の為にも島津家との戦は負けるわけには参らない。
「誾千代、わかった。男も女子も想いは同じである。女衆を頼んだぞ。」
 誾千代姫の統虎へのほとばしる思い、統虎の誾千代姫への愛おしい思い、お互いの思いが通じ合い、二人の絆は深まった。そして立花城の結束も戦に向けて深まっていった。

 その頃、進軍の準備を進める島津義久は関白秀吉軍の動向を気に揉んでいる。大友家の所領が安堵されたという話が九州中に拡がっている。義久は今更ながらではあるが、関白秀吉からの停戦の下命に対し、島津家としての返礼答を欠くのはまずいと考え、
 5月に自らの代理として鎌田刑部と正興寺の文之和尚を大阪城へ送った。義久はこの2人に“島津義久は九州全土の守護職である。”と言上するよう命じていたが、大阪城からの返事は芳しくなかった。
“薩摩・大隅・日向の3か国、肥後・筑後の半分は島津家。”
“大友家は豊前・豊後の2か国と肥後・筑後の半分。”
“肥前は毛利家。”
“そして筑前は関白秀吉の領国とする。”
 義久はこの返答を聞き、すぐ大友軍の領国へ攻め入ると決した。
“何とも卑しい。戦に負けてもおらぬのにどうして国を渡さねばならぬ。秀吉は卑賤の出故、物ごとの道理が分らぬであろう。島津家が必ずや九州全てを手に入れる。”
 島津義久は一族と重臣を集め、大友家への侵攻策を練った。
 
 まず狙うべきは博多と関門海峡と決まった。九州へ出陣してくるであろう秀吉軍への押さえの為である。その後、大友の本拠地豊後を攻め、九州制覇を果たし、秀吉軍を迎える方針と決した。今回の戦で何よりも大事なのは戦の速さである。秀吉軍が九州へ辿りつく前に、九州全土を全て手に入れる覚悟である。
 島津軍が立花軍と道雪を師父として仕えた高橋紹運の軍と戦うのは初めてである。だが、島津軍に怖れるものなど一切ない。薩摩隼人は昔から叩き込まれた凄まじい軍法が染みついている。

 一、一人の敵をも殺した証拠のない者は死罪となる。その父子親族は重科に処す。
 一、隊将の首を敵に渡すべからず、仇を報ずることができぬ隊は悉く討死にすべし。
 一、決死の場所を定め、鉄砲三発のうち一発は必ず敵にあてるべし。
   白兵戦になり、敵一人をも殺しえざるときは自分の息子も含めて切腹すべし。
 一、兵の後ろの一本線より一歩でも下がれば切腹すべし。

 薩摩隼人はこの軍法の下、幼い時より一族郎党に鍛え上げられている。怯懦の心を排し、血眼で前のめりになって敵に向かう薩摩隼人の戦いが、島津軍の強さの源である。
 そして、この島津軍を差配するのが第16代棟梁島津義久を含めた4兄弟である。島津家中興の祖と名高い島津忠良は才能溢れるこの孫4兄弟を高く評価し、儒教的な精神を尊ぶ考えで厳しく指導した。
 そして、成長した孫4兄弟の特徴を的確な表現で評した。
“義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり。”
 この4兄弟の結束と人望、そして4兄弟の智勇が他家を圧倒する島津軍の軍功を生み出してきた。“耳川の戦”では4万の大友軍を2万の島津軍で圧倒した。“沖田畷の戦い”では5万の龍造寺軍を有馬晴信軍7千人、島津家久軍3千人の合計1万の兵で圧倒し、龍造寺隆信の首を挙げた。
 そして6月半ば満を持して、棟梁島津義久のいとこ島津忠長が総大将、伊集院忠棟が大将となって、2万3千の第一軍が筑前に向け出発した。薩摩隼人の荒ぶる行軍に、島津家に対し反旗を掲げていた諸国国人衆も次々と帰参していく。6月30日筑後国柳河城北の高良山に到着すると、柳河城を巡る戦で立花道雪と高橋紹運の味方をした高良神社を占拠し良寛座主を追放し、島津軍本陣と定めた。
 そして、島津軍に帰服している龍造寺家や秋月家の軍を合流させた後、筑前・筑後で帰趨を明らかにしていなかった国人衆に最後通告の使者を送った。これで、島津軍への参軍は更に増え、5万の大軍勢となったのだ。
 
 7月6日、この5万の島津軍が高良山を出発し、紹運の次男直次と婚姻を結んだ筑紫広門の居城勝尾城を目指した。
 島津軍の狙いは筑紫広門を降伏させた後、筑紫家と高橋直次が守る宝満城と岩屋城を攻める算段である。筑紫広門は立花道雪に服さなかったが、道雪の死をきっかけに高橋紹運に誼を通じてきた国人である。娘を嫁がせた高橋家への義理を守るより、家名を守るであろうという島津家の狙い通り、島津家からの密使に対し筑紫広門は降伏を考えた。
 だが、これに反対を唱えたのが勝尾城の支城鷹取城の城主を務める広門の子弱冠17歳の筑紫晴門である。
“かね姫の押しかけ婚“を許してくれた高橋紹運と直次との仁義を守るべきと父広門に切に訴えた。
 それでも決断しない父広門に対し、晴門は弱腰を厭い、筑紫家の先陣を切って戦う決心をした。翌7月7日、島津の大軍が勝尾城の支城鷹取城を攻めかかると城門から打って出たのが、筑紫晴門ら3百騎である。筑紫晴門は高橋家との仁義を尽くすと心に決め、命を燃やす覚悟である。筑紫晴門が島津勢へ攻めかかると、すぐに龍造寺隆信を討ち取った川上忠堅の軍に遭遇した。
 筑紫晴門はすぐさま名乗りを上げ、一騎打ちを挑むと、弱小国人のせがれとは思えぬ意外な膂力で、馬上の川上忠堅に飛びかかって、地上へ引きずり倒した。だが、川上忠堅も負けてはいない。
「このくそ餓鬼が、調子に乗りおって。」
 一気に筑紫晴門の上に4つんばいになり、力任せに殴り続けた。意識が遠のく中、筑紫晴門は必死にもがいた。川上忠堅がこの若武者の首を獲ろうと脇差を抜いた時、筑紫晴門は手に触れた鎧通しを川上忠堅の脇腹に何度も押し込んだ。川上忠堅は鋭い痛みに堪え、筑紫晴門の首に脇差を立て、力任せに首を掻き切ったが、筑紫晴門の鎧通しの一撃が致命傷となった。首を切断した川上忠堅も前のめりで倒れ、壮絶な相打ちとなってしまった。
 この二人の鬼気迫る一騎打ちで筑紫晴門は最後に名を上げ、筑紫広門は名を下げた。島津軍の使者となった秋月種実の勧めで筑紫広門は3日後に降伏し、筑後大善寺に幽閉されてしまう。降伏した筑紫広門は、歌を詠んで悔しさを表した。
「忍ぶれば、いつか世に出ん折やある 奥まで照らせ山のはの月」
 だが、多くの人たちは「昔、広門、今は狭門。」と嘲笑した。

 島津軍の次の標的は岩屋城と決まった。太宰府天満宮の背後に聳える天然の要害宝満城を無理攻めするよりも、岩屋城を先に落城させれば、宝満城は降伏するであろうという考えである。
 一方、岩屋城は既に高橋紹運の指揮の下、籠城の為の柵や土塁や逆茂木の補強を終えている。だが、5万の島津軍に7日も耐えられる山城ではない。
 
 由布雪下は岩屋城周りに布陣する島津軍に物見を放ち、偵察を終えると立花城へ戻り、高橋統虎と小野和泉と軍議を行った。5万の大軍となった島津軍が岩屋城を攻めれば、落城は間違いない。高橋紹運率いる高橋軍は岩屋城からすぐ東に位置する堅城の宝満城か、この立花城へ移って戦うのが上策であると考えた。
 
 立花統虎は高橋紹運と岩屋城旧臣の身を案じ、十時摂津を岩屋城への使者に選んだ。筑紫野を暑い日差しが照りつけている。十時摂津は必死に馬を走らせ、岩屋城を目指し南下した。街道を抜け、畦道を抜け、岩屋城裏の間道に辿り着くと、ひたすら岩屋城二の丸目指して、けもの道を駆け上がっていった。半刻ほど必死に駆け上がると昔より見慣れた二の丸に辿りついた。
“あっ、十時摂津様。”
 突然の十時摂津の登場に足軽たちが騒いだが、十時摂津はそのまま二の丸の楼台へ登っていった。この楼台からは大宰府を見渡すことができる。
“あぁ・・・。”
 十時摂津は声も出なかった。眼前には、見渡す限り無数の島津軍軍勢が拡がっている。丸に十の字、島津軍の幟が前面に並び、左右には三撫子の幟の秋月軍と十二日足の幟の龍造寺軍、その他見渡す限り無数の幟が乱立している。幟の間からは兵たちが飯を炊くために熾した無数の火の煙が天空に向かって伸びている。
 岩屋城の向かいに位置する天拝山山頂に、島津軍の本陣があるらしく、沢山の幟が並んでいるのが見える。楼台から見下ろしていると、たまたま見回りをしていた高橋紹運が近づいてきた。
「摂津殿、摂津殿、久々であるな。さあさあ下へ参るがよい。」
 思いがけず明るい高橋紹運の姿に戸惑いながら、本丸へ上っていく。本丸へ上がると島津軍の陣容が更に見渡すことが出来た。改めて島津軍5万の圧倒的な陣立てに身震いした。本丸にある紹運の部屋に入ると、すぐ家老の屋山中務も同席し、軍議が始まった。
「摂津殿、島津軍は合計5万、島津本隊は2万4千、残り2万6千は龍造寺・秋月などの混成軍である。」
「5万でございますか・・・・。紹運様、今日は立花統虎様の代理で参りました。立花城で軍議を開きましたが、岩屋城で籠城するのは上策ではないと思うております。宝満城、もしくは立花城へ退かれ、大友家の為、関白秀吉様の為、そして秀吉様の軍到着までの時間を稼ぐ為にも、何卒軍を移動して頂きたいと思い、本日お伺いしました。」
 高橋紹運は必死の形相で訴える十時摂津の顔を、微笑みながら眺めている。平伏する十時摂津が顔を上げると高橋紹運は柔らかな視線を向け、話し始めた。   
「立花城の考えは分かり申した。島津軍5万の内で本当に手強いのは島津本隊のみ、後は烏合の衆であると私は思っている。それにこの城の攻め口は南側のみ、5万全てが攻めるわけではない。」
 高橋紹運は立ち上がって、南側に面した障子を開け放った。熱い西日が部屋へ差し込んできた。
「私は島津軍を足止めする為、この岩屋城に留まろうと思っている。私の手勢でどれだけ持つか分からぬが、やってみせるつもりである。・・・・残念ながら、私の考えが変わることはない。」
 高橋紹運の顔が西日で焼けているようである。
「統虎にこれだけ伝えておいてくれ。私は己の意地を貫くとな。・・・では失礼する。」
 高橋紹運は開け放たれた障子から出て行った。部屋に残された家老の屋山中務と十時摂津に沈黙が満ちている。十時摂津は使いを果たせなかった無念で顔が土色に変わっている。そんな十時摂津に屋山中務は優しく声を掛けた。
「摂津殿、実は私も最初は城を移った方が良いと思っておりましたが、今は殿が言う様にここ岩屋城で戦った方が時間を稼げると思うております。」
 屋山中務は更に続けた。
「宝満城は守りに長けた堅城、ですが宝満城に退くと気を付けねばならぬのが筑紫家でございます。島津軍は筑紫広門を使い、必ずや内通してくるでしょうし、そうなれば全て動きが筒抜けになります。」
 尤もな話に十時摂津も頷いた。
「それに我らが宝満城に退くと島津軍はこのまま戦わずに素通りして、立花城を攻めるやもしれません。色々思案して、岩屋城で戦うのが良いと決しました。」
 十時摂津も屋山中務の説明を聞き、理解はした。だが、このまま岩屋城で戦っても、5万の島津軍相手に勝ち目はない。
「屋山様、岩屋城で戦って、時を稼ぐのはわかりました。ですが、このまま島津軍と戦えば、待つのは全滅でございます。」
「摂津殿、皆その覚悟でございます。殿は既に岩屋城に残る兵の家族を宝満城に送っております。それ故、我らは何の憂いもございません。」
「しかし、・・・・。」
「摂津殿、ここから先は統虎様に言わぬようお願いいたします。全ては立花の名を継いだ統虎様を生かす為、殿はこの岩屋城で籠城します。今、島津軍は我らを見下しております。摂津殿もご覧になっておいででしょう。島津軍から上がる飯炊きの煙を・・・、我らが小勢、しかも討って出ぬと侮っております。耳川で我らのいない大友軍を破り、今は5万の兵を従え、驕り高ぶった島津軍を叩いて見せましょう。紹運様は道雪様から学んだ戦芸を全てこの戦にぶつけるおつもりです。紹運様自らが、岩屋城の逆茂木・大岩・陥し穴・城の細工を差配されました。この戦は紹運様意地の戦でございます。」
「それでは、戦を長引かせた上で降伏すれば・・・・・・。」
「摂津殿、まだおっしゃいますか。この岩屋城が全滅するまで抵抗すれば、宝満城・立花城を攻めるのを島津軍は必ず躊躇いたします。これが一番時を稼ぐ思案です。」
 屋山中務は膝を進めた。
「我らは命を捨てるなどとは思っておりません。殿と一緒に思う存分の戦が出来る。こんな・・・こんな名誉ある戦などこれから先ありませぬ。摂津殿、我らの考えは変わりません。さあ、お引き取りを。」
 十時摂津に声を荒げたのは、屋山中務の優しさである。こうでも言わないと使いを果たせなかった十時摂津は立ち上がれない。立ち上がった十時摂津は屋山中務に頭を下げた。
「屋山様、私もここに残って戦いとうございます。」
「摂津殿・・・・お主はいい侠であるな。だが、使いで参ったお主がここに残ったのでは使いを果たせぬであろう。さあ、帰れ。帰るがよい。ほれ・・。」
 屋山中務は涙を流しながら、十時摂津を追い立てた。十時摂津もはらはらと涙を流し続けた。本丸・二の丸にいる兵の顔を見るだけで涙が止まらない。皆島津軍と戦い死んでしまう侠達である。潔い心に畏敬するばかりである。最後、裏門から出る時、昔から合戦で見知った同郷の兵が見えた。いつも友軍として戦ううちに何となく言葉を交わすようになった兵である。向こうも気づき、十時摂津の顔をじっとみつめる。言葉を交わさず、2人は最後の別れを瞳で交わした。
 
 十時摂津は早駆けで立花城へ戻ると、すぐに返答を待っていた立花統虎・由布雪下・小野和泉がいる立花城本丸の部屋へ通された。
「摂津殿、如何であったか。」
 由布雪下が聞くと、十時摂津は立花統虎の方を向き、威儀を正した。
「紹運様、直々に“己の意地を貫く”とのことです。」
 皆、高橋紹運が岩屋城に籠城することをその一言で悟った。小野和泉は十時摂津に更なる言葉を促した。
「仔細は屋山様と話をしました。兵の家族は皆宝満城の高橋直次様の下に移りました故、岩屋城に残る720名余りは島津軍と最後まで戦います。全滅するまで戦うことが一番の時間稼ぎになると・・・・。」
 統虎は前の立花城での軍議から父の覚悟を分っていた。改めて十時摂津の話を聞き、眼を閉じ、気持を押さえた。
「そうか・・・・。」
 父を救いたい気持ちを全て捨て、父の覚悟を全うさせねばならぬ。父を見殺す罪深さで体が沈むように重い。何か口を開くと溜まる気持ちが一気に噴き出しそうである。体がこわばり、統虎は動けなくなった。そんな統虎を由布雪下・小野和泉・十時摂津はひたすら待った。
 立花家棟梁として、父高橋紹運の覚悟の籠城に如何とするか。暑く重い空気が立ち込める中、統虎は“ふぅ”と息を吐くと3人の方へ顔を向けた。
「父の覚悟に水を差すことは出来ぬ。ただ・・・立花家と高橋家は深く濃い絆がある。出来うれば、援軍を出したい。ただ、援軍は誰一人戻っては来れぬであろう。」
 由布雪下は一人膝を進めた。
「殿、よう申した。援軍は私が募りましょう。生きては帰れぬ援軍でございますが、立花家には多くの侠がございます。多くの者が手を上げてくれるはずでございます。」
 由布雪下は立花家棟梁として最善の選択をした統虎を、未来を託せる棟梁と認め、この苦渋の決断を介添えすることとした。
 
 7月12日、立花城の本丸大広間に若き兵が集められた。既に岩屋城籠城の話は立花城全てに知らされており、集められた兵たちは誰が岩屋城の援軍に選ばれるかと思っている。そんな中、立花統虎・由布雪下、そして統虎の供としてこの立花城で伺候する世戸口十兵衛と太田久作が皆の前に現れた。由布雪下は岩屋城で間もなく始まる合戦について話を始めた。
「・・・岩屋城は全滅するまで、島津軍と戦う。岩屋城へ援軍に行く兵を決めたい。共に行くのはこの世戸口十兵衛と太田久作である。」
 皆が戻れぬ援軍と悟り、声を出せぬままでいたが、由布雪下の家臣吉田右京という兵が立ち上がった。
「殿、是非岩屋城へ行きとうございます。私は道雪様に命を捧げるために生きて参りましたが、今までその機会がございませんでした。道雪様を支えてきた高橋紹運様に我が命を差し上げとうございます。しかも、この戦と死に場所、侠にとってこの上なき誉れでございます。」
 誇り溢れるその言い様に多くの兵が競って、手を挙げた。信じられないほどの多さである。この兵の多さに立花統虎は顔を紅潮させた。
“何と・・・。”
 すると、吉田右京が手を挙げた兵の中から、援軍に相応しき者を選び出した。
“お主は兄弟がない故、手を下げよ。・・・・お主は兄がおる故、私と一緒に参ろう。お主は子供が出来たばかりじゃ、手を下げよ。・・・。”
 吉田右京に選ばれたのは、兄弟の次男や三男など30人余りであった。恐らく、吉田右京は由布雪下に頼まれていたのであろう。今回の援軍の人選をした後、大友統虎へ体を向けた。
「殿、世戸口十兵衛様と太田久作様を援軍とするのはお止めください。高橋紹運様は、殿のお伴として送り出したお2人が戻って参ったら、この援軍を岩屋城へは入れぬでしょう。」
 吉田右京の言う通りである。統虎は吉田右京の仁義溢れる言葉を受け、2人を援軍から外すことにした。世戸口十兵衛と太田久作は後々まで悔しがったが、高橋紹運が一生統虎の供にする為に選んだ2人である。後年も、統虎は吉田右京のこの振る舞いを忘れることなく、感謝した。
「吉田右京、そして選ばれた仁義溢れる武者よ、水杯をかわそう。」
 援軍に選ばれた30人余りは歓喜に沸き、選ばれなかった者たちは本気で悔しがった。仕える主君自らが下す水杯である。自分の身分では一生涯ないであろう名誉なことである。すぐに水の入った銚子と杯が用意され、一人一人に統虎が注いだ水杯が手渡された。
“えい、えい、おう。”
 30人余りは吠えた後一気に飲み干し、杯を畳にたたきつけた。これで岩屋城へ送る援軍が決まった。
 
