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第5話 ふかふかのベッド
玄関ホールの劇的なビフォーアフターを経て、私はフランツ執事の案内で自室へと向かっていた。
「フローラ様、こちらがお部屋になります」
案内されたのは、屋敷の三階、日当たりの良さそうな南向きの角部屋だった。重厚な扉が開かれると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……えっ?」
思わず声が漏れる。
広い。とにかく広い。王城で私が押し込められていた物置兼仮眠室の五倍はある。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、猫足の家具が優雅に配置されている。そして何より目を引くのは、部屋の中央に鎮座する天蓋付きのキングサイズベッドだ。
「あ、あの、フランツさん。部屋を間違えていませんか? ここは貴賓室ですよね? 使用人部屋はもっと、屋根裏とか地下とか……」
「滅相もございません」
フランツさんは、先ほどの号泣から立ち直り、きりっとした執事の顔で首を横に振った。
「旦那様からの厳命です。『彼女は客分であり、屋敷の救世主だ。最も良い部屋を用意しろ』と。それに……」
彼は言い淀み、申し訳なさそうに視線を落とした。
「この部屋は、結界の基点に近く、比較的瘴気の影響が少ない場所なのです。それでも、長年の放置で薄汚れてしまっておりますが……」
確かに、部屋の隅にはうっすらと黒い煤のようなものが溜まっている。
だが、今の私にはそれが「汚れ」にしか見えない。
「問題ありません。これくらい、寝る前の準備運動です」
私は袖を捲り上げた。
魔法で『部分洗浄《スポット・クリーン》』。シュッ、シュッ、と指先を振るだけで、カーテンの埃も、窓ガラスの曇りも消え去っていく。
仕上げにベッドのシーツを『瞬間乾燥』させれば、ふっくらとした温かみが蘇った。
「す、素晴らしい……。魔法をこのように使う方を、初めて拝見しました」
「ふふ、家事魔法は応用が利くんですよ」
そうこうしていると、夕食の準備が整ったとの知らせが入った。
◇
案内されたダイニングルームでは、長いテーブルの端にレオンハルト様が座っていた。
彼の前には質素ながらも温かそうな料理が並んでいる。そして、その隣の席にも、同じ料理が用意されていた。
「座れ。冷めるぞ」
「え、あ、ご一緒してよろしいのですか?」
「一人で食う飯は味気ない。それに、契約内容に『食事は保証する』と書いただろう」
公爵家当主と使用人が同席なんて、王城ではあり得ないことだ。けれど、彼の瞳は真剣で拒否権はなさそうだった。
私は恐縮しながら席に着いた。
今日のメニューは、根菜と鶏肉のクリームシチュー、焼き立てのパン、そして新鮮なサラダ。
スプーンでシチューを口に運ぶ。
「……っ」
濃厚なミルクのコクと、野菜の甘みが舌の上でとろけた。温かい。体が芯から解れていくようだ。
王城では、冷え切った残り物を立ったまま掻き込むのが常だった。こんな風に、湯気の立つ料理を、誰かと一緒に座って食べるなんて。
「口に合わんか?」
「い、いえ! とっても美味しいです。美味しすぎて、なんだか夢みたいで……」
気付けば、ポロポロと涙がこぼれていた。
慌ててナプキンで拭うが、止まらない。
レオンハルト様は少し目を見開き、それから困ったように眉を下げた。何も言わず、私の皿にパンをもう一つ、そっと乗せてくれる。不器用な優しさが、今はたまらなく嬉しかった。
◇
その夜。
私は天蓋付きのベッドにダイブした。
ふかふかだ。雲の上にいるみたい。
王城で寝ていたせんべい布団とは雲泥の差だ。背中が痛くない。寒くない。
「……明日の朝は、七時に起きればいいんだっけ」
契約では朝食は八時。七時に起きても十分間に合う。
四時起きの強制労働はもうない。
窓の外を見る。辺境の夜空は、王都よりもずっと星が近くて綺麗だった。この屋敷は呪われているかもしれない。瘴気にまみれているかもしれない。
けれど、私にとってはここが――
「天国、だなぁ……」
瞼が重くなる。
泥のような眠りではなく、幸せに包まれた安眠。
私はレオンハルト様の、少しぶっきらぼうだけど優しい赤い瞳を思い出しながら深い眠りへと落ちていった。
一方その頃、王都の王城では。
夜会を終えたアシュリー殿下が自室に戻り首を傾げていた。
