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第4話 お化け屋敷
馬車が止まり、重厚な扉が開かれた。
私はレオンハルト様にエスコートされ、公爵邸の玄関ホールへと足を踏み入れた。
「……おかえりなさいませ、旦那様」
出迎えたのは、年配の執事と数名のメイドたちだった。
彼らは一様に顔色が悪く、目の下には隈ができている。整列して頭を下げているものの、その体は小刻みに震えているように見えた。
無理もない。
屋敷の中に入った瞬間、空気がどろりと重くなったのだ。まるで泥水の中に沈んでいるかのような息苦しさ。
壁には黒いシミのような瘴気がべっとりと張り付き、豪華な調度品も薄汚れた灰色の膜に覆われている。
(うわぁ……これは想像以上だわ)
私は内心で悲鳴を上げた。もちろん恐怖からではない。衛生観念的な意味でだ。
特に頭上の巨大なシャンデリア。クリスタルガラスの一つ一つが瘴気で真っ黒に曇っている。
あれでは光が届くはずもない。
「フランツ、留守中変わりはなかったか」
「ゴホッ、ゴホッ……! は、はい。しかし、数名のメイドがまた体調を崩し、暇を出しました。残っているのは我々だけで……」
執事のフランツと呼ばれた男性が苦しげに咳き込みながら報告する。
レオンハルト様が痛ましげに眉を寄せた。
「そうか……すまない。私の力が制御できぬばかりに」
「滅相もございません! 我々は最後まで旦那様にお仕えすると……ゴホッ!」
感動的な忠誠のシーンだが、見ているこちらはハラハラしてしまう。この空気の悪さは致命的だ。換気扇を回したくらいでは追いつかない。ハウスダストのアレルギー反応が出ているに違いない。
「あの、よろしいでしょうか」
私は我慢できずに声を上げた。
執事やメイドたちが、ギョッとしたように私を見る。
「この娘は誰だ?」
「なぜ平気なんだ?」
という視線が突き刺さるが、気にしていられない。
「レオンハルト様。お部屋にご案内いただく前に、少しだけ『お掃除』させていただいても?」
「今か? 旅の疲れもあるだろう」
「いえ、むしろこのままでは気になって休まりません。玄関だけでも綺麗にさせてください。……あそこのシャンデリア、見ていてムズムズするんです」
私が指差すと、レオンハルト様は呆れたように、しかし面白そうに口元を緩めた。
「好きにしろ。ただし、無理はするなよ」
「ありがとうございます!」
許可が出た。私はスカートの裾を少し持ち上げ、ホールの中央に進み出た。使用人たちがざわめく。「あんな場所に行ったら、濃い瘴気に当てられて倒れるぞ」と囁いているのが聞こえる。
大丈夫、私にはこれがある。
私は右手を高く掲げた。
イメージするのは、王城の大掃除で培った最強の洗濯術。こびりついた汚れを泡で包み込み、浮かせ、一気に分解して洗い流す!
『広域洗浄』
パチン、と指を鳴らす。
その瞬間、私の手から無数の光の泡が弾け飛んだ。
シャボン玉のような虹色の泡が、部屋中を埋め尽くす。それらは黒いシミや空中の淀みに吸着すると、パチパチと軽快な音を立てて弾け、汚れを消滅させていく。
「な、なんだこれは……!?」
「光の……泡?」
フランツたちが目を丸くする中、私は仕上げにかかった。
『乾燥・艶出し』
爽やかな風が吹き抜け、湿気を飛ばす。同時に床や手すりにワックスをかけたような輝きが戻る。
所要時間、わずか三十秒。
どよんとしていた空気が一変した。
黒く曇っていたシャンデリアは、新品のように虹色の光を反射して輝き出した。
ドロドロだった壁紙は本来の白さを取り戻し、床の大理石は顔が映るほどピカピカに磨き上げられている。
「ふぅ、スッキリしました」
私は満足げに頷いた。やっぱり、掃除の後の空気は美味しい。
振り返ると、そこには彫像のように固まった使用人たちと、目を見開いたレオンハルト様がいた。
「…………」
沈黙が痛い。
あれ、やりすぎたかしら?
勝手にワックスかけたの怒られる?