 九州出陣を前に、秀吉は反目してきた徳川家康との仲裁を急いでいる。自らの異父妹朝日姫を農夫と強制的に離縁させ、家康に輿入れもさせている。家康は、人質ともいえるこの朝日姫を2番目の正室として扱ったが、秀吉の臣下となる上洛は依然として拒み続けている。秀吉は何としてでも家康を上洛させようと思案を凝らし、自らの母大政所を駿府城へ人質として送る決心を固めた。ここまでの譲歩を示した秀吉にさすがの家康も上洛せざるを得なかった。
 岩屋城の高橋紹運は島津軍との合戦を始める前に、新しい主君関白秀吉の軍師である黒田官兵衛に決意を報せた。10年前、織田信長に仕える秀吉が播磨に進軍してきた時より、黒田官兵衛は秀吉に仕えている。肺の病で亡くなった今は亡き竹中半兵衛と共に秀吉を支えてきた秀吉股肱の参謀である。黒田官兵衛は織田信長を支える羽柴秀吉の手足となって働いたが、信長に反旗を掲げ籠城した荒木村重を説得しようとして、約1年余り有岡城に幽閉された。
 その後、九死に一生を得て、秀吉が頼りとする唯一無二の参謀となっている。高橋紹運は今回の合戦の顛末を黒田官兵衛にさえ知ってもらえれば、息子の立花統虎と高橋直次の行く末を善処してくれるであろうと予見したのだ。
 
 黒田官兵衛は既に九州への進軍準備の為、豊前小倉に入っている。高橋紹運の手紙はすぐに届けられた。
”黒田官兵衛様
 秀吉様の御敵、島津軍が筑前まで攻めて来ました。我ら岩屋城の兵は島津軍に服す心は一切ございません。秀吉様の盾となり、忠義を尽くし、この岩屋城で死ぬまで食い止めます。“
 黒田官兵衛は高橋紹運の覚悟を知り、すぐさま新兵衛という使者を岩屋城へ送った。同時に大阪城にいる秀吉へ出陣を促す使者を送った。ただ、秀吉はまだ動けない。家康が上洛し、自分に臣従を誓うまでは大阪城を発つことはできない。それに秀吉にも思惑がある。島津軍が戦を始めたら、太閤秀吉の大軍を出し、九州を一気に席巻するつもりである。高橋紹運はそんな秀吉の機微にも通じていた。誰にも話さなかったが、誰かが血が流さねば、秀吉は腰を上げない。何よりも戦を始める大義名分を得たいという気持ちも十分に見抜いていた。
 何とか、高橋紹運は時を稼ぎ、秀吉の出陣を促すつもりである。

 黒田官兵衛の使者新兵衛は、何重にも岩屋城を囲む島津軍を避け、山の裏手から間道を通り、何とか岩屋城二の丸に辿りついた。
「これは新兵衛殿、よくぞ岩屋城までお越しくださいました。」
 新兵衛はもともと黒田官兵衛の密使として、岩屋城にも顔が売れている。
 その新兵衛を迎え入れたが甲冑姿の高橋紹運であった。
「紹運様、周りは5万の島津軍、この岩屋城には味方がどれぐらいいらっしゃるのでしょうか。」
「我らは7百余りでございます。」
 紹運は気負うことなく、ありのままを語った。7百対5万どう考えても尋常な戦ではない。淡々と話す姿に現実を見極め、戦に挑む紹運の覚悟がにじみ出ている。
「紹運様、主人官兵衛が紹運様を案じております。間もなく、太閤殿下が出撃されます。どうか、要害の宝満城か立花城へ退いて、御出馬をお待ちください。」
 平伏する新兵衛は必死に話を進めたが、紹運は穏やかに応えた。
「いや、秀吉様の御出馬はまだ先でございましょう。秀吉様は、今は大阪城と聞いております。出陣には少なくとも2カ月はかかるかと・・・。島津軍はそれまで待ってはくれませぬ。・・・官兵衛様の軍は如何でしょうか。」
 秀吉は黒田官兵衛の先遣隊には自分が出陣するまでは戦を自重するようにきつく言い渡している。それ故、黒田官兵衛の軍は戦うことが出来ない。無言となった親兵衛の事情を高橋紹運はすぐに察した。
「新兵衛殿、我らは官兵衛様の出陣は求めてはおりませぬ。もし、新兵衛殿がおっしゃるように我らが陣を引けば、大軍に恐れを為し、我らは逃げたと島津軍は触れ回ります。我らは島津軍も大軍も恐れは致しませぬ。この岩屋城が我らの死に場所、島津勢をできる限り食い止めて、秀吉様の為に見事散る覚悟でございます。」
 高橋紹運は更に語った。
「新兵衛殿、どうぞ、官兵衛様にお伝えください。秀吉様の早い御出馬、何卒お願いいたします。我ら岩屋城はどれぐらい持つか分りませぬが、出来る限り持たせるつもりでございます。どうか秀吉様の御出馬で宝満城、立花城を御救い下さい。」
「かしこまりました。紹運様の御心、必ずや主人に伝え、秀吉様に伝えます。御武運をお祈りします。」
 岩屋城を去った新兵衛は岩屋城に籠る高橋紹運主従の絆を羨んだ。黒田官兵衛に復命したときも、紹運に仕える家臣たちの話ばかりを語った。
「官兵衛様、岩屋城の兵たちには物憂げな感じが全く無く、むしろ戦を待ち望んでいるような雰囲気でございました。」
「そうか、この戦国の世で良き主従であるな。主人の意地に好んで付き合うとはよほど家臣に惚れられているのであろう。」
「はっ、私も紹運様の見事な心魂に感服した故・・・・、岩屋城に籠りたいと申し上げましたが、紹運様に一喝されました。」
 頭を掻く新兵衛に黒田官兵衛は微笑んだ。
「まあよい。・・・秀吉様にはすぐの出陣を申し入れるが、家康の件がまとまらねば、秀吉様は九州には来られない。紹運殿の言うように時を稼がねば、立花城・宝満城も危うい。・・・高橋紹運殿の命を懸けた秀吉様への御忠節、必ずや伝えねばならぬな。」
 高橋紹運の思いは、全て黒田官兵衛に通じた。

 新兵衛と入れ替わりに岩屋城の裏山に現れたのが、吉田右京率いる30余名の立花城援軍であった。皆、槍や鉄砲を抱えた甲冑姿で汗だくとなっている。
 厳しい日差しの中、島津軍に見つからぬよう、けもの道を駆け抜け、岩屋城を目指している。この異様な行軍を発見した岩屋城見張りは、すぐ高橋紹運と家老の屋山中務に報せ、立花勢全員が二の丸の庭に案内された。高橋紹運は立花城から駆け付けた吉田右京ら30余名の顔を見つめている。昔より戦や立花城で見知った顔も並んでいる。中には道雪の輿を担いでいた屈強な近習も交じっていた。
「そなたら、何故参った。」
 そう告げたきり、高橋紹運は涙で前が見えなくなった。そして、皆に聞こえるように声を絞り出した。
「お主たちの志はよく分った。だが戻ってくれぬか、お主らの主君は統虎である。お主らは立花城を守ることが何よりの奉公である。頼むから、戻ってくれ。」
 紹運は決死の覚悟でやってきた兵たちに頭を下げた。ゆっくりと吉田右京が立ち上がった。
「紹運様、こればかりは譲れませぬ。我々は立花城全員の代りにここへ参りました。皆、この岩屋城で島津と戦いたいと申しております。そして、統虎様も何とか紹運様をお助けしたいと思っております。その思いを我らが果たすのでございます。主君の身代わりなどこんな名誉なことはございませぬ。ですから、紹運様のお言葉を聞くわけには参りませぬ。」
「頼む。お主らを殺しとうない。」
「それは出来ませぬ。もう、統虎様と水杯を交わしました。」
 水杯と聞き、紹運は全て諦めた。もうこの30余名は岩屋城の死兵である。
「それでは、わたしとも水杯を交わそう。皆、良き死に場所を任せる故、御頼み申す。」
 頭を下げる紹運の姿を見て、30余名は一気に涙をこぼした。
「紹運様に頭を下げられて頼まれるなど、いやこれはもう堪らぬものであるな。」
 皆頷いて、紹運の近習が用意した水杯を交わした。この様子を見ていた岩屋城の兵たちは、次々と30余名の周りに集まってきた。水杯を交わした30余名の肩を叩き、熱く抱擁し、これからの奮戦を共に誓い合った。

 翌日7月13日、激しい日差しが照りつける中、黒衣をまとった薩摩荘厳寺の快心という僧が岩屋城大手門に姿をあらわした。
 島津軍総大将を務める島津忠長が全幅の信頼を寄せる快心は、弁舌豊かで肝も太い。幾多の合戦で談判役を務めてきただけに、岩屋城を見上げる表情には自信が満ち溢れている。しかも、自分の後ろには島津軍5万人が控えている。
「頼もう!拙僧は快心と申す。岩屋城城主の高橋紹運様にお話がござる。」
 大手口に大声が響き渡るとまるで快心の到着を待っていたかのように大手門がゆるりと開いていく。目の前には涼やかな顔をした甲冑姿の武者が立っていた。岩屋城城主高橋紹運である。紹運は大手門脇の小屋に快心を誘った。
 本来、本丸の客間で遇すべき敵方の使者であるが、本丸までの仕掛けを見せたくない紹運はここ大手門で迎え入れたのだ。快心も意にも介さず、小屋に入っていった。
「快心殿、岩屋城の大将高橋紹運でございます。」
 何もない小屋の奥に端座した紹運は笑みを浮かべたまま挨拶した。その挨拶に合わせ、快心も倣って挨拶した。
「拙僧は快心と申します。島津軍総大将島津忠長からの言葉をお持ちしました。我ら島津軍は高橋紹運様とできれば戦を避けたいと思うております。」
 快心の言葉は更に続いた。
「何卒この岩屋城を開城して頂きたい。我ら島津家の将としてご同道頂き、九州制覇を一緒に果たそうと申しております。大友家に仕える御身であることもご武勇も重々承知しております。是非にという我が大将からの言葉でございます。」
 一気にまくしたてた快心であるが、高橋紹運は今の話は聞こえぬ態で話しかけた。
「快心殿、お主は島津方の陣僧でございましたな。」
 紹運は少し口調を強めた。
「仏の教えを極めんとするのが僧侶の務め、修行もせずに島津軍の下で寝食を施され、更には島津軍の為に弁舌を尽くすとは・・・・、如何であろうか。」
 紹運の言葉通り、快心の急所をえぐった痛烈な返しであった。
「紹運様のおっしゃる通り、私は島津忠長様にお仕えする陣僧でございます。ですが、島津様と同じように大友家・高橋家・立花家の先の事を考えております。秀吉公がまもなく出陣と聞いておりますが、何時になることやら分りませぬ。このまま、島津軍と戦うか、それとも岩屋城、宝満城、立花城を開城して、家名を残すか?如何なされますか?」
「随分な言われ様・・・・。快心殿は島津家の口舌の徒でございます。ご存知かどうか分りませんが、私と立花統虎は既に秀吉様の直参に取り立てられました。それ故、3つの城は関白秀吉様の城でございます。この城を欲しいのなら、秀吉様の下知をご手配頂き、我らにお見せください。さすれば、速やかにお渡しいたしましょう。ですが、島津軍は秀吉様の謀反者、とても手に入れられるものではございません。」
「関白殿下の為に勝てぬ戦をするおつもりでございますか。関白殿下は来られませんぞ。」
 膝を進めた快心に紹運は毅然と言い放った。
「まだ知らぬのであろう。秀吉様の軍は既に京を発している。まもなく、島津軍は秀吉様の軍と戦うことになる。」
 高橋紹運はあえて嘘をついてみせた。
「まだ見えぬ軍故、我らは恐れもしませぬ。こちらは約5万の軍勢、援軍が無ければ岩屋城に勝ち目はございません。無理は言いません。意地は捨てて、城を差し出しさえすれば、必ずや皆の命は助けます。」
「快心殿、島津軍はどうしてもこの岩屋城が欲しいのであろう。欲しくば、太閤殿下様の下知を持って参れ。それが無理ならば・・・力づくで奪えばよかろう。」
 高橋紹運から島津軍への宣戦布告であった。このまま談判は破談となり、高橋紹運は一人で快心を見送った。談判が不調に終わった快心はすぐ般若寺へ向かった。
 島津軍を率いる総大将島津忠長と伊集院忠棟は既に本陣を天拝山山頂から岩屋城下に位置する般若寺に移している。般若寺へ戻った快心は、島津忠長と伊集院忠棟に高橋紹運と立花統虎が既に関白殿下の直参になっていることや、秀吉の軍が大阪を出発したこと、そして高橋紹運が宣戦布告したことなどを話した。
「快心よ、ところで本丸までの道は如何であったか?」
「忠長様、大手門横で談判した為、中を窺いみることが全く出来ませんでした。大手門までは逆茂木や丸太ばかりで大変でございました。」
「ほー、大手門前までも大変であったか。」
「それから、大手門の両側に高櫓を拵えておりました。」
「万全の備えであるな。兵の様子は如何であったか?」
「実は高橋紹運にしかお会いしておりません。帰りも見送りは紹運だけでございました。」
「そうか・・・、下がるがよい。」
 島津忠長は高橋紹運と戦ったことも会ったこともない。立花道雪を師父として仕え、戦にも相当長けていると聞いている。快心の弁舌を退け、城も兵も見せなかった紹運の姿に一抹の不安を感じている。
 だが、僅かな兵で籠もる岩屋城に臆するわけには参らない。秀吉の軍が到着する前に九州制覇を果たさねば、島津家は後手に回ってしまう。島津忠長は般若寺の縁側に出て、目の前の四天寺山中腹にある本丸を見据えた。
 合戦前、山城は幟を多く掲げ、篝火を山中に焚いて、大軍が籠っているように見せるのが常法である。岩屋城はそんな細工を今まで一切行なっていなかったが、今日は本丸下の二の丸で篝火を焚いている。正直、不気味な城であるが、大将としてそんな不安を口にすることは許されない。
 明日からは全軍で岩屋城を総攻撃し、一気に城を落とすだけである。
 
 同席した伊集院忠棟は明日から始まるこの戦に並々ならぬ思いを懸けている。関白の和睦の下命を棟梁島津義久に伝えて、ひんしゅくを買った汚名を何とかこの戦で晴らすつもりである。暗い虚空の中、二の丸の篝火で浮かび上がった岩屋城本丸を見つめた。
 
 戦の前夜、岩屋城内には高橋紹運が島津軍陣僧に宣戦布告したという話が拡がっている。二の丸の庭には篝火が四方に焚かれ、岩屋城全ての兵が集められた。皆の顔には明日から戦が始まる緊張や不安、生への葛藤が複雑な表情となっている。
 皆が見守る中、甲冑姿の高橋紹運が庭に姿を現した。篝火の赤い焔が高橋紹運の顔に映り、赤く燃える鬼神のようである。
「明日より島津との戦になる。この戦の為に皆準備を進めてきたが、全ては己の意地の為である。ここ岩屋城に残る者は必ず死ぬ。誰も生きては戻れぬであろう。」
 激烈な言葉に岩屋城全ての兵の顔が硬直している。
「それ故、誰も咎めはせぬ。城を去りたい者、命が惜しい者、宝満城に送った家族と暮らしたい者もかまわぬ。どうか、正直に申し出てほしい。」
 紹運の悲痛の言葉であるが、庭に並ぶ紹運の兵や立花城援軍の中からは、誰一人手を上げる者はいない。家老の屋山中務が高橋紹運の横を抜け、皆の前に立った。
「皆の者、殿に命をくれるか。」
「おう。」
 この庭にいる全ての兵が右手の拳を振り上げ叫んだ。
「殿、ここに残る者は皆、最後まで戦います。誰も去るものはおりませぬ。」
 こうして、命を捨てた763名の死兵が島津軍との戦に挑むこととなった。
 
 第一の備え 外曲輪多数 逆茂木多数
 第二の備え 正面の大手門・福田ら50名  南の大手門・伊勢惣右衛門ら70名
 第三の備え 西砦、西岩屋砦、百貫岩の砦
 第四の備え 中の丸 萩尾大学ら50名
 第五の備え 三の丸 吉田右京ら50名 二の丸 屋山中務ら100名
       本丸 高橋紹運ら150名
 残った300名余りは遊軍として、明日から島津軍が攻め入る大手門外の外曲輪に配置された。

 翌日の7月14日、朝から刺すような強い日差しが筑紫野に降り注いでいる。
 島津軍・龍造寺軍などは皆、味方の圧倒的な多さに安堵し、初戦で一気に岩屋城に攻め込むつもりで、意気揚々と鬱蒼とした森へと入っていった。四天寺山の麓に広がる森は日光もあまり差し込まず、人の手入れも全く無い為、生い茂った竹藪と灌木でなかなか前へ進まない。
 自然と島津軍全軍が森の中を抜ける城の大手門と南大手門への道へ誘われていった。行く手を阻むような空堀を越えると、急勾配の道に逆茂木がぎっしり並んでいるのが見えてきた。この逆茂木は支柱が地中に埋まり、立ち木に結わえられ、頑丈に重石もかませてある。
 高橋紹運と交渉した島津方の陣僧快心の報告通りである。道幅は狭い上に急勾配でこの逆茂木を除けないと島津軍は岩屋城に近づけない。
 この逆茂木をしっかりと狙っているのが岩屋城の外曲輪である。外曲輪には大手門から出撃した高橋軍の遊軍が弓と鉄砲の準備をしながら、潜んでいる。
 島津軍先鋒は逆茂木を避けようと他の道を探したが、何処にも逃げ場がない。大軍を進めるにはこの逆茂木を片付け、道を作らねばならない。先鋒3人の兵がこの逆茂木を除けようと近づいていく。
“しゅっ!しゅっ・・。”
 空気を切り裂く音が近付き、3人の兵の首を弓が射抜いた。近くの兵が近付き、倒れた3人の兵を助け起こそうとすると次々弓で狙われ、手負いの者がどんどん増えていった。
 逆茂木の奥は木々に覆われ、よく見えないが、どうやらその中に曲輪があるらしい。島津軍はめくらめっぽうに鉄砲と弓を放ったがどこに敵兵が潜んでいるのか皆目見当がつかない。竹で結わえた長い弾除けを使い、逆茂木を除けようとすると思ったよりも頑丈で手間どってしまう。
 すると弾除けの隙間を狙って、今度は鉄砲の音が戦場に響き、また数人が倒れる。鉄砲の音を辿るが巧妙に細工された曲輪なのであろう、鉄砲は全く見えない。たった一つの逆茂木を除けるのに既に15人も倒されている。
 高橋紹運の狙い通り、細工を尽くした逆茂木で島津軍は立ち往生となっている。先鋒の余りの遅さにしびれを切らした伊集院忠棟は騎馬で行軍の先頭まで駆け付けたが、巧妙な仕掛けに高橋紹運の怖ろしさを肌でひしと感じた。
“未だ、城門にもたどり着けぬ・・・、この大軍が立ち往生、しかも、敵は曲輪から全く我らを怖れず、弓と鉄砲で狙い放題・・・。”
 この状況を打破するには被害を覚悟して、逆茂木を除き続けるしか術はない。合戦初日は全ての攻め口でこんな戦いが繰り返されている。城方はたまたま腕に鉄砲が当たった足軽が一人いる程度である。
 寄せ手の島津軍は一つの曲輪も取れずに死者だけが増えていく。何とも虚しい戦の始まりであった。

