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第13話 銀色の聖獣と、湯気の立つお弁当
ヴィンセント様の許可を得た私は、その日の夜から早速、聖獣フェンリル様のための特別な食事の準備に取り掛かった。
厨房に行くと、私の決意を知った料理長や仲間たちが、心配そうな、それでいてどこか誇らしげな顔で私を迎えてくれた。
「無茶しやがって、嬢ちゃん……」
料理長はぶっきらぼうに言いながらも、倉庫の奥から、栄養価の高い雌鶏のレバーや、匂いの強い特別な香草など、とっておきの食材を次々と出してきてくれた。
「フェンリル様は、普通の肉なぞ見向きもなさらん。だが、これなら……あるいは、な」
仲間たちの助けも借りながら、私は一晩かけて、フェンリル様のためだけの「お弁当」を完成させた。
メインは、丁寧に下処理をして臭みを完全に取り除いた、鶏レバーのパテ。
少量でもエネルギーを補給できるように。
そして、骨付きの肉と香味野菜をことこと煮詰めて作った、滋味深い「ボーンブロススープ」。弱った体にも染み渡るように。
最後に食欲を増進させる香草を細かく刻んで混ぜ込んだ、鶏肉のおじや。
全て人間用よりも味付けは控えめに、けれど、嗅覚の鋭い動物が好む「匂い」を最大限に引き出すことだけを考えて作った、特別な献立だ。
翌朝、完成した料理を保温できる特別な魔法の器に入れ、私はヴィンセント様と共に、ついに『聖獣の森』へと足を踏み入れた。
森の中は、外の世界とは空気が違った。
どこまでも清浄で、神聖な気配に満ちている。木の葉を揺らす風の音さえ、まるで音楽のように聞こえた。
森の奥深く、古い塔の麓にある苔むした岩場。そこに、その聖獣はいた。
「……フェンリル」
ヴィンセント様が静かにその名を呼ぶ。
岩の上に伏せていた巨大な獣が、ゆっくりと顔を上げた。
月光をそのまま固めたような、美しい銀色の毛並み。しなやかで、力強い四肢。馬ほどもあるだろうか、その巨体は、神々しいとさえ思えるほどの威厳を放っていた。
けれど、その毛並みは艶を失い、黄金色の瞳には力がなかった。
私という見慣れぬ人間の存在に気づいたのだろう。フェンリルは喉の奥で低く唸り、全身の毛を逆立てて、明確な敵意を向けてきた。
「グルルルルル……ッ!」
「エリアーナ、俺の後ろへ!」
ヴィンセント様が庇うように私の前に立つ。その背中からは、今まで感じたことのないほどの緊張が伝わってきた。
けれど、私は動けなかった。
フェンリル様の、その黄金色の瞳から目が離せなかったのだ。
鋭い敵意の奥に、私は見てしまった。深い孤独と、痛いほどの寂しさの色を。
(この方は、怖がらせたいんじゃない。ただ、寂しいんだわ……)
そう直感した瞬間、私の恐怖はどこかへ消えていた。
「大丈夫です、ヴィンセント様」
私は彼の腕をそっと押し返し、一歩、前へ出た。
ヴィンセント様が息を呑む気配がする。フェンリルの唸り声が、さらに低く威嚇的になる。
それでも私は歩みを止めず、聖獣から数メートル離れた場所で、そっと膝をついた。
そして、恐怖を押し殺し、できる限りの優しい声で語りかける。
「フェンリル様。お腹が、空いていらっしゃいませんか?」
私は持ってきた器の蓋に、ゆっくりと手をかけた。
蓋を開けた瞬間、ふわり、と温かい湯気と共に、凝縮された肉とハーブの食欲をそそる濃厚な香りが森の空気の中に解き放たれた。
それまで敵意をむき出しにしていたフェンリルの鼻が、ぴくん、とわずかに動く。
唸り声が止まったのだ。