「あ、あの……体、が」
執事のフランツが震える声を出した。
「軽い……? 息が、苦しくない。胸のつかえが取れたようだ……」
「私もです! 頭痛が消えました!」
「なんて清浄な空気なんだ……」
メイドたちが涙ぐみながら深呼吸をしている。
どうやらハウスダストが除去されてアレルギー症状が治まったらしい。よかった。
「フローラ」
レオンハルト様が私の前に歩み寄ってきた。その赤い瞳が、熱っぽい光を帯びて私を見下ろしている。
「お前……『少しだけ』と言ったな。これは、王城の最高位神官でも数日はかかる規模の浄化だぞ」
「えっ? いえ、ただの拭き掃除と空気の入れ替えですけど……」
「……くくっ、はははは!」
彼は突然、腹を抱えて笑い出した。普段の強面からは想像もできない、少年のように無邪気な笑顔だった。
使用人たちが「旦那様が笑っていらっしゃる……!」と驚愕している。
「やはりお前は面白い。最高の拾い物をした」
彼は笑い涙を拭うと、まだ呆然としている執事たちに向かって宣言した。
「紹介しよう。彼女はフローラ。今日から私の専属メイド……いや、この屋敷の『聖女』となる女性だ。丁重に扱うように」
聖女? いやいや、ただの掃除係ですってば。
訂正しようと口を開きかけたが、フランツ執事が涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で私の手を取り、「女神様ぁぁぁ!」と拝み始めたので、私は何も言えなくなってしまった。
こうして、私の辺境生活初日は、お化け屋敷の一部リフォームから始まったのだった。
私はレオンハルト様にエスコートされ、公爵邸の玄関ホールへと足を踏み入れた。
「……おかえりなさいませ、旦那様」
出迎えたのは、年配の執事と数名のメイドたちだった。
彼らは一様に顔色が悪く、目の下には隈ができている。整列して頭を下げているものの、その体は小刻みに震えているように見えた。
無理もない。
屋敷の中に入った瞬間、空気がどろりと重くなったのだ。まるで泥水の中に沈んでいるかのような息苦しさ。
壁には黒いシミのような瘴気がべっとりと張り付き、豪華な調度品も薄汚れた灰色の膜に覆われている。
(うわぁ……これは想像以上だわ)
私は内心で悲鳴を上げた。もちろん恐怖からではない。衛生観念的な意味でだ。
特に頭上の巨大なシャンデリア。クリスタルガラスの一つ一つが瘴気で真っ黒に曇っている。
あれでは光が届くはずもない。
「フランツ、留守中変わりはなかったか」
「ゴホッ、ゴホッ……! は、はい。しかし、数名のメイドがまた体調を崩し、暇を出しました。残っているのは我々だけで……」
執事のフランツと呼ばれた男性が苦しげに咳き込みながら報告する。
レオンハルト様が痛ましげに眉を寄せた。
「そうか……すまない。私の力が制御できぬばかりに」
「滅相もございません! 我々は最後まで旦那様にお仕えすると……ゴホッ!」
感動的な忠誠のシーンだが、見ているこちらはハラハラしてしまう。この空気の悪さは致命的だ。換気扇を回したくらいでは追いつかない。ハウスダストのアレルギー反応が出ているに違いない。
「あの、よろしいでしょうか」
私は我慢できずに声を上げた。
執事やメイドたちが、ギョッとしたように私を見る。
「この娘は誰だ?」
「なぜ平気なんだ?」
という視線が突き刺さるが、気にしていられない。
「レオンハルト様。お部屋にご案内いただく前に、少しだけ『お掃除』させていただいても?」
「今か? 旅の疲れもあるだろう」
「いえ、むしろこのままでは気になって休まりません。玄関だけでも綺麗にさせてください。……あそこのシャンデリア、見ていてムズムズするんです」
私が指差すと、レオンハルト様は呆れたように、しかし面白そうに口元を緩めた。
「好きにしろ。ただし、無理はするなよ」
「ありがとうございます!」
許可が出た。私はスカートの裾を少し持ち上げ、ホールの中央に進み出た。使用人たちがざわめく。「あんな場所に行ったら、濃い瘴気に当てられて倒れるぞ」と囁いているのが聞こえる。
大丈夫、私にはこれがある。
私は右手を高く掲げた。
イメージするのは、王城の大掃除で培った最強の洗濯術。こびりついた汚れを泡で包み込み、浮かせ、一気に分解して洗い流す!
『広域洗浄』
パチン、と指を鳴らす。
その瞬間、私の手から無数の光の泡が弾け飛んだ。
シャボン玉のような虹色の泡が、部屋中を埋め尽くす。それらは黒いシミや空中の淀みに吸着すると、パチパチと軽快な音を立てて弾け、汚れを消滅させていく。
「な、なんだこれは……!?」
「光の……泡?」
フランツたちが目を丸くする中、私は仕上げにかかった。
『乾燥・艶出し』
爽やかな風が吹き抜け、湿気を飛ばす。同時に床や手すりにワックスをかけたような輝きが戻る。
所要時間、わずか三十秒。
どよんとしていた空気が一変した。
黒く曇っていたシャンデリアは、新品のように虹色の光を反射して輝き出した。
ドロドロだった壁紙は本来の白さを取り戻し、床の大理石は顔が映るほどピカピカに磨き上げられている。
「ふぅ、スッキリしました」
私は満足げに頷いた。やっぱり、掃除の後の空気は美味しい。
振り返ると、そこには彫像のように固まった使用人たちと、目を見開いたレオンハルト様がいた。
「…………」
沈黙が痛い。
あれ、やりすぎたかしら?
勝手にワックスかけたの怒られる?
「あ、あの……体、が」
執事のフランツが震える声を出した。
「軽い……? 息が、苦しくない。胸のつかえが取れたようだ……」
「私もです! 頭痛が消えました!」
「なんて清浄な空気なんだ……」
メイドたちが涙ぐみながら深呼吸をしている。
どうやらハウスダストが除去されてアレルギー症状が治まったらしい。よかった。
「フローラ」
レオンハルト様が私の前に歩み寄ってきた。その赤い瞳が、熱っぽい光を帯びて私を見下ろしている。
「お前……『少しだけ』と言ったな。これは、王城の最高位神官でも数日はかかる規模の浄化だぞ」
「えっ? いえ、ただの拭き掃除と空気の入れ替えですけど……」
「……くくっ、はははは!」
彼は突然、腹を抱えて笑い出した。普段の強面からは想像もできない、少年のように無邪気な笑顔だった。
使用人たちが「旦那様が笑っていらっしゃる……!」と驚愕している。
「やはりお前は面白い。最高の拾い物をした」
彼は笑い涙を拭うと、まだ呆然としている執事たちに向かって宣言した。
「紹介しよう。彼女はフローラ。今日から私の専属メイド……いや、この屋敷の『聖女』となる女性だ。丁重に扱うように」
聖女? いやいや、ただの掃除係ですってば。
訂正しようと口を開きかけたが、フランツ執事が涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で私の手を取り、「女神様ぁぁぁ!」と拝み始めたので、私は何も言えなくなってしまった。
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