 翌日7月15日早朝より、島津軍は逆茂木を攻めた。
 昨日より増やした竹の弾除けを使い、圧倒的な人数で逆茂木を除いていくが、今日はいきなり坂の上から落ちてくる大岩と大木でまた怪我人が出る散々な戦となっている。何とか無理攻めで曲輪を手に入れるが、坂の上にはまだまだ逆茂木がぎっしり据えつけられ、曲輪も多く存在するのが分かる。
 厳しい状況であるが、島津軍には鉄の掟がある。いくら、相手に備えがあろうと前のめりで戦わねばならない。それ故、援軍の龍造寺軍と秋月軍に代わって、島津軍の兵たちが逆茂木を除けている。その島津軍の兵の命がどんどん奪われていく。
 5万対7百人、兵数で劣る岩屋城が島津軍を圧倒した2日間であった。島津軍大将の島津忠長と伊集院忠棟は、膨大な死傷者に気が滅入った。たった2日間で既に千人近い死者となっているが、岩屋城には未だ辿りついていない。

 2日の戦いを終えた岩屋城では蔵に潜む母子2人が見つかった。紹運が頼りとする家老屋山中務の母と息子であった。屋山中務は2人を宝満城に送り込んだはずであったが、元服前の息子太郎は父と別れ難く、母と共に城中の蔵に潜んで隠れていたのだ。
 見つかった2人はすぐに、本丸で指揮を執る紹運と屋山の前に連れてこられた。
「太郎よ、何故宝満城へ行かなかったか。主命であるぞ。」
 紹運は屋山の心中を察し、何とか宝満城へ送り込もうと厳しく叱ったが、太郎も負けていなかった。
「殿の為、父の為、我が命はもういりませぬ。どうか、このまま置いて下さい。」
 問答が続く中、屋山の妻は激しく泣き始めた。屋山中務は、妻に部屋から出るよう促すと大きくかぶりを振った。
「申し訳ございません。このような席で・・。太郎は屋山家の跡継ぎでございますが、もはや死ぬ覚悟でございます。あなた様もここ岩屋城で最後まで戦うお覚悟でございます。
2人が死ぬ覚悟をしているのにどうして宝満城へ移れるでしょうか。どうか、私と太郎を岩屋城に置いて下さい。皆様の飯炊きでもなんでも手伝います。一人で生き残ることは死ぬことよりむごいことでございます。殿様、どうか置いて下さい。」
 屋山の妻は平伏しながら、必死に額を畳にこすりつけた。太郎も平伏し、懇願する。
「父上、家名を何とか残して欲しいとお思いでしょうが、私は父上と、父上と一緒に・・・、戦いたいです。どうか、お許しを。」
 2人の必死の懇願に紹運は、屋山の方へ顔を向けた。
「屋山、この2人は私と似て意地ばかりであるな。もう、主命などどうでもよいぞ。」
「殿、我が家の事で申し訳ございません。こればかりは・・・。どうか、3人で話をさせてください。」
 この後、屋山は説得を続けたが、どうしても2人は引かない。時間だけが過ぎていき、最後は根負けして、岩屋城が落城するまで2人は岩屋城にいることとなった。屋山は何としてでも、最後にこの2人を宝満城に落すつもりである。
 この話はすぐに岩屋城内に拡がった。孝心篤い太郎がなるべく長くこの城中で過ごせるよう、皆は奮戦を誓いあった。

 その岩屋城に立花城から心尽くしの差し入れが届けられた。博多の練酒“島井の練貫”や味噌、漬物、籠城する兵にとって、有り難い食べ物ばかりである。運んできたのは十時摂津ら十名の荷運び隊である。統虎の意を受け、岩屋城の裏手から忍んでやってきた。
「屋山様、統虎様からの差し入れでございます。これより、毎日参る予定でございます。」
「摂津殿、かたじけない。裏手の方の島津軍は如何であったが?」
「まだ、島津軍は裏まで回っておりませぬ。ですが、大宰府の百姓たちに裏からの攻め口と水の手について、聞きまわっております。」
「そうか・・。」
 
 岩屋城の急所は四天寺山裏手にある湧水である。城中に井戸は無く、この湧水が唯一の水の手となっている。朝と夜、この湧水から水を汲んで、岩屋城全員の咽喉を潤している。
 籠城用の糧食は足りているが、水の手を切られると岩屋城はたちまち苦しくなる。
「摂津殿、大宰府近くの百姓は我が城の水の手を知りませぬ。ただ、四天寺山裏の杉戸村の百姓たちは皆知っております。島津軍が裏に回れば、誰かが口を割るでしょう。これより、城中の水甕に水を溜めるように致します。」
「屋山様、我らは毎日岩屋城へ参ります。もし、我らが来なければ、裏に島津軍が回ったとお思い下さい。」
「摂津殿、島津軍を見かけたら、無理せずお引き取りください。摂津殿は立花城の戦で必要なお方でございます。」
 翌日7月16日も十時摂津は岩屋城に忍んできたが、その後は忍んでくることが無くなった。岩屋城は島津軍に完全に包囲されてしまった。

 既に3日過ぎたが、島津軍は未だに岩屋城城門に辿り着いていない。
一方、岩屋城の兵たちは朝から夜まで止むこと無い島津軍の攻撃で疲弊し始めている。島津軍は休むことなく、逆茂木を剥いで曲輪を攻めてくる。優位な曲輪から攻める岩屋城の兵たちも次第に島津軍の鉄砲の餌食になることが多くなってきた。 島津軍は曲輪を攻める鉄砲部隊を編成し、森を切り開き、曲輪の裏を急襲する。
 高橋紹運は屋山と共に前線を回り、傷ついた兵を下げ、援軍を外曲輪へ送ったが、島津軍も更に激しく攻めてくる。 
 その頃、功を焦る伊集院忠棟は岩屋城を落とす術を探っている。岩屋城裏手に住む杉戸村の百姓たちを集め、黄金を見せて水の手を探った。杉戸村の百姓たちは立花道雪と高橋紹運の情けある徳政に恩を感じていたが、たった一人の百姓が黄金の輝きに負け、湧水の場所を教えてしまった。
 伊集院はすぐに部隊を引き連れ急襲し、湧水に大量の岩と土をかぶせ完全に埋めた。籠城する岩屋城は以後苦しむことになる。その日の夜、紹運は水の手が断たれたことを知らされたが、もはやどうにもならない。翌日7月17日早朝から戦の勢いは島津軍に傾き、岩屋城門外にある外曲輪は全て島津軍の手に落ちてしまった。
 
 島津軍は既に1500人近くが命を失っている。その死骸は逆茂木とともに捨てられていたが、暑い日差しですっかり腐敗が進んできている。7月17日昼、島津忠長は紹運に矢止めを申し入れ、遺体や大石で潰された遺体を懇ろに収容した。
 その一方で新納蔵人という弁舌豊かな新たな使者を岩屋城に送った。
 
 晴れ上がった空の下、新納蔵人は城門近くの外曲輪によじ登り、岩屋城へ大声を張り上げ、紹運の名を呼んだ。
「高橋紹運様、高橋紹運様、拙者は島津家総大将島津忠長の代理で参りました新納蔵人でございます。お話があって参りました。是非とも、どなたか御取次ぎをお願いいたします。どなたかお願い致します。」
 何度も新納蔵人は岩屋城へ向かって口上を叫んだ。岩屋城からは何の返答もない。紹運は本丸でこの大声の口上を聞いていたが、何度も大声で粘る新納蔵人の口上に応接するために大手門へ向かった。大手門へ向かう途中、屋山が傍に寄ってきた。
「殿、弓を馳走しましょうか?」
「今は矢止めの時であるぞ。私が話をする。」
 紹運は苦笑いしながら、屋山を制した。

 大手門まで下ってきた紹運は身軽に大手門の高櫓へと上っていった。そして、櫓より体を乗り出し、新納蔵人に向かって大声を発した。
「これは高名な新納様、わざわざのお越し痛み入ります。折角のお越しでございますが、我が棟梁の紹運様は如何に島津家を倒すか思案中でございます。代わって拙者、麻生外記がお聞きいたしましょう。」
 新納蔵人が見上げると太陽の光を浴び、光り輝く甲冑姿の男が見えた。堂々とした風格で、新納蔵人は一目で高橋紹運だと確信した。
「やあ、麻生様、それでは高橋紹運様にお伝えください。島津忠長は紹運様の戦いぶりに感服いたしております。ただ、残念なのは紹運様の前の主君、大友宗麟様と義統様でございます。紹運様の御武勇・御奮戦を知りながら、未だ豊前に留まるばかりでございます。」
 一呼吸おいて、新納蔵人は続けた。
「もはや、大友家の衰運は皆周知のことでございます。そして、新しき主君の太閤殿下様は今如何しているのでしょうか?このまま、紹運様が前の主君大友様と共に滅びゆくことは誠に勿体無き事でございます。もはや、紹運様の主君への義理と武門の意地は十二分に立っております。どうか、我らの和議をお受け下さい。我が主君島津忠長は岩屋城に仕える皆の御命と所領は、安堵すると申しております。どうか、お受け下さい。」
 岩屋城の兵は皆この新納蔵人の大声の口上に聞き入っていた。既に戦を宣告してから5日、普通の戦であれば7百対5万の戦は一日も持たない。命を削る奮戦で島津軍を留めている。ただ、新納蔵人が大声を張り上げる外曲輪は既に島津軍の手に落ちてしまっている。
 明日から島津軍はこの外曲輪を出て、この城に襲い掛かってくる。この兵力差ではいつかは落城する。自分たちには宝満城に家族がいる。もう十分に武士の意地は貫き通したとも云える。ここで降伏しようとも恥じることはない。
 多くの兵が新納蔵人の口上に聞き入っていたところで、麻生外記と名乗った紹運が大声を張り上げた。

「御尤ものような御高説でございますが・・・、新納蔵人殿は恥を知るがよい。そのような戯言を我が主人である紹運様に聞かせるわけには参らぬ。」
 一方的に非難をされた新納蔵人は大声を張り上げた。
「何をおっしゃるのか、麻生様、戯言とは何でございますか。存念を聞かせて頂きましょう。」
 新納蔵人の怒鳴り声に、麻生外記は続ける。
「分らぬのであれば、聞くがよい。お主は主家が危うくなれば、主家を見捨て、数の多き敵へ降るがよいと申す。主家を見捨て、身の安全を図れと申す。主家を見捨てれば、所領を安堵しようと申す。我らは主家の為にこの城を守っておる。主家との義理を果たすのが武士の道ではござらぬか?お主はそこそこ戦った故、主家への義理を果たしたと云うのか?主家を捨て、我が身を守るのが武士の生きる道と云うのか?それが島津家の武士道か?答えよ!新納蔵人殿、さあ答えよ。島津家の武士道は主家を見捨てることか?」
 激しく臓腑に突き刺さる言葉であった。自ら、使者になったのが恥ずかしくなる程、新納蔵人は心が折れてしまった。一言も発せず、外曲輪を後にした。

 高橋紹運の言葉は、城兵の中に一瞬湧き出た和議への思いを全て消し去った。島津の使者が何の反論も出来なかったことが全てである。皆が紹運の語った武士として己を全うしたい、誇り高く己の命を燃やそうと固く心に誓った。
皆がまた明日より紹運と共に戦う覚悟を決めた。
 ただ、紹運だけは自分が吐いた言葉への嫌悪を膨らませている。
”我が言葉こそ、戯言よ。城の皆を救う最後の機会であった。島津忠長殿は間違いなく、我が家臣の命と所領を安堵したであろう。私さえ首を差し出せば、十分に意地は通したことになるのに・・・・。私の意地で、家臣たち皆を死に戦に巻き込んでしまう。我が言い様で全員が死ぬのだ。“
 思い悩む紹運の下に、再度島津家から降伏を促す使者が岩屋城の大手門にやってきた。もう西の空は真っ赤に燃えている。使者は開戦の時に訪れてきた快心である。紹運は再び大手門横の小屋で応接した。
「紹運様、先ほどの新納蔵人の代りで私が参りました。既に戦が始まり5日目、主家へ忠義を尽くす紹運様のお言葉とお考えに恥じない見事な戦い様は、我ら骨身にまで沁みてございます。我らは圧倒的な兵数を誇りながら、やっとこの岩屋城の大手門までやって参りました。」
 前回と打って変わって、快心の言い様は神妙である。
「うむ。」
「我らは紹運様も臣下の皆様も主家への忠義天晴な武士と感服しております。ただ、その皆様がこの戦の果てに命を散らすのは如何お考えでしょうか?」
「・・・。」
「我らもこの岩屋城を攻める為にこれより多くの武者が死にます。このまま戦を続ければ、お互い多くの兵が亡くなるのは如何様に思われますか?」
「お主は僧であるが故、生かすことを考えておるのであろう。」
「はい、命は限りあるものでございます。もう紹運様と皆様は武士の面目を十分に見せております。5か国の兵5万をたった700余名で支えております。」
「確かに面目は見せておるであろうな。だが、もしここで我らが降れば、我らの心は死ぬまで死人も同然。生き長らえたとしても、そのような薄い命ならいらぬ。だから、降るわけには参らぬ。・・・・・・だが、快心よ、お主の皆を生かしたい気持ちだけは受け取っておく。」
 紹運は快心に頭を下げた。命を救いたいという申し出を無下にするお詫びであった。
「快心殿、さあ去ってくれ。お主のような使者はもういらぬと島津忠長殿に伝えてくれ。」
 紹運は快心を大手門まで見送った。そして、目を伏せた紹運には涙があった。紹運はやはり自分の家臣763名がこのまま死ぬことに悔いがある。家臣達の家族に対しても申し訳ない。
 特に今回城に残った屋山の妻と子供だけは絶対に生き延びさせると一人誓った。

 7月18日早朝、外曲輪では島津軍本隊と龍造寺軍と秋月軍の3軍が準備を進めている。目指すは岩屋城の正面の大手門、そして南の大手門である。この2つの大手門こそ岩屋城の要である。
 高橋紹運はこの2つの門の両側に高櫓を新たに拵え、島津軍を迎える準備をしてきた。正面の大手門を守る武将福田も、南の大手門を守る伊勢惣右衛門もこの高櫓にある鉄砲狭間と矢狭間から島津軍を見下ろしている。
 また、門の両側と繋がる塀の鉄砲狭間と矢狭間からも島津軍を窺っている。弓矢や銃の弾の補充が間に合わなければ、手元に山と積んだ石礫を投げるつもりである。遊軍を含め、城兵のほとんどがこの大手門の防ぎに送り込まれている。
 岩屋城の正面に島津3軍が迫ってきたのは辰の刻(午前8時)である。門と連なる塀の前には1町(約100m)ほどの草むらが拡がり、身を隠すものは何もない。勇猛果敢な島津兵が門に向って走り出すと、高櫓と塀の鉄砲狭間から鉄砲の音が響き、次々と死体が転がっていく。
 島津兵は弾除けの竹束を抱え、岩屋城の塀を目指し次々と駆け出すが、死体がどんどん増えていくだけであった。
その横たわる死体を身を守る盾としながら秋月軍と龍造寺軍が前進をする。だが岩屋城の守りは厳しく、島津軍は大手門と城壁に辿り着けぬまま、太陽は西に傾いていった。
 島津軍大将の伊集院忠棟は大手門にさえ辿りつけぬ戦に焦っている。西日で真っ赤な空に闇が迫ってきた。夜の闇が身を守る盾になると考えた伊集院忠棟は、全軍を外曲輪に留めている。
 だが、伊集院忠棟はすぐ己の考えが浅はかであったと気付かされた。
 岩屋城の高櫓と大手門に大きな篝火が焚かれたのだ。大手門前の草むらは赤々と照らされ、島津兵が動くとすぐ鉄砲の音が響いた。そして、高櫓と城門を見上げると篝火で全く岩屋城の兵の姿が見えない。
 伊集院忠棟はすぐ戦の仕様を変えた。火矢で高櫓と城門を攻めることとし、塀を引き倒す鉤のついた縄も用意させた。だが、この準備も裏目に出てしまう。
 
 火矢を準備する篝火をめがけ、多くの石礫と矢が飛んできた。大きな石が頭に当たって大けがする者や、予期せぬ矢が眼に刺さった者などの叫び声が響いている。鉤のついた縄を塀に引っかけ倒そうとする者はすぐ鉄砲と矢の餌食になっていった。
 味方がどんどん死体になっていく様に伊集院忠棟は夜の攻撃を中止させた。
 
 戌の刻(夜8時頃)、やっと島津軍の猛攻が終わった。岩屋城の守兵は皆、朝から何も口に入れずに、島津軍に向かって銃を撃ち、矢を放ち続けてきた。のどが焼けるように渇き、腕も肩も腫れている。
 そんな中、高橋紹運と屋山中務が味噌を塗りたくった握り飯を皆に配りながら、声を掛けた。
“疲れたであろう。お主のお陰で今日も島津軍を凌いでおる。”
“さあ、2つは食べられるであろう。私を拝まんでも良い。両手をだせ。”
“お主の弓は見事であった。”
 全ての辛さと疲れが吹き飛ぶ主君からの慰労である。皆、握り飯をほおばりながら、涙を流し、主君の心づかいに報いようと気持ちを新たに燃やした。そして、皆が待ち望んだ水甕が用意され、一人ひしゃく2杯の水が配られた。
少ない量ではあったが、握り飯で満たされたお腹でのどの渇きも満ち足りた。皆満足し、寝そべって体を休めるとすぐ寝息が聞こえてきた。
 明日からまた始まる厳しい戦に備え、皆が眠りを貪った。
 
 7月19日翌朝、薄霧が立ち込める中、岩屋城大手門の前に竹の束で覆われた荷車が現れた。伊集院忠棟の報告を受けた総大将島津忠長が思案し、考えた荷車である。この荷車であれば、高櫓からの鉄砲を避けて、塀までたどり着くことが出来る。
 塀までたどり着けば、鉄砲狭間と矢狭間を潰すことも出来るし、塀を引き倒す縄を結わえることも、塀に火を放つことも出来る。この荷車を見た高橋紹運は今日大手門が抜かれることを悟った。だが、戦う前から引くつもりもない。ぎりぎりまで粘った後、四天寺山の中腹にある中の丸まで下がる算段である。

 島津軍の鬨の声が上がった。
“えいえいおー。”
 島津軍は荷車を盾として、無言で前へ進んでくる。今日の戦で大手門を抜き、一気に岩屋城を落とさんと云う気概が伝わってくる。岩屋城勢はその荷車を標的として鉄砲で狙うが、荷車の竹束が堅い音を立て、弾を寄せ付けない。
矢を射ても、竹束に弾かれるばかりである。
 正面大手門の守将福田も、南大手門の守将伊勢惣右衛門も鉄砲と弓を控えさせ、塀ぎりぎりまで荷車が迫るのを待った。そして、福田が握りしめた拳で手を振った刹那、岩屋城からの反撃が始まった。
 荷車と弾除けの竹束の後ろにいる島津軍に向け、弓を放ち、石礫を投げた。多くの兵がうめき声と共に倒れるが、島津軍は歩みを緩めない。荷車が城壁に辿り着きさえすれば、昨日攻めあぐんだ大手門を破ることが出来る。1台、2台、次々と荷車は塀に辿り着いていく。
 荷車は目の前にある塀の鉄砲狭間と矢狭間に向って、鉄砲を放ち、槍を刺しこんだ。城兵も鉄砲を放った後、すぐに狭間を石で埋めはじめた。これで塀からの銃撃はない。島津兵は鉤のついた縄を2本・3本と城壁の上の屋根に引っかけ、後ろにいる島津兵へと投げ渡した。
 多くの兵が竹束を盾に縄にとりつき、力の限り縄を引っ張った。その兵たちを狙って、高櫓からの鉄砲と弓が集中する。総大将島津忠長は弾除けの竹束を縄の周りを囲むように配していく
“竹束をもっと用意をして、前に配れ。”
“荷車はまだであるか。”
 岩屋城も必死の防戦を続けている。塀の後ろでは貴重な水が大釜で焚かれ、熱湯が準備されている。この熱湯と熱炭、熱砂を荷車に向って大柄杓でばらまいていく。その度に島津兵の激しい怒声が戦場に響いた。
 高櫓からも大石と熱湯で荷車を狙ったが、身を晒した守備兵は島津軍の鉄砲で狙われ、高櫓から落ちていった。
 戦が始まって2刻、太陽が頂上に達しようとした時、鉤のついた縄で引っ張られていた城壁の一部が、“ばあん!”という大きな音とともに剥がれ、島津軍に大歓声が上がった。 
 誰一人と通れない城壁の裂け目であったが、このまま攻め続ければ確実に城壁を潰せると島津兵たちは皆確信した。塀を縄で引っ張っていた他の兵たちも自然と力が入り、次々と城壁が剥がれていく。
 すぐ島津軍の兵が鉤のついた縄を崩れた城壁に再び引っ掛けようとして身を晒すと、高櫓から鉄砲が放たれ、首に弾が当たって血しぶきが空へ舞った。それでもひるむことなく島津軍の兵は次々湧いて出て、また塀に鉤のついた縄は引っかけていく。
 島津軍には新たな竹の荷車も4台加わり、割けた城壁の周りに配されていった。夕方には2人ほどが通れる大穴となってしまった。
 
