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第18話 腹の虫が鳴る音は、恋の始まり?
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彼の顔が、すぐそこにある。
深い青の瞳に、私の戸惑う顔が映っている。その瞳に吸い込まれそうになった、まさにその時だった。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~………。
静寂に包まれた美しい湖畔。
そのロマンチックな雰囲気を、根本から覆すような盛大な音が、二人の間に響き渡った。
音の発生源は、言うまでもない。
目の前にいる『氷の悪魔』様のお腹からだった。
「「…………っ!」」
時間が止まる。
そして次の瞬間、私たちは弾かれたようにはっと我に返り、慌てて距離を取った。甘い空気はどこへやら。気まずい沈黙が流れる。
私は必死に笑いを堪えた。けれど、肩がぷるぷると震えるのを止められない。
ヴィンセント様は、信じられないという顔で自分のお腹を見下ろした後、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げた。
「ち、違う! 今のは腹の音ではない!」
「え?」
「近くで、大きなカエルでも鳴いたのだろう! そうに違いない!」
あまりにも苦しい言い訳。その必死な様子がなんだかとてもおかしくて、私はとうとう堪えきれずに、くすくすと笑い出してしまった。
「あ、あなた、何を笑っている!」
「ご、ごめんなさい……ふふっ、だって……」
私の笑い声につられるように、ヴィンセント様の厳しい表情も、ふっと和らいだ。
そして諦めたように大きなため息をつくと、彼もまた照れくさそうに少しだけ笑った。
『氷の悪魔』なんて呼ばれる人が、こんな風に、少年みたいに笑うなんて。
その笑顔を見て、私の胸は、さっきとは違う、温かいときめきでいっぱいになった。
あの一件ですっかり壁がなくなった私たちは、城への帰り道、今までが嘘のようにたくさんの話をした。
ヴィンセント様は、ぽつりぽつりと、ご自身のことを話してくれた。幼い頃に両親を亡くし、若くして公爵の座を継いだこと。
この豊かな領地を守るために、どれだけのものを犠牲にしてきたかということ。
私はただ、相槌を打ちながら、彼の言葉に耳を傾ける。
その背中に、今までどれほど重いものを一人で背負ってきたのだろう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
この人の力になりたい。
美味しいご飯で、この人の心を少しでも軽くしてあげたい。心から、そう思った。
城に帰ると、私たちの雰囲気が以前と全く違うことに、鋭いギルバート執事はすぐに気づいたようだった。彼は何も言わなかったが、その口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
食堂を通りがかると、ダリウス団長が早速私たちを見つけて駆け寄ってくる。
「閣下! エリアーナ殿を一日独り占めとは、ひどい話ですな!」
軽口を叩く団長に、以前のヴィンセント様なら、冷たくあしらっていたことだろう。
けれど、今の彼は違った。
私の肩を抱き寄せ、ダリウス団長に向かって、はっきりとこう言ったのだ。
「俺の料理番だ。文句があるか」
その堂々とした宣言に、今度は私が顔を真っ赤にする番だった。
二人の関係が、確かな一歩を踏み出した。
誰もがそう思った、穏やかな夜。
しかし、その平穏は、長くは続かなかった。
深夜、ヴィンセント様の執務室の窓を一羽の鳥が激しく叩いた。
王都からの緊急の報せを運ぶ鳥だった。
小さな筒から取り出された手紙を読んだ瞬間、彼の顔から、穏やかだった表情がすっと消え失せる。その瞳に宿ったのは、凍てつくような、冷たい怒りの光。
手紙の差出人は、アシュフォード公爵家が王都に置いている密偵。
そして、その内容は――私を捨てた元婚約者、アルフォンス王太子に関する不穏な報告だった。
深い青の瞳に、私の戸惑う顔が映っている。その瞳に吸い込まれそうになった、まさにその時だった。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~………。
静寂に包まれた美しい湖畔。
そのロマンチックな雰囲気を、根本から覆すような盛大な音が、二人の間に響き渡った。
音の発生源は、言うまでもない。
目の前にいる『氷の悪魔』様のお腹からだった。
「「…………っ!」」
時間が止まる。
そして次の瞬間、私たちは弾かれたようにはっと我に返り、慌てて距離を取った。甘い空気はどこへやら。気まずい沈黙が流れる。
私は必死に笑いを堪えた。けれど、肩がぷるぷると震えるのを止められない。
ヴィンセント様は、信じられないという顔で自分のお腹を見下ろした後、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げた。
「ち、違う! 今のは腹の音ではない!」
「え?」
「近くで、大きなカエルでも鳴いたのだろう! そうに違いない!」
あまりにも苦しい言い訳。その必死な様子がなんだかとてもおかしくて、私はとうとう堪えきれずに、くすくすと笑い出してしまった。
「あ、あなた、何を笑っている!」
「ご、ごめんなさい……ふふっ、だって……」
私の笑い声につられるように、ヴィンセント様の厳しい表情も、ふっと和らいだ。
そして諦めたように大きなため息をつくと、彼もまた照れくさそうに少しだけ笑った。
『氷の悪魔』なんて呼ばれる人が、こんな風に、少年みたいに笑うなんて。
その笑顔を見て、私の胸は、さっきとは違う、温かいときめきでいっぱいになった。
あの一件ですっかり壁がなくなった私たちは、城への帰り道、今までが嘘のようにたくさんの話をした。
ヴィンセント様は、ぽつりぽつりと、ご自身のことを話してくれた。幼い頃に両親を亡くし、若くして公爵の座を継いだこと。
この豊かな領地を守るために、どれだけのものを犠牲にしてきたかということ。
私はただ、相槌を打ちながら、彼の言葉に耳を傾ける。
その背中に、今までどれほど重いものを一人で背負ってきたのだろう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
この人の力になりたい。
美味しいご飯で、この人の心を少しでも軽くしてあげたい。心から、そう思った。
城に帰ると、私たちの雰囲気が以前と全く違うことに、鋭いギルバート執事はすぐに気づいたようだった。彼は何も言わなかったが、その口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
食堂を通りがかると、ダリウス団長が早速私たちを見つけて駆け寄ってくる。
「閣下! エリアーナ殿を一日独り占めとは、ひどい話ですな!」
軽口を叩く団長に、以前のヴィンセント様なら、冷たくあしらっていたことだろう。
けれど、今の彼は違った。
私の肩を抱き寄せ、ダリウス団長に向かって、はっきりとこう言ったのだ。
「俺の料理番だ。文句があるか」
その堂々とした宣言に、今度は私が顔を真っ赤にする番だった。
二人の関係が、確かな一歩を踏み出した。
誰もがそう思った、穏やかな夜。
しかし、その平穏は、長くは続かなかった。
深夜、ヴィンセント様の執務室の窓を一羽の鳥が激しく叩いた。
王都からの緊急の報せを運ぶ鳥だった。
小さな筒から取り出された手紙を読んだ瞬間、彼の顔から、穏やかだった表情がすっと消え失せる。その瞳に宿ったのは、凍てつくような、冷たい怒りの光。
手紙の差出人は、アシュフォード公爵家が王都に置いている密偵。
そして、その内容は――私を捨てた元婚約者、アルフォンス王太子に関する不穏な報告だった。
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