「……なんだ? 部屋が少し、カビ臭くないか?」
壁の隅に浮かび上がった小さな黒いシミに、彼はまだ気付いていなかった。
「フローラ様、こちらがお部屋になります」
案内されたのは、屋敷の三階、日当たりの良さそうな南向きの角部屋だった。重厚な扉が開かれると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……えっ?」
思わず声が漏れる。
広い。とにかく広い。王城で私が押し込められていた物置兼仮眠室の五倍はある。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、猫足の家具が優雅に配置されている。そして何より目を引くのは、部屋の中央に鎮座する天蓋付きのキングサイズベッドだ。
「あ、あの、フランツさん。部屋を間違えていませんか? ここは貴賓室ですよね? 使用人部屋はもっと、屋根裏とか地下とか……」
「滅相もございません」
フランツさんは、先ほどの号泣から立ち直り、きりっとした執事の顔で首を横に振った。
「旦那様からの厳命です。『彼女は客分であり、屋敷の救世主だ。最も良い部屋を用意しろ』と。それに……」
彼は言い淀み、申し訳なさそうに視線を落とした。
「この部屋は、結界の基点に近く、比較的瘴気の影響が少ない場所なのです。それでも、長年の放置で薄汚れてしまっておりますが……」
確かに、部屋の隅にはうっすらと黒い煤のようなものが溜まっている。
だが、今の私にはそれが「汚れ」にしか見えない。
「問題ありません。これくらい、寝る前の準備運動です」
私は袖を捲り上げた。
魔法で『部分洗浄《スポット・クリーン》』。シュッ、シュッ、と指先を振るだけで、カーテンの埃も、窓ガラスの曇りも消え去っていく。
仕上げにベッドのシーツを『瞬間乾燥』させれば、ふっくらとした温かみが蘇った。
「す、素晴らしい……。魔法をこのように使う方を、初めて拝見しました」
「ふふ、家事魔法は応用が利くんですよ」
そうこうしていると、夕食の準備が整ったとの知らせが入った。
◇
案内されたダイニングルームでは、長いテーブルの端にレオンハルト様が座っていた。
彼の前には質素ながらも温かそうな料理が並んでいる。そして、その隣の席にも、同じ料理が用意されていた。
「座れ。冷めるぞ」
「え、あ、ご一緒してよろしいのですか?」
「一人で食う飯は味気ない。それに、契約内容に『食事は保証する』と書いただろう」
公爵家当主と使用人が同席なんて、王城ではあり得ないことだ。けれど、彼の瞳は真剣で拒否権はなさそうだった。
私は恐縮しながら席に着いた。
今日のメニューは、根菜と鶏肉のクリームシチュー、焼き立てのパン、そして新鮮なサラダ。
スプーンでシチューを口に運ぶ。
「……っ」
濃厚なミルクのコクと、野菜の甘みが舌の上でとろけた。温かい。体が芯から解れていくようだ。
王城では、冷え切った残り物を立ったまま掻き込むのが常だった。こんな風に、湯気の立つ料理を、誰かと一緒に座って食べるなんて。
「口に合わんか?」
「い、いえ! とっても美味しいです。美味しすぎて、なんだか夢みたいで……」
気付けば、ポロポロと涙がこぼれていた。
慌ててナプキンで拭うが、止まらない。
レオンハルト様は少し目を見開き、それから困ったように眉を下げた。何も言わず、私の皿にパンをもう一つ、そっと乗せてくれる。不器用な優しさが、今はたまらなく嬉しかった。
◇
その夜。
私は天蓋付きのベッドにダイブした。
ふかふかだ。雲の上にいるみたい。
王城で寝ていたせんべい布団とは雲泥の差だ。背中が痛くない。寒くない。
「……明日の朝は、七時に起きればいいんだっけ」
契約では朝食は八時。七時に起きても十分間に合う。
四時起きの強制労働はもうない。
窓の外を見る。辺境の夜空は、王都よりもずっと星が近くて綺麗だった。この屋敷は呪われているかもしれない。瘴気にまみれているかもしれない。
けれど、私にとってはここが――
「天国、だなぁ……」
瞼が重くなる。
泥のような眠りではなく、幸せに包まれた安眠。
私はレオンハルト様の、少しぶっきらぼうだけど優しい赤い瞳を思い出しながら深い眠りへと落ちていった。
一方その頃、王都の王城では。
夜会を終えたアシュリー殿下が自室に戻り首を傾げていた。
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