 既に紹運の下命で援軍は中の丸に戻っている。最後、正面大手門の守将福田と南大手門の守将伊勢惣右衛門は、4つの高櫓の守兵を除いた全員を中の丸に退却させた。島津軍も城壁の裂け目から、城内に侵入する機会を窺っている。恐らく、城内に入るやいなや、一斉に鉄砲と弓矢が浴びせられるはずである。
 だが、先ほどから城内の物音がしない。勇気ある一人の島津兵が裂け目から首をひょっこり出すと、城兵が山の急坂を上がっていくのが見えた。
“逃げております。“
 一言発するとその島津兵は高櫓から放たれた鉄砲で頭を打ち抜かれた。高櫓を陣取る兵は味方が中の丸へ戻る時間稼ぎの為に留まった志願兵であり、既に死は覚悟している。島津兵は次々と城壁の裂け目から入って城兵を追うが、すぐその背中を狙い。高櫓から鉄砲の弾と弓矢が放たれる。
 この高櫓に上がる梯子は既に退却した兵によって取り払われており、高櫓そのものを壊さなければ、島津兵はずっと狙われ続けてしまう。島津軍は城兵を追うのを止め、高櫓を叩き潰すことにした。火矢を放ち、高櫓の四隅に火を放った。
 高櫓が焔に包まれていく。
 そして、火だるまの高櫓から次々と島津軍めがけて、両手に脇差を持った高橋軍の兵や槍を抱えた兵が落ちてきた。最後に一人でも道連れにしようと飛び降りる敵に、島津軍は恐怖した。

 島津軍は多大な犠牲を払い、やっと大手門を突破したが、目の前には鬱蒼と茂る急坂の森と谷が拒むように屹立している。このまま攻め入ることも出来るが、既に太陽は沈んでいる。月の光だけではどれだけの兵が犠牲になるか見当もつかない。
 戦を宣告してから7日目で約2千の命が失われている。総大将の島津忠長はこの大手門で夜回りの兵を残し、全軍を休ませることとした。
 
 丑の刻、大手門周りで休む島津軍の中を2人の影が蠢いている。急坂の洞穴に隠れていた大手門の守将福田と南大手門の守将伊勢惣右衛門である。最後にこの2人は大手門と南大手門に登り、命を散らす覚悟である。2人は屋根裏に入ると火を熾し、隠しておいた炮烙火矢に火を燈した。
“島津はこれで夜も寝られなくなるであろう。”
 寝静まる島津軍のいたるところで突如火が破裂して、焔が上がっていく。すわ、岩屋城の急襲と思い、島津の兵は山の斜面に張り付いたが山の闇は動かない。
“おーい、門からであるぞ。”
 大手門と南大手門の櫓から、火矢が放たれているのが見えた。たった2人の兵が鬼気迫る顔でそれぞれの門の櫓を動き回って、火矢を放ち続ける。この2人の兵へ向け、すぐさま島津軍鉄砲隊は一斉掃射した。すると炮烙火矢に引火したのであろう。
 大きな破裂音と共に大手門と南大手門に一気に焔を上げた。すると大手門から突如火だるまとなった男が飛び落ち、刀を振り回した後に崩れるように倒れ、動かなくなった。島津軍はこの闇夜の狂騒にすっかり滅入ってしまった。明日もまたこの苦しい戦が続く・・・、苦悩の闇は続いていく。
 
 7月20日翌朝、明らかに空気の匂いが変わった。博多湾のある西より強い潮風が流れてきたのだ。この季節にこの風は強い暴風雨となる。岩屋城本丸から西の博多湾を望むと黒い雲が遠い彼方で漂っている。
「今日の夕刻あたりかな。」
 後に控える甲冑姿の屋山に紹運が声を掛けた。
「はい、降り出せば丸1日は降るはずでございます。これで、水は大丈夫でございます。」
 城兵たちは昨日からほとんど水を口にしていない。誰も不平は言わぬが、大手門から退いてきた兵たちは明らかに辛そうな顔をしている。握り飯は食べているが、皆が口にしたいのは何よりも水である。
 その水のほとんどが昨日熱湯となって、寄せる島津軍へと撒かれて消えてしまった。だが、今日雨が降り出せば、皆が飢えたのどを潤すことが出来るし、この岩屋城は登るに困難な山城となる。昔、立花道雪が教えた通り、この山の土砂は細かく水を含むと非常に滑りやすくなる。島津軍は急坂を上り、中の丸を攻めてくるが、相当に苦労するはずである。
 紹運は今日1日を凌げば、明日島津軍は攻めて来ぬと直感した。
「屋山、水を全て兵に与えよ。それから、水甕を全て外に出すよう命じよ。」
「はっ、かしこまりました。」
 紹運は更に続けた。
「今日を凌げば、明日島津は攻めて来ぬ。皆に伝えよ。今日を乗り切れば、明日戦は雨休みであると。」
 屋山は笑って頷いた。紹運は戦になると打つ手がことごとく当たる。明日が雨休みなどとは到底信じ難いが、もしそうなれば戦続きで疲労困憊の体にはたまらない休息となるはずである。皆、紹運に心服している家臣ばかりなので、明日の雨休みを半分信じ、今日も命を尽くし戦うはずである。
 博多湾を見ていた紹運は振り返って、屋山を見た。
「福田と伊勢は戻って参ったか?」
 屋山はかぶりを振った。多くの志願兵が大手門の高櫓に残ったと聞いていたが、紹運に告げるつもりは無い。
「今、いかほどの兵が残っておるか。」
「約7百でございます。半分を中の丸の下の砦に入れました。」
 籠城して8日目、岩屋城の兵は160名ほどが亡くなり約6百名となっている。島津軍は5万の兵のうち、2千が戦死、その他多くの怪我人が出ている。武名を誇る島津軍を相手に圧倒的な戦果を挙げ、7日間も足止めさせている。最初は7日も持てばと思っていたが何とか10日間は足止めできそうである。
 だが、紹運の心は依然として晴れていない。
 自らの意地の為に皆をこの死に戦に引きずり込んでいることで自分を責めている。その心の葛藤を屋山は薄々感じている。紹運は戦に長けた勇将であると同時に仁義溢れる仁将でもある。
 このまま岩屋城と残り6百名を道連れに死ぬこと、自らの首を差出し6百名の命を救うこと、いずれかを天秤にかけて悩んでいるはずである。そんな主君を誇りに思う屋山以下の家臣たちはこの城と共に討ち死にすることしか考えていない。
 屋山は紹運の方へ体を向け、威儀を正した。
「殿、我らも自分の意地と誇りの為に戦っております。自らの気持ちで戦っておるのでございます。この城落ちるまで戦うが我らの本望でございます。」
 屋山は紹運の眼を見据え、最後まで戦う意思を示した。
「尾山、かたじけない。」
 この言葉で紹運は腹をくくった。屋山はわずかに残っていた水を皆に振る舞った。柄杓1杯の水を与えられた兵たちは、紹運のお告げのような言葉を喜んだ。
“明日の合戦は雨休みとなる。”

 中の丸の下には西砦、西岩屋砦、そして崖から張り出した百貫岩の砦がある。その砦に辿り着くには四天寺山のいずれか3つの狭い尾根を上げるしかない。尾根の間の谷はよじ登るのも困難な急な崖である。尾根と崖には行く手を阻む鬱蒼とした森が繁っている。
 だが、岩屋城を落とすにはよじ登るしかない。3つの砦を目指し、あらゆる場所から島津軍はせりあがっていく。
岩屋城の兵は山をよじ登るに懸命で無腰の敵には鉄砲や弓矢を浴びせた。弾除けの竹束をかざす兵には大岩や丸太を次々と浴びせるように落としていく。
“あーっ、くそ。”
 ごろごろと落ちていく大岩や丸太を見上げた兵は怨嗟の声を上げた。
 身を避けることが出来ない兵たちは急な崖と谷を転げ落ち、谷底まで落ちた多くの兵は体を強打し動けなくなっている。島津軍の兵たちは容赦ない岩屋城の攻撃に憤り、必死の形相で急坂を登り続ける。
 だが、昼頃からぽつぽつと降り出した雨は未の刻(午後2時)には本降りになってきた。空から大粒の雨は止む気配がない。叩きつけるような雨は砦にこびりつく敵味方の血を洗い流し、荒ぶる気も冷やしていく。誰もが天空を見上げ、自らの業火の禊のように雨に打たれ続ける。
 朝、わずかばかりの水を与えられた岩屋城の兵たちは島津軍との合戦を忘れ、空に向けて口を開き、雨を貪った。
この大雨がきっかけとなって、戦が止まった。西岩屋砦まで降りていた屋山はこの機を逃さず、大声で島津軍に言い放った。
「矢止めじゃ。矢止めじゃ。どうだ、よいか。」
 間もなく島津軍から“おうっ。”という声が響いてきた。急坂を上ってきた島津軍の兵の足元は泥と流れ落ちてくる泥水で踏ん張れないほどになっている。島津忠長と伊集院忠棟は本陣の般若寺から恨めしそうに空を見上げた。
「忠棟、矢止めしかなかったか。」
「私も矢止めにしたくありませんでしたが、山の足場が酷過ぎて・・・。とても、登れません。」
「雨が止むのを待つしかないな。もう8日、何時まで掛かるのであろう。」
 島津忠長は空しく降りしきる雨の中で霞む岩屋城を見続けた。
 
 7月21日は大雨が降り続き、丸一日合戦は矢止めとなった。7月22日翌朝、雨はまだ降り続いている。激しい雨が四天寺山の急坂を叩き、滝のように谷底へと落ちていく。雨と一緒に剥き出しとなった花崗岩の粒が流れ落ち、谷底に墜ちた島津軍の死体や岩屋城の兵が放った丸太や大岩を白く覆っていく。見回りで哀れな自軍の遺骸を見た島津軍総大将島津忠長は、伊集院忠棟に命じた。
“亡骸を懇ろに弔ってくれ。”
 すぐに矢止めで休んでいる兵が駆り出された。次々運ばれる亡骸はどれもが激しく痛んだ姿ばかりである。大雨が降りしきる中、鎮魂の祭壇が用意され、島津軍陣僧の快心が念仏を唱え始めた。雨音と念仏を唱える僧の声だけが島津軍を覆っていく。この岩屋城ではあまりに多くの犠牲が出ている。それでもまだ城を落せずにいる。
 皆、この戦で失った者たちを偲んで弔い、仇をとることを天に誓った。
 
 岩屋城の兵たちは、朝ゆっくり起きた後、用意されていた握り飯を腹一杯ほおばった。紹運と屋山は今日ばかりは甲冑を脱いで、好きにせよと命じている。9日間戦った身体は既に満身創痍でけだるく重い。振り続ける雨を見ていると、昨日までの激しい戦を忘れ、宝満城へ送りだした家族ばかり思い出されてくる。
 この降りしきる雨を自分の家族も見つめているはずである。
 
 宝満城にも立花城にも、岩屋城が大雨で矢止めになっていると知らされた。立花統虎の命を受けた十時摂津が岩屋城周りを探ると、既に大手門は島津軍に占拠され、岩屋城裏手にある水の手が壊されていることが分った。
 わずか763名の岩屋城が5万の大軍を相手に9日間も耐えている。だがこの大雨が止めば、島津軍の総攻撃が再び始まる。統虎は、岩屋城がまもなく全滅し落城するであろうという報せを黒田官兵衛に届けた。立花家棟梁として、岩屋城の奮戦を秀吉に知らせ、出来る限り早く秀吉の本隊をここ九州へ招き入れることが何よりも大事な使命である。
 だが、父高橋紹運が命尽きるのをただ待つのはあまりにも息苦しく、気が遠くなるほどの孤独を感じている。自分も含め、この城の誰もがこの酷い合戦を息を殺して、窺っている。そんな自分に対し、憤りだけが募っていく。
 大雨が激しさを増す中、立花統虎は立花城本丸を離れ、誾千代姫の館へ愛馬で向かった。激しい雨で直垂がずぶ濡れになっていく。
 館の入り口にはちょうど女中頭の静がいたが、突然の統虎の帰宅と尋常ならぬ様子に驚き、すぐさま誾千代姫を呼びに屋敷の中へ走り出した。入り口に出てきた誾千代姫はずぶ濡れの体を気にすることなく、部屋へ招き入れた。
 そして、雨を拭って用意した小袖にすぐ着替えてもらった。
 全く言葉を発しない統虎を用意させた布団に導いた。統虎は誾千代姫に促されるがまま、誾千代の座る太ももにちょうど膝枕のように横になった。誾千代姫は統虎が言葉を発するのをひたすら待った。
「誾千代、雨が止んだら、岩屋城は落城する。・・・」
 誾千代姫も、雨で岩屋城の戦いが矢止めになっていることは聞いている。ふと、柳河城の戦いで父立花道雪が病に負けず、死ぬまで奮って戦い続けたことを思い出した。
「殿方はみな死ぬまで戦うのですね。」
 統虎も誾千代姫の言葉で立花道雪の死に様を思い出した。自分の本当の父親“高橋紹運”と義父の“立花道雪”、偉大な2人の血脈を継いで、今の自分がある。父高橋紹運の命は数日後に果てるが、2人の気魂を引き継ぐ棟梁に為らねばならない。心乱れるような棟梁では、立花家と高橋家の両家を継ぐ者として相応しくない。
 統虎は立ち上がり、誾千代姫の館を飛び出ると再び立花城本丸へと戻っていった。立花城棟梁として戦の行方を見届けるつもりである。統虎の迷いは全て消え去った
 
 雨は夜になっても止む気配がない。篝火が焚かれた岩屋城ではいい香りが漂ってきた。二の丸や前線の砦では野菜いっぱいの味噌の汁が大釜で茹でられている。
「やあ、合戦にこのような汁とは。うれしいのう。」
「明日も雨がふると、矢止めかな。」
 丸1日体を休めると英気が湧いて、心も軽やかになる。大雨のお陰でみんなが苦しんできた咽喉の渇きも心配ない。これより先、水の心配をしなくてもよいのは有難かった。
 恵みの雨はまだ降り続いている。
 
 島津忠長と伊集院忠棟はうっすら明るくなった空を見上げている。一昨日、昨日に続き、今日も雨が降り続いている。 この雨の中で戦を再開すると自軍の士気に影響する。
 この岩屋城を見上げるのも11日目、2500名の兵の命が既に亡くなっている。和議への耳も一切貸さず、未だ岩屋城は落城していない。全兵力で総攻めしても、あと2日は落城にかかるはず。
 しかも、この後に宝満城、立花城を落さねばならない。これからも相当な犠牲が予想される。秀吉の軍は九州目指して、歩みを進めているはずである。
 苦悩する2人であるが、この岩屋城を落さなければ前へ進めない。2人の苦悩が天に通じたのは昼が過ぎてからである。遠く西の雲の切れ間から光が差し込んでいる。
「忠棟、無理押しで攻めることとしよう。」
「島津様、そうしましょう。一刻(2時間)待って、砦を攻めましょう。」
 雨が小降りになる中、島津軍は出撃の準備を進めた。
 
 中の丸では、紹運と屋山が岩屋城大手門に陣取る島津軍の動きを覗き込んでいる。雨足が弱まる中、全ての兵が立ち上がって、戦の準備をしているのが見える。雨が止めば矢止めは終わり、島津軍はすぐ攻めかかってくるはずである。
「殿、夕刻には戦が始まることでしょう。」
「うむ。・・・何とか、今日も戦は休みにならぬかなと思っておる。」
 微笑む紹運を見て、屋山は笑って尋ねた。
「殿も人が悪い。何をなさるおつもりですか?」
「矢文よ。」
 紹運は雨が止む時間を狙い、偽りの和議を申し立てるつもりである。島津軍は必ず和議の話に乗ってくると紹運は確信している。
 
 雨は完全にあがり、厚い雲は消えて日光が差しこんできた。島津軍の兵が準備を終え、砦へ向かって進軍すると同時に、岩屋城西岩屋砦から矢文が放たれた。矢文はすぐに般若寺本陣へ届けられた。島津軍総大将へと表書きしてある矢文を島津忠長が一読し、伊集院忠棟に渡された。
“島津軍総大将
 ただ今、城内で和議についての思案あり、仔細まとめ、使者を送る。高橋紹運“
 伊集院忠棟は一読した矢文を置いた。
「島津様、岩屋城の兵は雨と矢止めで戦う気が失せたようでございます。今まで我らの和議に耳を貸さなかったですが、やはり命が惜しくなったのでございましょう。」
「うむ、おそらく城内に主戦派と開城派がおり、談合しておるのであろう。忠棟、これは急かすでないぞ。急かせば破談となる。ただ、待てばよいのだ。」
 伊集院忠棟は、したり顔で講釈する島津忠長に頷いている。
 
 一刻ほど後、紹運の近習中島左間介が西岩屋砦を抜け出て、1人急坂を下りていった。島津軍は直垂姿で近づく武士が岩屋城の使者であることにすぐ気づいた。優しい顔立ちの中島を見て、誰もが和議の使者であろうと期待した。
 ただ、その使者は島津軍の1人の兵に書状を渡すとすぐ急坂を上り、岩屋城へ帰っていった。その書状はすぐ島津忠長と伊集院忠棟へ運ばれたが、一読した島津忠長は憤怒で顔が真っ赤になった。
「忠棟なぶられたわ、読むがよい。」
“まだ負けておらぬ相手に首を授けるつもりは無い。城もそのままで、人質も出さないままで良ければ、和議に応じよう。恐らくは和議に応ずることはないであろうから、また明日から弓矢を馳走しよう。“
 伊集院忠棟もこの書状を呼んで卒倒しそうになった。これほどまでに愚弄した手紙もない。今すぐにでも岩屋城を攻めたいが、もはや日が傾きかけている。紹運に心の内を見透かされ、戦を仕掛ける機会を見事に失ってしまった。
 この借りは必ず明日の総攻めで返すと2人は決した。
 