その黄金色の瞳が、初めて私――というより、私の手の中にある器に真っ直ぐに向けられたのだ。
厨房に行くと、私の決意を知った料理長や仲間たちが、心配そうな、それでいてどこか誇らしげな顔で私を迎えてくれた。
「無茶しやがって、嬢ちゃん……」
料理長はぶっきらぼうに言いながらも、倉庫の奥から、栄養価の高い雌鶏のレバーや、匂いの強い特別な香草など、とっておきの食材を次々と出してきてくれた。
「フェンリル様は、普通の肉なぞ見向きもなさらん。だが、これなら……あるいは、な」
仲間たちの助けも借りながら、私は一晩かけて、フェンリル様のためだけの「お弁当」を完成させた。
メインは、丁寧に下処理をして臭みを完全に取り除いた、鶏レバーのパテ。
少量でもエネルギーを補給できるように。
そして、骨付きの肉と香味野菜をことこと煮詰めて作った、滋味深い「ボーンブロススープ」。弱った体にも染み渡るように。
最後に食欲を増進させる香草を細かく刻んで混ぜ込んだ、鶏肉のおじや。
全て人間用よりも味付けは控えめに、けれど、嗅覚の鋭い動物が好む「匂い」を最大限に引き出すことだけを考えて作った、特別な献立だ。
翌朝、完成した料理を保温できる特別な魔法の器に入れ、私はヴィンセント様と共に、ついに『聖獣の森』へと足を踏み入れた。
森の中は、外の世界とは空気が違った。
どこまでも清浄で、神聖な気配に満ちている。木の葉を揺らす風の音さえ、まるで音楽のように聞こえた。
森の奥深く、古い塔の麓にある苔むした岩場。そこに、その聖獣はいた。
「……フェンリル」
ヴィンセント様が静かにその名を呼ぶ。
岩の上に伏せていた巨大な獣が、ゆっくりと顔を上げた。
月光をそのまま固めたような、美しい銀色の毛並み。しなやかで、力強い四肢。馬ほどもあるだろうか、その巨体は、神々しいとさえ思えるほどの威厳を放っていた。
けれど、その毛並みは艶を失い、黄金色の瞳には力がなかった。
私という見慣れぬ人間の存在に気づいたのだろう。フェンリルは喉の奥で低く唸り、全身の毛を逆立てて、明確な敵意を向けてきた。
「グルルルルル……ッ!」
「エリアーナ、俺の後ろへ!」
ヴィンセント様が庇うように私の前に立つ。その背中からは、今まで感じたことのないほどの緊張が伝わってきた。
けれど、私は動けなかった。
フェンリル様の、その黄金色の瞳から目が離せなかったのだ。
鋭い敵意の奥に、私は見てしまった。深い孤独と、痛いほどの寂しさの色を。
(この方は、怖がらせたいんじゃない。ただ、寂しいんだわ……)
そう直感した瞬間、私の恐怖はどこかへ消えていた。
「大丈夫です、ヴィンセント様」
私は彼の腕をそっと押し返し、一歩、前へ出た。
ヴィンセント様が息を呑む気配がする。フェンリルの唸り声が、さらに低く威嚇的になる。
それでも私は歩みを止めず、聖獣から数メートル離れた場所で、そっと膝をついた。
そして、恐怖を押し殺し、できる限りの優しい声で語りかける。
「フェンリル様。お腹が、空いていらっしゃいませんか?」
私は持ってきた器の蓋に、ゆっくりと手をかけた。
蓋を開けた瞬間、ふわり、と温かい湯気と共に、凝縮された肉とハーブの食欲をそそる濃厚な香りが森の空気の中に解き放たれた。
それまで敵意をむき出しにしていたフェンリルの鼻が、ぴくん、とわずかに動く。
唸り声が止まったのだ。
その黄金色の瞳が、初めて私――というより、私の手の中にある器に真っ直ぐに向けられたのだ。
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