 日も沈み、篝火が焚かれる中、岩屋城二の丸に籠城する兵が集められた。763人いた兵も6百人余りに減っている。皆が死力を尽くし、島津軍を抑えてきたがその疲れは水不足もあって、大変なものであった。
 それが思いもよらない2日間の雨休みで、すっかり英気を養い、兵たちの顔はすこぶる明るい。大雨で溜められた水甕があちらこちらにあり、もう水の心配は全くいらない。その6百人の兵の前に甲冑姿の紹運が現れた。
「皆の者、2日の矢止め、いかがであったか。」
 一人の兵が瓢げて、“命の洗濯が出来ました。”と言うと皆はどっと笑った。
「よい、明朝より島津軍は総攻めで参るはずである。島津軍はこの城を落城させるまで休まず攻め抜くであろう。それで皆に問う。この岩屋城に残る者は皆死ぬ。もし、命惜しい者、宝満城の家族とこの先暮らしたい者がおれば、この場で名乗り出よ。私は誰も咎めはせぬ。後で私に申し出てもよい。」
 前と同じように6百人の兵は誰一人動かない。誰もが精悍な顔つきで、最後まで戦い抜く覚悟である。紹運は最後に皆の前で甲冑の兜を取った。
「皆の今までの武者振り、天晴である。また、亡くなった者達も見事な男ぶりであった。」
 紹運が吠えると烈士たちの魂が激しく応え、烈風が皆の頬を叩いた。皆引き締まるように紹運の顔を射抜く様に見据えた。
「明日よりの戦は皆、悔いなきようにするがよい。そして、冥界でまた会おう。さあ、今生はあとわずか、食べて飲むがよい。私も飲むこととする。」
 紹運は城中に残った酒や味噌、米、野菜など惜しげもなく皆に与えた。どうせ、落城まで残るは1日か2日であるし、残しておいても何の意味もない。皆この2日の矢止めですっかり元気になった兵たちは酒を飲んで騒ぎ始めている。
 立花城から援軍でやってきた吉田右京以下の兵たちも、最古参の岩屋城の兵たちと肩を組んで騒いでいる。死力を尽くし、死線を越えて戦っているだけに、皆が心許せる戦友となっている。紹運と屋山は2人酒を酌み交わしながら、その様子を眺めている。
「殿、飯炊きに残っていた女どもですが、城が落ちる前に逃します。」
「うむ、その時には快心和尚を訪ねさせよ。奴ならば、大丈夫であろう。屋山、息子の太郎らも同行させるがよい。」
「はい、宗雲尼様もご一緒して頂く予定ですが、宜しいですか。」
「かたじけない。屋山。」
 屋山の妻と子供太郎はこの岩屋城に潜んでまで、父屋山中務と一緒に戦いたいと願った孝心の篤い母子である。紹運としては屋山の家名を残す為、何としてでも2人にはか生き残って欲しい。紹運の妻宗雲尼は天然痘にかかり、痘瘡痕が残る顔になっても、紹運が婚儀を望んだ心優しき女性である。
 今回の戦においても、籠城する兵たちの為に先頭になって食事の世話などかいがいしく働いている。屋山は自分の命に代えてでも、紹運の奥方だけは救いたいと考えている。皆の思いが交錯しながら、7月23日の夜が過ぎていった。
 
 7月24日朝、空が白み始める中、島津軍は四天寺山を登り始めた。
 戦が始まってからもう12日、島津忠長と伊集院忠棟は般若寺を出て、大手門に本陣を構えると全軍に檄を飛ばした。多くの味方を失い、また傷を負わされた島津の兵たちは今までの恨みを晴らさんと決死の表情になっている。
厳しい戦となっているが、体に染みついた島津の凄まじき軍法通り、前のめりになって戦うばかりである。
 早朝から西砦、西岩屋砦、そして百貫岩の砦は島津軍の猛攻を浴びている。砦の守備兵も攻め上がる島津軍に容赦なく大石と丸太を投げつける。その度に多くの島津兵が根こそぎ崖に落ちていき、虚しい怒号だけが響いている。だが、島津兵は諦めることなく、遮二無二砦を目指した。
 途絶えることの無い島津軍の圧力に、とうとう大石と丸太が砦には一つも無くなってしまった。砦の守備兵は手元に残る弓矢を放ち、鉄砲を撃ち、周りに転がる石礫を投げ、島津軍を何とか押さえてきたが、西砦の一角に名も無き島津兵たちがようやく辿り着いた。
 朋輩を嬲り殺しにしてきた守備兵に対し、島津兵の怒りは深い。血気に盛る島津兵は石礫を投げる守備兵を後ろから羽交い絞めにし、命を絶っていく。西砦を制した島津兵たちは西岩屋砦、百貫岩の砦に向って進むと、今度は西砦を見下ろす中の丸から弓矢と鉄砲の弾を浴びた。
 
 互いに譲らぬ戦が続いている。岩屋城の兵は命に執着する心が無い故、砦と中の丸を守ることだけに命を削っている。島津軍は目の前の敵に命惜しまずに進んでいく。お互い何の躊躇もなく、敵を見れば刀を構え、ただ相手を倒すことだけを考え戦った。この凄まじき戦の果てには死しかない。

 寡勢で奮闘を続けてきた西岩屋砦は既に沈黙し、残りは百貫岩の砦となっている。百貫岩の砦の守将三原紹心は得意の槍で迫りくる島津兵5人を突き倒した。
 狭い砦の中、渾身の一太刀で踏み込もうとする島津兵の首をひたすら狙っている。その三原紹心の背後に1人の島津兵が忍び寄っている。その島津兵に気づき、三原紹心が振り向くと、前の2人の兵が討ちかかってきた。三原紹心は背後の兵の首は槍で突いたが、2人の島津兵の一閃は避けることは出来ない。そのまま両肩に2人の刀が食い込んでしまった。
 三原紹心は刀を何とか押し下げようとする2人の島津兵を抱きかかえると、そのまま力任せに崖下へと墜ちていったのだ。
 これで島津軍は3つの砦を制圧した。島津兵は竹束を連ねて、中の丸からの攻撃を凌ぎ、そのまま夜を明かした。
 
 7月25日翌朝、島津軍が奪取した3つの砦から中の丸まですぐ近くのようであるが、相変わらずの急坂である。
崖の上からせり出す中の丸が沈黙しているのが無気味である。この中の丸を抜けば、後は三の丸・二の丸・一段上にある本丸に攻め入ることが出来る。
 岩屋城にとって、最後の防衛線である。
 
 先鋒の指揮を執る伊集院忠棟が島津忠長から預かった軍配を中の丸へ向けた。
“ぶぉーっ、ぶぉーっ。”
 総攻めの法螺貝の音が早朝の四天寺山に響いた。3つの砦から、島津勢が勢いよく中の丸を目指し、弾除けの竹束をかざしながら急坂を進んでいく。だが、中の丸からの反撃はない。静かなままである。
 島津軍は疑心暗鬼になりながら、それでも皆竹束をかざしながら大きな団子のように固まって進んだ。そして、まもなく中の丸に辿り着くというところで、中の丸の屋根から大きな丸太が3本、3つの砦に向けて切り落とされた。
 固まって進んでいた島津軍の兵たちは根こそぎ丸太と共に急坂を転げ落ちていった。
 男たちの絶叫が皆の耳に残っている。毎日繰り返してきた辛い戦の始まりである。中の丸の指揮を執るのが、鉄砲狭間から島津軍を覗き込む萩尾大学である。この萩尾大学は立花統虎初陣で堀江備前の首を獲った男でる。自分がこの中の丸の守将になったことで、統虎との因縁を深く感じている。
“わたしが紹運様の息子立花統虎様を世に出し、統虎様を生かす為に私がここで朽ち果てるのだ。”
 島津軍は丸太を避けるため、少人数で急坂を上っていく。
 この中の丸の板間には山のように大石が積まれている。
 萩尾大学はこの中の丸を右に左に動いて、鉄砲狭間から島津軍との距離を測っている。
「それ、西砦に石山ひとつ。百貫岩に石山2つ。」
 萩尾大学が声を出す度に、板の間石穴から大石が落とされる。大石が急坂を転がり、多くの島津兵をなぎ倒していく。丸太や大石を避けて近づいてくる兵には、弓矢と銃弾を浴びせる。勇敢な島津兵は味方が傷ついて墜ちていく様を横目に見ながら、中の丸に向かって進んでいく。
 萩尾大学もその様子を見ながら、島津兵の比類なき強さを感じている。
“島津兵はやはり強い。遮二無二登ってくるわ。”
 急坂で息絶えた味方の遺骸に隠れ、中の丸に少しずつ近づき、攻め込もうと潜む島津兵は20間先に50人ほどいる。弓の殺傷能力は大体15間、鉄砲は20間ほどである。島津兵は丸太を落す準備を伺い、一気に中の丸まで走って忍び入るつもりである。そうとは知らず、萩尾大学は大声で叫んだ。
「丸太、全部の砦に向って放て。」
 丸太は重く大きいため、中の丸は総がかりで屋根から落とす為の準備を行っている。20間先に潜んでいた島津兵50人ほどは全員中の丸に向って登った。この一瞬の間を狙って、中の丸に辿り着いたものは10名ほどである。残り40名は丸太と共に急坂を墜ちていった。
 
 中の丸に辿りついた10名は手薄な西へ移動すると、石穴から中の丸に入り込んだ。突然の島津兵の侵入ですぐに殺し合いが始まった。刀術に長けた島津兵が中の丸を占拠し始めた。手薄となった中の丸西からのどんどん島津兵が入り込んできた。
 萩尾大学は大声で叫んだ。
“引け、引け、三の丸だ。”
 中の丸を諦めた萩尾大学は、すぐに兵を三の丸に引き上げた。中の丸と三の丸を繋ぐ通路を槍衾で固めた後、萩尾大学は通路の木戸を閂でしっかりと締めた。中の丸には急坂を上り切った島津兵が続々到着し、中の丸から三の丸へと続く通路途中の頑丈な木戸を窺っている。
 この木戸の向こうには城兵が待ち構えているはずである。
 
 一方、萩尾大学は三の丸の守将吉田右京に別れを告げ、木戸のすぐ下にある抜け穴に入っていった。
「屋山様、これだけの島津兵を道連れに出来るのは本望でございます。御武運を。」
「萩尾殿、お主の男振り、ここで見させて頂くわ。」
 抜け穴の先には急坂にせり出た中の丸の底がある。この中の丸の底こそが岩屋城最後の大仕掛けであった。この底は島津軍から全く見ることが出来ない造りになっている。萩尾大学は脇差を手に取って、中の丸の基礎に結わえてある無数の縄を斬り始めた。
 縄の先には大きな支え石と三の丸の基礎がある。この縄が中の丸を急坂で支えてきた。縄が斬られると中の丸を支える材が軋み、不気味な音が徐々に拡がっていった。
“みしっ、みし。”
 そして、萩尾大学が最後の綱の束を切った瞬間、中の丸は崩れ、萩尾大学の命は一瞬で潰れてしまった。中の丸の床は底が抜け、建物も急坂に耐えられず、全てが崩壊していく。
 中の丸を占拠した島津兵も建物と急坂を墜ちていく。急坂を上がっていた多くの島津兵も巻き添えになり、300人ほどが一瞬で命を失った。

 三の丸にいた屋山も想像以上の大仕掛けで墜ちていく中の丸を見下ろしている。
“萩尾よ、天晴な最期であったな。”
 城兵たちは崩壊した中の丸を覗き込んで、合掌した。この時代、多くの兵の命を一気に奪うような仕掛けは無い。
総大将島津忠長はあまりの惨劇に言葉を失ってしまった。
 先陣に詰めていた伊集院忠棟は奇跡的に難を逃れ、島津忠長の下へ戻ったが、砂ぼこりと残骸の粉塵で甲冑が真っ黒となっている。
「先陣はもう使えませぬ。中軍で頼みます。」
 一瞬で壊滅した自軍に強気の伊集院忠棟もさすがに落ち込み、預かっていた軍配を総大将島津忠長に返した。島津忠長も負傷した兵の救護と全軍の立て直しを命じた。陽は既に傾き始めている。島津忠長は今日中に戦を仕掛けることを断念した。
 
 崩壊した中の丸を見に来た紹運は、三の丸から下を覗き込む屋山へ近づいた。
「紹運様の仕掛けは見事でございました。」
「いや、萩尾大学の命と引き換えの仕掛け。・・・・今日ばかりは虚しい。このような仕掛けを作って、多くの人の命を一気に奪う。そして、己の意地の為に家臣の命もな・・・・。」
 屋山もさすがに返す言葉が見つからなかった。戦の果てにあるものは生か死である。生き残った者は多くの業を背負って生きていく。
 高橋紹運にとってこの岩屋城の戦が最期となるが、容赦ない攻撃は今までにない無慈悲な戦である。それでも自分の心を抑え、この戦を出来る限り長引かせる為にこの城の仕掛けを造り、戦ってきた。
「屋山、明日島津にこの首を渡すつもりだ。」
 高橋紹運は丸裸となった三の丸を後にして、寂しく本丸へ戻っていった。
 
 7月26日、一夜経った朝から小雨が続いている。島津軍は紹運の予想に反し、中の丸の被害の多さに再度矢止めを申し入れてきた。亡くなった者達の遺骸を集めると共に、大きな被害を受けた軍の再編をした。
 この小雨の中、戦を仕掛けることも出来たが、総大将島津忠長は大事を取って、翌日一気に岩屋城を落とす考えである。
 高橋紹運にとって思いがけぬ矢止めであった。
“中の丸の仕掛けが効いたか。・・・、我ながら酷い仕掛けであった。”
 1日生き延びた岩屋城の兵たちは眠りを貪った。自分の周りから消えた仲間は全員死を迎えている。明日は間違いなく、全員が死ぬが、恐怖心は全く無かった。
 最期を迎える為、己の全てを出し切って死にたい。その為にも体をしっかり休めておきたいと思っている。寝そべる兵たちの間を炊き出しの女が握り飯と明日の腰兵糧を置いていく。夜は静かに過ぎていった。

 7月27日朝、島津軍は秋月軍と龍造寺軍を前面に押し出し、岩屋城三の丸へ勇んで登っていく。今日の戦は力攻めのみ、今日こそは圧倒的な兵力の差で岩屋城を抜かねばならない。西砦、西岩屋砦、百貫岩の砦から三の丸への急坂は、中の丸の残骸が散らばっている。その残骸を越え、まもなく三の丸というところで一斉に鉄砲と弓矢の斉射を浴びたが、弾除けの竹束をかざし、一気に三の丸へと辿りついた。
 三の丸へと繋がる通路の門や壁に無数の兵がとりついている。城兵は弓狭間と鉄砲狭間から槍を突きだし、よじ登る兵を突き落とし、屋根に上がった兵の足元を狙って、槍を払う。
 城兵の奮戦も空しく、多くの兵が城壁を越え、三の丸の城兵に襲い掛かっていく。
「下がれ。すぐ参れ。」
 三の丸守将吉田右京が叫ぶと城兵は二の丸への狭い通路にどんどん下がった。吉田右京はこの狭い通路で怯むことなく槍を構えた。迫ってくる正面の敵を槍で突き倒し、通路から次々と島津兵を叩き落とす。
 吉田右京は通路の両側に立つ高櫓の城兵に淡々と指図する。
「右手討て、左、鉄砲めがけて討て、右構えよ。」
 この様子を見ながら、二の丸の守将屋山中務は、紹運の奥方である宗雲尼に城中に残っていた女たちの脱出を託した。
「宗雲尼様、城をお降りください。どうぞ、この者たちを皆、島津軍の快心和尚のところまで・・・。」
「しかし、屋山殿の奥方と太郎がおりませぬ。」
「もう、仕方ありません。それよりも早く、早く降りてください。もう、この時を逃せば、女どもは皆島津軍に襲われます。さあ、早く・・・。」
 後ろ髪引かれる思いで、宗雲尼は女どもを連れて、二の丸と三の丸を結ぶ通路にやってきた。 通路を守るのは相手の返り血で血まみれとなった吉田右京である。宗雲尼に気づいた吉田右京は島津軍へ向かって大声で叫んだ。
「快心和尚、快心和尚への客人だ。丁重に頼む。」
 一瞬で戦は止まった。
 血だらけの吉田右京は笑みを浮かべ、宗雲尼を手招きした。宗雲尼と女どもは通路を走り、吉田右京の横をすり抜け、殺気立った島津兵の中に飲み込まれていった。これで城内に残った者には死しかなくなった。吉田右京が咆哮し、再び通路での殺し合いが始まった。変幻自在な吉田右京の槍技に突き伏せられた島津兵は数知れない。
 弓と鉄砲で吉田右京を狙っても、甲冑で弾かれてしまう。業を煮やした島津軍は鉄砲で一斉に甲冑の隙間を狙った。
 脛や足首を狙った弾が見事命中し、吉田右京は崩れ落ちるように倒れ込んだ。腕に覚えがある兵が吉田右京へ近寄ると、何度も脇差で脇腹を刺した。 その敵兵の首を高櫓から放たれた弓が貫通する。
 今度は島津軍鉄砲隊が高櫓にいる敵兵を一人ずつ撃ち殺していく。やがて、島津軍を苦しめた二の丸への通路は沈黙した。
 
 残るは二の丸と本丸である。
 二の丸には守将屋山中務ら百名が待ち構えている。皆が通路から二の丸に入る小さな木戸に島津軍が現れるのを凝視している。皆が身構える後ろの木戸が突然開き、屋山の妻と太郎が現れた。
 屋山ももう何も言わない。もはや、死があるのみである。すると小さな木戸がゆっくりと開き、鉄砲除けの竹束が出てきた。島津軍の兵が竹束から二の丸を窺うと全員が抜刀、もしくは槍をしごく城兵の姿が見えた。屋山は守備兵全員が得意の得物で島津勢と戦うように命じている。二の丸の床は大穴がいくつも空き、床には多くの刀と槍が突き刺さっている。何度でも刀と槍を取り換えて戦い、倒れた者は蹴飛ばして大穴に落とし、足場を確保する備えである。屋山が島津軍に向って叫んだ。
「さあ、かかるがよい。皆の者、死ね!」
 叫ぶ尾山に城兵皆が吠えた。
「おう!」
 皆、腕に覚えがある城兵である。特に屋山の剣術は抜きん出ている。相手の剣を巧みに躱しながら、さっと軽く剣を下ろすと相手の親指や手首から血が吹きだし、相手の刀が手から離れていく。その刹那、一瞬で体を寄せ、体を当て、相手は大穴の中に落としていく。
 圧倒的な剣術と体術の為せる業である。余力を残しながら闘い、多くの兵を道連れにするつもりでいる。屋山の奮戦で勢いづいた城兵に、多くの島津兵が討ち取られていった。
 
 徐々に島津軍の中でも特に腕に覚えがある兵が続々二の丸に集まってきた。新手がどんどん湧いてくる島津軍にだんだん城兵が押されている。一人の城兵を二人の島津兵が囲んで、挟み撃ちにしていく。
 難敵の屋山中務は5人に囲まれている。屋山の前後にいる兵が槍をしごき、屋山の首めがけて突いたのが合図となって、左右から近づいた2人の兵が袈裟切りした。するとその片方の刃が屋山中務の脳天に食い込み、血が飛び散った。
 崩れ落ちる父の姿を見て、太郎は母の握る袂を振り切って剣を取り、父を倒した2人の兵に向った。
「父上の仇。えい、やあ。」
 思わぬ少年兵の出現に驚いて後ずさる2人の兵を追って、太郎は1人の眉間ともう1人の腹を斬り割いた。そのまま太郎は父に向って槍を突いた兵に刀を振り上げたところで、後ろから袈裟斬りに斬られ、そのままうつぶせに倒れると動かなくなってしまった。
 2人の最期を見届けた屋山の妻は脇差で自らの首を掻き切ろうとした時、近づいてきた島津兵に脇差を奪われ、人質になってしまった。 呆然とする屋山の妻の手元には、自らの手を振り払った時に破れた太郎の服の袂だけが残されていた。

 二の丸が破られた時刻は申の刻(午後4時)、本丸に残る百名余りは岩屋城城主の高橋紹運と共に散るつもりでいる。本丸を何重にも囲む島津軍は2千余りとなっている。もはや落城間近であろうと島津軍の誰もが思っていたところに、高橋紹運指揮する30名の弓組、30名の鉄砲隊、40名の槍隊が突如本丸の門から飛び出してきた。
 予想だにしなかった力攻めである。
 紹運は一気に無理押しで再び島津軍を恐慌に陥れた。島津軍の一角を崩して、敗走させた後、高橋紹運は大声で差配し、本丸へ悠々と戻っていった。
 高橋紹運は最後に島津軍に凄まじい爪痕を残していったのだ。そして、高橋紹運は味方の城兵に告げた。
「さすがは皆岩屋城の兵、天晴であった。あともう少し、時を稼いでくれ。私は腹を斬る。頼んだぞ。」
 皆涙ぐんで、本丸の階段を上がる高橋紹運を見送った。後は己の得意な得物で戦い、死ぬばかりである。本丸を囲む島津軍は最後の手柄を立てようと本丸の門を越え、本丸に近づいてくると、激しい弓と鉄砲の応酬があった。
 入り口には槍を構えた兵が待ち構えている。皆、高橋紹運が自害するまでの時を稼ぐつもりである。

 本丸の天守閣に高橋紹運は立った。無数の島津兵がこの本丸を囲んでいるのが見える。視線を向かいの天拝山に向けると沈みゆく太陽が真っ赤に燃えている。眼下にある大宰府も真っ赤な光を浴びている。
 見慣れたこの風景も命を懸けて守ってきた領土も、そしてこの岩屋城もまもなく島津軍のものとなる。紹運は高橋家の行く末全てを長男立花統虎に託している。近い将来、立花統虎がこの城を奪ってくれると信じている。
「中島、墨と大筆を頼む。」
 紹運は近習の中島左間介に墨と筆を頼み、正座をして句を練った。本丸入り口の激戦の音は一切耳に入ってこず、自然と句が浮かんできた。用意された大筆に墨をつけ、一気に襖に一句書き上げた。
 “屍を 岩屋の苔に埋めてぞ 雲井の空に 名をとどむべき”
 更にもう一句浮かび、別の襖に筆を動かした。
 “流れての 末の世遠く埋れぬ 名をや岩屋の苔の下水”
「中島、頼む。」
 紹運は最後の儀式に臨んだ。既に甲冑は脱ぎ去り、裃に着替えている。裃の腹を拡げると、四方に載せた短刀を手に取り、鞘を取り、両手で短刀を持った。清廉とした気が満ちている。紹運はそのまま両手で刀を腹に差し込んだ。
そのまま短刀を横に動かしていくと体の中の贓物を断ち切られ、血がどっと流れだす。そして、紹運は後ろで剣を振り上げて待つ中島左間介のために少しだけ首を前に出した。
「はっ。」
 一瞬で高橋紹運の首は落ちた。中島左間介は落ちた紹運の首をすぐ四方へ載せ、残った胴体の横に置いた。全て紹運の差配通りである。
 自害の後、中島左間介はこの天守閣に火を点けぬよう、高橋紹運に言い含められている。
「中島、私の首で戦が終わる。その大事な証を島津に渡してやるがよい。」

 中島左間介は紹運の遺骸を残し、階段を下りていく。
「紹運様、御自害。紹運様、御自害。」
 城兵たちが待っていた言葉である。
“よし、御供する。”
 城兵たちは最後に雄たけびを上げ、島津軍に斬り込みする者、味方同士で首を斬り合う者それぞれであった。皆の死を見届けた中島左間介は再び天守閣に戻り、自らの腹に脇差を突き差し、命を絶った。

 凄まじい戦であった。
 たった763名の岩屋城の兵が14日間、5万もの島津軍を食い止めた。763名全員が島津軍と戦い、討ち死にした。しかも、岩屋城の4倍にもなる3千もの命を奪い、約2千に傷を負わせた。島津軍総大将島津忠長と大将伊集院忠棟にとっての誤算は、長くても3・4日と思っていた戦が14日間も掛かってしまったことである。
 辛い戦の終わりは敵将高橋紹運の首実検である。般若寺に戻った島津忠長と大将伊集院忠棟の下に、死化粧を施された紹運の首が運ばれてきた。勝ち軍の総大将としての首実検の作法を無視し、首台の前で島津忠長は頭を垂れた。
「紹運殿、敵の将にここまで感服したことはございません。寡兵で見事な采配でございました。私はあなたの足元にも及ばぬ愚将でございます。私は多くの兵の死で城を獲ったに過ぎませぬ。」
 この長い戦の中で、己の将としての器が如何に足らぬものなのかを思い知らされた。また、敵将である紹運に対し、尊崇の念すら感じている。敵味方と別れたが同じ武将として、最後の潔い死に方も見事であった。島津忠長は快心和尚に首を預け、懇ろに弔わせると共に、この岩屋城で亡くなった敵味方の勇士の鎮魂の法要を行った。
 
 そして、島津忠長は黄金欲しさに岩屋城の水の手の場所を洩らした杉戸村の百姓を本陣に呼び出した。
「お主か、水の手の場所を教えた百姓は?」
 その百姓は落城の御礼がもらえると頬が緩んでいる。
「はい。」
 島津忠長は蔑んだ声で冷たく言い放った。
「紹運殿はお主ら百姓を十二分に可愛がっていたはずである。その恩義に対し、黄金で水の手を教えるとは何たる嫌らしい男であろうか?紹運殿に申し訳ない故、首を出せ。」
 その百姓はそのまま首を斬られてしまった。

 その日の夜、岩屋城近くで合戦を見守っていた十時摂津は立花城へ向かって走っている。島津軍に出入りする物売りなどから仕入れた情報を立花城へ報せる為である。十時摂津の報せに由布雪下や小野和泉はうなだれて冥福を祈ったが、立花統虎は表情を変えることなく、十時摂津に問うた。
「摂津、島津軍は次にどこへ向うか分ったか?」
「宝満城へ向かうとお触れを出しております。それから、宗雲尼様が島津軍に捕まりました。」
 宗雲尼は紹運の正室であり、統虎と宝満城城主高橋直次の母である。
「詮無いことである・・・覚悟はしておるはずだ。直次に報せねばなるまい。」
 統虎はすぐに宝満城の直次宛てに手紙を書き、十時摂津に託した。また統虎は、高橋紹運が秀吉様への忠孝を尽くし、岩屋城763名全員と共に討ち死にしたという手紙を大阪城にいる秀吉宛に送った。
 これで秀吉は九州に攻め入る大義名分を手に入れた。城兵全員が討ち死にした忠義に、秀吉もすぐに動かなければ、信義を失ってしまう。秀吉は手紙を受け取ると、忠義を示してくれた高橋紹運の死を悼み、すぐに九州へ先発軍を出すお触れを出した。
 毛利輝元・小早川隆景・吉川元春の軍を先発軍として九州へ送る。偵察で送り込んでいた黒田官兵衛の他に、羽柴秀長・羽柴秀次らも送ることとした。黒田官兵衛と安国寺恵瓊には九州征伐にあたり、博多の豪商今井宗室と神屋宗湛を通じ、軍事物資補給路の確保と連絡網の整備を急がせた。
 そして、手紙を送ってきた立花統虎に対しては、まもなく筑前筑後に向け、先発軍が出陣することを誓った。秀吉自身も徳川家康の上洛が済めば、直ちに九州討伐へ駆け付けるつもりである。

 高橋紹運が願った秀吉軍出陣は成ったが、宝満城に秀吉軍出陣の報せは届かなかった。
 この宝満城は岩屋城から歩いて半里、大宰府すぐ北西に位置する宝満山山頂近くの山城である。もともとこの宝満山は行者が開いた修行の霊山で、東西は険しい谷の岩場となっている。その大岩の合間は急勾配の山道で、岩屋城よりも険しい山城として知られている。島津忠長と伊集院忠棟は岩屋城で疲弊した軍を使い、この宝満城を力攻めする気は既に無い。
 何とか調略で宝満城を落したいと願っている。この宝満城は高橋紹運の次男高橋直次と“押しかけ婚”をした筑紫家が一緒に支えてきた城である。
 だが、筑紫家の棟梁筑紫広門は既に島津家に降伏し、筑後大善寺に幽閉されている。城内の半分を占める筑紫勢には島津家からの調略の手が伸びてきている。岩屋城の合戦の途中から、籠城しかないと考える高橋直次とその家臣に対して、筑紫家は毎日開城を迫ってきていたのだ。
 そんな時、十時摂津が忍んで、宝満城天守閣に突然現れたのだ。島津軍の監視の目をくぐり、道なき山道を登ってきた十時摂津の顔と腕には玉のような汗と擦り?いた傷が無数にある。
「摂津殿、かたじけない。よくぞ参った。」
 高橋直次は十時摂津を心から労った。宝満城天守閣からは、眼下にある大宰府周りに4万5千の島津軍の幟と篝火が無数に拡がっているのが見える。この中を見つからぬよう宝満城に忍び込むのは相当に厳しかったはずである。おそらくは宝満山裏手の険しい山を2つは越えてきたのであろう。
「いえ、直次様の御心労お察しいたします。」
 ここ宝満城からは岩屋城を臨むことが出来る。援軍を出したい気持ちばかりであっただろうが、この城には岩屋城で散った763名の家族が避難している。若き城主に十時摂津が気遣うと、直次は気丈に返した。
「父の奮戦をここから眺めることしか出来なかった。見よ・・。」
 天守閣の障子を開けると正面に岩屋城本丸が見えている。その本丸・二の丸には占拠した島津軍の丸に十の字の幟が多数掲げられている。直次は毎日心削られる思いで岩屋城の激戦を眺めていたはずである。お互い何の言葉も発せられないまま、暫く本丸を見つめた。そして、十時摂津は手紙を差し出した。
「どうぞ、殿からの手紙でございます。」
 直次は久々に心服する兄立花統虎の文字を目にした。
“直次
 母が島津家に囚われたが、惑わされぬように。母も覚悟はしておる。宝満城城主として、己が思うがまま振る舞うがよい。籠城するばかりが最善とは限らぬ。“
 この手紙を見て、高橋直次の肩の荷は下りた。今までは父高橋紹運の籠城に倣い、自分も最後まで籠城して死ぬつもりであった。だが、城内には岩屋城から避難してきた多くの婦女子がいる。
 この婦女子の旦那のほとんどは岩屋城で討ち死にした。鎮魂の志士たちはこの宝満城に妻や子供を預けることで一片の悔いも無く、命を燃やしたのだ。その思いは絶対に裏切れない。
「摂津殿、この城は島津家に渡すこととする。」
「はい、殿にお知らせします。」
「いずれ、筑紫勢が寝返るのは必定、そうなれば、岩屋城で亡くなった者達の家族が危うくなる。それだけは避けねばならぬ。」
 こうして宝満城の開城が決まった。高橋直次は筑紫家を通じ、和議を進めた。
“宝満城の兵とそれ以外の者たちを助命すること。岩屋城の人質を全員解放する事。”
 岩屋城の人質は、母の宗雲尼である。筑紫家を通じ、和議の条件を聞いた島津忠長と伊集院忠棟はほくそ笑んだ。
「忠棟、あの鬼神のような紹運の息子であるから、最後まで戦うかと思っておった。」
「はい。ところで島津様、高橋直次は和議で嵌めようと思います。宜しいですか。」
 島津忠長は高橋紹運の次男直次を最初から軽んじている。
「うむ、忠棟に任せる。あとは紹運のもう一人の息子の城であるな。」
「はい、うまく高橋直次を使い、残る立花城との交渉に使おうと思っております。」
 伊集院忠棟は和議の条件に従い、開城後に高橋直次夫妻と囚えた宗雲尼を立花城まで送り届けると返した。直次が望んだ答えであったが、返事を引き延ばした後に開城を約束した。

 8月6日、薄いうろこ雲が空いっぱいに拡がっている。高橋直次は大宰府周りに陣取る島津軍の大軍を見下ろしながら、父紹運への思いで胸がいっぱいになっている。
“父上、宝満城をひとときのみ島津軍に渡します。兄者とともに敵討ちいたします。”
 この宝満城を島津軍に引き渡すことで、城兵と岩屋城から逃れてきた婦女子たちが確実に救われる。高橋直次夫妻が宝満城の長く険しい坂を下っていくと、多くの見送りが連なっていた。
“殿様、どうかまたお戻りになってください。”
 高橋直次は気丈に振る舞ったが、改めて城を敵に渡す無念を噛みしめている。岩屋城の落城後、9日をかけた談合で島津軍を足止めしたことだけが戦功である。直次とかね姫夫妻の一行20名余りが宝満城の大手門をくぐると、島津軍200名が待ちかまえていた。
「拙者、島津軍大将伊集院忠棟の近習でごわす。どうぞ、・・」
 薩摩言葉で出迎えた無愛想な兵に囲まれ、直次一行は宝満城から西の大宰府に向って歩き始めた。そして、島津軍の兵が立花城とは反対方向の南へと曲がったところで、高橋直次はおかしいと気づいた。
「お主ら、どこへ向かう。立花城とは反対の方向であるぞ。」
 先ほど挨拶をした兵が近づいてきた。
「天拝山でごわす。母君がお待ちかねでごわす。」
 薩摩兵は有無を言わせぬ態度で直次夫妻を取り囲んだ。
「お主ら、約束が違うでないか。」
「島津軍の戦の掟は、弓矢の前の空誓紙でごわす。」
 島津兵は開き直って約束を破ったことを認め、天拝山麓にある帆足弾正の屋敷を目指して歩き始めたのだ。直次は騙された悔しさで薩摩兵を睨み続けている。キジが一行の上を横切ろうとした時、直次の近習今村五郎兵衛は大太刀を抜き、一閃、そのキジを真っ二つに斬り下げた。
 薩摩の兵は眼にも止まらぬ剣技に驚き、その後丁重に直次一行を遇するようになった。そして、帆足弾正の屋敷に到着した直次は囚えられていた宗雲尼と再会を果たした。だが、これより後は島津軍に軟禁されることとなった。

 島津軍は立花城への進軍を開始した。島津忠長が先陣に命じたのは以前筑後で勢力を誇った星野兄弟である。以前、大友家に奪われた旧領を回復しようと島津軍に加勢している。
 立花城から約2里南に位置する高鳥居城は、秋月氏が以前治めていた山城であるが、立花家の台頭で廃城となり、今は放置されている。その高鳥居城に星野兄弟は陣取ると、島津忠長の下命に従い、立花家との談判に向かった。
星野兄弟は肝も太く、膂力も強い。勇んで立花城へ乗り込んでいった。
「頼もう。島津軍の使者であるぞ。」
 星野兄弟は立花山麓の城門に到着すると、立花城全てに聞こえるように言い放った。暫くして、城門が開くとそこには勇将として名高い由布雪下・小野和泉が待ち構えていたが、星野兄弟はこの2人に何ら気後れすることなく、堂々と城門をくぐった。
 城内の武者たち全員が、由布雪下・小野和泉の後を付いて行くこの大柄な2人の使者を厳しい眼で睨めつけている。

“兄者、こやつらの士気は高いですな。”
“そうだな、それに幾重にも重なる曲輪と逆茂木、この城は手強い。” 
 由布雪下は城門内を見回して歩く2人の使者を苦々しく思った。
「さあ、こちらで立花家棟梁がお持ちになっております。」
 由布雪下は、麓の館へ案内した。

 大広間で待つ吉田兄弟の前に、立花家棟梁の統虎が現れ、統虎の横には由布雪下・小野和泉が控えた。
「話を聞こう。」
「岩屋城を落とし、宝満城は開城いたしました。筑前で残る大友勢はもはやこの城のみでございます。もう、秀吉様と大友家への忠節は充分に示したはずでございましょう。我が軍は立花城と戦をするつもりはございませぬ。どうか、我らにこの立花城をお預けください。代りに秋月氏の荒平城をお渡しいたしましょう。如何でございましょう?」
 吉田兄弟の節操の無い申し出に由布雪下は手が震えている。興奮する由布雪下を制するように一瞥して、統虎が応えた。
「吉田殿、まずは聞いて欲しい。私は大友家ではなく、秀吉様の直参となっておる。我らが義理立てせねばならぬのは秀吉様である。それはご理解頂けるかな。」
「立花様、おっしゃることはよく分りました。ですが、・・・・既にご存知かと思いますが、高橋直次様とかね姫様、宗雲尼様を当方でお預かりしております。」
 吉田兄弟の挑発にも立花統虎は表情を変えない。
「高橋家のことはもはや詮無きこと。我らとは無縁でございます。如何様にでも・・・。」
 淡々と話す姿に小野和泉と由布雪下は立花統虎の心奥底に秘めた決意を嗅ぎ取った。2人は吉田兄弟の対応を若き棟梁に全て任せた。
「そうでございますか・・・それでは人質は我らの好きなように致しましょう。して、この城の開城のご返答は如何でございますか?」
 あくまで尊大な態度に立花統虎は少し困惑した表情で答えてみせた。
「吉田殿、少しお待ち頂きたい。この城の開城について私の立場では答えられぬ。秀吉様に聞かねばならぬ道理はお分かり頂きたい。すぐ使者を送り、何とか開城を申し出てみる故、2・3日お待ち下され。」
 島津家の申し出に誠実な領主を演じきった高橋統虎は3日後に再びこの城を訪れるよう星野兄弟にお願いした。

 吉田兄弟はこの立花統虎との談判をすぐに島津忠長と伊集院忠棟に知らせた。島津軍は岩屋城よりも堅牢な立花城を無理攻めして、これ以上疲弊することは望んでいない。また秀吉の軍が今どこにいるかも掴んでいない。
 岩屋城の壮絶な抵抗を思えば、立花城を落城させる為にはどれぐらい日がかかるか見当もつかない。総大将の島津忠長は吉田兄弟の進める和議に期待をかけた。

 その頃、立花城では立花統虎、由布雪下、小野和泉による軍議が行われている。
「殿、よく我慢なされました。雪下殿は今にも立ち上がりそうな勢いでございました。」
「うむ、威勢の良い2人を騙さねばならぬ。どんな事を云われようとも時を稼ぐことが肝要である。岩屋城・宝満城の無念を晴らす為には秀吉様の軍を待たねばならぬ。」
「その覚悟が分った故、私も我慢いたしました。それで、私にも策があります。入れ。」
 由布雪下に促され、障子を開けて入ってきたのは、重臣の内田鎮家である。この内田鎮家は立花道雪から信頼されてきた軍師であり、その軍功の多さで世に名を知られている。
「内田殿、策を教えてくれぬか。」
「殿、その前に・・・、3日後吉田兄弟にはどう話をされるおつもりですか。」
「時間稼ぎであるから、秀吉様に使いなど出しておらぬ。そのまま、開戦を告げるつもりであった。」
「何もせずでございますか?はっはっはっ・・。」
 由布雪下が痛快に笑い飛ばすと、釣られて小野和泉も内田鎮家も笑った。
「殿、嘘で3日も稼いだのは良き思案でございます。更に私の嘘でもう3日稼ごうと思っております。3日後の吉田兄弟との談判で開戦を告げるのと同時に場内では籠城派と開城派がいたとお伝えください。私は談判の後にすぐ吉田兄弟を追いかけ、島津軍に留まります。私が島津軍にいる間は開城派が殿を説得するということにします。3日は持たせてみせましょう。」
「内田殿、それでは内田殿は・・・。」
 内田鎮家は立花統虎を遮るように喋りはじめた。
「殿、こればかりは私が考えた思案でお願いいたします。私一人で島津軍4万5千を足止め出来るやもしれません。1日でも大きなことでございます。もし命を失うとも、胸を張って道雪様と高橋紹運様に会うことが出来ます。何卒・・・・。」
 平伏して願う内田鎮家に、感極まった由布雪下も一緒に平伏し、統虎にお願いした。
「内田殿、・・・立花城の為、何卒よろしくお願いします。」
 内田の策が採られることと決まった。

 立花城では間もなく始まる戦に向けて、早朝から激しい稽古が続いている。鉄砲隊の試し打ちの音が毎朝立花山に響いている。立花統虎は自らの弓と剣の稽古を終えると毎日城兵たちの稽古の様子を見て回っているが、初めて誾千代姫の指揮する女衆の稽古へ向かった。
 稽古場の外にも女衆の声が響いている。統虎が稽古場に入ると数十人の女衆が弓を振るっていた。誾千代姫はすぐに統虎の姿に気づき、皆をまとめた。
「殿のお越しであるぞ。」
 日頃の訓練の賜物ですぐに整列する姿に統虎は目を細めた。
「これよりも一層の精進期待しておる。頼むぞ。」
 思わぬ言葉に女衆一同、喜色を上げて喜んだ。面目を施した誾千代姫は稽古場を去ろうとする統虎に近づいた。
「殿、ありがとうございます。」
「いや、本当に感心した。何かの折には頼むこととしよう。」
 統虎は、合戦は全て男衆のみで戦うつもりである。誾千代の骨折りにお世辞を言ったが、そんな気持ちに気づかず、誾千代姫は更に言葉を重ねた。
「私たちも紹運様の仇をとりたいと思っております。何時でも出陣を命じてください。」
 誾千代姫は妻として統虎に尽くしたい、立花城を守る手伝いをしたいと激しい焦燥に駆られている。真剣に願う誾千代姫の言葉を黙殺し、統虎はゆっくりと諭した。
「誾千代、戦は勝たねばならぬ。戦うばかりが戦ではない。色々思うことがあるであろうが・・・・。」
 統虎は誾千代の思いは理解しながらも、ずれた考えには正直心を塞いだ。誾千代姫も自分の気持ちが全て空回りしたことに気づき、稽古場を去っていく統虎に何も言いだせなかった。

 吉田兄弟は快心和尚と共に立花城へ向かっている。あいにくの大雨で立花山麓の城門までぬかるんで難儀な山道である。
 山道の途中には吉田兄弟が前回訪れた時には無かった逆茂木が並べられている。快心和尚はこの逆茂木を横目に見ながら、和議を何とかまとめる思案を練っている。3人は城門を通されるとそのまま麓の館へ案内された。
 大広間でまた立花統虎・由布雪下・小野和泉と対面した。
「島津軍総大将島津忠長代理の快心でございます。」
 黒袈裟を着た快心を見据え、立花統虎が話し始めた。
「約束の3日である。吉田殿であったな。この前は開城の話を秀吉様にお伝えすると話をした。だが城内にいる開城派と籠城派が話をして、そもそもの島津家の申し出をお断りすることにした。秀吉様には早く島津家を討ってもらうよう申し出たら、まもなく九州へ先発の軍勢が到着するとの事であった。」
 吉田兄弟は統虎の話を聞きながら、みるみる顔が真っ赤になっていった。
「立花様、よくも我らを謀りましたな。」
 激昂する吉田兄弟を抑え、快心和尚が話を始めた。
「立花様、前の談判ではこの立花城を開城して頂ければ、代りに荒平城をお渡しするお話を致しました。今回は合わせて、高橋直次様とかね姫様、宗雲尼様を立花様へお返しする約束をいたします。その他に何かお望みがございましたら、何でもおっしゃって下さい。何とか、もう一度開城の話を聞いて頂くわけには参らぬでしょうか?」
 弁舌柔らかな言葉に対し、統虎は毅然と快心和尚へ言い放った。
「快心和尚、島津軍大将島津忠長の代理であるあなたに問いたい。私の弟でもある高橋直次はそもそもどういう約束で宝満城を開城したかご存知であろう。開城する代りに兵の命を助け、高橋直次と妻、そして宗雲尼をこの立花城へ連れてくる約束ではなかったのか。それに宗雲尼の身柄を託した高橋紹運と屋山中務の思いを踏みにじり、人質にしたのは快心和尚、お主ではないか?」
 快心の臓腑をえぐる言葉であった。快心和尚は統虎の父高橋紹運にも談判でやり込められている。奇しくも親子2人に屈服させられた。続いて、統虎は話の矛先を吉田兄弟へと向けた。
「吉田殿、信義のない島津軍と組んで、我らに挑むがよい。我が味方であった岩屋城は全員が討ち死にし、宝満城は島津軍に騙され奪われた。我らはその無念の為に最期まで戦い尽くすつもりである。これで談判は終いだ。後は戦場で相まみえようぞ。」
 大見得を切って去ろうとする高橋統虎に吉田兄弟が噛み付いた。
「立花様、その言葉頂きましたぞ。我らは島津軍に合力しますが、島津軍がどうであろうと我が吉田家の敵は立花家、必ずや弓矢を馳走いたしましょう。」
 統虎は振り向いて、吉田兄弟の眼を不敵に睨みつけた。
「客人の御帰りだ。内田、安全なところまで案内せよ。」
 去っていった立花統虎・由布雪下・小野和泉に代り、部屋に入ってきたのが立花家老臣の内田鎮家である。
「さあ、城内は気色だっております。私といれば大丈夫でございます故、お立ちになってください。」
 大雨が降りつける中、物腰柔らかで恰幅の良い内田鎮家が島津軍の使者3人を先導していく。途中、槍をしごいて挑発するような兵もいたが、内田鎮家の顔を見てばつが悪そうに退いていった。城門から外に出た3人に挨拶した内田鎮家は快心和尚にそっと手紙を渡すと、城門へ戻っていった。
 快心和尚は談判の不調に意気消沈していたが、手紙を開いて救われた表情を浮かべた。
“まだ、和議の芽がある。”
 島津軍は立花城から約1里南の香椎まで進軍している。快心和尚は香椎の本陣にいる島津忠長と伊集院忠棟の下に戻っていった。
「快心、どうであった。」
「談判を断り、立花統虎は戦をすると宣言いたしました。」
「そうかならば、明日より戦であるな。早く立花城を落さねば、秀吉の軍が九州へ入ってくる。」
「ところで、島津様、内田鎮家殿はご存知でございますか。」
「道雪が信頼した宿将ではないか。内田がどうしたのだ。」
「内田殿の話ですと籠城派より開城派の方が多いとのこと、高名な小野和泉殿も実は開城派とのこと、・・・明日立花城を抜け出し、内田殿がこちらへ参ります。」
「本当であるか。ならば、明日待つこととしよう。」

 8月21日翌朝、立花山麓の城門では立花統虎・由布雪下・小野和泉が並んでいる。まもなく出発する内田鎮家を見送る為であるが、内田は全く知らなかった。
「殿、由布様、小野様、こんな朝早くから・・・。まだ、朝交代の兵も起きておらぬのに・・。」
 思わぬ見送りに裃姿の内田は馬を降り、頭を下げた。
「内田殿の渾身一擲の合戦である。我らが見送らずして誰が見送るのだ。」
 笑顔を見せる統虎の手を握り、内田は膝を落した。
「身に余る光栄でございます。必ずや、成功させます。」
「うむ、内田殿、お主の仇は必ず取る。」
 由布雪下も内田の手を取った。
「小野様、小野様は私と同じく殿を裏切る開城派となっております。」
「内田殿、酷いではないか。私の武名が下がるであろう。」
 小野和泉も笑いながら、内田の手を取った。4人の男の契りが終わると、内田は振り返ることなく、立花山南に広がる筑紫野に消えていった。

 早朝の霧が覆う中、香椎に現れたのは威風堂々、裃姿で馬に跨った内田鎮家である。快心和尚が出迎え、島津軍本陣へ向かう姿に秋月軍と龍造寺軍の多くの兵が気付いた。
“あれは立花城の軍師内田殿であるぞ。何故、ここに・・・。”
“裃姿である故、談判であろう。”
 4万5千の大軍の間を馬で進んでいると内田の気力も漲ってくる。
“よし、島津軍と私の合戦であるな。”
 内田はそのまま島津軍本陣で島津忠長と伊集院忠棟と面会を果たした。

 敵の総大将島津忠長、そして大将伊集院忠棟を目の前にしても、何ら気後れすることなく、堂々とした立ち居振る舞いで脇差と腰の一刀を目の前に差し出した。一切敵意は無いという意思表示である。
 同席する快心和尚が談判を始めた。
「内田殿、何故に島津軍に参られましたか。」
「昨日は我が棟梁立花統虎が合戦であると話を致しましたが、立花城は一枚岩ではございません。私と小野和泉が開城派です。私が今日人質になることで、小野和泉が由布雪下を説得しております。」
「もし説得できねば、如何するつもりだ。」
「由布雪下は小野和泉が唱えることに反目したことはございません。もし、開城しなければ、ここで私は自害いたします。」
 堂々とした内田の言い様に島津忠長は合点した。もう一人の大将伊集院忠棟は詰問した。
「内田殿、何日待てばよい。我々は急いでおる。」
「3日待って頂きたい。小野和泉とはもし3日の間で話が進まなければ、私は島津軍陣中にて自害すると約束しております。」
「そうであるか。小野和泉殿であれば和議は信用できるな。」
 仁義深い智将と名高い小野和泉の名前に皆が安堵した。
「して、秀吉軍はいかがしている。」
「まだ、九州征伐の軍は時間がかかるようでございます。」
 内田はまもなく到着する秀吉軍の情報は一切漏らさなった。

 談判が終わった後、内田の応対に感心した島津忠長は一緒に昼食の膳を供にした。その席での内田の一言が更に島津忠長を歓ばした。
「島津様、陣中ではございますが、一献頂けないでしょうか。」
「これは内田殿、陣中で人質でありながら、酒を所望されるとは・・・豪気な侠でありますな。はっはっ・・・。」
 すぐに人質となった内田にも酒が振る舞われ、翌日も内田は朝から夜まで酒を嗜み、立花城の使いを待っているように見せた。

 同じ日の午後、立花城裏手に黒田官兵衛の密使である新兵衛が到着した。立花城が待ち焦がれた秀吉軍先発の毛利軍3千が関門海峡を越え、門司城へ入ったという報せである。その他援軍も関門海峡を渡っているという報せもあった。2日後には、秀吉軍援軍がここ立花城へ到着する。
 立花統虎は改めて、父高橋紹運が奮闘した14日間の重さを感じている。激しく抵抗し島津軍を疲弊させたことから、島津軍は和議を望むようになって、時を稼ぐことが出来たのだ。
 
 これで、父の仇島津軍と一戦交えることが出来る。
 統虎は由布雪下・小野和泉とも相談をして、秀吉軍が関門海峡を越えたという話を博多の豪商島井宗室らに頼んで、博多市内に広めた。8月23日、朝から島津軍は慌ただしい。秀吉軍があと2日で到着という報せを聞いた島津忠長は、人質の内田鎮家を呼びだした。苛立ちを隠し切れない伊集院忠棟は内田に早速詰め寄った。
「己は島津家を愚弄したな。秀吉軍が海を越えて、立花城まで間もなくとの事であるぞ。」
 内田鎮家は威儀を正し、島津忠長と伊集院忠棟の方を向き、深々と辞儀をした。
「島津様、伊集院様、全ては私の謀り事、立花城は開城いたしませぬ。秀吉様の援軍が到着するまで、時を稼いでおりました。ただ、今日が最後の日と決めておりました。私はもう何も思い残すことはございませぬ。どうぞ、御自害をさせて頂ければと思います。」
 憤る伊集院忠棟を制し、島津忠家は語りかけた。
「お主に騙され、3日も過ぎてしまった。お主もそうだが、高橋紹運と家臣たち、皆凄まじき侠たちであるな。」
 島津忠長は仁義を重んじる男気溢れる勇将である。内田鎮家の命がけの策は見抜けなかったが、命を奪うつもりは無い。
「内田殿、この戦はお主の勝ちだ。今日はこのまま去るが良い。」
「よいのでしょうか。」
 激しく伊集院忠棟が島津忠長に詰め寄ったが、忠長は首を振った。
「ここを去るに当り、この島津軍にいたという証を頂ければ、一生の誉れと致します。何卒、お願いいたします。」
 平伏した内田鎮家に、島津忠長は丸に十の字紋が入った脇差を差し出した。
「これを持って去るがよい。明日は立花城を総攻めする故、これで斬り込んでくるがよい。」
 内田は恭しく脇差を受取ると、懐に入れてすぐ立ち上がった。
「島津様、伊集院様、本来は命を持って贖わねばならぬ大罪でございます。それを・・・。いつの日か、また・・・・。」
 頭を下げて、内田は本陣を出て、立花城へ歩き始めた。島津忠長は伊集院に話しかけた。
「全軍すぐに退陣の用意をさせるがよい。」
「島津様、たった今内田殿に立花城を攻めるとおっしゃったではございませぬか。」
「騙されっぱなしではな。ここで気張っても、所詮は敵地、秀吉の軍と戦うにはやはり我が領国が良い。明朝、博多を焼き討ちして薩摩へ戻ることとしよう。」
「はっ、それでは準備をさせます。」
 島津軍は夕刻から陣を少しずつ南へ下げていき、翌朝からの移動に備えた。

 内田鎮家は島津軍の陣地を抜けると懸命に立花城へ駆けている。
“早く、島津軍出陣を報せねばならない。”
 立花城麓の城門に辿りつくと内田は大声を張り上げた。
「内田鎮家でございます。」
 城門を開くと内田の使者の話を聞いていた多くの兵が飛び出してきた。
“やあ、生きておるぞ。”
“一人で4万5千を騙した男であるぞ。”
 喝さいを浴びた内田鎮家はすぐに立花城天守閣にいる統虎に復命した。
「内田殿、よく生きて帰ってきた。まずは一献。」
 統虎がすすめるお酒を飲み干すと内田はぐびっと一気に喉に流し込んだ。
「いやー、やはり自陣で飲む酒は美味い。敵陣で飲む酒は味が全くしなくて、全然酔えませんでした。」
 続けて由布雪下が注ぐ酒を飲み干す。
「内田殿、しかし良く帰ってこられたな。」
「総大将の島津忠長はなかなかの大将であった。器もでかい。嬉しかったのは高橋紹運様と岩屋城の皆を凄まじき侠たちと言ってくれたことでございます。それに・・・、これを頂きました。家宝にいたします。」
 島津忠長から拝領した脇差を見せながら、小野和泉の注いだ酒も飲みほした。
「小野様、島津は明日総攻めと言っておりました。」
「そうか、明日には援軍は着く故、城内に伝えて備えておく。今日はゆっくり休むがよい。」
 内田鎮家は任務を全うしたが、最後は島津に騙されたことに気づかなかった。

 8月24日早朝、1里先にあった島津軍の幟が無くなっているのを見回りの兵が見つけた。この報せを聞いた統虎はすぐ由布雪下と小野和泉を呼んだ。
「雪下殿、和泉殿、追っ手を出す。すぐに準備せよ。」
 既に甲冑姿となった統虎に、由布雪下が激しく詰め寄った。
「統虎様、敵は4万5千の大軍・・いくら背走しているとはいえ、我ら3千余りの軍勢で追うのは危険でございます。まもなく、秀吉軍が参ります。」
「雪下殿、今を逃しては島津を叩けぬ。まだ、ぎりぎり間に合う。一気に追いかけ、島津軍を叩き、岩屋城と宝満城を取り返す。立花家の意地を見せる。」
 ずっと仇討ちの心を封印してきた統虎であったが、もはや気持ちを遮るものは無い。立花家棟梁として、己の意地を貫くばかりである。小野和泉は統虎の溢れる想いに応えた。
「由布殿、私も殿のおっしゃる通り、出陣いたしましょう。秀吉様の軍を借りずに、立花家の意地を見せましょう。」
 由布雪下も了解し、すぐに追撃軍を編成し、立花城を飛び出した。高橋紹運と深い縁で繋がった薦野三河が先陣を駆けている。統虎を立花城誾千代姫の婿に薦めたのは薦野三河である。
 この戦で主君となった立花統虎の無念を晴らさんと必死に馬を走らせている。併走するのが十時摂津である。
 岩屋城の凄まじい戦を間近で見てきた十時摂津は、岩屋城の兵たちに負けぬ気魂で、多くの島津兵を倒すつもりである。統虎のお供として立花城へ参った世戸口十兵衛は、高橋紹運の顔を思い浮かべながら、必死に馬を操っている。
 岩屋城を早く統虎様の元へ返したい。そればかりである。

 立花軍は必死の追走で島津軍本陣があった香椎に到着した。この香椎には、約1300年前から祀られてきた香椎宮があるが、島津軍の乱暴狼藉で無残な姿となっている。この地方の農民・商人・武家たちが心の拠り所としてきた香椎宮が、本殿から回廊、多くの神木が既に焼かれ、略奪を受けていた。
 博多の空を見上げると、退却する島津軍が放火した黒煙が幾筋も立っている。立花軍は博多の街を荒らす島津軍の後を追った。
“追え!追え!絶対に逃すな。”
 島津軍の軍規は厳しく、略奪などほとんど無い軍であるが、長期の滞陣で軍規はすっかり緩んでいた。しかも今回遠征してきた島津軍には秋月軍や龍造寺軍など多くの兵が混ざっている。戦果を挙げられなかった鬱憤を晴らす為の放火と略奪であった。

 必死に追走する立花軍は博多の街でやっと島津軍に追いついた。島津軍殿軍の兵たちは突然現れた立花軍杏葉紋の幟を見て、愕然とした。
「立花の兵が追ってきたぞー。」
 身構えて応戦する者、略奪した財物を捨てて逃げ出す者様々であったが、多くの兵が次々と立花軍に討たれていった。島津軍は散々乱れて逃げ惑い、博多の街を抜け、筑後川を渡っていった。島津軍は兵たちを収容し追撃に備えたが、立花軍は統虎の命令で筑後川手前に軍を留めた。
“これよりは深追いになる。残りは吉田兄弟の残る高鳥居城、宝満城、そして岩屋城。全て取り戻す。まずは高鳥居城に向う。“
“おう。”
 立花軍は博多の街を離れ、東へ向かい夜の高鳥居城を攻めることとした。島津勢4万5千がこの筑紫平野を去っていった為、高鳥居城は完全に取り残されてしまっている。高鳥居城には、旧領の回復を願う星野兄弟とその家臣わずか300名余りが立て籠もっている。
 この城は星野兄弟が入城するまではほとんど放置された名ばかりの城である。城というよりは砦と言っても過言ではない。だが、誇り高い星野兄弟は降伏する気など全くない。
 去った島津軍に頼る気はもう無い。意地を貫きこのまま命燃え尽きるまで戦うつもりである。
 
 この死兵たちを気魂で上回ったのが立花軍である。岩屋城763名の犠牲で、今の自分たちがいる。早く高鳥居城を落とし、この手で岩屋城、宝満城を取り戻さねばならぬという気魂に満ちている。立花軍の接近に気づかぬ高鳥居城には、闇を照らす篝火が焚かれている。その篝火に向けて、弓矢と鉄砲が斉射され、立花軍の鬨の声が上がった。
“うぉー。”
 星野勢は大手門に殺到する立花軍に怯まず、鉄砲を放ち、石礫を投げ必死に防いでいる。立花軍を指揮する薦野三河と十時摂津は巧みに兵を動かし、棟梁の立花統虎も体を晒し、自軍を鼓舞し続けている。
 その統虎の姿を見つけた星野兄弟は鉄砲で統虎を狙わせた。足軽の放った一弾は統虎の兜の金物に当り、大きな音を立て金物が吹き飛んでいった。世戸口十兵衛がすぐに統虎の前に体を晒し、足軽に弓を放った。すると統虎は世戸口十兵衛に向けて叫んだ。
「命惜しんで、立っておるのではない。勝つために皆の前に体を晒しておるのだ。私は絶対に倒れぬ。行け、十兵衛も行け!行って、この城を獲れ!」
 激烈な言葉に十兵衛は乱戦となり始めた大手門の戦に飛び込んでいった。星野兄弟とその家臣たちは圧倒的な立花軍の攻撃にも前のめりになって戦い、屍になっていく。迂回路から侵入した別働隊が高鳥居城に入り込んで、星野勢を挟撃していく。城の周りの闇が更に深くなっている。星野勢を指揮していた星野兄弟もいつの間にやら討たれてしまった。
 残った城兵たちは誰一人逃げることなく戦い、丑の刻高鳥居城は落城した。岩屋城の高橋紹運らと同じように意地を貫き通し、全滅であった。
 
 この高鳥居城落城後、吉田兄弟を討ったのは誰かを調べると、薦野三河か十時摂津いずれかであることが分った。統虎は2人にどちらが倒したかを聞くと2人共譲って相手の手柄を主張した。軍功の奪い合いはあっても、譲り合いなど無かったこの時代では稀有な事であった。
 
 8月25日朝、仮眠をとった立花軍は島津軍に代わって秋月軍が占拠する2里先の岩屋城と宝満城へ向かった。秋月軍の守将桑野新右衛門が4百の兵で岩屋城に籠もっているが、見回りの兵を出していない。統虎は岩屋城正面の四天王寺山の麓に布陣した。
“父上、まもなく城を取り返します。”
 父高橋紹運が岩屋城で戦っている間、立花統虎の心は毎日削られていった。だが、統虎はその思いを一切口にすることなく耐えてきた。岩屋城を見上げると、激しい戦火にさらされたことが窺える。大手門は崩れ、中の丸はもはや存在さえない。山の木々は焼かれ、谷には大木がいくつも転がり、砦はほとんどが岩場となっている。唯一残るのは二の丸と本丸であろうか。

 小野和泉は岩屋城を見つめる統虎の横顔を見ている。
“殿はずっと堪えていらっしゃった。援軍を出したい気持ちを捨て、立花城では談判で日を重ねてきた。”
 小野和泉は今日の采配は全て統虎に任せるつもりである。
「殿、岩屋城攻めの如何いたしましょう。」
「よし、3手に分れ進む。小野和泉は私とともに正面より参る。薦野三河は我らの左側の尾根より上がる。十時摂津は裏の水の手より道はきついが上がるがよい。敵兵は我らと薦野三河の方しか見ておらぬ。山を上がり銃声がしておれば、そのまま銃声の方へ進むがよい。すぐに本丸だ。」
 立花軍本軍はすぐ正面の急坂を上り、敵兵十名ほどしかいなかった大手門を制すると、更なる急坂を上っていった。秋月軍の攻撃もあったが、統虎は次々曲輪を落し、昼過ぎには三の丸に辿り着いた。ここで統虎は家臣たちに鉄砲を使うよう命じた。
 
 鉄砲の音が響くと岩屋城本丸後方から鬨の声が聞こえてきた。立花軍の三方からの激しい攻撃に、秋月軍は岩屋城を諦め、山を下り逃げていった。統虎は逃げる兵は追わず、そのまま軍を再編し、小野和泉を大将とし、宝満城に兵を送った。統虎は残った兵100名と岩屋城を城実検していく。
 秋月軍の残敵が隠れていないかゆっくり調べていく。三の丸・二の丸を間近で見て、思った以上に激戦で傷んだ城の姿に心が締め付けられる。そして、本丸に入り、父が自害した天守閣を目指した。階段にはところどころ血の痕が拡がり、柱には刀や槍の痕がある。
 そして、最上階の天守閣に上がると統虎は襖に目が釘付けとなった。
 父高橋紹運が最期に遺した辞世の句が書かれている。
“屍を 岩屋の苔に埋めてぞ 雲井の空に 名をとどむべき”
 別の襖にはもう一つの句が書いてある。
“流れての末の世遠く埋れぬ 名をや岩屋の苔の下水”
 父高橋紹運がこの世を去った証である。統虎のまぶたにはずっと塞き止めていた涙があふれ出してきた。句を見つめ肩を震わす姿に近習は一切近づくことが出来ない。統虎はゆっくりと、紹運がいつも大宰府の町を見ていた欄干に立った。
“父上が守ってこられたこの大宰府、私がこれより守ります。”
 立花軍は宝満城に籠る秋月軍を退け、岩屋城と宝満城の奪還に成功した。

 立花統虎が秀吉の援軍を待たずに、島津軍を追い討ちし、高鳥居城を落城させ、岩屋城と宝満城を奪い返した戦果は黒田官兵衛によって、喧伝された。秀吉は立花統虎の戦功を歓び、9月10日付で統虎に感状を送ってきた。
 統虎はこの細やかな心配りに驚いた。大友家にはない作法であった。更に毛利の軍を送る故、無理な戦奉公はせず、治政に力を入れよという下命もあった。10月になると毛利家の援軍も到着し、黒田官兵衛の指揮する大軍は、次々と島津軍が占拠した豊前・筑前の諸城を落としていった。
 
 10月18日、立花統虎と小野和泉は豊前国田川郡の香春岳城で合戦を行う秀吉本隊に挨拶へ伺った。統虎はすぐに幟が乱立する本陣へと案内された。
 そこで20歳となった立花統虎を待ち受けていたのは、本陣真ん中に陣取る輿の上に41歳にいる黒田官兵衛、54歳になる毛利の重鎮小早川隆景、26歳の吉川広家である。黒田官兵衛は信長に謀反した荒木村重の説得を試み、1年近く有岡城に幽閉された過去がある。それで黒田官兵衛の背骨は曲がり、髪はところどころ抜け、顔には疱瘡がこびりつき、専ら近習が担ぐ輿に乗って移動するようになっている。
 初めて黒田官兵衛を見る人はその姿を正視できず、視線に蔑みが入る人も少なくなかった。立花統虎はまっすぐ黒田官兵衛の眼を見つめている。統虎は母宗雲の顔が痘瘡だらけであったことや、立花道雪の足が不自由であったことから、人の風貌など全く気にしていない。
 統虎はその人の心根は自然と眼に宿ると思っている。
「黒田様、この度の約束を違えぬ援軍、そして過分なお心遣い、誠にありがとうございます。」
 黒田官兵衛は統虎の赤誠溢れるまなざしと20歳とは思えぬ堂々とした口上に感服した。数多くの修羅場をくぐってきた小早川隆景も、弱冠20歳で堂々と島津を追い討ちした統虎の器量を感じている。
“さすがは立花道雪を継ぐ者。”
 黒田官兵衛は統虎に優しく声を掛けた。
「そう言えば、立花殿、太閤様が私への手紙の中に立花殿のことを九州の一物なりと書いておりました。安国寺恵瓊様への手紙にも同じことが書いてあったとのこと。皆が立花殿にお会いしたいと言っておりました。」
「いえ、わたしはそのような・・・。」
 はにかんで謙遜する姿も黒田官兵衛と小早川隆景の厚情を誘うものであった。どうやら、統虎には修羅場をくぐってきた大名や武将と無言で通じる侠気があるようである。この後も黒田官兵衛と小早川隆景との親交は篤く続くことになる。

 秀吉軍の九州入りで島津勢から離反する国人衆が増えてきた。龍造寺政家も重臣鍋島直茂の献策で立花統虎に誼を通じてきた。
“肥後玉名に幽閉されている宗雲尼を助けられるやもしれません。”
 思わぬ報せに、統虎はすぐに救出をお願いし、龍造寺家を秀吉に取り成すことを約した。龍造寺政家はすぐ宗雲尼を救い出したが、弟の直次とかね姫は残念ながら薩摩の祁答院に連れ去られた後であった。後に久々の対面を果たした宋雲尼は統虎に告げている。
“島津家の扱いは丁重で命の危険は全くなかった。”
 この言葉で、弟直次とかね姫の無事を確信したのであった。

 九州の豊臣軍に朗報が届けられた。
 10月27日、大阪城において徳川家康が秀吉に謁見し、諸大名の前で豊臣氏に臣従することを表明したのだ。
 家康の臣従で秀吉は名実ともに天下一の実力者となった。朝廷も年内に豊臣姓を与え、太政大臣の任を命ずると報せてきた。 これで、秀吉は年明け早々に九州討伐へ出発することとなった。

 第16代棟梁島津義久は筑前・筑後で軍を返したが、九州制覇はまだ諦めていない。
 11月、島津義久は家久と共に日向境から豊後へ侵入すると同時に、弟義弘を肥後へ出陣させた。約3万5千もの島津軍に怖れを為し、鎧ヶ岳城の戸次鎮連や一万田城主の一万田宗相などは島津勢に内通し、大友家本拠の府内まであとわずかの鶴賀城に島津軍が陣取ることととなった。
 この鶴賀城が落城すると大友宗麟の居城臼杵城と義統の府内城が分断される。
 この苦しい状況下で府内城に籠る大友義統は、豊臣軍先発軍として豊後に入ってきていた仙石秀久、長宗我部元親と息子の信親、十河存保らと軍議を開いた。この軍議に出席する土佐国の長宗我部元親は四国を席巻した勇将である。軍議で向かい合う三好一族の生き残り十河存保の領国讃岐だけでなく、伊予国も阿波国も全て手に入れる寸前であった。
 だが、四国の覇者になる寸前で織田信長の軍に阻まれ、土佐一国に押し込められてしまったのだ。
 今回の先発軍大将を務める仙石秀久とは四国山中で戦ったが、味方の大勢だけを頼りとし、軍略なく、ただやみくもに戦うばかりで、ついにはおめおめ逃げて失笑を買った愚将である。
 だが、秀吉に昔から仕える古参の将ということで讃岐高松10万石の所領を持つ大名となっている。秀吉もこの仙石の器量は危ぶみ、予めお触れを出している。
”軽挙に島津軍と戦うことを禁じ、討伐軍の大将羽柴秀長の到着を待て。”

 長宗我部元親は軍議に出席した大友義統の顔を眺めている。
“九州統一を狙った父とはだいぶ違うらしいな。”
 所作に落ち着きがなく、なんとなく茫洋に出来ているらしい。十河存保も千石秀久も四国の戦で完膚なきまでに叩きのめした愚将である。
“こんな連中と一緒に戦をするのか。馬鹿らしい。”
 しかも自らの領土には全く関係のない戦である。
 
 長宗我部元親は千石秀久の軽挙妄動を防ぐ為、軍議の口火を切った。
「仙石様、もともとこの先発軍は秀長様の御到着を待って、島津軍と戦うようにと、秀吉様の御指示があったと聞いております。」
 上座に座る仙石秀久が鷹揚に応えた。
「さすれば、長宗我部殿は鶴賀城が攻められるのをむざむざ見殺しにせよと言うのでございますな。」
「いえ、そのような事を申しているのではございませぬ。あくまで、この軍は秀吉様の先発軍でございます。少なくとも、九州先発軍軍監を務める黒田官兵衛様にもご相談すべきかと。」
「長宗我部殿、私の思案よりも筑前にいる黒田官兵衛に相談すべしとは・・・。」
「仙石様、そのようなことは申しておりませぬ。島津軍が鶴賀城を落そうとする動きをすぐに報せるべきです。黒田官兵衛様が九州の合戦全てを思案し、秀吉様に御連絡しております。黒田様より援軍が来るやも知れませぬ。」
 仙石秀久は筑前筑後で島津軍を凌いだ黒田官兵衛の手柄を嫉妬している。島津軍を叩いて、秀吉の歓心を得ることしか考えていない。長宗我部元親の尤もな申し出は逆に迷惑千万である。
「ほぅ、長宗我部殿は臆して援軍が欲しいなどと申されるのでございますな。いやー、四国で戦った折にはさんざんやられて、面目なかったこともございましたが、いやいや、そのような怯懦の心をお持ちであったとは・・・・。」
 四国で煮え湯を飲まされた仙石秀久はここぞとばかりに嘲笑した。
「長宗我部殿は後詰に回るがよいであろう。島津の様な田舎侍を怖れるとは?秀吉軍を率いる我が仙石軍が蹴散らせて見せよう。」
 自分の言葉に酔った仙石秀久は更に続けた。
「やあ、長宗我部殿、聞くがよい。緒戦を勝ち、さあ追撃する故、軍を寄越せというのが上策であろう。長宗我部殿のおっしゃる黒田官兵衛様への相談など下策であろう。十河殿、大友殿いかがでござるか?」
「御尤もでございます。」
 十河存保と大友義統が平伏する中、長宗我部元親は憤怒の顔を悟られぬよう応えた。
「我ら長宗我部勢は攻めると決まれば、何ら異存はございませぬ。」
 仙石秀久は得意満面で軍議を打ち切った。

 12月12日曇天の中、厳しい寒風が西から東へと吹き荒れている。仙石軍と共に長宗我部軍、十河軍、大友軍約8千の兵は鶴賀城の救援へ向かった。物見を放つと鶴賀城の南にある戸次川の対岸に島津軍が陣取っているという知らせが入ってきた。その兵数は思いの外寡兵であったが、物見と知った島津軍は射程距離が短い鉄砲を当りもしないのに撃ちかけてきたとのことである。
 大将の仙石秀久は戸次川を望んで、思案した。
“所詮は田舎武士、一気に攻めれば、退くであろう。”
 仙石秀久は一気に河を渡り、島津軍を叩く考えであるが、長宗我部元親は戸次川を渡った裏山や林の中に潜む島津軍の気配を感じている。
”このまま攻めるのはまずい。物見を出さねば。”
 だが、仙石秀久が軍配を前に掲げた。
“全軍そのまま進め!”
 大将の采配には従わざるを得ない。仙石軍・十河軍・大友軍らに続き長宗我部軍も深く冷たい戸次川を渡っていく。すぐに島津軍に攻めかかったが、強兵を誇る島津軍がずるずると退いていった。長宗我部は瞬時に“これは誘っている”と見抜いたが、仙石秀久は軍配を前に向けた。
「行け、進め、手柄は取り放題。田舎武士に都の武士の馳走をせい!」
 仙石軍・十河軍・大友軍ら8千の軍勢が進む中、大友義統は島津勢と戦い惨敗した耳川の戦いをふと思い出した。
”これは、釣り野伏・・・ではないか、いかぬ。”
「引け!引け!」
 大友義統は大声を張り上げたが、悪夢が再び甦った。
「ぼぉー!」
 法螺貝の音が深い森の中にこだますると、島津の伏せ陣が一斉に動き出し、功に逸って一直線に伸びた仙石軍を一気に殲滅し始めた。十河軍・大友軍は目の前に迫ってくる島津軍に怖れをなし背走し始めた。戸次川手前では背中を斬られる者、川を渡れずそのまま弓で射られる者、数多くの兵が斃れていく。
 殿軍となった長宗我部軍は戸次川手前で密集し、島津勢を待ち構えた。背走する味方をここで収容し、体制を整えれば、島津得意の釣り野伏に対峙できる。長宗我部軍は次々大友軍・十河軍を収容し、ぶ厚い陣容になっていった。
残る仙石軍を収容すれば、島津軍への反撃を始められる。そこへ仙石秀久が大勢の近習と共に戻ってきた。
 すぐ長宗我部元親は仙石秀久を迎え入れた。
「仙石様、ご安心を。ここまで戻れば、大丈夫でございます。これより、反撃の下知を。」
 島津軍の怖ろしさで血の気を失った仙石秀久は長宗我部の言葉に頭を振った。
「お主は儂を殺す気か?儂はここを去る。後は好きに戦え!」
”えっ!”
 驚く長宗我部元親を尻目に、仙石秀久は戸次川を渡って戦場を後にした。思わぬ大将の逃亡につられ、大友軍・十河軍も戸次川を次々渡っていく。
「待て、今下がってはならぬ。ならぬ。下がるな。」
 人間の心理とは恐ろしい。一旦、皆が引くと思うと陣全体が浮足立つ。そこへ1万8千の島津勢が押し寄せてきた。
 
 長宗我部元親は何とか島津軍を足止めさせようと軍配を振った。
「撃て!」
 長宗我部軍の鉄砲隊が斉射し、弓矢を放たれた。だが、前のめりとなった島津軍は怯まず、長宗我部軍目指し、抜刀しながら迫っていく。長宗我部軍も一歩も引かずに刀を抜いて、挑んでいく。長宗我部軍の兵は一領具足と呼ばれ、普段は農業に従事しているが、戦になれば田畑の傍らに置いた槍と鎧を担いで戦に駆け付ける血気盛んな兵ばかりである。
 血で血を洗う肉弾戦の中、長宗我部元親の息子信親の近習たちも必死に剣を振るって耐えていたが、殺到する島津軍の多さに徐々に後退していく。長宗我部信親は6尺を超す大男であり、元親が鍛えに鍛えぬいた自慢の武者である。4尺3寸の大刀を振り回し、迫る島津勢を退けていたが、恩賞首となる大男を狙って、多くの島津の武者たちが殺到した。 最後は足軽の放った鉄砲の一弾が額を貫き、22歳の生涯を終えた。

「信親様、鉄砲で戦死。信親様、戦死。」
 虚しい報せを受けた長宗我部元親は生気を失った眼で撤退を命じた。長宗我部軍も総崩れとなって、府内へ逃げ込んでいった。本来は府内で軍をまとめなければならないが、大将仙石秀久は府内を通って逃げてしまい、行方が分からなくなっている。
 残された仙石軍の兵は、淡路島の海軍衆ばかりで行儀が悪い。勝手に府内城に入り込むと、大友家の財物を強奪し、船に乗って淡路島へ帰ってしまったのだ。三好一族末裔の十河存保は乱戦の中に命を落としている。
 大友家棟梁としての意地を見せねばならぬ義統は、あろうことか府内城を棄て、高崎山に逃げていってしまった。
後日、領主とも思えぬ逃避行を秀吉は許さず、改易の大きな理由とした。
 
 追いかける島津軍は難なく府内を占拠する。あっけない勝利であった。島津軍はそのまま東へ向かって、大友宗麟の居城臼杵城を攻めた。
 だが、大友宗麟が縄張りした臼杵城は孤島の堅城である。城の攻め口は橋1本のみで、橋を渡ろうとする島津勢を南蛮から取り寄せた大砲”国崩し”が狙い撃つ。大筒から石火弾が放たれると、空には咆哮のような発射音が響いた。
大友宗麟が頼りとした“国崩し”は、3日間島津兵を圧倒し、やがて撤退させている。
 ただ、臼杵の街は府内と同じように破壊され、伴天連の教会も全て焼き払われた。
 
 この負け戦の責任を負うべき大将の仙石秀久はあろうことか既に九州を離れ、領国の淡路島へ帰ってしまった。
この無様な姿から仙石秀久は三国一の臆病者と呼ばれ、後に太閤殿下から領地を召し上げられるてしまう。浮かばれないのは長宗我部元親であった。
 知勇兼ね備え、長宗我部家の将来を託すに相応しい自慢の跡取り息子信親を失ってしまった。残された元親は失意のまま、生を重ねていくことになる。
 豊後の無様な戦よりも、高橋紹運の潔い死に様と立花統虎の見事な進退ばかりが秀吉の記憶に刷り込まれることとなった。
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1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

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